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あなたの虜  作者: 七緒湖李
番外編
151/161

オロフ編8

「ブリッド、これを飲んでくれないか?」

上を向けて開いたオロフの手にハートの形をした小瓶があった。

中には液体が入っていて、それが何なのかブリッドにもすぐに予想できた。

信じられなくてオロフを凝視すると、彼は手を余計に近づけてくる。

「ふるまい酒はないが――だめか?」

ブリッドはフクロウを箱に戻して慌てて鞄の中を探った。手に触れたガラス瓶を両手に握りしめ、ずいとオロフの前に突き出す。

「わ、わたしのも飲んでくださいっ」

オロフの瞳が動いてブリッドの震える手を見、また彼女を見つめた。そしてブリッドの手から小瓶を取ると、ためらうことなく、ぐ、と中身を煽る。


「飲んだぞ」

そう言ったオロフにブリッドの好きな太陽みたいな笑顔が浮かんだ。

瞬間、どくんとブリッドの胸が跳ね、高鳴る鼓動と一緒にまた頬が熱くなっていくのがわかった。

お願い、夢なら覚めないで。

ブリッドはオロフの手にあるハート型の小瓶を奪うと、一気に惚れ薬を飲み干す。

「わたしも飲みました。今更、なかったことにしようとしても駄目ですからね」

「それは俺の台詞だ。あとからやめたといっても受け付けないぞ」

「言いません」

「俺だってなかったことにしない」

オロフの返事になぜか目頭が熱くなる。


「玉砕覚悟で告白するつもりだったのに嘘みたい。オロフ、なんでわたし?毎日絵を送り続けるなんて、気持ち悪い人って思わなかったの?」 

「は?なんだそれは」

「だってオロフがわたしに絵はいらないって言ったのって、執着されて怖くなったからかなって思ってたの」

「毎日描くのは負担だろうと思ったんだ」

「今日のデートも、恨まれないよう穏便にわたしと手を切るつもりなんだろうって……」

「今日、石探しでもらった食事券を一緒に使おうと約束したぞ」

「――そう、だけど……でもやっぱりわかんない。どうしてわたしを選んでくれたの?」

「話をしてブリッドを知っていくうちに、可愛いと思うようになった」

可愛いと言われて耳を疑った。


「可愛い?人と話すのが苦手な変人人見知りなのに?」

とたんにオロフが顔を顰める。

「どうしてブリッドはそう自分を貶めるようなことばかり言うんだ。自分に自信がないにもほどがある。前に絵を描いてからかわれたと言っていたが、そのときに余程嫌な目に合ったのか?」

