舌先三秒
「ねぇジゼル、朧と玉響は本当に無事なの?」
テーブルに身を乗り出して、小鞠はジゼルの少しの変化も見逃すまいとした。
何かと事件に巻き込まれてしまう小鞠を心配し、避暑地から戻って毎日、ジゼルは部屋を訪ねてくれる。
部屋でばかりでは飽きてしまうだろうと、エーヴァたち侍女が窓を開放して庭に面した場所に、アフタヌーンティの準備をしてくれた。
涼しい室内でありながら、窓を開け放っているため、庭の美しい眺めも堪能できる。
小鞠の形相にジゼルは呆れとも、苦笑ともつかない顔になって首を振った。
「式神は依代を介して現世に姿を現しているだけに過ぎないから大丈夫、ってスミトに聞いたんでしょ。わたしだってそう聞いたし、同じことしか言えないの」
「だって王宮に戻ってから、澄人さんとちゃんと話をしてないんだもん。忙しいって言い訳でわたしを避けて、本当は朧と玉響が怪我をしてるのを隠してるんじゃないかって思って」
「そないなこと言われてるなんて信用ないなぁ、ボク」
声にそちらを向けば、いつの間にか澄人が部屋に入ってきていて、弱り顔で頭をかいていた。
あとにゲイリーと王宮魔法使いの三人が続く。
「びっくりした、澄人さんってばいつの間に」
気配を感じなかった。
「廊下でオロフ君に、小鞠ちゃんたちがお茶してるって聞いてな。そーっと入って驚かそうと思ってんけど、ボクの悪口が聞こえたから黙ってられへんかったわ」
ほにゃんとした気の抜けた笑い顔はいつもの通りで、怒っているようには見えない。
これがいざとなるととても冷徹な男になるのだから、普段とのギャップがありすぎるというものだ。
人間見かけに騙されてはいけないと、小鞠は澄人を知って学習した。
とはいえ澄人は気まぐれに冷血漢に豹変するわけではなく、普段はひょうきんで楽しいお兄さんなのだ。
小鞠自身、随分と彼を慕っている。
「悪口じゃないもん。ただ澄人さんはいつもゲイリーさんと二人で隠密行動してるし、隠し事がうまいって思ってるだけで……」
「コマリ、わたしをスミトのような馬鹿とセットで考えるな」
「バカてやめてや、バカて。あー、もうしゃあないな。白状するわ。朧も玉響も依代真っ二つになったんや。確かにダメージくろとったけど、休んだら元気になんねん」
ダメージと聞いた小鞠が表情を曇らせたせいか、澄人は溜息をついた。
「~~~そないな顔するやろうと思ったから言わんかったのに。あいつらは人よりよっぽど頑丈やて」
「でも怪我をしたら痛いのは人間と一緒じゃないの?」
「相手の痛みまで引き受けとったら参ってまうで。まぁそこが小鞠ちゃんのええとこなんやけど――朧、玉響、出てき」
澄人が式神を呼んだ。
何もなかった空間に、和装姿の男女が現れる。
派手な着物を着た獣の目を持つ男と、無地の白い着物を着たピンクの髪の女が並んで、椅子に座する小鞠を見下ろした。
「二人とも、大丈夫なの?大きな怪我とかしていない?」
【はい、ご心配をおかけしました】
朧は無表情だった面に僅かに笑みを滲まる。
そんな彼の様子に玉響は瞠目していたが、
「よかった。玉響は?怪我はないの?どこも痛くない?」
小鞠の矢継ぎ早の質問攻撃に圧されたのか、仰け反りつつも首肯した。
「本当?傷が残ったりとか」
着物からのぞく肌のどこにも傷は見当たらない。
でも見えない場所に怪我をしているのかもしれない。
【心配は無用です。それよりあのときはお助けできずに申し訳ありませんでした】
小鞠は玉響とちゃんと話をするのは初めてだが、どうやら実直な人柄のようだ。
若い女性であるのに、イメージは高潔な武士だった。
「ううん。玉響と朧が来てくれて、すごく心強かったわ。ありがとう」
「ほら、これで安心できたやろ?ちょこっと小鞠ちゃんの心配煽って、実は元気やってんで~、ってのがやりたかったのになぁ」
「馬鹿ね、スミト。コマリにはその手の冗談は通じないわ。たちの悪いおふざけは、本気で怒らせるわよ」
「ジゼルまでバカ言うんかいな」
たはは、と情けない顔になって澄人は、「もうええで」と式神を消した。
