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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
140/161

花に還る

無情な女王の側に一体の精霊が姿を現した。

実体はあるがどこか存在が希薄で、女王や他の位ある精霊のように頭に冠も戴いていない。

緑の長い髪と瞳を持つ優しげな女性の精霊が誰であるか、小鞠はすぐに分かった。

(モア、なんで)

女王の前に歩むモアにはいつもの微笑みはなく、強張った顔をしていた。

小鞠には聞こえないが二人は話をしているのかもしれない。

女王がちらと小鞠たちを見上げ、再びモアを見た。

モアは落胆の表情を浮かべて俯き、そして決意したように小鞠たちと女王の間に立つと、小鞠とシモンを庇うように両腕を広げた。


直後、女王の瞳の奥の銀河が赤く燃える。

それを見た小鞠はゾッと寒気が走って「逃げて」と叫んでいた。

が、木の根に喉を絞められて、実際は苦痛交じりのへしゃげた声が出ただけだった。

モアが小鞠を見上げて笑った。

こんなときでも微笑んでくれるモアに胸が詰まる。

女王が腕を振り上げた。

(やめてー!)

叫び声が出せないまま、小鞠はあらんかぎりの力で戒めを解こうともがく。

今にも腕を振り下ろそうかという女王がピクと、なにかに反応して空を仰いだ。


ブーンという羽音が天高くから聞こえてきて、小鞠も苦しい体制ながら視線を上へ向けた。

最初、夜空を彩る星々が降ってきたのかと思った。 

赤や青や黄色の小さな光がこっちに向かって、猛スピードで飛んでくる。

十や二十では済まない、ものすごい光の数だ。

風切り音とともにそれはあたり一面を覆い尽くすと、この場にいた精霊に狙いを定めて襲い掛かっていく。

光の正体は、森の守護者と小鞠が名付けた妖精たちだった。

攻撃色を発した彼らは精霊だけでなく、周りの木々にも張り付いていく。

すると大樹が見る間に豊かな葉を落とし始めた。


数十の妖精が、小鞠とシモンに巻き付いた木の根に取り付き、一気に精気を奪う。

ぼろぼろと朽ち果てていく木の根から解放され、尻餅を付いた小鞠はシモンに助け起こされた。

『コマリ、×××××?無事カ?』

「アタタ、思い切りお尻ぶつけちゃった。あ、痛いのはお尻だけ。平気よ」

日本語は通じないと思い出し、シモンに笑顔を向けると彼はやっと安堵した様子をみせる。

そんな二人の前に、オレンジ色の光をまとった小さな妖精が飛び出した。

腹から強烈な光を放っていたはずが、小鞠の無事な姿を確認すると、嬉しそうに飛び跳ねて攻撃色をおさめ、すぐに淡い光を明滅させる。


そのオレンジの馬の姿に小鞠は見覚えがあった。

鬣や背中の羽根の形から、王宮でいつも小鞠の役をしていた子だと気付いたのだ。

他にも小鞠の周りに妖精たちが集まりだす。

攻撃色が消えて、淡い光に浮かぶ姿はどれも知っている。

みな王宮で彼女が仲良くなった妖精たちだ。

「みんな、どうしてここに。あっ!それよりもこの騒ぎをやめさせて。このままじゃ森や精霊たちが消えてしまうわ。これだけの数が集まったあなたたちには、きっとその力があるのでしょう?」

小鞠の言葉に、友達となった妖精らは首を傾げた。

オレンジの妖精が彼女の目の前に飛んで、ほかの妖精が周りを囲む。

いつもの寸劇が始まる前に、小鞠は重ねて言葉を続けた。


「わたしは苛められてたんじゃないの。話し合いをしていただけよ。だからお願い。森を枯らしちゃ駄目。ここは精霊にとって大事なお家なの。それにあなた達と精霊は近い存在でしょう?争ってほしくないの」

