シモン編2
テディを伴いベンノと共に王族塔の部屋に戻ると、ちょうどコマリはアフタヌーンティを楽しむところだったようだ。
ジゼルも一緒だったのか二人仲良く隣合い、他に侍女たちと護衛官の分も茶の用意がある。
異世界育ちのコマリは身分のことに疎いようで、いつもこんな風に自分の世話をする人間も呼んで一緒にお茶を飲む。
最初は皆戸惑ってシモンにやめるよう言ってほしいと頼んできたが、育った環境も価値観も違うコマリに、この世界の常識を無理に押し付けるのも酷だろうと、コマリの好きにさせてある。
それが王宮の者たちの目にどう映るかとの心配はあったが、コマリを知る人間が増えるにつれ、異世界人にこの世界の常識は通じないとの思いが広がっていったようだ。
スミトやゲイリー、ジゼルといった他の異世界の者たちも、身分を重視しないし、おそらくはコマリより身近な彼らに接しているうち、皆が常識の違いを理解したのだろう。コマリを迎えに異世界へ出向いて、彼女だけでなく仲間も連れ帰ったことは、結果的に良い方向へ転がっているとシモンは感じている。
王国に新鮮な風が入ってきた。それが今後どのような変化をもたらすのか。
その中心となるコマリはおそらく、カッレラ王国で長く語り継がれる王妃となるだろう。
欲目ではなく確信めいたそんな思いがシモンにはあった。
部屋にシモンたちが現れたことで、侍女と護衛官は即座に席を立った。退こうとするのを手で制し、コマリの座るソファに近づく。
「コマリ、急に押しかけてすまない。彼はわたしの――」
「わたしはベンノ・ディンケラと申します。公務で長い間王国を離れておりました。そのためコマリ様へのご挨拶が遅れてしまいましたこと、深くお詫び致します」
シモンを押しのけベンノがソファに向かって優雅な礼をとる。
しかし……。
「ええと……わたしはコマリではありません、けど――」
ジゼルが隣に座るコマリの肩に手をやり軽く押し出した。
「コマリはこっち」
「は、はじめまして。コマリ・サハラです」
コマリが自己紹介をしたとたん、よそいき顔で微笑んでいたベンノの表情が凍りついた。固まったベンノにコマリのほうが困ってしまったようだ。
シモンへ助けを求めるような視線を向けてくる。
「コマリ、ベンノは――」
「シモンっ!」
目を剥いたベンノがシモンに詰め寄りコマリを指さす。
「あれのどこが男を誑かす悪女なんだ!?王国を破滅に導く性悪女だ!?まだ少女ではないか。おまえ、あのようないたいけな少女を異世界からかどわかしてきたのかっ!?この人でなしが」
がくがくと肩を揺さぶられてシモンは反論するどころではない。
「おまえが一ケ月も異世界にいたのは、泣いて嫌がる少女をあの手この手で懐柔し、丸め込むためだったのだな。なんと卑劣な男だ」
その豊かな想像力はどこから来るのだ。
プライベートなことになるととたんにポンコツになるその頭の中は、いったいどんな思考回路をしているのかとシモンは常々不思議に思っている。
「あ、あのっ」
コマリの呼びかけに気づいたベンノはシモンを突き飛ばした。
「なんだ?なにかシモンに怖いことでも――ああいや、この夏大変な目にあったのだったね。恐ろしい思いをたくさんしただろう。シモンでは頼りにならないし、わたしが力になるからね。もう心配はいらないよ」
ベンノの態度はまるで幼子をあやす大人のそれだ。言葉遣いの変化からコマリもそう気づいたようで、愛想笑いを浮かべると言い辛そうに口を開いた。
「見た目より大人です」
「そうなのかい?でもまだ10代だろう?」
「に……じゅう、に」
「ん?なにかな?」
「だ、だから、わたしはいま二十二歳ですっ!」
