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あなたの虜  作者: 七緒湖李
番外編
146/161

オロフ編3

夏から秋の時節送りの日がもう六日後に迫った日。ブリッドは仕事休みを利用して外に出ていた。

休みの日、ブリッドが商家から出ることはまれだ。

絵が趣味であることを先輩たちに知られたいまとなっては意味もないが、秘密裏に画材道具を仕入れに行くときか、静かな場所にスケッチに行く時ぐらいしか外出しない。

服や日用品は商家で働く彼女なら外に出なくとも買えるのだ。

けれど今日は画材購入でもスケッチでもなかった。


同年代の女の子達が出入する雑貨店を、ブリッドはもう何軒もまわっていた。

(可愛い惚れ薬がありますように!)

ギュッと両手を握って気合を入れ店に足を踏み入れる。

本日の彼女の目当ては時節送りの日に、好きな相手へふるまい酒に入れて渡す惚れ薬だった。

21歳になるこの年まで恋もしてこなかったブリッドは、告白に盛り上がる人たちを横目に、一杯のふるまい酒を飲んで時節送りの日は終わりだった。

城下にきて商家で働くようになってもそれは変わらなかった。

だけど今回はなぜか惚れ薬がほしくなった。商家でもいくつか惚れ薬を扱っていたし、主に頼めば手に入っただろう。

でも相手は誰かと尋ねられたり、居もしない意中の相手を探られるのは困る。それに相手がいないとばれたときの恥ずかしさは、きっとのたうち回るほどだろう。

時節送りの日が近づくと可愛い小瓶がいっぱい出回ると、商家の先輩の女達が言っていたのをブリッドは覚えていた。実際に彼女たちが持つ小瓶を見たことがあるが、キラキラと明かりに反射する小瓶は、とても眩しく目に焼き付いたものだ。


店内のちょうど真ん中に、惚れ薬の特設スペースが設けられていた。たくさんの種類が並んでいて、まだ午前中だというのに女性であふれかえっている。

よくよく見れば立て看板があり、「大人気!リリックル工房のお花シリーズと果物シリーズ本日緊急再入荷!!」と書かれてあった。

リリックルならブリッドも聞いたことがある。ワイングラスが有名な玻璃工房で、彼女の働く商家でも貴族のために何度も品物を用意していた。

お貴族様御用達の有名工房の名前に、どれだけ高級な惚れ薬だろうと恐る恐る惚れ薬に近づいたブリッドは、価格を見てぱちくりと瞬いた。

相場の惚れ薬より高いが、リリックルの品であるのに手ごろな値段だ。


「あ、葡萄って初めて見る。動物はリスなんだ。可愛い~」

ふーん、花や果物をメインにそれぞれ動物や昆虫なんかが、一緒に玻璃に彫り込まれてるのか。

凝ってるなぁ。

「こっちは定番の薔薇だよ。蝶の羽の形がハートになってて可愛い。わたし、これにする」

へぇ、毎回出てくる定番のモチーフもあるんだ。

薔薇は好きな人が多そう。

「苺、あったぁ。月初めに売り出されたとき、お金が足りなくて次の日来たら初日に売り切れてたから。よかったぁ。これで全部コンプリート」

え!?全種類制覇するなんて人がいるの?

手ごろなお値段でも全部だとかなりの出費なのに。

一人静かに惚れ薬の瓶の柄を確認していたブリッドは、澄まし顔をしつつも内心周りの女性たちの声にいろいろ突っ込んでいた。

だが人気があるのも頷ける。

(確かに可愛いなぁ。それに丁寧な彫り)

職人技が光るこの瓶はいくつも作れるものではないだろう。店に並べばすぐに売り切れるのがわかる気がした。


ブリッドは思い切ってリリックル工房の惚れ薬を買う決心をした。画材を少し買い足す予定だったけれど、それを今度にすれば充分買える。

花と果物、どちらのシリーズにするかと迷って、ブリッドは隣に立つ黒髪の女の子の手にあった小瓶に、目が釘づけになった。

商家の庭にある、あの黄色い花がモチーフになった小瓶を手にしていたからだ。しかも花は太陽とペアだ。

ブリッドはすかさず同じものがまだ残っていないかチェックして、彼女の持つ小瓶が最後であると気が付いた。

どうやら彼女はキュラと森喰いがモチーフの小瓶と迷っているようだ。

「キュラと……これってあの子たちだよね。それにこっちの花は××××そっくり」

ぶつぶつと独り言を言っているのが聞こえたが、一部よくわからない言葉があった。

(ヒマーリって何?)

