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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
139/161

精霊の森

妖精クー・シーに示された小道はほんの数分で終わった。

登っている感じはしないからここは山ではなく森だろう。

小鞠がそう予想しはじめたころ、先ほど目覚めた場所より広い空間に出たのだ。

以前シモンに案内された執政塔にある謁見の間ほどはあろうか。

ランプだけが頼りの心もとない明かりでは遠くまで照らせないが、空を見上げれば星空に青みがかった月が見え、地上はまるで海の中のように青く染まっていた。


「不思議、森の中にこんな空間があるなんて。周りが青白く照らされてて、すごく神秘的ね。それにお月様はシモンの色よ」

カッレラに来たばかりのころに月の色が変わると聞いて、いつか青い月を見たいと思っていた。

シモンは名前を呼ばれたことはわかったらしい。

小鞠が月と彼の瞳の色を交互にさして、また空を見上げると同じように月を見つめた。

「あれ、でもそういえば、昨日見た月はピンクだったような……記憶違い?」

まさか浦島太郎のように気づかないうちに時間がとてつもなく流れていたとか。

そう思ったらゾッとした。

ううん、悪い想像はやめておこう。

きっと大丈夫。


『コマリ』

注意をひくように名前を呼ばれ、繋いだシモンの手のひらに力がこもった。

『××××××、××××××××。××××××××約束スル』

「え?なんて?早口だとまだ聞き取れないの。約束って聞こえたけど。ウルーリ……」

ゆっくり話して、言いかけた小鞠は、シモンの手の大きさが変化したと感じた。

そしてほぼ同時に上がった彼の苦痛の声に、隣を向いて目を丸くする。

ちょっとー!

シモンがまたいきなり育ってますけどっ。

身長はもうほとんど大人のシモンと大差がない。

しかしその顔はまだ見慣れた彼より幼かった。


『痛イ……デモ××××××育ッタ』

角灯で照らしながら手の大きさや体を確認していたシモンが、小鞠の視線を感じたらしく、持ち上げていた腕を下した。

『何歳ナノ?』

『18歳。マダコマリヨリ年下ダガ××××××××』

シモンが体の向きを変え、空いた手を小鞠に伸ばす。

裸の上半身が目に入って、彼女は慌てて視線を泳がせた。

さっきまでのシモンなら平気だったのに、いまはどこを見たらいいのかわからない。

その間にシモンの手のひらが小鞠の頬を優しく撫でて、指先が顎に掛かかった。


そのまま仰のかされては逃げることも叶わない。

それどころか顔を近けてくるシモンから目が離せなかった。

濃い金色の髪も青い目も低い声も逞しい肉体も、全部小鞠の知っている彼に、一番近いから錯覚する。

これはいつものシモンだと。

唇が重ねられて、小鞠はシモンを受け入れるようにわずかに口を開いた。

舌が口腔に潜り込んで彼女を絡めとる。

「んっ……」

数回舌を絡ませ容易く離れたあと、額を合わせて見つめ合った。


『マタ、キスハ駄目ト言ウカ?』

もうシャイな少年ではないのか、シモンが笑いながら尋ねてくる。

『シモン、オンナ好キ、嘘チガウ』

小鞠も言い返すと、シモンは笑顔を苦笑いに変えて身を離した。

小鞠に触れていた手を持ち上げて、何もしませんという仕草をしてみせる。

『ワタシヲ愛シテルト言ッタノニ』

「あいー?……って聞こえたけど」

「愛」と言った小鞠の声が裏返ってしまった。


いいえ、まさか。

愛してるなんて日本人は素面じゃあまり言いません。

しかし耳に「ミリュティン、シモン」とのシモンの声が聞こえたことで、首を振ろうとしていた小鞠は、うぐぐと言葉に詰まった。

さらに泣き真似までしたシモンが、顔を上げて意地悪く笑う。

台詞と仕草からシモンが何を言いたいのかわかってしまった。

確かに幼児のシモンに恥ずかしいことを口走ってしまったかもしれない。

でもあれはシモンが子どものままなんじゃないかという不安があったからで――。


『愛シテイルト言ッタダロウ?』

「い、い言って……――う~~~、『言ッタ。ダカラ何?』」

否定しても無駄だと感じて結局認めたが、つっけんどんになってしまう。

そんな小鞠に面喰ったらしいシモンは、すぐにくすくすと笑いだした。

(あーもう、こういう余裕なところ今のシモンと同じだ。悔しい~)

