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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
143/161

あなたの虜

お茶会の後、シモンと二人で庭に出ていた小鞠は、水溜の淵に腰かけ噴水の水に手を浸す。

ひやりと冷えた水が手のひらに気持ちよかった。

落ちてくる滴に波紋を描く水面を、小鞠は意味もなく撫でて、ご機嫌な様子で口を開く。

「ヴィゴもルーヌも喜んでくれるかしら?」

同じように淵に座って水面を見つめていたシモンが頷いて、それから可笑しそうに笑った。

「参加者が結構な人数になるから、会場や食事などさっそくテディが頭を悩ませていたぞ」

「会場……広い場所が必要かも。城下でやるんだよね。適当なところあるのかな。現地で中を見学させてもらったほうが準備だってしやすいだろうし、なんだったらわたしも一緒に探すけど」


「それは純粋な善意からか?城下へ遊びに行きたいと顔に書いているが」

「ちょっとくらい流行のパン屋さんで買い食いしたり、可愛い雑貨を見たっていいでしょ?お祝い会に参加するための変装用の服だって自分で選びたいし」

ごにょごにょと言いながら、からかってくるシモンへ口を尖らせた。

「それに本当はまたシモンと城下デートに行きたいんだもん。春に行ったっきり全然だから」

拗ねた口ぶりで軽く睨むと、シモンは笑顔を消して肩を落とした。

「すまないな、つい仕事を優先してしまって――」

「あ、ダメ!本気謝罪するなら今のなし。ごめんなさい。冗談のつもりだったけど、きっと本音も入ってたね。だめだなぁ、わたし。避暑に連れてってもらったばっかりなのに、もっとシモンと一緒に楽しいことをしたくて我が儘言っちゃった。ほんとにごめん」


シモンは避暑に行くために仕事を休んだ分、皺寄せで忙しくなっているみたいなのに。

外でデートできなくても、夜、部屋で共に過ごせている。

今日なんて、一緒にお茶だってできたのだ。

「もしかしてわたし、いろいろ顔に出てた?だからシモン、忙しいのにお茶をしに部屋に来てくれたの?無理しないでね。っていうかわたしを甘やかしちゃダメ」

「甘やかしているのではなく、わたしがコマリと共にいたいのだ。仕事を言い訳にコマリを放っておいてばかりだし、愛想をつかされないかと気が気でない。だからコマリ、何をしたい、どうしてほしいとわたしに言ってくれないか?我が儘だなどとはけして思わない」


いつも思うけれど、どこまでわたしのことを大切に思ってくれる人なんだろう。

しかもこういう話を照れずに真剣に言ってくるのだから……ああもう、嬉しくて顔がニヤけちゃう。

シモンに出会えたことが人生で一番の幸運だって思えてならない。

「そーゆぅのが甘やかしてるって言うのに」

照れ隠しに軽口を叩くとシモンは身を乗り出した。

「ふざけていないでちゃんと聞いてくれ。わたしは真面目な話をしているのだ」

「わかってるけど、だって……シモンってば天然王子様なんだもん」

「天然王子?」

「だから計算じゃなく女の子を喜ばせる発言をするってところが……」

ときめいちゃうんです、とはさすがに言えなくて小鞠は口ごもった。


シモンは意味が分からないのか眉を寄せて首を傾げる。

「計算なくわたしを喜ばせるのはコマリだろう?今もわたしとデートしたいだとか、近場であったのに避暑へ出かけたことを喜んでくれていたり、わたしと楽しいことをしたいだなどと。そんなことを言われては、城下デートを叶えてやりたいと思ってしまうではないか」