確かあの黄色い花はバナワという名前だ。花言葉はあなたへの愛。

庭に黄色い花を見に行くのが日課になったブリッドに、テアがそう教えてくれたから間違いない。


瓶を持つその子は、肌の色が違うので異国の人のようだ。カッレラの町娘風な服を着ているが、金持ちのお嬢様がカッレラ王国に旅行中なのか。

ブリッドがそう予想したのには理由がある。

彼女が左手首に金の腕輪をしていて、優美な彫り細工が施されたそれには、親指の半分ほどもある魔法石がはめ込まれていたからだ。

魔法石は透明度が高く、石に走る流星のような煌めきが、はっきり表れるものほど高価なのだそうだ。そして魔法石は王族や貴族、金持ちなどが、守護魔法をかけて身に着けていることもある。

稀に破産した金持ちや没落した貴族が、守護魔法を施した魔法石を手放したりするが、普通の魔法石とは桁が違うほどの高値で市場に出回るらしい――とは、商家の主人に聞いた話だ。

少女の腕輪にあるのが魔法のかかった魔法石かはわからないが、石を流れる光が長くはっきりと浮かんでいるから、宝石として身に着けているのだとしても充分に高価なものだろう。


「えっと……あの、なんですか?」

ブリッドは最初、質問が自分に向けられたものだとはわからなかった。しかし隣に立つ彼女の黒目が、戸惑いを孕んでこちらを向いていたため、自分に話しかけているのかと我に返った。

どうやら無意識にガン見していたようだ。

「っ……」

なのにこんなとき、声が出なくなってしまうのがブリッドだった。あうあうと狼狽え、頭の中では忙しなく考える。

この場を立ち去るべきか。でも惚れ薬をまだ買っていない。

この子の持っているのが欲しいのに。

そんなブリッドの目は口ほどに物を言っていた。

「もしかしてこれが欲しい、とかですか?」

花が刻まれた瓶を持ち上げて尋ねられたため、ブリッドはぶんぶんと何度も頷いた。彼女の眼差しが惚れ薬を陳列している台に向いてしばらく動いていたが、同じものがないとわかったらしい。

「じゃあ、はい。どうぞ」

すんなり差し出されて、

「っいいんですか!?」

と、ブリットは言葉とは裏腹に手を差し出してしまった。


彼女はくすくすと笑いながら、ブリッドの手のひらに小瓶を乗せた。

「わたし、こっちを買うつもりだったし、よく考えたら二つも買うお金はないですから。このお花のはすごい人気みたいですね」

「あ、それ、花言葉のせいじゃないかと……あなたへの愛、だから」

「花言葉にちなんで一途な思いを告白するってこと?」

「たぶん」

「あなたもそういう恋をしているの?」

自然に尋ねられたせいか、コク、とブリッドの首が縦に動いていた。

とたんに目の前の彼女に笑顔が浮かんだ。初対面の相手に向けるとは思えないくらいの、なつっこい笑みだった。

「告白、うまくいくといいね!」

それから彼女は何かに気がついた様子で入口に目を向けた。

「わたし、もう行かなきゃ。それじゃ」 

小瓶の代金を支払って、颯爽と彼女は店から消えた。


(なんか可愛い子だったな)

お嬢様だろうにとても親しみやすかった。

気持ちのいい人に会ったせいか、心がホコホコとしてきてブリッドは口元を綻ばせた。

(あれ?そういえばわたし、恋をしているのかって聞かれたとき頷かなかった?)

