オロフ編5
時節送りの日はいつも王国中がお祭り騒ぎとなる。
特に今回は第一王子シモンと愛魂相手であるコマリの婚約発表があったために、御触れを見た誰もが二人を祝って沸いた。
それは王宮でも然り。
オロフがコマリの護衛官となっていることは、上官や友人だけでなく、王宮の顔見知り程度の者まで知っている。そのため今日は彼がどこへ行っても、シモンとコマリのことを尋ねられた。
仕事後、城下に出かける準備をしに戻った寮でもそれは変わらず、最後につかまった相手はオロフの先輩で、しかも食堂でふるまい酒をしこたま飲んでいたのか、なかなか放してくれなかった。
なんとか話を切り上げ自室に帰ったオロフは、出かける準備を大急ぎで済ませる。
(まずい、いまからだと時間ぎりぎりだ)
部屋を飛び出し駆けていくオロフに、また誰かが声をかけてきた。
「オロフ、シモン様とコマリ様の――」
「悪い、今度な」
相手の顔もろくに見ないで騎士団塔を出たオロフは、近くの城門ではなく騎士団塔の厩を目指す。火急時にすぐに報せを伝えられるよう、各塔には常時数頭の馬がいる。
今月の厩番となった騎士団員がいないのをこれ幸いと、オロフは鞍をつけて鹿毛の馬にまたがった。馬で駆ければ少しは早く着くはずだ。
ハ、と短く声をあげ馬の腹を蹴る。
城下はいつもの時節送りの日より人であふれかえっていた。シモンとコマリ、二人の婚約に民は沸き立ち、近くの村や町からも人が押し寄せているようだ。
このため待ち合わせの店の近くにある、馬の繋ぎ場へはとても近づける状態ではなく、オロフは仕方なくメイン区画に入る前に馬を預ける。
楽しそうに行き交う人を押しのけて走るわけにもいかない。間を縫うようにして先を急ぐオロフの耳に、カーンと空気を震わす鐘の音が届いた。
日暮れを告げる鐘だ。この鐘が響くと皆、夜を迎える準備に入る。
店先の常夜灯に気の早い店員が明かりを灯していた。
(遅刻だ)
人と待ち合せたらいつも時間より前についていることの多いオロフだ。特に今日は臆病なブリッドとの約束であったので、遅れるわけにはいかないと思っていたのに。
やっと目当ての店にたどり着いたオロフは、きょろきょろと辺りを見回しブリッドを探す。まだ来ていないのかブリッドは見当たらなかった。
待たせずに済んだことにほっとしたところで、「オロフ」と声をかけられる。
何気なく声の方を向いたオロフは、こちらを見上げてくる彼女の姿に、一瞬声が出なかった。
「目の前、素通りしてくんだもん」
「すまん」
反射的に謝って、だが、と言葉を続ける。
「それじゃわからない。いつもと違いすぎる」
ブリッドは普段、紺や茶などの落ち着いた色づかいの服を着ていたように思う。しかし今日は白を基調とした女の子らしいワンピース姿であった。
褐色の髪も三つ編みにふんわり編み込み、左耳の後ろへ一つに纏めたところに小花の髪飾りを挿している。
人間、装いひとつで印象が変わると分っていたが、女性はここまで変わるものなのか?