「あ…はは……もっと、気が強かったらよかったんだけど……」

からかわれて言い返すこともできずに逃げていたら、余計にエスカレートしたように思う。でもそんなことオロフに言いたくない。

理由を避けてブリッドが顔を隠すように前髪を引っ張っると、オロフに手を押さえられた。そして逆に前髪を払うように額を全開にされる。

榛色の瞳が目の前に迫ってブリッドは息を詰めていた。


「ブリッドは可愛いぞ。自信がないなら会うたび言ってやる」

「は……え?」

てっきりキスされるのかと思った。

なでなでと頭を撫でて離れていく手に、はしたないことを思った自分を恥じていると、オロフは思い出したようにブリッドの手にある小瓶を指さした。

「石探しでハートの石を取られたのを残念がっていただろう。代わりにそれで我慢してくれ」

「え?これもわたしにくれるの?」

「ハート型のはそれしかなかったから、気に入らないかもしれないが」

底が平らになっているのでハート型であっても瓶は立てられる。コルクではなく玻璃の栓は、羽の形になっていてこれしかなかったというがかなり可愛い。


「ううん、すごく可愛い。ありがとう。ビーズか色砂詰めて飾る」

「ブリッドの瓶も返しとく。こっちはえらく細かな模様が刻まれてるな」

「リリックルの製品だから。あのね、その花がオロフみたいだなって」

リリックル工房を知らないのかふうんと頷いたオロフは、花のことを言うとまじまじと小瓶を見つめた。

「俺みたい?あ、これってブリッドがくれた絵にあったのと同じ花だよな?」

「うん。バナワっていうの。太陽みたいな花でしょう。オロフも笑ったら太陽みたいだから」

「俺にとっての花はブリッドだ」

言いながら今度こそ小瓶をブリッドに手渡すと、オロフはにっこりと笑った。

「な、なに急に――っていうか、オロフってそういう気障な台詞を言うの?」


普段のオロフは真面目な騎士に見えているたのに、時々悪戯っ子みたいな顔になってからかったりするし、意外でびっくりする。

ぶわわとブリッドの顔に赤が散った。

「ブリッドが俺を花に例えたんだろう。同じことを言っただけだ。どうだ?言われたら照れるだろう?」

「照れますよっ」

熱くなった頬を押さえて言い返すと、あははとオロフが笑う。

(オロフって実はいじめっ子よね)

拗ねたブリッドが二つの小瓶を鞄にしまおうとしていると、隣から紙袋を差し出された。

「割れないように」

ブリッドが持っていた小瓶は布に巻いていたが、オロフにもらったハートの小瓶の分がなかった。お尻に敷いたハンカチで包もうかと思っていたので、正直紙袋はありがたい。

無言で受け取って、小瓶と一緒にフクロウの置物も鞄にしまいながら、ブリッドはぼそぼそと言った。


「……フクロウも小瓶も両方大事にする」

拗ねた手前、急に素直になることもできない。

「喜んでくれてよかった」

そんなブリッドの態度を気にすることなくオロフが笑っているのは、大人の余裕なのかそれとも鈍感なだけなのか。

きっと両方だろう。

オロフが見れなくて顔を真上に向ければ、降るほどの星が空を埋め尽くし瞬いていた。ブリッドにつられたのか、オロフも星空を見上げた気配があった。


「綺麗だな」

返事のかわりにこくんと頷く。

おそらくオロフはブリッドのように、細かいことをいちいち気にしたりしないタイプだ。喧嘩やすれ違いにブリッドだけが思い悩んで、苦しんだりするのだろう。

それでもオロフの側にいたいと思うから――。

ブリッドはすぅと息を吸い込んだ。

「オロフ」

「ん?」

この想いを伝えておこうと思う。

そしてこの瞬間を忘れないでいようと思う。


「わたしはオロフのことが好きです」

満天の星からオロフへ向き直ると、同じようにこちらを向いた彼と目が合った。

「――オロフが大好きです」

突然、ブリッドはオロフに抱き寄せられていた。

「っわ!あああの……オロフ?人が…人が周りにいます」

「ああ、だが少しだけこうしてていいか?」

ぐ、と背中に回された腕に力がこもり、耳元で「くそ」とオロフの声がした。

「なにか、怒らせた?」

「違う、そうじゃない」

「でも……声が……やっぱり怒って……っ――」

今度は抱き寄せられたのとは逆に、いきなり身を離したオロフの手で口を覆われた。

「怒っていない。ブリッドが可愛くて困ってるだけだ」

そしてはぁーと吐息を漏らして、オロフはブリッドの肩に額を預けてくる。


「すまん。これ以上耳元でブリッドの声が聞こえたら平静でいられなくなる。こんなふうに突き動かされたのは初めてで、自分でも何をしているのか――」

途切れたと思われたオロフの声が続いた。

「……俺もブリッドが好きだ」

告白にブリッドの胸がいっぱいになって、自然と涙があふれてくる。

零れる滴に気づいたオロフが、ブリッドから慌てて手を離して身を起こした。

「苦しかったな。すま……うわっ」

オロフが離れてしまうのを追いかけて、ブリッドは飛びつくように抱き着いた。

その勢いにオロフは石から落ちながらも、しっかりと抱き留めてくれた。しかし尻をしこたま打ってしまったのか、うめき声が漏れ聞こえた。

「つぅ……ブリッド、怪我は?」

「このまま抱きしめてくれてたら治ります」

オロフの背中に腕を回して、ブリッドはぎゅうと抱き着いた。


本当はどこもぶつけていない。普段の自分からは考えられない大胆な行動は、オロフと同じで衝動に突き動かされていたからだ。

「了解した」

オロフが笑いながらブリッドを抱きしめる。広い胸に頬を摺り寄せると日向の匂いがした。

「やっぱり可愛いな」

「なんか安心する」

同時に口を開いたために、オロフの呟きはよく聞こえなかった。

それはオロフも同じだったようだ。

「なに?」

「え?」

互いに相手をのぞき込み、顔の近さに息をつめる。

(こここ、これはキスのチャンス)