ともかくこれで心配の種は一つ消えた。
今日まで朧と玉響の安否がわからず、死んでしまったのではと、小鞠は最悪な想像までしていたのだ。
胸をなでおろす小鞠のもとへリクハルドが近づいた。
「おくつろぎのところ、大勢でおしかけて申し訳ありません」
「いいのよ。それで?みんなしてどうしたの?」
「はい、避暑地ではコマリ様とシモン様を、簡単に攫われてしまいましたので、お部屋の防御魔法の強化をと思い、お伺いいたしました。もちろんシモン様には許可をいただいております」
「それは心強いことだけれど、えっと…そもそも人じゃ、妖精や精霊の魔法に太刀打ちできないんじゃなかった?それに妖精も精霊も、人に興味がないから襲われることはないんでしょう?」
「いいえ。今回このようなことがありましたし、今後もシモン様やコマリ様に懸想する妖精や精霊が、現れないとも限りません。なにより王宮魔法使いを名乗るわたしたちの魔法が、ドワーフとはいえまだ幼い少女に敵わないとは恥ずべきことです。今まで以上に強固な防御魔法をと、この数日、トーケルとグンネルとで猛特訓いたしました。ぜひお部屋の魔法の強化をさせてください」
意気込むリクハルドと、背後で頷く気合いたっぷりのトーケルとグンネルを見ては、小鞠も否と言えない。
「……じゃあお願いしようかな。澄人さんとゲイリーさんは助手?」
王宮魔法使いの三人に並ぶくらい、この世界の魔法を使いこなせるようになったのだろうか。
「うんにゃ、ボクらは見学」
「魔法の呪文を覚える以前に、まだ知らない言葉が多すぎるんだ」
そうだった。
魔法を完全に自分のものにするまでは呪文は必須らしいし、この世界の言葉で言わなきゃならないんだっけ。
こっちに来て言葉の猛練習をしている二人でも、その壁はいかんともしがたいようだ。
王宮魔法使いの三人はそれぞれに違う魔法をかけてくれた。
いくつもの防御魔法をかけるのは今までと同じだが、難度の高い魔法を使えるようになったので、より厳重に部屋を守れるらしい。
長い詠唱と魔力の消費で疲れている魔法使いたちに、小鞠はお礼を言って一緒にお茶をしようと誘った。
驚き、辞退する彼らにぜひと強くすすめると、リクハルドは恐縮しつつ感涙するという器用なことをし、トーケルはジゼルの隣を陣取り澄人に蹴り飛ばされ、グンネルが呆れ顔でトーケルの首根っこを引っ張って自分の隣に座らせた。
そこに澄人やゲイリー、そして侍女まで含めると、窓辺に用意したテーブルと椅子には収まりきらない。
結局ソファに移動して、ならばもうオロフとパウリも呼んでしまえと、部屋に招き入れてのお茶会は、大人数になってしまった。
ソファに隙間なく座り、部屋じゅうの椅子を持ってきて、なんとか全員腰を下ろすことに成功した。
カップや菓子類を増やしてきてくれたスサンとドリスが腰を落ち着けると、やっとみんなで仲良く語らいだす。
趣味の話や休日の過ごし方は、仕事以外の皆のことを知れて興味深かったし、最近巷で人気のパンの話が出たときは、若い女の子から話題になったと聞いて、どこの世界でも流行りものはたいてい女の子が火付け役なのだなと思った。
それから夏から秋への時節送りに向けて、そろそろ惚れ薬が売り出されているそうで、やはり可愛い小瓶に入ったものが売れるとのことだった。
男性が可愛い小瓶を購入するのは、酒を手渡す時に小瓶も一緒女性へプレゼントするからで、女性であれば中身を空けた後、自分のものにするからだそうだ。
話を聞いていた小鞠は、今度こそシモンに気づかれずに悪戯薬を飲ませたいと、心の中で前回のリベンジを誓う。
夏から秋は果実から作った酒をふるまい酒とするから、例えば柑橘系の香りのする酒に、レモン汁をたっぷり入れてシモンに飲ませてみるのはどうだろう。
(あとで料理長に相談しよう)
己の計画に密かに悪い笑みを浮かべていた小鞠は、そういえばとグンネルがスサンとドリスへ振った話題にふと耳を傾けた。