最後の台詞を小鞠は聞き逃さなかった。

照れていたはずが、両手でシモンの手を握りしめる。

「本当!?デートに行けるの?お仕事たまってるって言ってたのに」

「日本からカッレラに戻ったときほどではない。半日くらいなら大丈夫だ」

「じゃあ、じゃあっ!一緒にスイーツ食べたり、服を選びあったり、お店を冷やかしたりできる?」


大興奮の小鞠にシモンはくすくすと笑う。

「ああ、コマリのいいように。だが、本来の目的は会場選びではなかったのか?」

「もちろんそっちがメイン。会場を選んでからのデートでいいの。数時間でも嬉しい。うわぁ、ありがとう、シモン」

大喜びでお礼を言った小鞠は、握っていたはずの手を大きな手のひらで握り返された。

顔を寄せたシモンに、ちゅ、と軽くキスされる。

「ならばこれでわたしの株はあがったか?」

「え?どういうこと?」

「近頃コマリは、少年のわたしに夢中であったからな」


普段のお返しに、ちょっとからかうつもりで、やたらチビシモンや少年シモンが可愛かったと言ったけれど、まさか気にしていたなんて。

「拗ねてたの?」

半信半疑で尋ねてみればそっぽを向かれた。

「自分に焼きもちを焼く羽目になるとは思わなかった」

不貞腐れているともとれる顔はなんだか子どもっぽい。

その様子が可愛くて、あははと小鞠は笑った。

「大丈夫、わたしの前じゃ大人のシモンも可愛いもの。いまも子どもみたい」

言いながら腰を浮かした小鞠は手を伸ばしてシモンに抱きついた。


彼の膝に乗って、抱き寄せた頭に頬ずりをする。

「こんなことしたいって思うの、シモンだけよ。むぎゅー……って。ね?」

顔を覗き込めば、シモンが額を合わせてきた。

「もっとだ」

「もっと?」

「そう、むぎゅーをもっと」

ねだられた小鞠はしょうがないなぁという顔をしながらも、求められていることに内心喜んだ。

シモンの首に腕をまわしてさっきより強く抱き着く。

「むぎゅぅ~~~~」

「もっと」

「え、もっと?苦しくない?」

「嬉しい」


弾んだシモンの声が聞こえたかと思うと、お返しするかのように抱きしめられた。

痛みを感じさせないよう優しく小鞠を包むシモンが、額に唇を押し当ててきた。

そのまま米神や瞼、頬にキスが降ってくる。

「シモン、くすぐったい」

「じゃあくすぐったくない場所にしようか」

直後に唇が小鞠のそれをかすめた。

目が合って青い瞳が甘く笑む。

「くすぐったかったか?」

蕩けるような微笑みに胸を射抜かれ言葉も出ない小鞠は、ふるふると首を振った。


微笑一つでメロメロになってしまう。

そんな自覚はあっても、対抗する術はない。

項に回った手に引き寄せられて小鞠は瞳を閉じた。

薄く開いた唇にシモンの舌が触れる。

迎えるように舌先を伸ばすと簡単に絡めとられた。

シモンはまだ仕事があるからこれ以上はダメだと思っても、小鞠の体は押さえがきかずに火照っていく。

やっと唇が離れた時には、はぁ、と熱を帯びた吐息が漏れていた。


「……シモン…もうちょっとだけ、くっついててもい?」

瞬間、小鞠はシモンに横抱きに抱き上げられていた。

「きゃっ、……シモン!?急に何?」

「誘ったのはコマリだ」

「誘ったって……わたしはもうちょっと一緒にいたいって意味で」 

聞く耳を持たないまま、シモンはズンズンと大股で歩んで部屋に入った。

お茶会がお開きになったため、片づけに侍女たちは出ているし、他も皆去っている。

シモンは迷うことなき足取りで寝室に進み、ベッドの前で立ち止まった。


「ちょ……シモン、まさか――」

「だから誘ったのはコマリだと……」

シモンが言葉を途切れさせ、ベッドメイクの済ませてある大きなベッドの枕もとを見つめた。

シモンの視線を追って小鞠も首をめぐらせると、そこには小さな白いケースがあった。

誘ったと言われて焦っていたはずの小鞠だったが、

「可愛い。ハート型になってる。シモン、あれなに?」

「テディか」

と、シモンが呟いたため首を傾げた。


「テディ?からの届け物?」

「いや、ここへ戻る前に神祀殿から持ってきたのだ。さっきは人が多くて無理だろうと、テディに預けたままにしておいたのだが……あいつにはここへ来ることはお見通しだったわけか」