「――変…ですか?」
「どこも変じゃないぞ?」
この人ごみでもみくちゃにされ、着崩れたり髪がほつれていないか気になるのかもしれない。思いながらブリッドの周りを一周して、オロフはもう一度安心させるよう言った。
「おかしなところはない」
「そう……ですか」
どうしてがっかりした顔になる。
「その服が嫌いなのか?」
「今日のために用意したっ」
そしてなぜいきなり怒るんだ。やっぱりブリッドがわからない。
ともかく遅れたことを詫びねばなるまい。
「王宮を出るのが遅くなってしまった。待たせてすまなかった」
オロフが謝罪したところで夏氷の店から人が出てきて、販売開始時刻を告げる声が上がった。よくよく聞けばどうやら先に整理券を配るようだ。
「整理券は早いもの順か。もらってくるからここで待っていてくれ」
「あ、わたしも」
「ブリッドだと整理券に群がる人に弾き飛ばされる。せっかくめかしこんだのにそれこそ台無しにされるぞ。いいからここに」
店員の前には一瞬で数人の人が並んでいた。オロフの前は母娘がいて、順番が回ってきた女の子の小さな手が伸ばされた。
だがその整理券を横から奪う恥知らずな手があった。
「お、やっりー。昼間売り切れてたんだよな。整理券ゲット~」
「おい、みんな並んでるぜ。おまえズッリィなぁ」
赤ら顔の二人の男から風に乗ってアルコールの臭いがする。相当酔っているようだ。
「いいじゃん、まだ券残ってんだし。なぁ、いいだろーガキんちょ」
下品な笑みを浮かべた男に、女の子は怯えたように母親の後ろに隠れて顔を伏せた。母親も相手を怒らせることが怖いのか、娘を守るようにして男たちから視線をそらしている。
「ほら、なーんも言わねえし俺らに順番譲ってくれるってよー。ってことで整理券こいつの分もくれよ」
女の子の整理券を奪った男が、催促するように店員へ差し出した手を振った。
「み、みなさんお並びですし順番を――」
ずうずうしく手を伸ばしていた男が、躊躇いを見せる店員の態度に不快げに眉を寄せた。
「ああん?うっせーな、誰も文句言ってねぇだろ。それともこの店は客を選ぶってのか?何様だよ、てめ――っうわぁ」
男が悲鳴を上げたのは、オロフが背後から襟首をつかんで、力任せに引っ張ったからだ。
ぶん、と仲間の男に向かって投げつけると、オロフは腕を組んで店員との間に割って入る。
誰だ、とすごんだはずの男たちは、自分たちより大きいオロフを見上げ、拳を握ったまま固まった。
「その拳を振るうなら、俺としては正当防衛もやむなしと判断するがどうする?あまり騒ぎを大きくしたくないし、一撃で仕留めさせてもらうが」
不敵に笑いながら組んでいた手を解いて、オロフがファイティングポーズをとると、男たちは顔を見合わせた。
「逃げるなら整理券を置いていけ」
脱兎のごとく背を向けた男たちから、ひらと整理券が落ちる。それを拾い上げたオロフは、片膝を折って母親の後ろに隠れる女の子に差し出した。
「取り返した」
にっこりと笑いかけると、不安げだった女の子の顔にも笑みが浮かんだ。
「ありがとう」
小さな手が伸ばされ、オロフが整理券を手渡し立ち上がると、母親が我が子の頭を撫でながら同じように礼を言ってくる。
「ありがとうございました」
「いえ、もし乱闘になっていたらあなた方を巻き込んでいたかもしれない。考えなしでした。あいつらが引き下がってくれてよかった」
言いながらオロフは店員にも謝罪する。
「客を追い払ってしまい申し訳ない」
すると店員の男はとんでもないと手を振った。
「俺は喧嘩のほうはからっきしなんすよ。だからお客さんがいてくれて本当に助かりました。ありがとうございます――あ、お母さん、整理券をどうぞ」
母に手を引かれ去っていく女の子に笑いかけていたオロフは、「お兄さんも」と店員の男に整理券を二枚差し出されて顔を上げた。
「あっちで心配そうな顔をして待ってるあの子が彼女でしょう?助けてもらって言うのもなんですが、あんまり可愛い彼女を心配させないようにしないと」
後ほどお待ちしてます、との明るい声に送り出されて、オロフがブリッドの元へ歩き出すと、彼女は弾かれたように駆けてきた。
人を縫って歩くのが苦手だったはずが、あまりの勢いに今日は相手のほうが避けている。
「びっくりした!反撃されでもしたらどうするつもりだったんですか」
「あいつら相手じゃ怪我はしないが、周りに迷惑をかけるところだったと反省はした」
「相手は二人だったんですよ?――……え?ほんとに負けない?」
「よっぽど不調じゃない限りは――それより整理券を手に入れてきた」
ほら、と二枚見せてオロフは笑顔になった。ブリッドはあんぐりと口を開けていたが、しばらくしてくすくすと笑いだした。
「人助けはオロフの趣味なんだ」
「手助けできるなら手を貸すほうだな。たださっきのは見ていて腹が立ってきたから、つい手を出していた」