コマリの大声にブハっと吹き出しのはパウリだった。腹を抱えてワハハと大笑いするのを、オロフが笑いを噛み殺しながら止めている。
それにシモンの背後でもテディがへんな声を上げて、すぐに静かになった。
きっと笑いをこらえたのだろう。遅れてジゼルがウフフと笑いはじめて、つられたようにスサンが肩を震わせ、エーヴァとサデが困った様子になりながらも苦く笑んでいる。
ドリスだけがコマリが頬を膨らせるのを見て身を捩っていた。
「いま笑った人みんな、あとで覚えててよ」
コマリがジト目で周りを睨むとぴたりと静かになったが、代わりにベンノが驚嘆したような声を発した。
「異世界では年の取り方がゆっくりなのかな?なんと興味深い。だがしかし、赤子の成長が遅いのは親も長く気が抜けないな。それはそれで大変か」
「え、その反応は初めて。わたしの世界とこっちの世界の年の取り方は多分一緒……だと思います。わたしが童顔なだけで」
「童顔で片づけるにはかなり――」
じろじろと遠慮なくベンノがコマリを眺めまわし、そしてシモンに確認してきた。
「シモン、おまえ異世界へ行ったのだろう?本当にこちらの世界の人間と同じに、あちらの人間は老けていたのか?」
「そうだな。同じだと思う。それよりベンノ。先ほどからコマリに対して無礼にもほどがあるぞ。コマリは幼いのではなくこのうえなく可愛いのだ。それに美しい女性だぞ」
不承面になるシモンに、ベンノは目をぱちくりとさせていたが、すぐに真顔になってコマリに向き直った。
「コマリ様、数々の非礼を心よりお詫びいたします。申し訳ございません」
「別に怒っていません。っていうかいつものことだし慣れました。それよりえっと……ベンノ、さんはシモンとどういう関係ですか?」
「わたしのことはベンノとお呼びください。将来、シモンとあなたにお仕えする身でありますし」
「え?でもシモンのことを呼び捨てに……?」
「ああそれは、幼き頃は兄弟のように育ちましたので」
「乳兄弟ってやつですか?」
「いえ、従弟です。アルヴァー王の弟がわたしの父なのです」
「従弟?」
呟くように言ったコマリは思い当たったようにシモンを見た。
「ちっちゃいとき一緒に遊んだっていうシモンと仲良しの従弟?」
ああそういえばコマリには、子どものころの遊び相手は弟妹や従弟と話したことがある。
四人の世話ばかりで気苦労が絶えなかったと言ったのに、楽しそうに昔話を聞いていたコマリは、仲良し五人組と思ったらしかった。
確かに面倒はかけられたが楽しくもあったから、仲良しと言われて否定もしなかったように思う。
しかし大人になったいま、本人たちに――特にベンノにはそれを知られたくはなかった。
(また口止めしておくのを忘れていた)
側でベンノがまじまじと自分を見ている。シモンはあえてその視線を無視してコマリへ言った。
「コマリ、誤解があるようなので言っておく。わたしとベンノは仲良しではない。わたしがいつもこいつの世話を焼いていたのだ」
「なっ…先ほども言ったがおまえはわたしには冷たかったぞ。世話をされた覚えはない」
「ほう。転んで怪我をしたおまえを王宮まで背負ったり、庭園の泉で溺れかけたのを助けたり、部屋を泥だらけにしたのを一緒に謝ったり――他にも挙げればきりがないが?」
「そのくらい元気な子ども時代だったな、お互い」
「まとめて括るな。だいたいいつも言い出しっぺがおまえで、面白がったオーウェやウルリカが乗っかって、そこへいつのまにかイェンスも加わるから、わたしがどれだけ注意深く見守っても最後は大騒ぎになってたんだ」
「何を言うんだ。五人で楽しく遊んだいい思い出だろう?それに怪我ならわたしよりおまえのほうが多かったじゃないか」