苦笑いを浮かべたシモンは、小鞠をベッドに腰掛けるようにして下ろすと、枕の上にあったケースを手に取った。

そして小鞠の前に片膝をつくと、彼女の左手を持ち上げて指先にキスする。

「ど、どうしたの?なんかすごく恥ずかしいんだけど」

顔を上げたシモンの真摯な眼差しに胸がドキリと跳ねた。

どうして急に真面目な顔をして見つめてくるのだろう。

思っても尋ねられる雰囲気ではなかった。


「コマリ、愛している。わたしと結婚してほしい」

一瞬で頭が真っ白になった。

言葉も出ない小鞠に向って、シモンは蓋を開けたケースを見せる。

そこには対の銀色に輝くリングが入っていた。

「本当は婚姻の際に互いの指にはめるものと聞いているが、二人の愛の証となるものなら今から身に着けていたい。キクオとカンナからわたしたちへの贈り物だ」

小さいほうの指輪をケースから取り出したシモンは、小鞠の左手の薬指に指輪をはめた。

リングにエッジが入り、中央に一粒のダイヤが埋め込まれていて、光を受けるときらりと美しい煌めきを放つ。


「マスターと冠奈さんから?っていつこれを……」

「別れ際に貰った。コマリには中身は秘密だと言っていただろう?」

言われて小鞠は思い出した。

――とーってもいい物だけど何かは小鞠ちゃんには内緒。時期がきたらシモンさんから渡してもらうから。

冠奈の声が耳に蘇った気がした。

ポロ、と小鞠の目から涙が溢れ、とっさに唇を右手で押さえる。

でないと大声で泣き出してしまうと思った。

「ふ、……うぅ~……」

「二人を思い出してしまったか?」

隣に腰を下ろすシモンに肩を抱き寄せられた。


「我慢しなくていい。ここにはわたししかいない」

「こ、こんな不意打ち……泣いちゃうに決まってるのに」

「だから存分に泣けばいいと言っているのだ」

「鼻水出ちゃう……絶対ぶっさいくだわ――や、見ないで」

「涙もろいともう知っている。それにコマリは泣き顔すら愛らしい」

泣き顔を隠して逃げるのを腕に囲うことで抑えこまれ、ポンポンと落ち着かせるように背を叩かれる。

甘やかされてると感じながらも、懐かしい面影に揺れていたはずの心は満たされて、流れる涙はおさまっていった。

小鞠はシモンの首筋に顔をうずめる。


「シモン、なんかいろいろびっくりして、順番が後になっちゃったけど……」

一息に言えればよかったが恥ずかしさに声が小さくなって、最後は口ごもってしまった。

急激に顔が熱くなってくる。

「うん?」

よくわかっていないらしいシモンの声に後押しされて、小鞠は思い切って口を開いた。

「こ…これからよろしくお願いします」

背中を撫でていたシモンの手が止まって、直後に息もできないくらい強く抱きしめられた。

「断られたらと――ああ……ホッとした」

「嘘。余裕綽々って顔してた」


「キクオとカンナの名を聞くだけで泣くくらいだ。コマリはまだ日本に未練があるのだろう?」

「だから帰りたいって思ってないってば。いい加減信じて」

「それはわかっている。でもこのように泣かれるとな。二人の思いがこもった指輪から、彼らの心がコマリに届けばいいと、神祀殿に保管しておいたのだが――まだ成功はしてはおらぬようだ」