「すごい力持ち。男の人を軽々なげちゃうなんて」
「騎士団の中でも力はあるほうか。――それよりブリッド、先に飯を食べるところに予約をしに行っていいか?美味しいと評判の店を教えてもらった」
「え?予約って……わたし屋台で充分」
「おいしいものが食べたいんだろう?ほら、行こう」
鞄を持っていないほうのブリッドの手を握ってオロフが歩き出すと、引っ張られた彼女が小走りになった。
ああまた、歩幅を間違えた。
「オロフ、手……」
「こうしていないとブリッドは危なっかしい。今日は酔った男が多いからな」
「前みたいにからまれるっていいたいんですか?」
「そうだ。特に今日みたく可愛くしていたら、狙ってくる男は多いだろう」
さっきは一人にしてしまったが、ナンパ男が寄ってこなくてよかった。
急にブリッドが手を引っ張ったためオロフは顔を向けた。
「可愛いってさっきは言ってくれなかった」
「え?」
「どこも変じゃないって言った」
何の話かと考えて思い当たった。顔を合わせてすぐの話を言っているのだ。
「それはブリッドが変なところがないかと聞いてきたから――ん?もしかして可愛いと言ってほしくて怒っていたのか?」
返事はないがそむけた顔が赤くなっているから、予想は間違っていないだろう。その拗ねたような顔に、オロフはあははと笑ってしまった。
「ブリッド、俺は遠まわしに言われても気づけないんだ。だから言ってほしい言葉で尋ねてくれ」
「……じゃあ、この服似合ってる?」
「似合ってる」
「可愛い?」
「ああ、すごく可愛くて見違えた。だから最初、気づかなかったんだ」
可愛いとの言葉は本心からだが、「すごく」や「見違えた」なんて付け足して、過剰に言い過ぎた気がした。どうしてそんなことを言ってしまったのか。
ブリッドの反応が気になって見下ろせば、彼女の顔はさらに赤みが増してトマトほども真っ赤になっていた。その照れがオロフにも伝染したようだ。
ぎくしゃくと行こうかと促す。
二人して無言になって歩くうち、目当ての店にたどり着いた。
この店はテディに教えてもらった。自分で探してイマイチなところを選ぶより、彼ならいい店を知っているはずだ。
一昨日あったルーヌの快気祝いの席で、酒を交わしつつ連れていく相手の特徴を話すうち、テディにはすぐにブリッドのことだと気づかれた。
彼もまたパウリのように察しがいい男だ。
臆病な彼女なら個室のほうがいいだろうと紹介された店は、外観からして高級感漂う雰囲気のある店だった。時節送りの日で城下じゅう賑わい、日暮れの時間からそろそろ飲食店に列ができはじめているのに、ここはひっそりとしたものだ。
もしかして休みなのかと訝しみながら、試しにドアを開けてみるとすんなりと開いた。
店内は見えないようになっていて、呼び鈴を鳴らすと見場の良い女性がすぐに表れた。
「いらっしゃいませ」
「今日、食事は無理だろうか?友人の紹介なのだが――」
そう言ってテディの名を出すと、女は「少々お待ちください」と消えてしまった。
どうしたのだろうとオロフとブリッドが顔を見合わせていると、今度は年配の男が現れた。
白髪交じりの男は店の主だと名乗り、すぐに席を用意すると言ってきた。しかし今ここに入ると、夏氷の販売時間とかぶってしまう。
用があるため後ほど出直すからと訪う時間を告げると、「お待ちしております」と店主自ら扉を開けて送り出してくれた。こちらが見えなくなるまで見送るつもりなのか、角を曲がるまで店主は微動だにしなかった。
(テディのやつ、さっきの店主の弱みでも握ってるな)
にこやかな笑顔とは裏腹に、ピリピリとした緊張が伝わってきた。オロフたちの不興を買って、テディの耳に入るのを恐れているのだろう。
あいつだけは敵に回したくないとオロフが内心こぼしていると、ブリッドが「ねえ」と声をかけてきた。
「テディさんって人、オーナーの弱みでも握っているの?」
どうやらブリッドもオロフと同じことを思っていたらしく、ぶ、と吹き出してしまった。
「そうかもな。ブリッドも一度テディには会ってる。ほら覚えていないか。あの日、俺と一緒にブリッドを訪ねた――」
「……一号」
呟くブリッドが、恐怖におののくような表情になった。
「あの人ならありえそうです。やっぱり恐ろしい人なんですね」
「悪いやつじゃない。ただちょっとあのとき重要なことを調べていて――」
「それは王太子妃となられる方がお命を狙われたことと関係がありますか?」
なぜそれをブリッドが知っている。
笑顔を消したオロフにブリッドはびくついた様子を見せた。
「す、すみません。うちのお店って貴族の方とも取引があるから、王宮の噂とか入ってくるんです。それにお店にお役人が来てやっぱり手紙のことを聞いてきたし、城下でも実は噂が広がりはじめてるし……だからあの……」