「ヴィゴが目覚めたお祝いを同期の連中が考えているみたいで、時節送りの頃にしようかって話してるそうなんだよ。その頃だったら今より体力も戻ってるだろ。それにどうやら、医師からリハビリの辛さに心が折れる者もいるって聞いたみたいで、みんなで励まそうってなってるようだね。二人も仲間に……あ、エーヴァもどうだい?サデだって君たちに会いたいだろうしさ。わたしやリクハルド、トーケルも参加しようって言ってるんだ。大勢で祝ったほうがきっとヴィゴも喜ぶよ」
ぜひ、と三人が笑顔で答えたが、すぐにエーヴァが気になる様子を見せた。
「サデもいつもまでもヴィゴの世話をしているわけには……そろそろこちらに戻ってもらわなくてはならないわね」
「エーヴァたちの負担が大きいなら戻ってもらうけど、そうじゃなければヴィゴが元気になるまで付き添ってても、わたしは別にかまわないわよ。好きな人の支えになりたいって気持ち、よくわかるし。掃除とか片づけとかだったらわたしも手伝えるから言ってね」
小鞠が会話に割って入ると、思案顔で頬を抑えていたエーヴァは、まあとばかりに首を振った。
「いけません、コマリ様。将来王妃様となられる自覚をお持ちくださいと、常々申し上げているはずです。それでなくともコマリ様はご自分でなんでもなさってしまうのですから。先ほども寝室から椅子を運ぼうとしていらっしゃいましたし――コマリ様のお側では、わたしたちの仕事がなくなってしまいます」
洗濯物をまとめておいたり、ごみを一ヶ所に集めたり、使ったものを元に戻したり、ってことぐらいしかしてないけどな。
お茶の準備や片づけを手伝おうとしても止められるもの。
カッレラに来た当初、部屋や風呂、トイレの掃除道具をちょうだいって言ったら、恐ろしいくらいの形相で駄目って言われたし、ホント高貴な人の暮らしって自分で何もしないんだなぁって、正直あきれるくらいだ。
日本でシモンのベッドメイクをテディやオロフがやってて、自分で使ったものくらい自分できれいにしなさいって言ったら、すごく不思議そうな顔をしていた理由が今ならわかる。
こんなふうに、やってもらうのが当たり前の暮らしだったからだ。
そのシモンも、コマリの行動を見て真似るようになって、今では洗濯物をまとめたり、起き抜けのベッドの布団を整えたりするようになった。
「エーヴァたちの仕事を奪うつもりはないのよ。だけどね、特別扱いって聞こえはいいけど、わたしからすると仲間外れにされてる気がしてちょっと寂しいっていうか……」
小鞠が言葉を濁して俯いてみせると、エーヴァとスサンが慌てて否定した。
「コマリ様を悲しませるつもりなどありません」
「そうです!わたしたち、コマリ様が健やかでお過ごしくださればと思っているんです。ね、ドリス」
「ああ、しょげるお姿まで可愛らしいわ。全力で守ってあげたい」
スサンの声も聞こえていないらしく、ドリスからうっとりとした呟きが聞こえた。
同時にパウリが変態と言いたげに首を振っている。
「本当?他の皆もわたしを仲間外れにしない?」
小鞠が顔を上げると、侍女だけでなくリクハルドたち王宮魔法使いやオロフも大きく頷いた。
それを見届けてから、小鞠はにんまりと笑う。
ふっ、かかったな。
「じゃあヴィゴのお祝い会にわたしも行く」
オロフとパウリを除く臣たちは、数秒後に顔色を変えた。
澄人とジゼルは顔を見合わせて苦笑を浮かべ、ゲイリーはやれやれとばかりに額を押さえる。
慌てふためく臣とは対照的に笑うオロフは、日本での小鞠を見ているため、彼女の性格を理解しているらしい。
逆にカッレラ王国に来てからの小鞠しか知らない者たちは、随分親しくなったとはいえ、まだそこまで把握しきれていないのだろう。
成り行きで小鞠預かりとなったパウリは、主の発言を面白がっている様子だ。
「お待ちください、コマリ様。貴族の開く晩餐会ではないのですよ」
とグンネルが言えば、トーケルがそうですと身を乗り出した。
「俺……わたしたち王宮魔法使いのほとんどは庶民で、きっと馬鹿騒ぎをするだけになります」