あのとき誰の顔が浮かんでいたろう。

太陽を思い出させる笑顔が似合う人。

ブリッドは頬が熱くなっていくのを感じた。

テアには違うと否定したけれど……。 

(わたし、オロフのことが好きなんだ)

あの日から毎日絵を送っている。

一度、オロフが自分を訪ねてきたと聞いて、実家に帰っていたことを後悔した。今は彼がいつ会いに来るのかと心待ちにしている。


購入した惚れ薬を大事に鞄にしまって、店の外に出たブリッドは上機嫌で通りを歩いた。

服を見たり流行りのパン屋に並んだりと、いつもは目的の店しか行かないはずが、ふらふらといろんなものを見て回る。

おなかがグウと鳴ったブリッドは、そこで初めて足を止めた。

ちょうど飲食店の立ち並ぶ通りに来ていた。テラスで焼き菓子や軽食を楽しむ人たちが目に付く。

飲み物を買ってさっき購入したパンをどこかで食べよう。暑いなか歩いたので冷たくてさっぱりした飲み物が欲しい。

冷えた飲み物を出す店を選んで、ブリッドが看板を確認しながら歩いていると、ショリショリという音が聞こえてきた。視線を向けると廂の影になった店先で、男が氷を削っているのが見えた。

(夏氷だ!)

甘いシロップや果汁をかけたりして食べる夏の風物詩だ。

この時期、氷が貴重なため夏氷は毎日売り出されることはなく、そして少々値が張る。

そんな夏氷を商家の主人は夏に一度、店で働く者たちに必ず振舞ってくれ、彼女は昨年初めて口にした時、スゥッと舌の上で消える雪のような食感に、こんなに繊細で美味しいものがこの世にあるのかと衝撃を受けた。