いくら大人っぽくとも今のシモンは自分より四つも年下なのにっ。

「12歳まではシャイで可愛かったのに、18歳のシモンは女好きを否定しないのね」

衝動で動いた触れるだけのキスが、慣れた感じのディープキスになっていたし、きっと六年間で女の子の経験を存分に積んだに違いない。

「意地悪エロ王子っ」

むくれてそっぽを向いた途端、シモンが慌てた様子を見せた。


『××××××?スマヌ、コマリ。××××××可愛イ×××』

ん、ごめんと可愛いって単語が聞こえたぞ。

『カワイイ、言ッタ?』

小鞠が尋ねると、弱りきった顔になっていたシモンは、とっかかりを得たとばかりに大きく頷いた。

『コマリハトテモ可愛イ。ワタシノ初恋ノ相手ダ』

「初めての恋の人?……あ、初恋の人?って、えぇ?わたしがぁ?嘘、シモンは百戦錬磨の恋愛エロマスターのはずでしょ?『嘘言ウ、ダメ』」

『嘘デハナイ。××××××、信ジテホシイ』

小鞠の返事を待つシモンはまるで叱られたワンコのようにしょぼくれて見える。


余裕に見えてもまだ18歳なのだ。

見かけが近づいていても、24歳のシモンとは経験値が違う。

そう思うと疑うのはかわいそうで、小鞠は手を伸ばしてシモンの頭を撫でた。

『ウン、信ジル』

頭に触れる手を上目づかいに見ていたシモンは、嬉しげな様子になって小鞠の腕を取ると、手のひらに唇を押し当てた。

『愛シテイル、コマリ』

そう言って浮かんだ微笑みに、小鞠は腰砕けになるところだった。


12歳のころより格段に男っぽくなってはいても、どこか子どもっぽさが残る笑顔はセクシーというよりキュートだ。

なのにこの魅力。

(いつものシモンより可愛いが買っちゃってるけど――これもイイ!)

幼児から順に成長するシモンを生で見られるなんて、こんな状況だけどパラダーイス!!

このくったくのない笑顔が、大人になるにつれ色気を醸し出すようになるのだから恐ろしい。

シモンから目が離せないまま、ドキドキと小鞠の鼓動が早くなっていく。

ああもう本当に何度この人に恋すればいいのだろう。

いつのまにか鼻先が触れるほどに二人は近づいて、もう一度口づけをかわすというところだった。


ドォン!

 

突然、派手な音と地響きがした。

小鞠は悲鳴を上げてシモンにしがみつく。

青白かった空間が、小鞠たちのいる場所から奥に向かって、火が灯ったように明るくなっていった。

明かりの先にはアンティークな作りの銀の鳥籠があった。

人が入れるほどの大きなもので、中は空っぽだ。

「な、なに!?……え?鳥籠?――が、落ちてきた!?」 

独りごちた小鞠はふいに背中が泡立って、反射的に後ろを振り返った。


(後ろ……だけじゃない、周りにいっぱい……なにか、いる)

何も見えないけれど、体を押しつぶされそうなほどの圧迫感が感じられて、小鞠は恐ろしさに震えた。

『コマリ?ドウシタ?』

シモンは何も感じないのだろうか?

