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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
138/161

魔法の靴

「ネリー!どこ~?ネリー、返事してー」

『……ネリー、イルカ?』

大声ではなかったが、シモンがネリーを呼んだ。

小鞠がうんうんと笑顔を向けても、ばつが悪そうな顔で彼は目を合わせてくれなかったけれど。

『コマリヲ怒ラセタクナイ』

小さく聞こえて、ふふと笑ってしまう。

『怒ル、ナイ。アリガト、シモン』

薄暗い中、二人で慎重に歩いていく。


先に続く獣道を見つけてそこへ向かった。

ベッドを抜け出てそのままの小鞠は素足だった。

小枝や小石を踏むのはけっこう痛いが、靴がないのだから我慢するしかない。

シモンは大人シモンの靴をかぽかぽといわせているので、歩きづらくとも怪我はしないだろう。

「暗いなぁ。明かりが欲しい」

進む先にある藪に目を凝らして呟く小鞠は、王宮にいる小さな友達を思い出した。

「あの子たちがいたら周りがぼんやり明るいのに」

森の守護者と名付ければ、飛び跳ねて喜んでくれた。

小鞠は隣に並ぶシモンへ日本語で話しかけた。


「シモン、王宮にね、友達がいるの。手のひらサイズの小さな妖精。お馬さんみたいでおなかの中からぽわ~って光るのよ。すごく可愛いの」

シモンから返事はない。日本語だからわからないのだろう。

でもちゃんと聞いてくれているのはわかった。

その証拠に「ポワー」や「ヒカルノ」、「スゴクワァアイー」といった、たどたどしく日本語を呟くのが聞こえてくる。

言葉を覚えようとしているのだ。

嬉しくなって小鞠がまたにっこりと笑いかけると、彼は唇を引き結んだ。

言葉を練習しているのを悟られたくなかったようだ。

それから思い出したように笑顔を返してくる。


大人のシモンと違い、まだまだ女の子の扱いに慣れていない感じが新鮮だった。

(少年シモンってかぁーわいい)

獣道の続く行く手を藪が塞いでいた。

しかし、かき分けられるくらいの厚みに見える。

「そういえばシモンっていま幾つ?あ、んーっと――『シモン、何歳?』」

『12歳ダ』

何気なく尋ねた小鞠の、藪をかき分けようとしていた手が止まった。

数秒の間と、そして――。

「12!?嘘だっ!だってさっきわたしにキスしたでしょぉ!!それに口説、口説いて……」


あうあうと言葉を失う小鞠は、首を傾げているシモンの目に嘘がないことを確かめた。

じゃあ12歳の男の子にときめいたの!?

ていうかさっきのあれ、口説いてたんじゃなかったのかな。

え、まさか本能のままに動いてた!?

このケダモノがぁ!