今年も夏の盛りの頃、商家の主人が振舞ってくれたので口にはしているが、ここで夏氷に出会ってしまったのだから食べておくべきだろう。


ヒヤリとした氷を食べたときの、あの何とも言えない幸福感を思い出したブリッドは、思わず財布の中身を確認した。

「美味しい美味しい夏氷~~~」などと、陽気に呼びかけている男の前には、すでに列ができていた。

どうやら今ある氷がなくなれば、そこで販売は終わりとなるようだ。

慌てて列に並んだブリッドはだんだん薄くなっていく氷に、自分の分もあるだろうかと覗き込む。

「毎度どうも、お嬢さん」

なんとかぎりぎり夏氷を手に入れることができたブリッドだ。お財布の中身はすっからかんになってしまったが、今日はもう贅沢をする日にしてしまおう。

夏氷のベースはオレンジソースにしたが、練乳をたっぷりとかけてもらった。甘酸っぱい夏氷を堪能したい。

店内でも食べられるようだが、ブリッドは店先にあるパラソルの下のベンチに腰かけた。ここでなら他の店で買ったパンをこっそりつまんでも、注意されることはないだろう。 

少し解けはじめた夏氷を、匙で掬って一口食べる。

冷たく口の中に解けた氷のあとに、オレンジソースの仄かな甘みとさわやかな酸っぱさ、そして練乳の甘さがまじりあって口いっぱいに広がる。


「~~~~~おいしぃーい!」

まさに絶品。

匙に掬った夏氷を一度じっくり眺めて、によによとしたままブリッドは口を開けた。このオレンジ色の雪が口の中で解けて、喉の奥に流れてゆくのだ。

まさに奇跡の食べ物。

アーンとブリッドが夏氷を頬張ったところで、

「ブリッド?」

背後から声がした。

くり、と匙を咥えたまま彼女は振り返る。

「っ!」

口の中で水になった夏氷を吹くかと思った。

オロフが立ち止まってこっちを見下ろしていたからだ。

「似た人がいると思ったら本物だったか」

そう言って、ブリッドが見たかったあの笑顔をくれた。とたんに胸がありえないくらい脈打ち、頬が熱くなっていく。


「どど、どうしてここに」

「ああ、怪我をした後輩の快気祝い開く店を選びに来たんだ。そのあとでブリッドに会いに行こうと、さっき使いを出しておいたんだが――」

ちょい、とオロフの肩を軽くたたいて注意を引いたのは、彼に似た体格の男だった。オロフしか目に入っていなかったのか、ブリッドは彼の隣に連れがいるとは思わなかった。

「俺は先に戻ってる」 

「え……?」

「ちょっと来るのが遅かったな。夏氷は売り切れだ。おまえは彼女に分けてもらえ」

オロフ越しに、薄茶の髪をした男がひょいと顔をのぞかせた。

「こいつ、このあと当分暇だから時間つぶしに付き合ってやってよ」

オロフと一緒にいることから察するに彼もまた王宮の騎士だろうが、生真面目そうなオロフとは違って、軽いノリで付き合ってくれそうな男だった。

しかも顔がいいから女の子にすこぶるモテそうだ。


「は?暇じゃ――」

「まーまー、俺たちがいるからあっちは大丈夫だって。ってことで彼女、こいつのこと頼んだよ」 

「待て、トーケル」

オロフが呼び止めるも男は彼を無視して、ブリッドにヒラヒラと手を振って立ち去ってしまった。

はぁ、と溜息をついたオロフが顔を覆う。

「あのぉ、お店選びがあるならそっちに行ったほうが……。わたしなら夕方、お店で待ってますけど」

「ん?それはもう決まったから大丈夫だ。いまはデートを楽しんで……――いやなんでもない」

「デートを楽しむ?」

誰が!?

え、まさかオロフが?

「もしかして誰かと待ち合わせ……?」

彼女とだったらどうしようと動揺したせいか、思ったことが口から出ていた。

「人と約束があったらここに残らない。それよりブリッド、早く食べないと解けてしまうぞ」

オロフに指をさされた夏氷は、表面がさっきよりも水っぽい。暑さに解けはじめたようで器の底に色のついた水が溜まっていた。


うわぁ、解けて甘い水になったら絶対泣く。

慌ててハグハグと氷を食べた彼女は、次の瞬間、キーンと頭が痛んで額を叩いた。

そんなブリッドを見たオロフが声をたてて笑う。

「急いで食べすぎだ」

「だって解けたらヤです」

頭の痛みが治まったので、今度は匙にそうっと氷をすくってパクンと頬張る。

くぅ、たまらん。

ご機嫌で夏氷を食べ始めるブリッドの隣をオロフが視線で示した。座りたいのかと、少し狭いベンチのより端っこに詰める。

パラソルをよけつつ、体の大きいオロフが小さくなるようにして腰を下ろした。そのとたん、彼との距離の近さにブリッドは固まる。

狭い作りだと思っていたら、どうやらこのベンチはカップル専用ベンチだったようだ。店で食べ物を買って、ここでラブラブと食べろということか。


間近にあるオロフの体温を無駄に意識してしまい、彼の息遣いにすら敏感になってしまう。

「やっぱり日蔭に入ると涼しいな。ついでに夏氷もあれば完璧だ」

ちら、とオロフの榛色の双眸が意味ありげに夏氷を見た。

これはあれかな。夏氷をちょうだいってこと?

でも、匙は一つだし……。

(かかか間接キスとかにならない?)