会うことは叶わなくても、心は繋がれると冠奈は言った。

神祀殿とは神聖な力を秘めた場所だというし、不思議な力が二人の心を運んでくれるかもしれないと、シモンは願ってくれたのだろうか。


小鞠はシモンの肩越しに薬指にあるリングを見つめた。

他人が見てもただのシンプルな指輪にしか見えないだろう。

けれど小鞠からすればどんな宝物にも勝る指輪だった。

「シモンにも指輪をはめていい?」

「ああ、もちろんだ」

ハートのケースからシモン用の指輪を取る。

小鞠のものと同じようにねじりが入っているが、石は入っておらずさらにシンプルだ。

小鞠は神聖な儀式をしているような面持ちで、恭しくシモンの左手を取ると、薬指に指輪をはめる。

大きな手をしたシモンの指の太さはやはり男性のそれだ。

小鞠の親指にだって入りそうだと思ったリングは、シモンの指にぴったりとはまる。


互いの手を並べてリングを見つめた後、視線が合って、ふふと笑いあった。

シモンが嬉しそうに小鞠を引っ張って膝上に座らせる。

「日本には愛の証を指にはめるという素晴らしい風習があるのだな」

「え?えとこれってもともとは外国の風習で、日本に伝わってきたことだから」

「そうなのか?なんにしても二人の愛を形にして見ることができるとは、カッレラではなぜいままで誰も思いつかなかったのであろうな。テディがカッレラ王国でこの風習を広めようと、えらく意気込んでいるのだ」

「テディってけっこうロマンチストだったのね。意外。うん、でも薬指を見るたび嬉しくなるもの。結婚指輪が広まるのはカッレラに幸せが広まるってことよね?」


左手を掲げてうきうきと告げると、シモンが隣に手を並べて顔を寄せてきた。

「コマリがこんなにも大喜びするのなら、わたしが指輪を用意したかった」

「結婚指輪って本当は二人で選ぶのよ」

「そうか。それはきっと心弾むであろうな。ならばもう一対作ってみては――」

「マスターと冠奈さんの気持ちがいっぱい詰まった指輪よ」

「わかっている。でもやはり二人で選んだものもほしいのだ」

並べていたはずの手を、指を組むようにして握られる。

「いつでもコマリの指にあるものだからなおの事な。駄目か?」


耳殻に唇が触れて甘く乞われただけで、小鞠の胸が高鳴っていく。

いつまでたってもシモンにどぎまぎとする自分を悟られたくなくて、小鞠は慌てて口を開いた。

「じゃ、じゃあ2連にする?マスターと冠奈さんの指輪にもう一つ指輪を重ねるの。二人の指輪がプラチナだから、わたしたちのは金にしてね。二連ならメビウスの輪っぽく見えるし、無限っていうかあの……え、永遠の愛の印…とか言ってみちゃったり――」

ボボボと音が鳴りそうなくらい小鞠の顔は真っ赤になった。

自分で自分の言ったことが恥ずかしすぎる!

シモンだってあまりにイタイ発言に固まっちゃったし。


「うう、嘘、嘘、嘘……いまのなし!ちょっと乙女妄想炸裂させすぎちゃった。いくらなんでも、え、永――ん、うぅん、なんていうか重いよね。忘れて。っていうかシモンの記憶から消して」

「なぜだ?」

「だってどんだけ夢見てんだって言われても仕方ないしっ」

うう、穴があったら入りたい。

誰か今すぐわたしを消してぇ!!