『×××××××……覚エテイルノガ12歳マデ。コマリハ幾ツダ?』

シモンが何かを言いかけたが、小鞠が首を傾けると、先ほどのように言い直してくれた。

おそらく小さな子どもに話すときのように、簡単な単語を選び、短めの文章を考えて話してくれているのだろう。


「女の子の年齢を聞くのはマナー違反よ」

『ナニ?』

今度はシモンが首を傾げる番だった。

そしてそんな彼を前にした小鞠に、ある疑問が浮かんだ。

大人のシモンは、小鞠が年齢より2、3歳若く見えるだけと言っていた。

でも本当にそう思っていたのだろうか。

『……22』

『ン?』

『ダカラワタシ、22歳』

『12?』

『違ウ、22!』

青い瞳が驚きのそれへ変わっていくのを小鞠は見た。


いま、嘘だ、って呟いたでしょ。

こうなったら突っ込んで聞いてやる。

『ワタシ、何歳ニ見エル?』

『エ?……ジュウ…――20歳グライ』

『ホントウニ?』

こっちを見つめるシモンが、もう一度「20歳」と言いながらコクコクコクと何度も頷く。

くどいくらいに肯定するほうが、かえって嘘くさいんだぞ、シモンの馬鹿。 

口を尖らせた小鞠は低く身をかがめ、藪をかき分けてくぐった。

少し傾斜がかかって上り坂になっていたため、手をついて藪を抜けた。


と、コツとなにかが額を打つ。

「イタ!……もー、なに?」

機嫌をそこねていたせいか、ぶつくさ言いながら立ち上がった小鞠の眼下で、ポゥと明かりが灯った。

足元を見れば、ランプを咥えた犬がお座りしている。

ちょうど中型犬くらいの大きさで、丸まった尻尾がパタパタと揺れていた。

「え?犬!?……犬?でいいんだよね?」

ダークグリーンの毛をした犬なんて見たことがないけど。

それに取っ手を咥える口から覗く犬歯が、虎やライオンみたいにおっきくて鋭いけど。


侯爵家で見た四足の魔物を思い出して、一瞬ぎくりとした小鞠だったが、穏やかな目をして尻尾を振る姿に警戒心が消えていた。

きっとこの子、妖精だ。

藪を揺らし小鞠の後に続いて現れたシモンが、犬を見てぎょっとした様子を見せた。

『コマリ、××××!×××』

腕を引っ張って犬から離そうとするシモンは、おそらく逃げようとか離れようと言っているのだろう。

「シモン、この妖精のことを知ってるの?」

シモンに引きずられるようにして数歩離れたぶん、犬が腰を上げて尻尾をフリフリついてくる。

『×××××!』

シモンが威嚇するように腕を振り、犬を追っ払おうとした。


「だめ、シモン!」

小鞠はその手を抑えて首を振る。

『××××、××××××!クー・シー×××××××妖精デ危ナイ』

「危なくない!ちゃんと見て、シモン。この子がわたしたちを襲うつもりなら、とっくにやってる。優しい目をしてるでしょう?尻尾だって振ってるでしょ!シモンが威嚇してるのに怒ったりしてないし、きっとランプを届けてくれたの」