小鞠が願うと彼らは一様に頷いた。

輪になって首を上げ嘶く姿を見せると、素朴な音楽が彼女の耳に届いた。

すぐに近くにいた妖精の動きがピタリと止まる。

王宮の妖精の唄を聞いたらしい。

しばらくあってまばゆいほどの攻撃色が柔らかな光に変わり、彼らも同じように歌い始めた。

音楽は徐々に広がり、荒れ狂う光の渦が色とりどりの優しい光に変化していった。

すべての妖精から攻撃色が消え、王宮の妖精たちを残して、他は二十ずつほどの塊になって空の彼方へ消えていく。

その一部始終を見守っていた小鞠は、最後の妖精たちが見えなくなったことでようやく息を吐いた。


「王国中の仲間を呼んでたの?それにわたしとシモンのことを、誰があなたたちに伝えて――」

浮遊する王宮の妖精を見上げた小鞠は、彼らが輝いて一つに集まり、大きく形を変えていったことで言葉を失った。

見上げるほどの立派な馬が地に降り立った。

花びらを重ねたような鬣や長い尻尾は揺らめいて、体全体から明るい光を放っている。

光は小さな妖精たちの色を集めたかのように、見る角度によって色が違った。

妖精馬が小鞠に鼻先を摺り寄せてきた。

すると不思議なことに地に打ち付けた尻の痛みや、木の根の戒めで擦りむいた傷があっという間に消えてしまった。


「ありがとう。あの、ほかのみんなも治してあげられる?」

周りでは樹木が葉を落とし続け、草や花が萎れている。

精霊たちも力なく地面に伏していた。

小鞠が尋ねると妖精の首が縦に動いた。

ぶるんと身震いするように体をゆすると、体に纏う光が四方へ広がった。

いつか王宮の庭園で見た光のカーテンがあたり一面を覆う。

光を受けた木々が緑を取り戻し、草花が立ち上がる。

精気を奪われて膝をついていた精霊たちも顔を上げて自身を見つめた。


野兎の姿で倒れていたネリーが元の少女の姿に戻って、野兎サイズになっていた小さな鳥籠がつぶれる。

人型に戻ったことでネリーはきょとんと瞬いて、周りを見回していた。

妖精が小鞠とシモンの足元に転がる緑の石を鼻先でつつく。

石が溶けるようにして消え、モアが宙に現れた。

モアもネリー同様自身に何が起こったか混乱したようだが、小鞠とシモンの無事な姿に気づくと嬉しそうに抱き着いてきた。

モアに触れられた感触はなかったが、野原の草地に寝転がったような爽やかな香りに包まれる。

オーロラの光が消えたときには、周りは元通り緑豊かな森に戻っていた。


妖精が小鞠の前で数回足踏みし、どうだとばかりに胸を張ったため、彼女はくすくすと笑ってしまう。

元々一体であったのが複数の姿をとっていたのか、それとも逆なのかはわからないけれど、中身は小鞠のよく知る彼らだ。

「前は疲れてよれよれになっていたのに、今日は大丈夫なの?」

小鞠の質問に、妖精の馬はその場で小さく円を描くよう歩くと、フンと鼻を鳴らしまたポーズをきめた。

元気だとアピールしているようだ。

「元気いっぱいそうね。よかった」

小鞠は隣にあるシモンに向き直って腕をとった。

「魔法で怪我は治った?」

見上げれば、肩や米神にあった傷もきれいに治っていて、彼は大丈夫だというように笑う。


『ヤット戻レタ』

頬をくすぐるように指先で撫でられ、見つめあう小鞠とシモンだったが、妖精が二人の世界となるのを邪魔するよう、シモンに頭突きを食らわせた。

何事か文句を言いながら、妖精と睨み合うシモンに笑っていた小鞠だが。

「緑の守護獣殿を人が従える?護印で守られる弱き存在であるはずが、まさかそのような……娘、おまえはなんなのだ」

声は精霊の女王のものだった。

小鞠の様子から女王の視線に気づいたシモンが、彼女をかばうように引き寄せ、妖精が一歩前に立つ。


「緑の守護獣ってさっきも聞いたっけ?」

小鞠が呟くと、輝く馬が振り返って先の割れた蹄で地面を踏んだ。

まるで自分のことだというようなその素振りに小鞠は思い当たる。

(森の守護者って呼んで喜んだのは、緑の守護獣に似てたからだったのね)