うろたえてジタバタとシモンの膝から逃げようとしたら、反対に繋いだ左手ごと抱きしめられてしまった。


「わたしは嬉しいのにやめるなんて言わないでくれ。作ろうコマリ。作りたい」

「喜んでもらったのなら何よりです――ていうか離して」

「いやだ」

シモンの空いた手が顎にかかって仰のかされた。

そのまま覆いかぶさるようにして唇が重なった。

すぐにシモンの舌が口腔へ侵入し、狂おしいほどに激しく口づけられる。

「ん、…っんん」

どさりとベッドに横たえられて、小鞠に馬乗りになったシモンが、キスに息も絶え絶えになる彼女を見下ろした。


「ああ、こんなにも嬉しいことがあるだろうか。コマリ、愛している」

再び唇が落ちてきて、絡む舌に唾液が泡立つ。

シモンの手が小鞠の肌を滑り二つの膨らみに触れた。

「シモン、仕事……仕事がまだ残ってるって――ぁっ」

窮屈なコルセットはつけていないせいで、やわやわと揉みこまれると簡単に声が漏れた。

「仕事よりコマリがいい」

「でもまたこんな昼間っから……んっ……待って、ダメだってば、シモ――っんー」

落ち着かせようと、シモンを押しとどめる手をつかまれベッドに縫い付けられた。

煽るようなキスを何度も繰り返されるうち、小鞠の思考が淡くかすんでいった。


「コマリがほしい」

熱くかすれた声にゾクゾクする。

情欲を湛えた青い眼差しに見つめられ、小鞠にあった最後の理性が消えた。

抵抗するようにもがいていた腕から力が抜けると、シモンの手が離れた。

小鞠はシモンの首に腕を回し、自分からキスをねだる。

シモンの唇に舌を伸ばすと、応えるように擦りあわされ、簡単に彼の口腔へ招き入れられた。

舌先で互いを舐めあい、腹同士をすり合わせ、唾液を絡めあううち、小鞠の下肢の奥が熱をもっていく。

なのにシモンはキスを繰り返すだけで小鞠に触れようとはしなかった。


さっきのように体にも触れてほしい。

はしたない思いが脳裏をよぎり、けれど自分から触ってほしいとは言えないまま、小鞠は貪るようにシモンの唇を吸った。

やがて唇が離れ、指で唇を拭いながらシモンが体を持ち上げる。

はぁはぁと息を荒らげて、小鞠は疼きだした体を持て余したままシモンを見上げた。

「なんて顔でわたしを見るのだ」

シモンの手が頬に触れる。

その大きな手のひらにスリと甘えると、彼の顔に苦笑が浮かんだ。

「ああまた、やめられなくなりそうだ」

「?……なに――」

何がという小鞠の声はシモンの口の中に消えた。


それから小鞠は日が傾くまでシモンから解放されることはなかった。

濡らされ、喘がされ、啼かされて、身も心もシモンに染められていく。

疲れ果てて彼の腕の中で微睡む小鞠は、重なる左手の指輪に自然と笑顔が浮かんだ。

幸せだとただ思った。

意識を手放しかけながら漏れた呟きは、共に微睡むシモンにも笑顔を呼ぶ。

体に回された腕に力がこもって、その温もりに満たされながら小鞠は眠りに落ちていった。






* * *






シモンと小鞠の婚約が王国内外に発表されたのは、夏から秋への時節送りの日であった。

国民はめでたい話に沸き立ち、その日の城下はいつも以上に惚れ薬が売れて、たくさんのカップルが誕生したという。

もう一つ。

カッレラ王国では結婚を控えた恋人同士の間で、ペアの指輪を左手の薬指にはめると生涯幸せな結婚生活を送れる、という噂が時節送りの少し前から広がっていた。

そして王太子と婚約者も揃いのリングをしていると、どこからともなく情報が流れ、それを王宮で働く者たちが本当であると証言したことから、ペアリングは瞬く間に恋人たちの間で流行した。




「へぇ、国中でペアリングが大流行してるんだ」

ボーが届けてくれた指輪を左薬指にはめ、ニヨニヨとご満悦な小鞠は、たった今シモンから聞いた巷の話にさらに笑顔を深めた。

「わたしたちの真似って、王宮で働く人たちは、ここで知り得たことは外で話しちゃいけない、ってなってるんじゃなかった?王族に関することは特に厳しく罰せられる……とかテディに聞いたような」