シモンの青い瞳をのぞき込んで強く言う。

シモンの目が小鞠と犬を往復し、しばらくあって肩の力を抜いた。

『ワカッタ……×××××』

よかった、わかってくれた。

ほっとした小鞠は次の瞬間、ぱぁと顔を輝かせた。

犬を振り返りしゃがみ込む。


隣にかがんだシモンが犬に警戒したような目を向けているのもかまわず、小鞠は手のひらを上に向けて鼻先あたりに差しのべた。

ランプを咥えたままの犬がフンフンを匂いを嗅いで、小鞠の掌の上にランプを置いた。

「貸してくれるの?」

ぐらついたため取っ手を握って尋ねれば、縦に首が動いた。

「わたしの言ってることわかるの?日本語だよ?」

驚きつつ重ねて質問した。

また縦に首が動く。

隣でシモンが瞳が落ちるのではというくらい、びっくりした顔をしていた。


「あの、触っていい?」

王宮の友達以外初めて見る妖精だ。

小さな妖精は精気を奪うため、魔法石のガードがあって触れなかったし、ならばここは駄目元でこの子に頼んでみたい。

妖精がどうぞ、とばかりに簡単に背中を向けてくれた。

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて」

ランプを足元に置いて、指先で触れてみれば温かい。

「……わぁ、けっこうしっかりした毛並。あ、生え際は柔らかい。ふっかふかだ。手触り最高~。優しくてお利口さんだね~。頭も撫でていーい?」

小鞠の声に妖精がこちらを向いた。

彼女も遠慮がなくなって耳や喉までも、わしゃわしゃと撫でまわす。


「嘘みたい、わたし妖精に触ってる。夢かなぁ。夢じゃないよね。ああもうどうしよう。この子、連れて帰りたい。可愛い~、一緒に寝たい~、遊びたい~」

パタパタと動いていた妖精の尻尾の揺れが止まった。

と思ったら、ゲフと変な声が犬から聞こえ、痙攣したように背中がひくつきだした。

「どうしたの?大丈夫――」

声をかけたら、犬が右前足をあげて小鞠の言葉を制した。

そのままゲ、ゲ、ゲ、と声をあげ、地面をバシバシ叩き始める。

「ねぇもしかして……笑ってる?」

なんか妖精に大爆笑されてますけど。

人間でいうならお腹を抱えてヒーヒー笑ってる感じだ。


戸惑いつつシモンに目を向ければ、彼も訳が分からないというような顔で、こっちを見つめ返した。

しばらく笑い転げていた犬の妖精は、ようやっと笑いをおさめると小鞠に向き直った。

ワフワフと口が動いたと思ったら声が聞こえた。

「我を恐れぬ人間は久方ぶりだ。しかも一緒に寝たいなどと……可笑しくて腹から笑ったぞ」

「あ、日本語」

「おまえの知る言葉を話しているわけではない。おまえの意識に働きかけて会話をしている。だからそれ、こやつはおかしな顔をしておるだろう?」

顎をしゃくってシモンをさされた。

犬のふりをやめたとたん、ずいぶんと人間臭い仕草をする。

「ふん、魔法で姿を歪められているな。何があった?」


「え?わたしもよくわからないの。ネリーって女の子がシモンに魔法をかけちゃって、気が付いたらここに。最初、シモンはちっちゃな男の子にされたのよ。そのあと急に育ってこの少年の姿になって……でも本当は大人の男の人なの」

シモンは自分のことが話されているとわかったらしい。

小鞠と犬を交互に見ている。

「とにかくネリーを探して、シモンを元に戻してもらわなきゃ。あ、ネリーってクー…クァチャ?えーと、クアァチャフグ?っていう妖精みたいなの」

「ドワーフ?」

妖精の尻尾がパタと一度揺れた。


「あ、ドワーフ?なんだ、そう言ってたんだ。知ってる。宝石とか採掘してる妖精でしょ。そっか。ネリーはドワーフだったんだ。じゃあやっぱり魔法も使えるね。はぐれちゃってるんだけど、あなた、見てない?茶色の髪と目をした女の子よ。彼女の魔法でここに飛ばされたと思うんだけど、早く見つけて元いた場所に送り返してもらわないと、きっとみんな心配してるわ」

「つまりおまえたちはここへ厄介ごとを持ち込んだわけか。どおりでな――」

妖精はぐるりをあたりを見回した。

小鞠も真似して周りを窺ったが、暗がりに木々がそびえ立つだけで、何の気配も感じなかった。

「なにかいるの?」

だが妖精はその質問には答えてくれなかった。


おもむろに妖精は腰を上げて四足で立つと、ぶるんと体を震わせた。

直後、体が大きく変化して、ダークグリーンの毛が長く伸びる。

牙がさらに大きくなって、鋭い爪が地面に食い込んだ。

牛かそれ以上の大きさになった妖精が、膝をつく小鞠を見おろした。

「これでも可愛いと言うか?」

「ううん、カッコイイ」

言いながら立ち上がって笑顔を向けると、妖精はゲ、ゲ、ゲとまた笑った。

「なぜ守護獣殿の護印を持つのかと思ったが――なるほど、これは確かに面白い娘だ」

妖精が一歩踏み出て小鞠に顔を近づける。

するとどこからともなく音楽が聞こえた。


低くて太い音は汽笛に似ていて、温かみのある調べは体の奥へ染み入るようだ。

短い音楽がやみ、今度は妖精は遠吠えをするように顔をあげた。

しかしおかしなことに、口は動いているはずが、木が風に揺れるような音がしているだけだ。

小さな妖精の歌声をシモンは風の音として聞いた。

だからきっとこれも小鞠にはわからない誰かへ話をしているのだろう。

「これで少しはおまえの助けになろう。無断でここに立ち入った人間を彼らは許さぬはずが、護印を持つおまえの様子を見ていたのがその証拠」

そう言った妖精の耳がぴくぴくと動いた。

それから、ふ、と人間のように溜息を吐く。

「この先へ進むといい」

ヒョイと前足をあげて先をさされた。

そこには先ほどまではなかった道ができていた。


小鞠が目を離した一瞬の隙に、気がつけば妖精は手の届かない距離に離れていて、一度こちらを振り返った。

「ありがとう」

小鞠が手を振って見せたら、パタパタと長い尾を数回振ってくれる。

そして足音もなく滑るように、闇にまぎれてしまった。

直後、シモンがホーと息を吐く。

『××××、クー・シー×××××知ラナカッタ……、コマリハスゴイ』

お、なんか褒められた?

どうだ、シモン。

お姉さんは頼りになるでしょ?