見上げた先にあるシモンの不思議そうな目が、刹那、ハッと木々へ向けられた。

つられて同じ方向を向いた小鞠は、空気に色がつくように人が現れたのを見た。

モアの出現の仕方に似ているけれど、彼女のように希薄な存在ではない。


現れたのは壮年の男性で、ゆったりとした白の上下に、山吹色の大きな布を巻き付けていた。

それに頭には蔓草でできた冠を戴いている。

彼が地に足をついたのを合図に、他にも次々と姿を現す。

若者から老人、そして女性もいる。

彼らはどんどん増えていき、小鞠とシモンはあっという間に周りを取り囲まれてしまった。

(周りにいたのってこの人たちだ)

彼らはモアと同じ精霊なのだろうが普通の精霊ではなく、身形や雰囲気から格が上だと感じた。

なにより現れた一人ひとりから発せられるオーラが違う。


まるで天まで届く雄大な山や虹を纏う荘厳な滝を前にしたような、大自然の圧倒的な迫力と存在感があった。

この時になって小鞠はやっと、ここがどこであるか理解した。

たくさんの精霊が住むというフェルトの森だったのだ。

姿を現した精霊たちは小鞠とシモンを見ているが、皆一様に冷たい顔をしている。

(もしかしてこの森って、勝手に入ってはいけないんじゃ……)

フェルトの森に生える木から家具を作ったり、酒を造ったりしていると聞いていたから、てっきり森へは簡単に出入りできるものと思っていた。


ああけれど、昨夜パーティでシモンが言っていたではないか。

小鞠が日本で覚えた精霊や妖精の話を聞いて、人と仲が良い話ばかりなのだなと。

(あの言い方――この世界には怖い精霊や妖精もいるってことだったんだ)