ふふ、と笑んで小鞠は妖精の背をそっと撫ぜた。

この姿になってから顔を摺り寄せたり、近づいてくるのだ。

きっと精気を奪われたりしないだろう。

触れた体はじんわりと温かく、想像したよりもずっと滑らかでがっしりとしていた。

小鞠の手の動きに妖精はくすぐったそうに首を振り、もっととばかりに体を寄せてくる。


「わたしはこの子を従えているつもりはありません。この世界に来て初めてできた妖精の友達です。あなたたちともそうなりたいと思っています」

言いながら女王だけでなく周りにいる精霊たちへ目を向けた。

モアだけが微笑んでくれた。

それが精霊たちの答えなのか。

小鞠は残念に思いながら女王に再び語り掛けた。

「ネリーを返してください。そうしていただけたら、わたしたちは森を出ていきます。それともまだわたしたちを捕らえて、罰を与えるつもりですか?」

小鞠の話に光の馬となった妖精が耳を揺らし、女王に向かって何度か前足を踏み鳴らした。

歯をむき出しての威嚇に女王だけでなく、周りの精霊たちも戦々恐々としている。


(もしかしてこの子って精霊におそれられる存在なの?)

そういえば女王は「緑の守護獣殿」と呼んでいた。

(クー・シーも守護獣殿って言ってたっけ)

あの時は誰のことかわからなかったけれど。

女王が守護獣に向かって慌てた様子を見せている。

妖精が激しく首を揺らし、再び土を踏み鳴らすと、とうとう女王は苦い顔でネリーを見た。

声は聞こえなかったがネリーに何か言ったらしい。

ぱぁと顔を輝かせたネリーがこちらへ駆けてくる。


「ネリー!」

小鞠が腕を広げてネリーを抱きとめようとしたが、思い切り突き飛ばされた。

吹っ飛んだ小鞠を妖精の尻尾がフサリと受け止める。

『シモン様』

シモンに飛びついたネリーが嬉しげに彼を呼ぶ。

『×××××ネリー?』

『ハイ、シモン様。×××××××』

『久シイナ。ズイブント×××××』

ちょっとなにこれ。

(ガン無視決め込んでるけど、ネリーを助けてって女王に言ったのはわたしだからねっ)