うふふ、と得意げに笑った小鞠は腰を折って、シモンに手を伸ばした。


『クー・シー、ヨウセイノ名前?』

『ソウダ』

小鞠の手をつかみ、反対の手でランプを握ったシモンが立ち上がる。

「クー・シーが言ってたこっちに行けばいいんだよね。出口かな。『シモン、家帰ル』」

ネリーにシモンにかけた魔法を解いてもらいたかったけれど、この山だか森だかで一夜を過ごすことは避けたい。

帰り道を教えてくれたのなら、まずは保養地に戻って、後のことはそれから考えよう。

腰のシャツを縛りなおして歩き出そうとしたら、足元に葉っぱでできた靴があった。

大きな葉を器用に組み合わせてできている。


いつの間に?

ガサリと側の草が揺れ、顔を向ければ葉っぱの服を着た小人たちが、こちらの様子をうかがっていた。

男の小人のほとんどは髭もじゃで、女の小人は髪を小枝や木の実で飾っている。

「もらっていいの?」

声をかけると、全員が一斉に草の中に引っ込んだ。

それからしばらくすると、また顔をのぞかせてこっちをじーっと見つめる。

履いちゃっていいのかな?

シモンの肩を借りてまず右足の汚れをはたくと、小石で傷ついたのか血が滲んでいた。

意識すれば痛みに歩けなくなりそうで、考えないようにしていたけれど、やっぱり怪我をしていたんだ。


小鞠の足裏の怪我に、シモンが慌てて自分の靴を脱ごうとしたのをとめた。

心配そうな顔をしているシモンは、シャイな少年になってもやっぱり根っこは大好きなシモンと同じだった。

「心配性なところも変わらないんだなぁ」

呟きながら葉っぱの靴を履く。

すると不思議なことに足の裏から、痛みが引いていった。 

反対の足も同じで、靴を履くとじくじくとした痛みが嘘のように消えてしまう。

靴を脱いでみると、怪我した筈の足の裏の傷がきれいに治っていた。

「治ってる」

『×××××××』

小鞠とシモンが同時に発したのは、きっと同じ意味の言葉だったろう。


「魔法の靴ね!――あれ、いない?」

草の間からのぞいていた小人たちの姿は、どこにも見当たらなかった。

葉っぱでできている靴は、足に合わせたようにぴったりで歩いても脱げることはなさそうだ。

小鞠は小人たちがいたあたりに向かって、「ありがとう」とお礼を述べる。

「行こっか」

すっかり日が落ちてしまった。

小鞠とシモンがちょうど並んで通れるだけの幅がある道の先は、暗くて何も見えない。

なによりここがどこだかもわからない。

怖くないといえば嘘になるが側にシモンがいる。

それに助けてくれる妖精だっていた。


大丈夫。

自身に言い聞かせる小鞠は無意識にシモンとつないだ手に力を込めた。

ちら、とこちらを見つめる彼の視線にも、気負った彼女は気づかない。

息を吸って一歩踏み出すと、シモンが明かりを持つ手を前に道を照らした。

二人が進んだあと、歩んだはずの道は草木に覆われて塞がれていく。小

鞠とシモンがいた場所には、もはや何の気配もなく、ただ静寂が広がっていた。







* * *







「森に入れない?どういうことだ!」

馬を飛ばしてフェルトの森にやってきたテディは、一緒に訪れた仲間の一人であるグンネルに詰め寄った。

あかり玉の入った角灯は、自然火より周りを明るく照らす。

グンネルの側にいたモアがテディのあまりの形相に、両手を広げて彼女を守った。

そのせいでテディの矛先は、緑の髪をなびかせるモアへと変わる。

「モア、シモン様とコマリ様は無事なのか!?森のどこにお二人はいる。わたしをそこへ連れて行けっ」

モアは首を左右に振るだけだ。

さらに言い募ろうとしたテディは、オロフに肩をつかまれた。


「落ち着け」

「精霊憑きのグンネルと一緒にいるのに、森に入るのを拒まれたんだぞ。これが落ち着いていられるか。グンネル、モアは何と言っているんだ」

「だからわたしたち人間を森に入れちゃ駄目だって言われたって――」