「いいじゃない、馬鹿騒ぎ。わたしも日本じゃそっちのノリだったの。だからすっごく楽しそう」
「羽目を外した愚か者がコマリ様に絡んでくるかもしれません」
とんでもないとばかりにリクハルドが首を振った。
「絡み酒?ちょっとくらい平気よ。あまりしつこかったらリクハルドに助けてって言うわ。リクハルドなら上手にあしらってくれるでしょう?」
ね、と小鞠が笑顔を向けると、リクハルドは反論できなくなったらしい。
もう一息だと思ったところで、今度はエーヴァの声がした。
「酔っ払いが溢れる場所など、シモン様がご参加を許すはずもありません」
「じゃあシモンにも一緒に参加してもらう」
「ちょい待ち。お姫さんと王子が参加したら、みんな恐縮しまくって祝いどころじゃなくなるって。あ、俺は参加な。そのヴィゴってやつと直接面識ないけど、ペッテルやケビも来るんだろ?あいつらと酒が飲みたい」
パウリが遠慮もなくこう言ったのをドリスが睨み付けた。
スサンがまぁまぁと宥めている。
ドリスの視線にパウリは肩を竦めて黙ってしまい、後を継いだ澄人が小鞠に同情的な様子を見せた。
「小鞠ちゃん、楽しいこともお酒も好きやもんなぁ。そら参加したいわな」
そういえば澄人さんは参加……あ、先に誘われてたんだ。
へぇジゼルとそれに、珍しくゲイリーさんも参加するのね。
ふーん騒がしいのが嫌いなのに……王宮魔法使いの一員として?
言い訳したところでどうせお酒目当てでしょ。
これじゃオロフまで参加すると言い出すんじゃないの?
そうですね、って弱り顔だけど行く気でしょ。
ずるい、わたしも行く!
行きたい行きたい行きたい、と心の中で繰り返し、じとーと周りを見ていたら、澄人が閃いたと声を上げた。
「変装したらどうや?」
「あら、いい考えね。かつら被って眼鏡をかければ雰囲気がかわるかも。コーディネイトはわたしに任せて」
澄人の話に乗っかったジゼルが小鞠に向かってウィンクする。
ぱぁ、と小鞠が顔を輝かせたそこへ、ゲイリーが冷静に口を挟んだ。
「変装と化粧でも、その日本人的な顔立ちは誤魔化せないぞ。コマリの顔を知る者が増えているしな。短い時間ならともかく、長時間共にいると気づく者も出てくるだろう」
その瞬間、全員が小鞠の顔を見て、あー、というような顔をした。
なんだなんだ、その顔は!
これでも目は二重だし鼻だって低くないし、唇もふっくらしてると思うもん。
(ふん、ソース顔たちめ。どーせ、みんなから見たらうっすい顔ですよーだ)
ていうか、澄人さんだって日本人顔じゃんか。
ぶっすぅと小鞠がむくれた途端、ドリスが頬を押さえまたしても悶えた。
「まぁ、コマリ様ったら頬袋を膨らませたリスみたいに愛らしいわ」
食いしん坊のリスと一緒にしないで。
こっちはのっぺり顔って言われて怒ってんだからね。
小鞠の顔がますます不機嫌になったとき、澄人がまた、閃いたと手を打った。
「目晦ましの魔法を応用したら、別人に見せることできるんやろ?それで小鞠ちゃんの顔を変えるってのはどうや?」
「別人に見せることはできても、表情まで変化させることはできない。コマリ様が黙っているか眠っているのなら何とか誤魔化せるがな。人の表情はかなり複雑だから、話したり笑ったりといった変化に対応できないんだ。そのような魔法が使えるのは精霊や妖精だ」
リクハルドが否定したため小鞠はがっくりと肩を落とした。
「貴族の社交界やお茶会って堅苦しそうなんだもん。わたしに向かないもん。飲み会やりたいもん。お酒飲んで楽しくおしゃべりしたいもん。みんなと親睦深めたいもん」
小鞠が萎れて、もんもんと呟いているとそれまで黙っていたオロフが、なぁと魔法使いたちに視線を向けた。
「顔全部を変えて別人にするんじゃなくて、パーツを変化させるってのはどうだ?鼻を高くしたり、耳の大きさや瞳の色を変えたりとかなら、表情にあまり左右されないと思うんだが」
「ああそうか、あまり動かない部位なら……」
「そうだね、印象が変わるかも」
「で、眼鏡と化粧で誤魔化せばなんとかなるか」
リクハルドとグンネルとトーケルの三人が頷き合って小鞠に笑顔を向けた。