身を乗り出せば唇が触れるとブリッドは思った。


「うきゃ」

しかしブリッドの唇が届くより早く、オロフの手によって頭を彼の胸に押しつけられる。

「ブリッド、いま何をしようとした」

「……あ、あれ?オロフの顔を見たらなんかたまらず……」

「臆病だって言ってるわりには積極的だな」

「嫌ですか?」

「室内に二人きりなら良かったと思う。が――」

ちゅ、と頬にオロフの唇が押し当てられた。

「今日はこっちだ」

「……唇にしてほしかったです」

残念に思う気持ちから本音が口をついていた。オロフが目を丸くする。

「本当に意外だな。俺がブリッドに襲われそうだ」

「だってオロフといたらなぜか落ち着きません。これってムラムラするってことですか?」

ブリッドは身を寄せて、オロフの真似をするように彼の頬にキスをした。


「オロフの意見を尊重して今日はこれで我慢します。でも次は覚悟してください」

とたんにオロフがおかしそうに笑いだした。

「俺も攻めたいんだが」

「じゃあ競争しましょう。どっちが速く相手を骨抜きにするか」

負けませんとオロフをのぞき込むと、彼は笑顔を苦笑に変えた。

「どうにも俺のほうが分が悪い気がするな。すまん、ブリッド。もう離れてくれ。誘惑に負けそうだ」

競争を持ち掛けただけで誘惑したつもりはない。

なのにオロフにやんわりと体を押され、距離を取られてしまった。

「そろそろ帰るか」

「まだそこまで遅くないし、もっとオロフと一緒にいたいです」

即答するブリッドにオロフは溜息交じりに俯いた。そしてまた何事かを呻くように漏らしている。


「オロフ、今日はときどき変です。なにを唸っているのですか?」

ブリッドの質問に顔を上げたオロフがジト目を向けてきた。だが彼女には睨まれる理由がわからない。

きょとんと首を傾げてそれから、あ、と思い至った。

「朝まで一緒にいたいって言えばよかったですか?でもまだ、そこまでの心の準備が……」

「……やっぱり俺の分が悪いな」

脱力したオロフが首を振ると、よ、と立ち上がってブリッドに手を伸べた。

「なんか小腹がすいた。なにか買いに行こう」

差し出された大きな手のひらは、あの夜ブリッドに向けられたときと変わらない。見上げる先で笑ってくれる笑顔も、ブリッドが心奪われた優しくて明るい笑顔だ。

オロフに見惚れながら半ば無意識に手を伸ばすと、ぐ、と強い力で引っ張り上げられる。


今日のことを絵に描いたなら、いったいどんな絵になるだろう。

きっとそのどれもがオロフになってしまうに違いない。

どちらからともなく繋いだ手は、歩き出してすぐに指を組むように握りなおされた。

ブリッドは変化した手の繫ぎ方にくすぐったさを覚えながらも、繋ぐ手のひらに力を込める。オロフのほうも少し力が強くなった。

「近いうちに一度、あの食事券を使おう」

「うん」

恋人同士となったのなら、今度から胸を張ってデートと言える。

それが嬉しい。


「そうだ。オロフ、景品を半分こならこっちもです」

鞄を探ったブリッドは、菓子の詰まった包みを開ける。

「お腹がすいたなら、これ食べますか?」

封を開けた菓子袋を差し出すと、オロフが一つつまんで口へ放った。

「お、うまい」

そう言って、ひょいひょいクッキーをつまんでしまう。

「あー、オロフ一人で食べちゃダメ。わたしの分が……っむぐ」

開いた口へいきなりクッキーが押し込まれた。さく、とした食感と上品な甘みは高級なそれだ。

「おいしい」

どこか人気の菓子店が実行部に協力して焼いたクッキーに違いない。


「じゃあ残りはブリッドに」

「え、半分こだから」

「俺はそのくらい食べただろ?」

袋の中身は半分以上残っているのに、ブリッドが文句を言ったから遠慮しているのだろう。いまのは一人占めしたい子どものような物言いだったと彼女は反省する。

「だめ、もう少し食べて」

袋からクッキーを一枚取って、背の高いオロフの前に手を伸ばすと彼の足が止まった。