それに魔法が解けて大人に戻ったシモンは、どうやらネリーと顔見知りのようだ。


親しげな様子に疎外感を覚え、むうと小鞠の顔が歪んだことで守護獣が動いた。

シモンを見上げて頬を赤らめているネリーの頭に、ガブリと噛みつくと髪を引っ張る。

『痛ッ!痛~ィ!!』

妖精は悲鳴を上げるネリーを小鞠の前まで引きずると、ペと彼女の髪を吐き出した。

普通の馬より1.5倍ほども大きな姿の守護獣の荒々しい鼻息に、ネリーがヒと小さく声を漏らして背筋を伸ばす。

『……メンナサ……』

ネリーの小さな声が聞き取れなくて、小鞠は「なに?」と顔を寄せた。

守護獣がダンと地面を踏むと、ネリーからウヒィと情けない声が上がる。


『ゴメンナサイ~!モウコマリ様ニ××××××ッ。ダカラ許シテクダサイー』

うわぁああん、とネリーが泣き出した。

茶色の瞳から涙がいくつも流れ、大声で泣きじゃくるのを見るうち、小鞠は彼女が可愛く見えてきて苦笑いを浮かべていた。

精霊の女王に野兎に変えられながらも、体当たりで鳥籠を破ろうとしていた。

大好きなシモンだけを助けたかったのだとしても、あの姿に胸を打たれるものがあった。

「怖かったね。もう大丈夫よ。大丈夫だからね」

言いながら小鞠はネリーを抱きしめた。

安心させるようにポンポンと背中を叩くと、日本語をわからぬはずのネリーが、ためらいがちにパーカーをつかんでくる。

ぎゅうと頼るように抱き付いてこられて、小鞠はネリーが本当はとても怯えていたのだと感じた。


優しく彼女の頭を撫でながら顔を上げると、シモンと目があった。

微笑むと、彼もまた笑顔を返してくれる。

「ネリーを返してくれてありがとうございました」

女王へそれだけを言って、シモンに視線で立ち去ろうと促す。

頷くシモンが動くより早く、守護獣の尻尾が伸びてきて、小鞠をネリーごとその背に乗せた。

次いで尻尾がシモンに巻き付いて、こちらは乱暴に守護獣の背中に放り出す。

「背中に乗せてってくれるの?」

小鞠が尋ねると、守護獣はうんと一度首を縦に振った。

そして一気に空へ駆け上がる。


ぐんぐん遠くなる精霊たちは、小鞠たちを見上げてはいたが追ってくる気配はなかった。

空気の道でもあるように守護獣は空を駆って、背の高い大木よりもっと高くまで走った。

「うわぁ、高い!シモン、ネリーいい眺めよ」

月に照らされ、ムルジッカ湖から遠くザズザ山まで続く森を小鞠が指をさす。

言葉はわからないだろうが、感嘆の声音につられたのか下を見たネリーが、ヒィとひきつった声をあげ、小鞠に抱き付くとぶるぶると震えた。

どうやら彼女は高いところが苦手なようだ。

シモンは小鞠と同じように、流れる眼下を珍しげに見下ろしていたが、気づいたように一点を見て小鞠を指でつついた。


シモンが指したほうを見れば、シモンのシャツを手にモアが近づいてくるところだった。

「モア、こっちにきて大丈夫なの?」

膝に掛けてくれたシャツを腰に巻きながら小鞠が尋ねても、モアは笑顔になっただけだった。

女王に小鞠の言葉が通じていたから、日本語がわからないことはないだろう。

これ以上突っ込んで尋ねても答えてくれないと感じ、小鞠も微笑みを向ける。

木々が途切れ保養地に伸びる大地にオレンジの火が見えた。

近づくにつれ明かり玉のもとに、人がいると分かった。

守護獣はそこを目指して高度を下げていく。


「シモン、テディたちがいる」

小鞠たちが大地にいる人たちが誰か気づいたのと同じくらいに、仲間たちが二人に気づいて空を指さしている。

守護獣はゆっくりと大地に降り立ち、乗せた時とは逆にシモン、ネリー、小鞠の順で背中から降ろしてくれた。

ただ、シモンは降ろすというより、投げられていたようだが。

「シモン様、コマリ様、お怪我はありませんか!?」

テディが真っ先に声をかけてきた。

いつもの冷静な彼とは違い、取り乱した様子なのはそれだけ心配させていたからだろう。

他の皆も似た様子を見せていた。