小鞠の隣に座るジゼルが「よかったわね」と肘でつついてくる。
「オロフ、ナイスアイデア!」
グ、とオロフに親指を突き出しすと、彼は笑いながら恐れ入りますと返事をした。
エーヴァがコマリ様、と窘めるような声を出すと、ジゼルとは反対隣に座るゲイリーが小鞠の親指を見つつ言った。
「コマリは元気すぎるな」
「顔が地味だからこのくらいしないと誰も気づいてくれないでしょ」
ツン、と小鞠が言い放つと、ゲイリーはわずかに眉を寄せて尋ねてくる。
「なにを怒っている?」
人の顔を平坦だといわんばかりの発言をしたくせに。
小鞠はわかっていない様子のゲイリーを睨んだ。
「どうせ日本人のわたしは凹凸のない顔してますよーだ」
するとゲイリーは、ああと可笑しそうに表情を和らげた。
そんな彼の微笑に、スサンがぽーっと見惚れる。
「顔立ちが違うコマリがわたしたちの中にいればそれだけで目立つ。しかもコマリはこんなにも可愛いだろう?」
ゲイリーの手が小鞠の頭に触れ、くしゃりと撫でた。
「普通の変装では周りにコマリだとわかってしまうと言いたかったんだ」
笑顔が深まって、いつもの無表情とはかけ離れた優しい眼差しに、小鞠は声が出なくなる。
甘い顔立ちをしたすこぶる男前が、中低音の甘い声で蕩けるような台詞を吐き、彼女にするような激甘なことしてきたら、恋愛偏差値の低い平凡女子では太刀打ちできません。
笑顔だけで相手を動けなくさせるのか。
なんて恐ろしい人なの。
近頃ゲイリーはシモンが側にいなくても、こうして小鞠を甘やかしてくる。
妹のように思ってくれているらしいが、これでは妹を猫可愛がりするシスコン兄ではないだろうか。
(シスコンが過ぎると、好意を持ってくれてる女の子でも逃げちゃうのよ)
思って小鞠はスサンを見やる。
しかしゲイリーの笑った顔がレアであるためか、スサンは先ほどよりも彼に視線が釘づけで、ハート目状態だ。
あれれ、さっきよりスサンを悩殺してる。
ともかく一人っ子だった小鞠からすると、自分をこうも可愛がってくれるのだから、ゲイリーを兄と慕いたくなるものだ。
離れていくゲイリーの手の温かさに、心がほっこりとして、可愛いと言われたことを素直に喜ぶ。
へへと、小鞠はすっかり機嫌をなおしてゲイリーに笑いかけた。
「出た。ほんま舌先三寸男やなぁ~」
お兄ちゃんかぁーと、心の内でゲイリーを兄と呼んでいた小鞠は、澄人の声も聞こえていない。
なので周りのほとんどの者が、うんうん頷いて澄人と同じことを思っているなど、知る由もなかった。
そのまま小鞠は、どうやったらお祝い会を楽しくできるだろう、と意識は内へ向いていく。
「スミト、何か言ったか?」
ゲイリーが鋭利な刃物のごとく眼差しを澄人へ向ける。
「ひっ……いや、このクッキー、舌先で三秒と持たずにほろほろとけてくて言うたんや。うまいわ~」
澄人がテーブルのクッキーを頬張る。
ふんとゲイリーが目を細めて腕を組み、視線をずらすと今度はパウリへ言った。
「おまえも何か言いたげだな」
「え?や、お姫さんに触ったら、王子が怒るんじゃないかと思って――」
「あいつが怒ろうが知ったことではない。羨ましいならおまえもやってみればどうだ?」
「羨ましい?……あー、王子をからかったらテディに睨まれるしやめとく」
沈黙したゲイリーは、結局何も言わないまま腕を解いた。
そんなゲイリーにパウリは眉を寄せていたが、彼が何か言うより先に、一人考え事をしていた小鞠がぱちんと手をたたいた。
「ねぇみんな、あのね!思いついたんだけど、そのお祝い会で運試しとかどうかな。確かケーキに指輪を入れて焼いて、当たった人は幸せになれるとかあったような気がするの」
すると隣でジゼルが、ああと口を開いた。
「公現祭の時に食べるガレッド・デ・ロワのこと?入ってるのは指輪じゃなくてフェーヴでしょ。陶器の人形。当たった人は一日王様か女王様になれるの」
ジゼルが言う公現祭は知らないけれど、おそらく彼女の母国、フランスのお祭りか何かだろう。