「馬鹿をやる者が四人もいて、助けるのがわたしだけなら、どっちが多く怪我をするか考えなくともわかるだろう」
「大怪我がなかったのは不幸中の幸いだな」
「おまえたちを守れるように受け身やら素早さを身に着けたんだ、馬鹿者」
「そうだったのか。いやそれはご苦労」
ぽんぽん、とベンノに肩を叩かれたシモンは拳を持ち上げる。
「殴っていいか?」
「え?なぜだ?」
きょとん顔のベンノの頭を本気で殴ってやりたい。
シモンが拳を震わせていると、ブフッ、と吹き出したコマリがこらえきれない様子で大笑いを始めた。
「シモンが口喧嘩するところなんて初めて見た。ほんと仲良しなんだね」
「どこが――」
「仲が良いのは否定しませんが、シモンは短気なところがありますから、わたしが大人になってやらねばならないのです」
「おまえが自由過ぎるだけだ」
コマリがまたアハハと笑うと、周りの者たちもくすくすと笑いを漏らし、肩をゆすっている。
周りを見るうちシモンにも笑いが込み上げてきた。皆と一緒になって笑う。
コマリといるようになって、こんなふうに声をあげて笑うことが増えた。そのおかげか仕事の疲れも溜まりにくくなったように思う。
シモンはベンノに向きなおると手を握る。
「ん?なんだ?」
そのままベンノを引き寄せ、驚く彼を正面から抱きしめた。
「無事でなによりだ、ベンノ。本当によく戻ってくれた」
今日までを労うようにベンノの背を叩いた。
「こういうところが狡いな、おまえは――」
漏れ聞こえた声は珍しく苦い。
しかし、ぐ、と回された腕は嫌がっていないので、おそらくは照れているのだろう。
「あ、そうだ。ベンノさ…ベンノも一緒にお茶をどうですか?シモンとテディの分も用意しなきゃね」
コマリの声に反応して侍女たちが素早く動く。オロフとパウリは椅子を取りに行くようだ。
テディも彼らにくっついて行ったので、シモンに仕事に戻れと言うつもりはないらしい。
「コマリ様、わたしにそのような言葉遣いは不要です」
「じゃあわたしにもシモンに話すのと同じように話してください。名前も呼び捨てがいいです」
「ではコマリ。お誘いをありがたくお受けしよう」
ベンノの返事にコマリが嬉しそうに笑う。
そしてジゼルと一緒になって侍女たちの手伝いを始め、彼女らを慌てさせていた。
「わたしは噂に惑わされていたのだな」
ベンノが独り言のように漏らしたため、シモンは一瞬聞き逃しかける。
「王宮中に広がったあの噂は誰の嫌がらせだ?それもカーパ侯爵か?」
王国にいなかったベンノもコマリの暗殺未遂事件のことは知っているようだ。
フレイゴの砦でイェンスに会ったときに聞いたのか。
「いや、リクハルドがわたしの名誉を守るために流した噂が、コマリの悪評と変わってしまったのだ」
「コマリはそれを知っているのか」
「ああ。だが「人の噂も七十五日」だそうだ」
ベンノが瞳だけを動かして「なに?」と尋ねてくる。
「コマリの生まれ育った国の言葉だ。人の口にのぼる噂など、しばらくすれば忘れられるという意味らしい」
「なら、気にしていないと?大物だな」
気にしていないことはないだろう。それでも前向きに味方を増やしていくコマリの強さに、シモンはどれほど安心しただろう。
「ベンノ、コマリに会ってどうだ?」
問いかけに、ベンノはコマリを見つめた。つられてシモンも彼女へ視線を向けると、茶菓子を厨房に追加でもらいに行こうとして、エーヴァに止められていた。
「いつもああなのか?」
「ん?」
「侍女や護衛と茶を飲んだり侍女の真似ごとをしたり、だ」