「そのテディが故意に漏らしたのだ」

「どうして?――あ、結婚指輪をカッレラ中に広めたいっていう、隠れロマンチストだったっけ」

「コマリは誤解しているぞ。あいつのはロマンチストなどではなく、国益のためだ」

思い出し笑いをするシモンだったが、小鞠にはなんのことだかさっぱりわからない。


だがいま重要なのは国益の話より、二人の愛の証となるペアリングだ。

小鞠はふうん、とだけ相槌を打って、矯めつ眇めつリングを眺めまわした。

しかもそれだけでは飽き足らず、今度はソファで隣に腰掛ける、シモンの左手と自分のそれを並べる。

小鞠の顔は二へーっと締まりがなく、どうしようもないくらい緩みっぱなしだった。

「やっぱりボーって一流の細工師ね」

シモンに菊雄と冠奈からの指輪をもらって数日後。

二人が腕利きの職人を探していると誰に聞いたのか、ボーは王宮に自ら出向いてくると、指輪の直しは自分にやらせてほしいと願い出た。

おそらくは避暑地での騒動の恩返しだろう。


ボー作のスターサファイヤの首飾りと耳飾りを持つ小鞠は、その腕とデザインを買っていて、申し出は嬉しい限りだった。

出来上がりを見たら尚のこと、彼にお願いしてよかったと思う。

ボーは菊雄と冠奈がくれたプラチナリングに、単純にゴールドリングを合わせて二連にしたりはしなかった。

無限を表すようにしたいのだと告げると、ずっと指にあるのなら使いやすい形のほうが良いと、プラチナリングの周りにゴールドを添わせて、二連風にしてはと提案してくれた。


確かにボーの言ったとおりだった。

こうして指にはめてみて感じるが、二連にしていたら指輪同士の重なり部分が気になり、煩わしく思ったかもしれない。

「今度ボーにお礼しなきゃ」

なにしろ自分からやらせてほしいと頼んだからと、ボーは仕事料を受け取ってくれなかったのだ。

小鞠はシモンの左手首を持ち上げて、その甲に自分の左手を重ねるとワキワキと握る。

「マスターと冠奈さん、それにシモンの指輪ね」

「わたしの指輪?」


「だってシモンがわたしたち二人の指輪もほしいって言ったから、この指輪ができたんだもん。ふふ、すごく素敵な指輪になった。シモンの髪と同じ金色がとっても綺麗」

小鞠のあまりのはしゃぎように、シモンは楽しげに笑い出した。

手を仰向けて、小鞠の手のひらと合わせ軽く握ってくる。

「どうしてコマリはこんなにも可愛らしいのか 。それに本当にいつもわたしを喜ばせてくれる」

ちゅ、と当たり前に髪にキスされ、引き寄せられた薬指の指輪にも唇が触れた。

自然にスキンシップをとるシモンといるからか、小鞠は彼と触れ合うことに随分と慣れた。

けれどシモンの優しい微笑みと甘い声は別物で、どうしたってドキドキするのだ。

この時も、かー、と顔全体が熱くなっていく。


「またそのような顔を――誘っているとしか思えない」

言うが早いか、シモンが唇を重ねてくる。

一度舌が絡んで、それはすぐに離れていった……はずがコツと額を合わせて、小鞠を覗き込んでくる。

「物足りない?」

質問に小鞠はどきりとした。

簡単に終わったキスにあっけなさを感じていたからだ。

見透かされた恥ずかしさから、慌てて目を逸らして逃げようとしたのに、項を引き寄せられた。

再びシモンの顔が近づくのを、小鞠は両手で彼の唇を押さえることで止める。

「シモンにお願いがあります」

小鞠の改まった様子にシモンは少し面食らったようだが、話を聞くためかキスはあきらめてくれた。


「なんですか?」

口調を真似てくすくすと笑うシモンに、小鞠は以前から思っていたことを思い切って切り出した。

「え、え、ええエッチの回数を減らしてください」

笑っていたはずのシモンの顔が凍りついた。

「なぜ?」

「え?そ、それは内緒」

「……もしかしてわたしが下手だったからか?」

呆然としたシモンはまるで抜け殻のようだ。

「では気持ちよくなかった?そういえば、涙を浮かべていることもあったが、あれは痛みを我慢して?……まさかコマリは苦痛をこらえていたのか?」


「え、ちょ……シモン、誤解――」

「なのにわたしはいつも幾度どなくコマリを抱いて、自分ひとり気持ちよくなっていただけなのか。なんと独りよがりな――」

「違うからっ!」

小鞠はシモンの頬を挟んで自分のほうへ向けた。

「しかし回数を減らせとはわたしと寝るのが嫌だからとしか」

「シモンとのエッチを嫌だなんて思ったこと一度もない。いつもちゃんと気持ちいい」

「ではなぜだ。わたしにわかるように説明してほしい」

気持ちがいいと言っているのに、どうして信じてくれないの。


うぐ、と言葉に詰まった小鞠だったが、萎れきっているシモンを見るうち、はっきり言わなければ彼を傷つけてしまうと気がついた。

そのくらいシモンはしょげ返っている。

「……もちいいから、困ってるの」

「なに?」

ぷいと顔を背けて早口に言ったが、シモンには聞き取れなかったようだ。

「やはりなにか困っているのか?」

「シモンとエッチしたら気持ち良すぎて、わけがわかんなくなるの。でも流されたあとはたいてい体がだるかったり、腰が痛くて……もうちょっと回数減らしてくれないと、腰痛持ちどころか過労死するっ!」