「オロフ、はい?」

「………」

これを食べろというのかと、引き気味のオロフの目が語っている。


ブリッドはほんの冗談のつもりだった。

しかし困っている様子にもう少し苛めてみたくなって、クッキーを唇の前に持っていくと、黙っていたはずのオロフは次の瞬間、ぱくとブリッドの手からクッキーを食べた。

もぐもぐと咀嚼していたがすぐに喉が上下に動く。

「もう一枚いる?」

尋ねると開き直ったらしいオロフが、あ、と口を開けた。その無防備な様子が笑いを誘う。

(可愛い)

二枚目を食べ終わったのを見計らってさらにもう一枚、クッキーを食べさせたとき、オロフの唇に指がかすった。ブリッドは慌てて手をひっこめる。

「もう終わりっ」

袋の開け口の封もそこそこにクッキーを鞄の中に放り込んだ。


「今のは態とか?」

「な、何がですか?」

「俺の唇を触った。まさか誘って――」

「ませんっ」

真っ赤になって歩き出すブリッドを、

「そっちじゃないぞ」

と笑いながらオロフが追ってきた。

「ほんとに目が離せないな」

「ちょっと間違えただけ」

憎まれ口を叩いてみても、オロフははいはいと取り合わない。いったい自分はオロフのなかで、どれだけ頼りないと思われているのか。

離れたはずの手にするりと指が絡んで優しく握られた。歩き出すオロフに遅れて従いながら、ブリッドは繋ぎあった手を見つめる。


この大きな手に力をこめられたら、たちまち握り潰されてしまうだろう。背の高いオロフは歩幅だって広いのだ。

(わたしに合わせてくれてるんだ)

思った瞬間、胸がきゅーっとした。

「オロフ、大好き」

ブリッドがそう言った直後に、オロフが苦虫を噛み潰したような顔をした。

顔を覆って低く呻く。

「オロフ?またですか?」

「――ああもう……」

オロフの空いた手がポスンとブリッドの頭に触れた。

「なんでもないから気にするな」

よしよしと撫でてくれる優しい手のひらがあたたかい。

「はい」

幸せをかみしめるブリッドの顔に、嬉しげな微笑が浮かんでいた。







* * *







月が天を巡って中天近くまで移動したころ、オロフはブリッドを商家まで送っていった。

日付が変わるまでまだ時間はあるが、もっと早い時間に帰すべきだった。

常夜灯の明かりで時刻を確認したオロフは、懐中時計の蓋を閉じる。騎士団の証でもある銀時計は、王宮職人の技がつまった何気に価値の高い品だ。

「少し遅くなってしまったな」

「全然平気です」

「明日も仕事じゃないのか?」

「それはオロフもでしょう?」

「俺は一晩中騒いだりしていなければ丈夫だ」

時節送りの日はふるまい酒のせいで気が大きくなり、朝まで騒いで酒臭いまま次の日の仕事に出る人間もいる。

オロフはシモンの近衛騎士団員であるだけでなく側近の一人だ。さすがに酒を残したり二日酔いで仕事に出るわけにはいかない。


まあ一日、二日の徹夜続きで睡眠不足だったとしても、何とかなるだけの体力はあるのだが。

だからといってブリッドを夜通し連れまわすのは違うだろう。

「じゃあもう少し一緒にいても……」

例え、ブリッドがそれを望んでいたのだとしても。

商家の裏門で名残惜しげに手を離そうとしない小さな手が、ねだるようにオロフの手を引っ張ってくる。

臆病で引っ込み思案なはずなのに、こういうところはグイグイくるから困る。

「心の準備もできていないのにか?」

「それ、は……そうですけど」

軽口を装って誤魔化せば、ブリッドも諦めてくれたようだ。

いつまでこの台詞が有効かはわからないが、使えるうちはこの手で逃げよう。

ブリッドが門扉をきっちり閉めるのを見届けて、オロフは馬を預けた繋ぎ場へと足を向けた。

そんな彼の面には複雑な表情が浮かんでいる。


しっかりした女性が好みだったはずなのに、ブリッドへの気持ちを自覚してから、オロフは彼女が可愛くて仕方がなかった。けれどブリッドは臆病な性格で、うかつに手を出すことなどできないのだ。