気づいた小鞠はごくと唾を飲み込んだ。

フェルトの森にたくさんの精霊が住んでいるというのならば、ここは精霊たちの家なのだろう。

誰だって家の中に無断で入られたら警戒するし、我が物顔で歩き回られたら排除しようとする。

謝ろうと口を開きかけた小鞠だったが、精霊たちが一斉に片膝を折ったことで、機会を逃した。


鳥籠の側に最後に現れたのは女性の精霊だった。

金の花でできた冠が、豊かに流れる紫の髪を彩り、服に纏う白銀の布がまるでマントのように長い。

耳や首、手を飾る装身具が他の精霊より多く、また彼女自身が輝かしい光を放っているようで、小鞠は彼女が精霊の王であると感じた。

シモンも同様のことを思ったらしい。

『コマリ、××××××』

何を言ったのかまではわからなかったが、シモンが片膝をついたのに倣って、小鞠も膝を折ると、地に両手をついて頭をさげた。


「女王様、勝手にお家に入ってすみません。すぐに森を出ていきますから許してください」

額を地にこすりつけんばかりの土下座をした小鞠の声は、自分でもわかるくらいに震えていた。

この開けた場所の、端と端の距離に離れているのに、精霊の女王に見つめられただけで背筋が凍るほど怖かった。

魂を握りしめられているような――そして彼女の気分次第で握りつぶされ、命を絶たれてしまうような恐怖だった。

「無遠慮に歩き回っておきながら虫の良いことよのう」

聞こえた声は女性のものでありながら硬質な印象を受け、感情の一切が読み取れない。

女王が日本語を話しているとも思えないから、クー・シーのように意識に直接働きかけているのだろう。


「め、目覚めたらここにいて、どこだかわかっていませんでした」

「では目覚める前はいずこにいた」

「ムルジッカ湖の側にあるカッレラ王国の王族が持つ保養地です。わたしはコマリと申します。彼――シモンはカッレラ王国の王子で――…っあっ!」

背中に重石を乗せられたかと思った。

実際は見えない圧力がかかって押し潰されたのだが、衝撃に額を地面に打ちつけて小鞠は苦痛の声を上げる。

「余計なことは言うでない。質問にだけ答えていればよいのだ」


『コマリ!――グッ』

小鞠を助け起こそうとしたシモンが、いきなり地に転がり這いつくばる。

小鞠と同じように空気の圧力がかかっているようだ。

なんとか起き上がろうとシモンがもがくと、さらなる圧力が加わったのか呻き声が大きくなる。

『ウゥ』

「やめて!シモンにひどいことしないでくださいっ。やめて、お願いだからっ」

しかし小鞠の願いとは逆に、顔を歪ませたシモンがまた声をあげた。

『アァッ!』

「や…やだっ、誰か、誰か助けてっ。シモンを助けてください」


周りの精霊に訴えても聞き届けてくれる精霊はいなかった。

小鞠も背中への圧力が消えたわけではない。

地に押さえつけられたまま、彼女は必死でシモンに手を伸ばした。

あと少しで触れると思った指先も、シモンが手のひらを拳に握ったため届かない。

『ゥアアァァァッ!』

目を見開くシモンの額に脂汗が滲んでいる。

我慢強い彼が痛みに声を上げるなんてよっぽどだ。

圧力だけではない他の痛みも加えられているのかもしれない。

「シモンが死んじゃう!やめてーーーーっ!!」


その時、精霊の女王に金棒が振り下ろされた。

ピンクの髪をした和装の女性が乱入して女王を攻撃したのだ。

しかし女王は、片腕でなんなく金棒を受け止める。

小鞠の体にかかる圧力が消えた。

シモンの叫びも途絶え、そのまま彼がぐったりとしたのがわかった。

「シモンっ!」

見えない力に必至に抗っていたせいか、強張った体では立ち上がることができなくて、小鞠は四つん這いで彼に近づき頭を抱きよせる。


「シモン、大丈夫?シモン……シモン?返事して」

【気を失っただけです】

すとんと誰かが側に降り立つ気配に小鞠は顔を上げた。

紺地の華やかな着物姿の男は朧だ。

彼を目にした瞬間、小鞠は心底ほっとした。

「朧……ほ、本当?シモンは大丈夫?」

【はい】

朧の黄色の瞳が小鞠を見つめた。

瞳孔が縦に細くなる。


朧は人に害を成す術を見抜く不思議な能力があるようだ、とは小鞠ももう知っている。

あまり表情のない朧にわずかに笑みが浮かんだ。

その微笑みに小鞠はやっと安心できた。

【立てますか?】

言いながら朧は、まるで荷物でも持ち上げるようにシモンを小脇に抱えた。

細身に見えるがやはり人ならざる者だからということか。

よろめくのを朧に助けられ、小鞠は立ち上がると両足を踏ん張った。

精霊の女王に金棒を繰り出していた玉響が、数歩後ろに飛んで合流する。

そして玉響も片手で軽々と小鞠を肩に担いだ。


【しっかりつかまっていてください】

「うん」

朧と玉響が地を蹴った……はずが、一瞬にして彼らは消えてしまった。

投げ出された小鞠はとっさに手を突き出したが、手のひらや膝小僧を地面に打ちつけた。

痛みに呻きながらも身を起こすと、傷ついて血の滲む手のひらや膝の怪我が、見る間に治ってしまった。

以前負った怪我の痕も、いつの間にかきれいさっぱり消えている。

葉っぱでできた靴が小鞠の瞳に映った。

先ほど足の裏の傷が治ったことからして、妖精のくれた魔法の靴は、履いた人の怪我を治癒してくれるのかもしれない。


シモンを見れば彼は気を失ったまま、落ちた時にぶつけたのか、額や肩に血の赤が見えた。

シモンに靴を履かせようと思った小鞠を見透かしたように、魔法の靴に手をかける彼女へ女王が言った。

「その靴はおまえしか癒さぬ」

小鞠の手が止まった。

「万人を治癒する靴など、蛮族たる人が奪い合う代物となろうが」

女王の言葉を信じていいか迷っていた小鞠は、爪先に真っ二つに裂けた人型の紙を、二体分見つけた。

(これって朧と玉響の依代?)