やはり王宮内でとどまることではなかった。あれはそれほどの大事件だったのだ。
顔つきを厳しくしたオロフは無言を通す。
「オロフ、知っていたら教えてください。もしかしてわたしは悪事に加担していたんでしょうか?」
「なに?」
オロフは思わず足を止めて正面からブリッドを見つめた。
「あのときオロフたちに尋ねられた男性は、カーパ侯爵様と繋がりがあったんですよね。その侯爵家が王太子妃となる方を狙っていた犯人で、けれど王宮が捕らえる前に賊に襲われて惨殺されたって聞きました。――わたし、ずっと気になっていたんです。あの男性は王宮の情報を侯爵様に流していたんじゃないですか?わたしは王子様とその后となられる方を、苦しめる一端を担っていたんじゃないですか?王族の方々には騎士の護衛がつくんですよね。オロフはその中の誰かから、事件のことを詳しく聞いたりしていませんか?」
コマリの暗殺未遂の噂を聞いてから、ブリッドは心を痛めていたのだろう。
不安に満ちた表情からそれは窺える。しかしオロフは真実を語るわけにはいかないのだ。
「もしあの男が侯爵に情報を流していたとしても、ブリッドは何も知らなかったのだし、気に病む必要はない」
「知らないことだったとしても、犯罪に加担していたなんて後味が悪いです。オロフはあの人のことを調べていたじゃないですか。だから知っていることを教えてほしいと――」
「俺には守秘義務がある」
オロフのきっぱりした口調に、ブリッドが言葉を飲み込んだのが分かった。
「そ、そうですよね。すみません。旦那様や姉様たちには、早く忘れてしまうよう言われてたのに……一号のことを話したせいで思い出しちゃったみたいです」
前髪を引っ張りながら俯くブリッドの目に涙が浮かんでいるのが見えて、オロフはその手をつかんだ。赤い目で見上げてくるブリッドに強く言う。
「ブリッドが犯罪に手を貸したなんてことは絶対にない。だから気に病む必要はないんだ」
「オ…ロフ」
「これだけは言える。悪いのはコマリ様を狙った奴らだ。ブリッドは全くこれっぽっちも関係ない」
「…………」
凝視してくる瞳がさらに潤んだ。構わず彼は問いかける。
「返事は?」
「……なんの?」
「わかったかわかっていないかだ」
「あ、え……?えぇ?はい?――でいいの?」
よしとばかりにオロフが頷くと、ブリッドが遅れて小さく言った。
「ありがとう、オロフ」
目じりに浮かぶ涙をぬぐう彼女の双眸が、まっすぐにオロフへ向いた。
「元気でた」
ブリッドに笑顔が浮かぶ。
オロフが真正面からまともに彼女の笑顔を見たのは、これが初めてだった。
いつもどこか自信のない様子であったが、この時向けられた笑い顔は曇りがなく、なぜか眩しくオロフの目には映った。
そのせいでブリッドから目が離せなくなってしまう。
「オロフ?どうかしたのですか?」
「あ、いや、なんでもない」
「そうですか?ええと、そろそろ夏氷の販売が始まる頃じゃないですか?」
ブリッドに言われて思い出した。今日の目当ては夏氷だったのだ。
「食いっぱぐれると今度はバケツ一杯の夏氷を要求されそうだ」
「そんなに食べたらお腹壊します」
もう、と怒った顔になるブリッドがオロフの手を引っ張って歩き出す。歩幅を合わせて隣に並びながら、彼は柔らかな手の感触を意識した。
(こんなに自然に、いつも手を繋いでいた彼女っていたか?)
今日までブリッドとどうなりたいのか答えは出なかった。
ならば会えば何かしら思うだろうと成行きに任せることにして、そして今日に至っているのだが……。
いまはこうして彼女と手を繋ぐと心が逸ってどうしようもない。さっきみたいな笑顔をまた見せてほしかった。
「オロフ、見えました!もう夏氷が販売されてるみたい」
嬉しそうに顔を輝かせるブリッドはそのまま走り出しそうで。
「…可愛いな」
ついこぼれた独白にオロフは我に返って口を押えた。頭で考えて出す答えより無意識な言動のほうが正直だ。
「何か言った?」
そう問いかけてくるも、ブリッドの目は夏氷のほうへ注がれたままだ。
「ブリッド」
「え、なに?」
ちょうど前を通った飲食店から、店員がグラスがたくさん乗った盆を手に現れた。
こちらをどうぞ、と道行く人に小さなグラスを手渡し始める。おそらく中身はふるまい酒だろう。
夏氷を売る店舗に一人勝ちさせないために、こちらはふるまい酒で客を呼び込もうという魂胆なのか。
(ああそうだ)
今日は時節送りの日だった。
酒を配る店員を見つめるオロフの注意を引くように、ブリッドが繋いだ手を引っぱった。
「オロフ?いま呼んだでしょう?」
「ん?そうだったな。あー……夏氷にまっしぐらになってはぐれると困る」
「手を握ってるのに?ほら早く」
ぐいぐいと引っ張られて、オロフは笑いながら小さな背中についていく。
どこかで惚れ薬を手に入れなくては。