はぁ、とオロフから溜息が漏れた。

怖がりでビビりなくせに、無邪気に大胆でこっちの都合などお構いなしに迫ってくる。でもあれはきっと、子どもがじゃれつく程度のことなのだ。

その先でどんなことをするのかわかっていないに違いない。

迫られたと真に受けて手を出せば、絶対に泣かせてしまうだろう。そう思っているのにオロフの中で、何度か欲望が理性を凌駕しかけた。

平常心と心で繰り返し、それでももてあます感情が呻きとなって漏れたほど。


(俺はこの先、ブリッドといて理性がもつのか――)

オロフからまた溜息が零れた。

この辺りは民家が立ち並ぶ。時節送りの日のため、どこの家も明かりを灯していて周りは明るかった。

これなら馬のつなぎ場まで歩くのに明かりは途切れなさそうだ。

どこからともなく陽気な笑い声が聞こえてきた。

近所同士で集まっていまだ騒いでいるらしい。

とそこへ、背後から声が聞こえた。

「オロフ!」

どういうわけか先ほど別れたばかりのブリッドがこちらへ駆けてくる。

忘れ物かと思い、しかしブリッドから何も預かっていないと、オロフはポケットを探りかけた手を止めた。

「どうした?なにかあったか?」

「ううん、あのね……」

胸を押さえて呼吸を整えるブリッドが勢いよく顔を上げた。


「心の準備早くする。だから次はもうちょっと一緒にいてください」

思い切ったように言われた台詞に、オロフは反射的に腕を伸ばしていた。

ブリッドの肩を引きよる。

驚いた顔をしている彼女の顔が目に映ったが止まらなかった。

二人の影が重なったのはほんの数秒。

「……オロフ」

頬を染めて自分の名を呟くブリッドの声に我に返った。

同時にやってしまったと頭を抱えたくなった。

「今日はほっぺにしかしないんじゃなかったんですか?」

「――……すまん」

「オロフはわたしとキスするのが嫌なんですか?」

「まさか。そんなことはない」

「じゃあ謝らないでください」

そう言ったブリッドが嬉しそうに笑った。


「襲うはずが襲われました」

「その言い方は周りに誤解されるからやめてくれ」

「大丈夫です。次はわたしが襲います」

ぐ、とブリッドに服をつかまれ引き寄せられた。背伸びしたらしい彼女の顔が近づいて、唇に柔らかな感触があった。

オロフがしたのと同じに唇を触れさせただけで離れたブリッドは、はにかんだ様子をみせながらもまた笑う。

そのまま抱き着いてこられたオロフは、少しのあいだ呆けていたが。

「まいった――」

呟くと同時に笑いがこみあげてきた。


うかつに手を出せないと悩む自分をしり目に、彼女はどんどん踏み込んでくる。

逸る鼓動に駆り立てられるままに口づけたせいで、怖がらせるかと思ったら嬉しいとは。

オロフにはやっぱり女心わからない。いやそれともブリッドがわからないのか。

一つわかったのは、衝動を無理やり理性で押しとどめようとしたところで、あふれる気持ちは暴走するらしい。

ならば悩むだけ無駄だ。


今日を共に過ごすなかで幾度となく我慢した分、オロフはブリッドを存分に抱きしめておくことにした。

「もう少しだけこのままいたい」

囁くようにして願うと、ブリッドが小さく頷いて背中に腕を回してくる。

可愛らしくて思わず笑みを浮かべたオロフは、ぎゅっと彼女を引き寄せた。

さっきまで聞こえていたはずの陽気な笑い声は不思議と聞こえない。

オロフは腕に感じるブリッドに愛しさが募って目を閉じる。

頬に感じるブリッドの髪が肌をくすぐった。


 

 




〈オロフ編 END〉






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