式神は紙でできた依代に宿って、現世に姿を現していると、以前、澄人に聞いたことがある。

では依代が裂けてしまったらどうなるのか。


(無事、だよね) 

怪我なく彼らの世界へ戻っていてと願いながら、小鞠は依代を胸に抱いた。

きっと二人は自分たちを助けに来てくれたのだ。

「人に使役されるとは。それも異形ゆえ……か?」

異形と聞こえて小鞠は顔を上げた。

(朧と玉響のことを言っているの?)

地球とは違い、この世界にはたくさんの不思議な種族がいるだろうに、女王は朧と玉響を侮蔑している気がした。

それに人間を蛮族と言うのだから、快く思っていないことは明らかだ。


小鞠は腰で縛っていたシャツのボタンを外すと、依代をパーカーのポケットに大切にしまった。

そしてシモンの怪我の血と額に浮かぶ汗を袖で拭い、裸の上半身に脱いだシャツをかける。

精霊たちの気配に怯えていたはずの小鞠だが、もう震えてはいなかった。

怒りが彼女を突き動かしていたのだ。

シモンの額に口づけて立ち上がる。

上着を羽織っただけの小鞠の姿に、周りの精霊たちは不快げな目を向けた。

構わず小鞠は顔を上げて女王のもとへ歩く。

近づくにつれはっきりと見えてくる女王は、美しいが表情がないため、まるで人形のような無機質な印象を受けた。


正面に立った小鞠は、見つめた先にある女王の瞳がただの黒ではないと気づいた。

白目がないのは精霊モアと同じだが、真っ黒な中に光輝く渦がある。

それはまるで銀河を閉じ込め、瞳に宇宙を宿しているかに見えた。

まさか相手は宇宙を統べる万物の長であるのか。

そんな壮大なものを相手に勝てるはずもない。

脳裏をよぎる弱気な思いを小鞠は拳を握って追い払った。

「どうしてシモンに気を失うほどの苦痛を与えたのですか?」

「許しなく森に入った人間を戒めたまで。邪魔が入ったがの」

女王の顔が俯き、依代を入れたパーカーのポケットを見た。


「朧と玉響を消したのはなぜですか?」

「いま、邪魔をしたと言うたぞ。ついでに、それそこの籠の中」

女王が手を振ると、銀の鳥籠に少女のネリーが現れた。

やはり美女は仮初の姿で、こちらが本来の姿なのだろう。

ネリーはビクビクと周りを伺い、幾人もの精霊に震え上がって、籠の中で小さくなる。

「ネリー」

駆け寄ろうとした小鞠を女王が素早く手を伸ばして制した。

「おまえの愛しい男に魔法をかけておまえのことを忘れさせ、その立場を奪おうとした娘だぞ。こうなった元凶はあの娘だ。憎くはないか?」


言葉がわからなかったから、ネリーがシモンを好きとしか気づけなかったけれど、ネリーは全てを奪うつもりだったのか。

だとしてもネリーはまだ少女だ。

深く考えないまま行動して、簡単に過ちを犯してしまったのかもしれない。

「これはわたしとシモンとネリーの三人問題です」

「ここは我らの家とおまえは言ったな。その家に勝手に入り込んできたのはおまえたちだ。なのに放っておけと言うか。なんとも身勝手なことよ」

女王が目を眇め、苛立った様子で切り込んでくる。

さすがに小鞠も返す言葉が見つからなかった。

「それは……すみません」


精霊たちからすれば突然現れた見知らぬ輩の痴情の縺れなど、知ったことではないだろう。

(ああ、だからクー・シーが厄介ごとをもちこんだって――)