『××××。ソレヨリワタシノ××××アルカ?』

「ああ、ボク持ってんで」 

澄人がズボンのポケットから首飾りと腕輪を取り出して、シモンと小鞠に差し出した。

「ほい。これないとお互い会話はまだできんのやろ?それにしても、二人ともえらいセクシーな恰好してんなぁ。精霊に裸に剥かれでもしたんか?」

「ありがとう、澄人さん」

小鞠が腕輪をつけている間に、シモンも首飾りをつけたようだ。

「コマリ、わたしが愛しているのはコマリだけだぞ!」

飛びつくようにして小鞠を抱きしめたシモンが大声で言う。

痛いくらいの抱擁に声も出せない。

ギブとシモンの腕を叩いていると、彼は守護獣によって引っぺがされた。

妖精は小鞠を守るように前に立ち、鼻息も荒く蹄で地面をかく。


「何をするのだ。いくら助けてもらったとはいえ、コマリはおまえに譲るわけにはゆかぬぞ」

しかし守護獣はシモンの言葉を無視して、甘える仕草で小鞠に頭をこすりつけてきた。

きっとシモンへの当てこすりだ。

わかっても、妖精に撫でろと鼻先で腕を押されては、小鞠も笑うしかない。

小鞠は両手を持ち上げて、妖精の首に抱き付いた。

「ずっとこうして触りたかったの。助けてくれてありがとう」

一度体を離すと、守護獣が頭を近づけてきたため小鞠は額を押し当てた。 

陽だまりに包まれているみたいに温かかった。

もう一度ぎゅっと抱きしめて、花弁を集めたような鬣を撫でる。

甘えて擦り寄る妖精に彼女も頭を寄せた。


優しい笛の音のような音楽が耳に届く。

聞こえた音色が彼の声だと気付いて小鞠が顔を上げた瞬間。

守護獣に触れていた手が空をかいた。

「え……?」

ハラリと目の端にとらえたものを無意識に追うと、さまざまな種類の花が花首ごと足元に落ちていた。

オレンジの花が小鞠の足先に触れる。

その花弁の形に彼女は息を呑んでしゃがみこんだ。

手で拾い上げ、先に向かって薄くなる花弁の色に、オレンジの小さな妖精を思い出した。

他の花も集めて確認するうち、小鞠の目から涙が溢れ出す。


「嘘、なんで?なんでお花になっちゃうの?」

隣に屈んだシモンが何も言わず小鞠の肩を抱いた。

「わたし、聞いたことがあります。緑の守護獣様は力を使い果たすと、花になってしまうそうです」

ネリーの説明に余計に涙が流れてくる。

「じゃあわたしたちを助けるために、力を使い切っちゃったんだ」

さきほど元気な様子を見せたのは、心配させまいとの振りだったのか。

「あの、でも枯れてしまったんじゃなければ、また力を蓄えて妖精として生まれてくるって」

「!本当!?」

ぱ、と顔を上げてネリーに問うと、彼女は小鞠の食い付きに驚いたらしく、ビクつきながらも頷いた。


「は、はい。人間に駆除された守護獣様は枯れてしまっているから、もう二度と妖精は生まれてこないってお父さ……父が言ってて、その時に教えてもらいました。以前、父が花になった守護獣様たちを見つけて、仲間が多い場所のほうが早く力を蓄えられるからって、鉱山に持って帰ってきたんです」

「じゃあネリーにこのお花を預けて鉱山にもっていってもらったら、この子たちは早く妖精に戻れるの?また会える?」

「たぶん……あの、父にちゃんと聞いて確認します」

「ネリーのお父さんってどこにいるの?一緒に行っていい?それともドワーフの鉱山には人間は入れない?」

「え?それは問題――」


ネリーの言葉が途切れたのは、その場に縮れた髪をした小男が、突然姿を現したからだ。

周りを囲む臣たちが身構える。

小鞠は男に見覚えがあった。

「ボー!?」

「お父さん」

小鞠とネリーの声が重なった。

梳かすことも苦労しそうなくしゃくしゃの髪に、同じ色の茶色の瞳。

彼は以前、山中にある王国所有の不思議な地で出会った守人、ボーに間違いなかった。


「お父さん?」

小鞠の呟きにボーの目が一瞬こちらに走ったが、無言のままネリーに移った。

険しい顔をしたボーに見据えられて、ネリーの表情が強張った。

(そっか、ボーの娘だったんだ)

