乙女の純情は浮気者
目の前に立つシモンを見上げ小鞠は急速に頬が熱くなっていくのを感じた。
テディとオロフと3人、買出しから戻ってきた直後のことだった。
同じようにどこかから駆け戻ったシモンに手をつかまれて、なんだろうと目を向けただけなのに。
「あ、あの……シモン、いま――」
公衆の面前で何を言いやがりましたか。
「聞こえなかったのか?ではもう一度言う。コマリ、好きだ」
とたんに自分と同じように耳を疑っていたらしい周りから悲鳴と野次が飛ぶ。
「こんなところで大告白?」
「恥ずかしげもなく言い切ったぞ。さすが外人……ってかシモンだから?」
「ほらコマ、返事!返事しなきゃっ」
こんなさらし者状態で返事なんかできるもんか。
何みんな期待に満ちた目でこっちを見てるんですか。
「おお、シモン。早速ガツンといったか~」
「いや、でもガツンの意味が違うくね?」
「気持ちがバレバレでもけじめをつけておこうって男の意気込みだろ。講習の成果かな」
おいこら、そこの3バカども。
シモンのこの奇行はあんたたちのせいかっ。
小鞠はチロとシモンと仲良くなった友人たちを見つめる。
彼らは彼女の視線に気づくとニヤニヤと笑って「返事」と口パクで伝えてきた。
(なんでしたり顔?……もう、いったいシモンに何を吹きこんだの!?)
口をへの字に曲げた小鞠は、シモンに掴まれていた手を引かれて再び彼を見あげた。
「赤くなっているということはわたしの言葉はちゃんと伝わっているのだな。友としてではなく1人の女性としてコマリが好きなのだ。そしてわたしは生涯、コマリ以外の女性を想うことはない」
きゃー、と女の子の悲鳴が上がった。
「生涯って言った、いま!?嘘ぉ、永遠の愛ってやつ!?」
「いいなぁ、あんなふうに言われてみたい」
「きゃーん、シモン君って王子様みたい~。歯の浮く台詞が似合うぅ」
ならいますぐ立場を代わってくださいっ。
平穏、安定、堅実がモットーなのになんでこんなに目立っちゃってるの。
それにこれ、きっとまたミネ先輩の耳に入る。
今晩の打ち上げでせっかく先輩に少し近づけるかもって思ってたのにまた誤解されるじゃない。
ますます頬を赤くした小鞠は思わずシモンの手を振り払っていた。
真っ赤になる頬を両手で押さえ彼を睨む。
目があって自分を見つめる青い瞳が優しく微笑んだ。
う、そんなキラキラの王子様スマイルなんて……目に毒じゃないかぁぁぁ。
(わーん、わたしの馬鹿。ときめいてどうするっ!)
だってだって男の人に免疫ないんです。
つきあったことないんです。
こんな格好いい人に好きだって言われてどきどきしないほど男慣れしてないんですっ。
ああだけどっ。
これじゃあ好きな人がいるのに他の男の人にもときめく不埒者になっちゃうじゃないか。
乙女の純情ってなんて浮気者。
こんなんじゃミネ先輩に嫌われる。
ちくしょう、シモンめ。
無駄にいい男すぎるのがいけないんだ。
「シモンのバカぁ~」
もう全部シモンのせいにしちゃえと混乱した小鞠は叫んで、そのまま逃げるようにその場を走り去っていた。
「コマリっ」
が、後ろからシモンの声がする。
振り返ってぎょっとした。
「ちょ……なんで追っかけてくるんですか!?」
「コマリが逃げるからだろう」
「そりゃ逃げますっ。あんな人前で告白なんかしてぇ。もー、恥ずかしすぎるぅ。今度のゼミ行きたくなーい。馬鹿シモン。わたしの平穏な生活を返せぇ!……ていうか、ついてこないでよ」
大学祭で人が多いためいろんな人間に阻まれてシモンは小鞠に追いつけないようだ。
このまま人に紛れて逃げられないだろうかと、彼女はちょろちょろと人の間を縫って走る。
「コマリを一人にできない。危険だ」
「学内に車なんて来ないったら。いいから一人に――っぁ!」
ゴツとなにかに躓いて小鞠は前につんのめった。
転ぶと思った瞬間、脇を通り過ぎた誰かに体を支えられ、地にスライディングは免れた。
「気ぃつけて」
耳に届いた声に顔をあげたときには声の主は彼女に背を向けていた。
そしてすぐに人に紛れてわからなくなってしまう。
(誰?いまの)
男の声だった。
支えてくれた腕も男性のものだ。
小鞠はそこで肩をつかまれ強引に体の向きを変えられていた。
「コマリ、いま転びかけてなかったか?」
「え?あ、うん。石に躓いて……でも助けてくれた人が――あれ?石がない」
おかしいなぁ、けっこう衝撃があったからかなり大きい石に躓いたと思ったんだけど。
(もしかして誰かの足だったとか?)