匙を握りしめて悩むブリッドは、意を決して両手をオロフに差し出した。

「ど、どうぞ」

「ブリッドの大好物だろう?とらない」

「え、大好物ってなんでわかったの……」

「顔を見ればわかる。喜色満面とはああいう顔を言うんだろうな。本当に幸せそうな顔をして食べてたぞ。どういう反応をするかと思ってちょっとからかった」

冗談だから気にするな、と言われてブリッドはがっかりする。

……絶好の間接キスチャンスだったのに。

だがすぐに我に返ると、自分の思考に赤面する。

残り少ない夏氷をつつきながら、ブリッドはさっきうやむやになってしまった話を思い返した。


「……恋人」

「ん?」

「恋人、いるんですか?」

何気なさを装ってはみたが内心緊張して尋ねた。無言になってしまったオロフにあからさますぎたかと焦る。

これでは気持ちがばれてしまう。

「あ、あの…だからさっき……、さっきの人にっ!」

口から出まかせだったがこれはいい手だ。ブリッドは口早に言葉を重ねた。

「格好いい人だったし、ノリもよさそうだし、素敵だなって」

「――なんなら紹介するぞ?」

「え?」

「あいつのことが気に入ったんだろう?だから紹介を――」

「ち、違っ!わたしじゃなくて……姉様…っそう、先輩の中に彼みたいなタイプが好きな人がいて、恋人募集中だからちょっと気になったっていうか」

オロフにさっきの彼のことが気に入ったと誤解されるのは嫌だ。

必死になって否定すると、オロフが、ああ、と頷いた。

「そうか」

そしてまた黙ってしまったため、ブリッドは気まずい思いで夏氷を食べる。


「ブリッド、ちょっと聞きたいんだが」

その言葉にドキっとした。やっぱり下手な言い訳すぎて、気持ちがバレバレだったのか。

「毎日、俺に絵を送ってくれるのは……」

だがここでオロフは言葉を途切れさせてしまった。

何やら言いあぐねているようだと、視線をそらす彼の態度にブリッドは気がついた。

「迷惑…でした?」

「あ、いや。それよりどうして絵をくれるのかと思って」

「お礼です。オロフに助けてもらったし、わたしのこと変人扱いしなかったから嬉しくて」

「変人?……芸術家の中には奇怪な行動をとる者もいると聞くが、そういう類の癖か何かあるとか?」

「そうじゃなくて、わたし人見知りが……ひどいから」

最後には声が小さくなってしまった。

絵ばかり描いていたせいでからかわれた話をしたときは励ましてくれたけれど、実家では人を避けて家に閉じこもってばかりいたと言えば、やはりオロフも変な女の子と思うかもしれない。

(や……いまだってすごい出不精だけれど――)

オロフが見れなくて、ブリッドは夏氷を口へ運ぶ。


サクサクと匙で氷を崩していたら、不意に「一口」とオロフが言った。

「え?なに?」

「やっぱり一口、夏氷が欲しいと思って」

夏氷はほとんど残っていないし、随分ととけてしまっている。

オロフに手を差し出されて、逡巡したブリッドは匙を手渡した。

微かに触れた指先にドキリと意識が向いて、それが一瞬の隙となってしまった。いきなりオロフがブリッドの持つ夏氷も奪い取って、大口を開けると器の中身をすべて喉に流し込んだ。

「あーーーー!」

オロフはもごもごと口を動かしていたが、やがてごくんと夏氷を飲み込んだ。

「全部……わたしの夏氷……全部、食べた」

「ごちそうさん」

空になった器と匙と返されたブリッドは、わなわなと肩を震わせる。

とても気さくで話しやすいし、笑顔の似合う優しい人だと思ってたけれど。


「ひどーい!どうして残しててくれないの!」

「一口欲しいと俺は言ったし、ちゃんと一口だったろう?」

こんな子どもみたいな意地悪をする人だったなんて。

(しかもわたしの思ってた間接キスじゃなぁあい~)