ネリーが誰かに似ていると思っていたけれど、髪や瞳の色だけでなく、こうして見ると顔立ちがそっくりだ。

きっとネリーは母親よりも父親似に違いない。

ボーはネリーに近づき腕を振り上げると、バシリといきなり頬を打った。

「この馬鹿娘」


隠し切れない怒りを滲ませた、静かだが厳しい声音だった。

感情的に声を荒らげるほうがまだいい。

静かなぶん、より怒りが深いように見えた。

それからボーはシモンと小鞠に向き直った。

とたんに臣たちがシモンとコマリを守るため前を固める。

「騒ぐな。彼は王国鉱山の守人だ」

シモンの言葉にテディたち古参の臣たちは納得したが、澄人とゲイリー、そしてパウリはわからないようだ。

そんな三人にトーケルが説明している。


シモンが小鞠の腕を取って立ち上がった。

小鞠の両手から花がこぼれたが、地に落ちる前に、シモンが腕を伸ばし手のひらで受ける。

ボーはチラリと花に目を向けてから二人へ言った。

「娘は二度とお二人に近づかせません。それからお二人がお困りの時、一度だけわたしが力の及ぶ限りお助けします。今回の件はそれで済ませてもらうことはできませんか」

「お父さん、これはわたしが――」

言いかけるネリーをボーは視線で黙らせる。

「もしかしてネリーが何をしたか知っているのか?」

シモンが問うと、ボーの首が縦に動いた。


「シモン様を子どものお姿にして、コマリ様と二人、精霊の森に置き去りにしたと聞きました」

ボーの台詞に、ここまで小鞠たちを迎えに来ていた皆が、なんだってと驚きの表情になった。

ネリーは周りの視線を一身に受けて、びくびくと縮こまる。

「聞いた?誰にだ」

シモンが眉を寄せた。

「奴らは総じて変わり者ですが、あいつは特に――コマリ様を気に入ったらしいんですがね」

いきなり名前を出された小鞠が首を傾げて自身を指さすと、ボーは彼女を見上げて「ああ」と呟く。

「こちらもとんだ変わり者の姫だった」

ちょっと、聞こえてるから!

はあぁぁぁっと盛大に溜息を吐きつつ首を振るボーは、「奴にも借りを」とブツブツ言っている。


そして不機嫌な面のまま娘のネリーを、再び振り返った。

ネリーはボーのことがよほど怖いらしく、睨まれただけで青ざめている。

小鞠は助け舟を出した。

「ボー、誤解よ。ネリーに置き去りにされたりしていないわ。わたしとシモンは森で迷ってしまったの。そのときネリーは精霊の女王様に捕まっていたから一緒にいなかっただけよ。それにほら、シモンはちゃんと元の姿に戻っているし」

言いながら小鞠はシモンを見上げた。

「魔法をかけたネリーのことは怒っていない?」

シモンはネリーへ眼差しを向けてから、少しあって首を縦に振った。


「ネリーはまだ12歳だ。感情のまま動いたとて仕方がない」

「ほらシモンも怒ってない――え?12歳……て、小六!?」

てっきり15歳くらいかと。

じゃ、じゃあ、保養地の城でシモンと二人、裸に近い状態で寝てたのを見られたけど、刺激が強すぎたりなんてことなかった?

小鞠が内心焦っていると、

「ただコマリを傷つけようとしたことや、わたしの記憶を操作して、コマリを忘れさせたことだけは水に流せない。二度としないと約束してもらおう」

怒っていないと答えたはずのシモンが、ヒタとネリーを見つめる。


凄んだシモンがよほど恐ろしかったのか、ネリーは怯えた様子で何度も頷いた。

「もうしません。ごめんなさい」

シモンとボー、二人からの半端ない圧力に彼女はオドオドと瞳を彷徨わせ、最後には竦みあがってしまった。

ネリーがしたことは小鞠とシモンの拉致だ。

子どもといえど罰を受けるのだろうか。

それともドワーフであるために、人間の法は関係ないのだろうか。

ネリーは生意気なところはあるけれど、悪い子ではないと思う。

どうにか丸く収めることはできないものかと、小鞠は涙目になって震えている彼女を見るうち、うまい方法を思いついた。


花になってしまった妖精を、ずいとボーの前に差し出した。

「ボー、この子達を鉱山につれ帰ってくれる?それでまた妖精として生まれてくるまで、ネリーに世話をさせて。もちろん、ネリーにはこの子達がどんな様子か、ときどき王宮に知らせに来てもらうわね」