こんな恥ずかしいこと言わせないで。

首まで赤くして小鞠は一息にまくしたて、羞恥が怒りを呼んだせいでシモンを睨む。


対するシモンは予想だにしていない答えだったのか、目を丸くしいていた。

けれど次の瞬間、嬉しそうに破顔して小鞠を引き寄せる。

「そうか、そんなに夢中になってくれていたのか!わたしも小鞠と同じだぞ。抱くほどにもっとと求めてしまってどうしようもないのだ――だが、体が辛いとなると……わかった、少し控えるとしよう。無理をさせてすまなかった」

ちぅ、と小鞠の頬にシモンがキスをした。

「話してくれてよかった。ありがとうコマリ」

「ありがとう?お礼を言われる意味がわかんない。ご機嫌とろうったってそうはいかないんだから」


「違う。これからもこうしてわたしに不満をぶつけてくれ。でないとわたしはコマリに貪欲だから、また無理をさせてしまうかもしれない。一つ一つは小さな我慢であったとしても、積み重なれば耐え切れぬ重みとなるだろう。そのせいでコマリに嫌われたくはない」

ふくれっ面であったはずの小鞠は、シモンの気持ちを聞いて短気を起こしたことを反省した。

短絡的に拗ねて怒ってシモンに八つ当たりしたのに、こうして笑ってくれる人だった。

自分ばかり彼に甘やかされるのではなく、自分だってシモンのことを甘やかしたい。

思っていてもなかなかうまくいかないけれど、いつかシモンみたいになりたいから。

「と、ときどきは我慢しなくていいからね」

頑張ってこう言ったら、シモンが頭を撫でてきた。


「優しいな」

「え?」

「コマリはわたしのすべてを受け入れてくれる。それが嬉しい」

「何言ってるの?わたしばっかりシモンに甘えてるでしょ?」

尋ねたのに返事はなかった。

混ぜっ返すように髪をくしゃくしゃに撫でられて、逃げて髪を整える小鞠にシモンは言った。

「さっそく約束を破ってしまいそうだ」

ソファの背もたれ腕を預け、小鞠を見つめるシモンが、ふ、と微笑む。

いつもより艶のあるその笑みに彼女は簡単に惑わされ、目が合っただけで逸らせなくなってしまった。


言葉を失っているうちに、シモンが手を伸ばしてくすぐるように頬へ触れた。

「キス、しても?」

甘く響く声音に、小鞠はまるで魔法にかけられたように思考が溶けた。

素直に瞳を閉じるとすぐにシモンの唇が重なる。

彼の厚い舌が自身を絡めとり口腔を蠢くと、勝手に体が熱を持った。

濃厚な口づけに腰砕けになる小鞠は、離れていくシモンをとろんとした眼差しで見つてしまう。

唇を舐めながら、シモンが小鞠の濡れた唇を親指で拭った。

「今日はここまでで仕舞いだな?」

ニヤと余裕の笑みを浮かべつつの質問に、小鞠は我に返った。


はめられた。

あんな煽るようなキス。

すでに体が疼きはじめてしまっているのに、お預けなんてできるわけがない。

「ん?」

ムニ、とシモンの親指が小鞠の唇を押し撫でて、短い問いかけで返事を促してきた。

赤い顔でしばらく葛藤していた小鞠だったが――。

身を乗り出してシモンに抱き付いていた。

「やめちゃやだ」

ああもう、これからもこの人には勝てる気がしない。

シモンの力強い腕が、小鞠の背中に回された。




〈END〉

本編はこれでおしまいです。


次からは番外編になります。


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