器を傾けたときに匙は使っていたけれど、口に入れたりはしなかったのだ。

「わたしの夏氷を返して。っていうか今すぐおかわり買ってきて」

「無理だ。もう売り切れた」

ほら、と夏氷器を片付けている店員を指さして、オロフはしれっと言い放つ。

「夏氷、大好きなのに。なけなしのお金をはたいて買ったのに。欲しい画材だってあきらめたのに。今月はもう財布をはたいても埃だって出ないのに」

「え?小遣いも捻出できないような、そんな低賃金で働かされているのか?」

いじめっ子顔をしていたはずのオロフが、途端に心配そうな表情になった。


「あの主人、ブリッドの保護者代わりかと思っていたが、まさか悪徳商人だったのか」

「ちょっと、おじさ――旦那様のこと悪く言わないで。ちゃんと充分な賃金をもらってる。わたしが今月、欲しいものを買ったから足りなくなっただけ……」

まさか惚れ薬を買ったとは言えなくて、ブリッドはごにょごにょと説明した。

本当か、と疑わしげな目を向けてくるオロフに、ブリッドは夏氷の入っていた器と匙を突っ返した。

「残りの全部食べたオロフが、お店にこれ返してきて」

「それで許してくれるのか?」

「食べ物の恨みは怖いんです」

許すもんかと言外ににおわせそっぽを向いた。

仕方がないというように器を返しに行く背中を、オロフが充分に離れてからじっと見つめる。

どうしていきなり絵のことを尋ねてきたのだろう。

素人絵だし、ついいつもの癖でポエミーなことを書いていたので、貰っても困るのかもしれない。

なのにお礼と言ったから断るに断れなくなって、話を変えるために夏氷を使ったとか。


テアに相手が忘れられなくなるくらい、絵を送り続けるのもいいと言われて実践してみたけれど、オロフが迷惑に思うなんてことは一切考えていなかった。

「夏氷くらいで怒っちゃだめだよね」

しゅん、と呟くブリッドの頭の上から声がした。

「なんだ、そんなに怒っていなかったのか」

いつの間に戻ってきたのかオロフが立っていた。

「今日はもう夏氷は売らないそうだ。次は時節送りの日に朝と昼の2回ずつと夜に1回、合計5回販売するらしい。俺は夜なら都合がつくと思うんだが、ブリッドは誰かと約束があるか?」

「ない」

オロフの質問の意味を理解する前に声が出ていた。

「じゃあ、夏氷を奢らせてくれ」

信じられない言葉に目を見開く。

「それって――」

デートのお誘い!?


「それから絵はもういい。大事な小遣いが画材費に消えていくのは申し訳ないからな。礼は充分にしてもらった」

浮かれたはずが、ブリッドは一瞬にして現実に突き落とされた。

オロフが自分に会おうとしていたのは、これを言うつもりだったからだと気づいた。

オロフの立場になってみれば人助けをしただけで、その人物から毎日絵が届くようになったなんて、ありがた迷惑どころか気持ち悪いだろう。

下手に断わってさらなる執着や恨みを買うかもしれないと、オロフは角が立たないようにブリッドの好きな夏氷を奢って、そこで繋がりを絶つ気なのだ。

(なんとも思われてないんだなぁ、わたし)

きっとオロフはこれっぽっちも自分の気持ちに気づいていないのだ。

だから時節送りの日に誘ってくる。

その日が片想いの人間にとってどれだけ重要で、そして期待してしまう日なのかわかっていない。


ブリッドは俯いて必死に泣きそうになるのをこらえた。

どうしてこんなに無神経で鈍感な人を好きになっちゃったんだろう。

「ブリッド?やっぱり都合が悪かったか?」

ブリッドは膝にある手を拳に握って顔を上げた。

「夏氷だけじゃ許さない」

オロフにとっては厄介払いだとしても、自分にとっては好きな人との最初で最後のデートにする。

「美味しいご飯もつけてくれなきゃ」

「わかった」

「あと、お詫びの品」

「夏氷と飯だけじゃだめなのか?」

「誠意を見せなさい」

こうして冗談で繋がないと涙が出そうだ。

ちゃんと笑えてるかな。


「はいはい。夏氷一口が高くついたもんだ」

「え、ご飯とプレゼント、本当にいいの?」

「言ったのはブリッドだろう。それに食べ物の恨みは怖いんだよな?で、何が欲しい?」

「それはオロフがわたしのためにじっくり考えてください」

「俺がか?」

「誠意をみせなさい」

同じ台詞を言ってやるとオロフは困った顔になった。

「画材とか?」

「安直なのはダメです」

「難しいな」

「じゃあオロフが彼女にあげたいって思うもの。その日のエスコートもそのつもりで。夕刻の鐘が鳴る頃ここで待ち合わせにしよ。それじゃ、わたしそろそろ帰らなきゃいけないからまたね」

ブリッドは勢いよく立ち上がると、驚いた顔をしているオロフに気づかないふりで駆け出した。


今頃、胸がドキドキとしてくる。

彼女みたいに扱えなんて変に思われただろうか。

(びっくりした顔してた)

でも鈍感なオロフに少しは意趣返しができたと思う。 

当日はうんとおしゃれしてオロフの度肝を抜いてやろう。

「テア姉様に相談しなきゃ」

女性らしく色っぽいテアは商家でも一番人気で、男性から何度も告白されている。 

当の本人は特定の人と付き合うつもりはないらしく、いろんな人とデートに出かけているから、恋の手ほどきを受けるにはもってこいの人物だ。

おしゃれについてやデートの心得を教えてもらおう。

日差しが西に傾いて日の光が少し色づいている。

ブリッドは徐々に走るのを遅め、息を弾ませながら商家までの道のりを歩く。

惚れ薬を守るように鞄を胸に抱きしめた。






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