「は?ですが娘はもうお二人には会わせないと……」

「悪いことをしたら叱られて、時には罰だって与えられると思う。そして今回ネリーは間違えたわ。だからネリーがボーの罰を受け入れるなら止めないけれど、反省の仕方は一つじゃないでしょう。わたしたちと関わりを絶って二度と会わないか、わたしたちに心から反省したところを見せてくれるか。ネリー、あなたはどっちを選ぶ?」

最後はネリーに語り掛けた。

彼女はボーを気にしてしばらく迷っていたが、意を決したのかはっきりと言った。


「緑の守護獣様のお世話をして、シモン様とコマリ様のもとへ様子を知らせに行きます」

ボーが信じられないというような表情になった。

おそらくは父に逆らうとは思っていなかったのだろう。

(でももう12歳だもんね)

そろそろ親の言いなりになったりしないで、自分で考えて行動するようになる。

だから反抗期なんて言葉があるのだ。

「じゃあ、はい、ネリー。この子たちのことはボーじゃなくてあなたに任せる」

小鞠が手を伸べると、また一房、花が両手からこぼれた。

それをシモンがすばやく宙でキャッチすると、彼もまた花をネリーに差し出す。


無言で小鞠とシモンに近づく娘をボーがじっと見ていたが、ネリーはボーを頼る様子は見せなかった。

ポケットから取り出したハンカチを広げ、シモンから花を受け取る。

その顔がとても緊張しているのは、まだ彼が怒っていると勘違いしているからだろう。

シモンの次に花を手渡した小鞠は、ネリーが今度はばつの悪そうな表情になっていることに気づいた。

身長の低いネリーに合わせるように、身をかがめて目線を同じ高さにすると、ぎょっと固まってしまった。

ボーに打たれた頬が赤くなっていて、小鞠は腫れた頬へ指をのばした。


「痛い?」

「す、少し。でも大丈夫です」

「そう、よかった――ネリー、この痛みを忘れないでね」

真面目な顔で唇を結んだネリーは、やがて深く頷いた。

彼女はきっともう間違えないだろう。

小鞠は笑顔になって、もう一度優しく頬を撫でると、傍らに立つシモンに向き直る。

「これで一件落着?」

お道化て言ったせいかシモンが口元を綻ばせた。

「では次は着替えだな」


そのタイミングに合わせたように、小鞠の腰からシモンのシャツが落ちた。

腰できつく縛ったつもりがいつのまにか緩んでしまったらしい。

ハラハラとこちらを見守っていた臣たちの中で、リクハルドだけが慌てて背を向けたが、他は視線を外しただけだ。

澄人とゲイリーにいたっては平然としたもので、グンネルが回れ右と怒ってやっと顔をそむけた。

パーカーの中は裸だったため、小鞠は焦ってシモンのシャツを拾いあげると、むき出しの足を隠す。

と、ふわりと体が浮き上がった。

「しっかりとシャツを押さえておくのだぞ」

小鞠を横抱きに抱き上げたシモンがテディを呼ぶ。


「馬をここへ」

「かしこまりました」

そういえばテディたちは、どうして自分たちがフェルトの森にいると知っていたのだろう。

一瞬、小鞠にそんな疑問が浮かんだが、すぐに今はもういいと考えるのをやめた。

自覚はなかったが疲れていたようだ。

グンネルに下から押し上げもらい、シモンには引っ張り上げてもらって、ようやっと馬に乗れたほどなのだから。

下着をつけないまま馬にまたがるのは憚られ、横座りで馬に揺られて保養地に帰るうち、ウトウトと瞼が落ちてくる。


シモンの胸に寄り掛かるよう言われたのも、小鞠は半分意識が遠のきかけながら聞いた。

保養地の城へいったいいつ戻ったのか。

小鞠は結局わからずじまいだった。

 




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