しかしそこで小鞠はあれ、と気づいた。

シモンは戒められ、ネリーは鳥籠の中だとういうのに、自分は気を失うほどの痛みは受けなかったし、囚われてもいない。

「あの、女王様がこうしてわたしと話しをするのはどうしてですか?シモンにしたほどの戒めは受けていませんし、動くのも自由です……よね?」

それまですぐに返事のあった女王にいくらかの間があった。

小鞠が戸惑いを感じたころにやっと声がした。


「おまえがこの世界に現れてしばらくすると、人も精霊も妖精も分け隔てなく接する、純朴な人間であるとの声が聞こえてきた。そのせいか妖精たちは随分とおまえに好意的なようだ。緑の守護獣殿から護印を受け、先ほどはクー・シーからも。そのうえレプラカーンが治癒の靴を贈る。いったいどんな人間かと思うたのよ」

それはつまり、興味を持たれたということなのか。

「――が、簡単に挑発に乗るとは、短絡的で感情的な他の人間となんら変わらぬようだ。しかもおまえを陥れようとしたドワーフの娘を案ずる阿呆だの」

さっきからいちいち相手の神経を逆なでする女王だ。


単純バカと言われて小鞠はむかっ腹がたった。

「対抗できる術のない人を魔法で苦しめたり、怯える女の子を鳥籠に閉じ込めるような、無慈悲な冷血漢よりましです」

小鞠の生意気な物言いに、女王の瞳がこれまで以上に冷えた。

「おまえの態度いかんによっては、森から出られぬと思うがよかろうよ」

「そうやって人間を脅して怖がらせるから、こっちも友好的に出られなくなるんです」

「おまえは我らが人にどのような扱いを受けたか知らぬ」


「精霊に守護されてる人を使って、あなた方を利用したってことですか?確かに話に聞いただけで実際に見たわけじゃないけれど、一部の愚かな人間に接したからって、世界中の人間がみんな同じだって決めつけないでください。女王様だって、たくさんいる精霊がみんな同じなんて扱いをされたら嫌なはずです」

女王の能面のような顔に、初めて疑問を感じたふうな表情が浮かんだ。

「わたしは精霊のモアを知ってるから、人間に友好的な精霊もいるって知ってます。けれどもしモアを知らなかったら、そして精霊がどういう存在なのか知らないまま、ここで女王様や他の精霊に囲まれていたら、わたしの精霊への印象はきっと最悪だったと思います。精霊は怖い存在だし仲良くなんてできるわけがない。近づかないでおこう。そう思ってたはずです」


「我らを恐れる人間が増えれば森を狙う輩も減ろう。おまえたちにどのように思われようと痛くも痒くもないわ」

「いいえ、恐怖が過ぎれば人は身を守るための攻撃に転じます」

女王が目を見張ったのがわかった。

「それはとても些細なことがきっかけになるかもしれない。女王様が言ったとおり、わたしたち人は感情的で短絡的だから、自分たちを脅かすものは排除しようとする」

「なんと愚かな」

「ええ、愚かです。だから誰かが、強大な魔力をもっている精霊や妖精が、この世界を支配しようとするのではないかと考えてしまったら、そしてそれが皆の意思になってしまったら、先手を打とうとするのが人なんです。精気を奪うからと、人の暮らす場所に現れた小さな妖精を駆除する――それが…人間です」


小鞠は俯いて唇を噛んだ。

話すほどに女王は人を信じなくなる気がしたからだ。

「わたしは幸運だったって思います。王宮にいた小さな妖精たちがどういう妖精か知らなかったから、怖がるより前に仲良くなれた。本当は人懐っこくて優しい妖精だって知れたんです。精霊のことも、わたしはまだモアしか知らないけれど、精霊はみんな彼女みたいに楽しくて、実は人間に似たところがあるんだって、そういうのを知りたいって思う……だから、精霊が嫌いになるようなことはしないでください」

「つまりおまえを脅せば、今後我らを恨み復讐すると?」

なぜそういう話になるのか。

驚いて小鞠は女王へ言った。


「いいえ、違います。そういう負の連鎖の話ではなくて、あの……お互いに歩み寄れませんか?昔はもっと、人と精霊や妖精の距離が近かったって聞きました。精霊も妖精も日常的に人の前に現れていたって。少しずつでもその頃のように――」