ジゼルの話を聞いたゲイリーが、顎に手をやりつつ口を開く。
「バームブラックのことじゃないか?指輪やコインを入れて一年を占うんだ」
ゲイリーの言ったバームブラックも小鞠は知らない。
「あ、それ聞いたことあるなぁ。ハロウィンにドライフルーツ入りのケーキ焼くやつやろ?指輪が当たった人は結婚で、コインが当たった人は金回りが良おなるって、確かそんなような……違おたかな?」
澄人の結婚や金回りに敏感に反応する者があった。
「俺、コイン当てたい」
「指輪、指輪がほしいですっ!」
パウリとスサンだ。
パウリの隣でオロフが「給金だけじゃ不服か?」と突っ込めば、「まだもらってないから無一文なんだよ」とパウリが首を振った。
「え?そうなんだ。テディに言って前借りできるようにしてもらうね」
小鞠が聞き留めてそう告げると、パウリが手を前に突き出していらないと突っぱねた。
「お姫さんをバッグにつけたら、あとでどんな報復されるかわかったもんじゃない」
「テディもそこまで意地悪じゃないでしょ」
「言っとくけどあいつは、王子とお姫さんの前じゃ別人だからな」
えー?それはテディにひどくないかなぁ。
まぁ、パウリがいいっていうなら強くは言わないけれど。
パウリが胸をなでおろしてるくらいだし、テディは裏じゃ鬼の顔をもってるとか?
「この無礼者が。本当にコマリ様になんて口の利き方かしら。コマリ様がお許しになっても、このわたしが正義の鉄槌をくだしてやる」
ドリスがぶつぶつと呟くのが聞こえて、小鞠が目を向けると、気づいた彼女は怒り顔を素早く笑顔に変えた。
ドリスは忍法変わり身の術を会得してるようだ。
下手に突っ込むよりはと笑顔を返して、ドリスの隣に座るスサンへ質問する。
「えっと、スサンは結婚したかったの?」
てっきりゲイリーに片思いしてると思ってたのに、それはただの憧れで本命の人がいたのかもしれない。
わくわくと小鞠が尋ねると、スサンは頬を赤らめた。
「あ、いえ。そ、そのぉ、女の子の憧れというかですね……わたしってがさつだし、もう神頼みかなにかしないと結婚できないかなぁと思いまして」
スサンがちらとゲイリーを見たのを小鞠は見逃さなかった。
(な~る。指輪の力を借りてゲイリーをゲットしたいってことか)
幸運グッズとかお守りみたいなものとして持っていたいのだろう。
小鞠はなんだか楽しくなってきてうふふと笑う。
「いいわね、楽しいお祝い会になりそうな気がしてきた。もういっそ、ジゼルの言うケーキとゲイリーさんの言うケーキを混ぜちゃおう。お人形入れて、指輪を入れて、コインもね」
「あと布切れとかボタンも入れるんやで。そっちはよくない運勢やねん」
「そうなんだ。わたしはどちらのケーキも詳しく知らないし、だから澄人さんたちにお任せします――じゃあいまからみんなで、参加した人が楽しめるよう考えよう」
小鞠が部屋にいる全員の顔を見回すと、彼らはそれぞれに頷いたり笑ったりしてくれて、反対する者はいなかった。
次の時節送りの頃までにはまだ日数がある。
きっとルーヌも元気になっているだろうから、彼の快気祝いも一緒にどうかと話が出て、ならば騎士団と合同ではと、あれよという間に話が膨らんだ。
意見を出し合ってわいわいと計画を練っていると、シモンがテディと共に執政塔から戻ってきた。
休憩がてら一緒にお茶をと思ってくれたのだそうだ。
シモンと過ごせる時間は夜から朝食までしかない。
もう少し二人の時間がほしいと思っていた小鞠が、シモンの申出を断るはずもなかった。
「シモン、楽しい計画を思いついたの。一緒に考えて」
大人数のお茶会に驚いていたシモンは、小鞠の呼びかけにすぐに興味を示し、仲間に加わった。
新たなイベント開催はその日のうちに素案までまとまった。
ただヴィゴのために会を提案したもともとの魔法使いたちがいるため、彼らにも話を通さねばならない。
そこはリクハルドが引き受けてくれた。
騎士団にはオロフが話してくれるという。
こうして大体のことを決めてお茶会は幕を閉じたのだった。