首を傾げる小鞠にシモンは眉を寄せる。
「コマリは昨日も駅の階段から落ちかけただろう」
そうなのだ。
昨日、階段のてっぺんからまっさかさまのところをシモンに抱きとめられた。
彼が助けてくれなかったら大怪我をしていたところだ。
自分を受け止めてくれたシモンの胸の中は広く、腕だって逞しかった。
(ってなに思い出してんの?わたしってやらしい……)
小鞠は我に返って首を振る。
「わたしの注意力が散漫だって言いたいんですか?そりゃあちょっとはそういうところがあるかもだけど、今日のはシモンが追ってくるから慌てたんです。昨日のは誰かにぶつかっちゃったみたいだから、その人を巻き添えにしなくてよかったと思っ――てぇ!?」
突然シモンに強く抱きしめられたため小鞠は息をつめながら声をあげた。
「な、なになになに?シモン!?やめて」
周りの人が見てます。
振り返ってまで見てる人もいるからっ。
「コマリ、わたしの側を離れないでくれ」
「は?」
「怪我をするかもしれない」
「だから注意力散漫なのは改めるようにしますってば。だから――」
「コマリが気をつけていても車が突っ込んできたり、物が落ちてきたり……、っ!もしかしてあのときのも――」
「あのとき?……って、痛っ。シモン、苦しいから離して」
ぎゅう、と力が込められて小鞠は身動きが取れなくなった。
(い、息ができない……なに?なんでこんな)
シモンの様子がおかしい気がする。
そこへテディとオロフが後を追ってやってきた。
「シモン様?コマリ様に何か――」
「転びかけただけです。お願い、シモンを引き離してください。息が……苦しぃ~」
従者二人に小鞠が訴えるとやっとシモンが彼女を抱く腕を離した。
「すまない、コマリ。つい力が入ってしまった」
「次はもっと優しくお願いします……って、違う!次はこんなことしたらセクハラで訴えますからねっ」
うっかり何を言ってしまってるんだ、この口は。
「気をつける」と頷くシモンは笑っていたけれど、小鞠はその表情に違和感を感じた。
なにかいつもと違う気がする。
「シモン?何?」
「え?」
「なんだか変だから……うん、変。そうよ、いきなり告白してきたりとかも。なんか、いつもと違うでしょう?何かあったの?」
小鞠の言葉を受けて彼はすぐに優しく微笑んだ。
「わたしの気持ちをコマリに伝えておきたかっただけだ。はっきり言ったことはなかったから。約束の期限まで半分以上過ぎていると今更なことに気づいて少し焦ったのだ。残りの期間はコマリにもっと気持ちを伝えていこうと思う」
そう言ってシモンは小鞠の手を取り指先に口づける仕草をする。
ひ、と彼女は引きつって一歩退いた。
そんな彼女に向かって彼は王子様らしく素晴らしく素敵な笑顔を向けた。
「心は既にあなたに捕らわれ、わたしはあなたの虜です――コマリ、わが姫。心からの愛をあなたに」
胸に手をあて優雅に礼をとる姿も様になる。
(きゃぁぁぁ!なにこれぇー、この人本当に王子様みたい!!って王子様だけど~~~)
悶絶しそうな小鞠はさらに数歩後退った。
どうしてこんなに素敵な人が自分に愛を告げるのだろう。
これはもう人生の罠としか思えない。
(その気になったらあとでこっぴどく振られるとか、遊ばれて終わりとか――うん、きっとそう。庶民のわたしが異世界の王子様となんてあるわけない!ないないないっ)
どっくん、どっくん暴れる胸を落ち着かせるように、シモンから視線をそらして小鞠は歩き出す。
その背後にシモンたちがついてくるのがわかったが隣に並ぶことはしなかった。
先ほどシモンについてこないでと言ったためだろうか。
(でもこれ、逆に周りの目を引いてるような)
すこぶる見栄えのいい大型犬3匹がついてくるほうがまだましなのに。
いっそ3人とも犬になってくれないかなぁと、小鞠は無理なことを願いながら溜め息をついた。