「そしてまた我らを利用するのか」

女王の眉間に深く皺が刻まれた。

「人のせいでどれほどの仲間が消えたと思う。我が物顔で大地を踏み荒らし、血を流すことを繰り返したきたおまえたちが変わるとは思えぬ。巧言に惑わすつもりか、娘」

女王が小鞠に手を伸ばした。

そのとたん、パチと静電気のような光が、のばされた指先に走る。

かまわず女王は小鞠の喉を掴んだ。


「護印ごときで我を阻めるものか」

「ぐ……」

女性の姿をしているはずが、どこにそれだけの力があるのだろう。

喉を締め上げる細腕が持ち上がり、小鞠の体が宙に浮いた。

小鞠は必死で女王の手を引きはがそうとするが、骨を砕く勢いで指が食い込んでいく。

息ができなくてじたばたともがく小鞠の顔が真っ赤に染まった。

女王に殺されると感じ、恐怖に涙が流れた。

次第に目が霞んで外界の音が遠のいていく。

女王の指を引きはがそうとする小鞠の手から力が失われていった。


『コマリ!』

ドと音がしてふいに女王の手が離れた。

『コマリ、大丈夫カ!?』

地に伏して咳き込む小鞠の肩を抱き起こしたのはシモンだった。

元の姿に戻っている。

小鞠を覗き込んでくるシモンは顔色を失っていた。

「シモ……」

掠れながらも何とか声を出せた。

女王に握り潰されかけた喉の痛みが、急速にひいていく。

同時に葉っぱの靴が木端のごとく砕け散った。

小鞠を死の淵から救い、そこで役目を終えたのだ。


「元に、戻ったの?」

シモンの頬に震える手を伸ばすと、大きな手が重ねられた。

ああシモンだ。

胸を占めていた不安がほどけていく。

ぎゅとシモンに抱き付いて、だが次の瞬間、小鞠はシモンの背後に立つ女王に気づいた。

恐怖に慄く小鞠を立ち上がらせつつ、シモンは彼女を背中にかばって、鋭く女王を見据える。


「眠っておれば楽に逝けたものを――まあよい。二人仲良く躯に変えてやろうの」

後退る小鞠たちに、女王は笑みすら浮かべて近づいてくる。

『シモン様、××××××××!』

鳥籠の中からネリーが叫んだ。

両手で籠の握って揺するたび耳障りな音がする。

『×××シモン様!×××××!!』

必死な形相から逃げろと言っているに違いない。


煩そうな様子で女王が腕を振ると、ネリーの姿が一羽の野兎に変わった。

同時に鉄格子の幅が狭まって全体的に小さくなった。

籠の床に転がってすぐに自身を確認したネリーは、鉄格子の隙間から出られないと気づくと、今度は鳥籠に体当たりを始めた。

ガシャン、ガシャンと響く体当たりの音に、小鞠は女王に懇願した。

「ネリーを帰してあげてください。彼女はドワーフでしょう?あなたたち側の種族じゃないの?このままじゃネリーが怪我をしてしまうっ」

「ドワーフの中には人に媚びへつらうものがいる。あれはそういったドワーフの子どもだ。だから人の男に恋慕の情を抱いたのだろう。嘆かわしい」


「そんなこと聞いてないっ。自由にしてあげてって言ってるんです」

「人よりはよほど頑丈だ。死ぬことはない」

女王はネリーを解放する気はないようだ。

訴えを諦めネリーの元へ駆け出す小鞠は、急に足元の土が盛り上がったせいで、足を取られて地面に転がった。

地面を割って伸びた木の根が彼女の四肢に巻き付き、一気に宙づりにされる。

『コマリ!ウワッ』

小鞠を助けようとしたシモンまでもが木の根に捕らわれてしまった。

二人の首に木の根が絡んで徐々に絞まっていく。

「無粋な叫び声などいらぬ。このままくびり殺してくれようの」





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