「コマリの世界ではこちらの世界ほど身分にうるさくなく、皆が自由に生きていた。それにもともとコマリは自分でなんでもできる女性だ。わたしがコマリの世界を奪ってしまったのだ」
コマリにすべてを捨てさせたという思いはきっと消えないだろう。
でもだからこそコマリを幸せにすると誓った。
「なのに悲しませた。たくさん泣かせた。もう傷つけたくはないのだ。だからベンノ、コマリが笑っていられるよう力を貸してくれ」
「もちろんだ」
即答されてシモンは思わずベンノを見てしまう。
ベンノはコマリを目で追ったまま、口元に笑みを浮かべた。
「わたしはとっくにおまえを支えていくと決めている。だからそう気負うな」
初めて聞くベンノの本音だった。
「それは心強い…のと同時に不安だ」
「おい、せっかくわたしが感動的なことを言ったのに台無しじゃないか」
シモンに向き直って文句をいうベンノは、もういつもの彼に戻っていた。
目が合って笑いあう。
「ああ、シモンのことではなくコマリの話だったな。先ほどのコマリの笑顔は、おまえの言うように確かに愛らしかった。だが少々幼さが目立つせいか美しいとは……もう数年もすれば化けようが」
「おまえの目は節穴か」
「目はいいぞ。ならばおまえの言う美しいコマリを見られるよう気長に待つとしよう。なに、時間はこの先いくらでもある」
将来のことを話すとはつまり、ベンノはコマリを認めたということか。
「夏の一件がありながらあのように笑うか。気丈な女性だ」
「それに慈悲深い」
「イェンスから妖精にも好かれていると聞いた。あいつが作り話をしているのかと思っていたが……」
「本当の話だ。いつか攫われるのではと気が気でない」
「近々酒でも飲むか。詳しく聞きたい」
ちょうどそこへコマリの声が届いた。
「シモン、ベンノ。いつまで立ち話をしているの?」
「ああすまぬ、つい話し込んでしまった。ほらシモン、行こう」
コマリのもとへ歩むベンノから小さく声が聞こえた。きっと他の誰にも聞こえなかっただろう。
――やっとおまえも半身に会えたのだな。
その瞬間、胸にきた。シモンは心を撫でるように胸を押さえる。
本当は知っていた。愛魂相手がいつまでたっても見つからず、次第に心折れていく自分をベンノが案じてくれていたことを。
いい年になっても弟妹達と一緒になって大騒ぎをしていたのは、自分に一人を感じさせないためだった。
「シモンも早く」
優しい声がシモンを呼んだ。コマリが隣に座るようソファを叩いている。
こんな日が来ることをずっと夢見ていた。
誘われるまま愛する人の隣に腰を下ろしたシモンは、あふれる気持ちそのままに、引き寄せた頬へ口づける。
「愛しているぞ、コマリ」
いつものように真っ赤になったコマリには「人前でするな」と怒られたけれど、こればかりは自制しようにも体が勝手に動いてしまうのだ。
改める気のないシモンが「ならば今晩二人きりときにもっと濃厚なやつを」と告げると、コマリはますます赤くなって口をきいてくれなくなった。
シモンにはそれすらも愛らしいと感じて、我ながらどれだけコマリに嵌まっているのだと思ってしまう。
きっとこの心は生涯コマリにとらわれたままなのだ。彼女と出会ってすぐに感じた予感。
――わたしはきっとあなたの虜となるでしょう。
あの日の言葉をコマリは覚えているだろうか。
隣に座るコマリの左手に指輪が光る。そっと握ると少しあって握り返してきた。
しかしまだ顔はそむけたままで、天邪鬼なその態度にシモンに笑いが込み上げた。
ベンノたちと話すコマリの声を聞きながら瞳を閉じる。
準備ができるまで少しだけ。
そんなことを思うシモンからやがて健やかな寝息が漏れ始めたのだった。
シモン編 END