「誰に?」

鋭く切り込むと、言葉を遮られたグンネルはわずかに眉を揺らした。

喧嘩腰のテディに不快感を抱いたらしい。

わかっても、彼はかまってられなかった。

「仲間全員の意思だってさ。こうなってはもうわたしたちは森に入れないよ。ご覧」

森の入口に近づいたグンネルが手を伸ばした。


そこには見えない壁でもあるように彼女の手は一定以上向こうへ進まない。

リクハルドとトーケルも近づいて、手を伸ばして何もない空間を確認した。

「結界か」

「精霊が張ったんだ。俺たちじゃどうあがいても破れない」

魔法使いたちの言葉を無視して、パウリが駆け寄りながら上段に構えた剣を、気合を込めて振り下ろす。

勢いある剣は空間に刺さったかに見えた。

けれどぐいんと弾かれる。

何度か切りつけて、パウリは諦めたように首を振ると剣を鞘に戻した。


「だぁーめだ。弦を引いた弓がもとに戻るみたいに、剣を受け止めた結界が最初の形状に戻るのか、切っ先が押し戻される」

肩をすくめるパウリに代わって、ゲイリーが用心深く結界に近づきグンネルに言った。

「モアはシモンとコマリが森にいるとどうしてわかったんだ?」

「モアと仲のいい精霊が伝えてきたみたいだね」

「へー、精霊にも友達づきあいってのがあるんやな。ボクらと同じや」

スミトににっこりと笑顔を向けられ、モアが注意を彼に向けた。

その隙をついてゲイリーが結界に手を伸ばしたのをテディは見た。

皆が見えない壁に阻まれたはずなのに、彼の手はスイと抵抗なく伸ばされる。

ゲイリーがためらうことなく足を踏み出し、結界内に入ったことに気づいたモアが、宙を飛んで眼前に立ちふさがると首を振った。


「あー、やっぱり魔法石持っとるからいけるんちゃうかと思たけど。いやぁ、リクハルド君ら、ほんますごい魔法使いやってんな。精霊の結界もものともせぇへん」

ならば魔法石をもつ自分も結界内に入れるのではないか?

テディがそう思った矢先。

「いや、人の魔法など精霊の足元にも及ばない」

「無理だ、魔法石がもたない」

リクハルドとトーケルが否定の言葉を吐くのと同時に、ゲイリーは結界の外へ押し戻されていた。

モアが厳しい顔でゲイリーの首を指さすと、服の下にあったはずの首飾りが持ち上がった。

モアが首飾りのトップに指を向けて、ゲイリーに見ろとばかりに促す。

視線を向けたゲイリーがわずかに眉を揺らした。


「どないしてん、ゲイリー」

「魔法石に走る星が消えた」

「モアが魔法石を守ったんだよ。あのままじゃ結界から受ける負荷に耐え切れず、魔法石が砕けていただろうからね。眠らせたようなものだから時間がたてばまた、魔法石にかけた魔法も効力を発揮するってさ。……スミト、そうゲイリーに伝えてくれるかい?魔法石が眠ってるから、通訳機能は使えないんだ。それともきみもゲイリーのように結界内に入るかい?だったら首にある魔法石を眠らせるとモアが言ってるけど」

テディはグンネルの言葉から、今話したゲイリーの言葉は異世界の言葉として、魔法石を持たない者たちに聞こえているのだと分かった。


「いいや、無謀なことやめとくわ」

そうかい、とグンネルが今度はテディに向き直った。

「テディ、スミトのほうが利口だよ。たとえモアを振り切って森に入ったとしても、シモン様とコマリ様のところへ辿り着けない。それどころか精霊の許しがなく森へ入った代償は高くつく。やめておきなよ」

どうやら自分も森に入ろうと考えたのを見透かされたようだ。

睨むようにグンネルを見据えたテディは、しかし彼女の言う通りだと感じて顔を背けた。

そこへパウリが、あのさと皆の注意をひいて視線を集めると、考えもって口を開いた。


「オロフが言ってたフェルトの森の言い伝え?があっただろ。ほら邪悪な心をもって森に入ったら出られないとかさ。てことは普段、この森には結界なんてなくて入り放題なんだよな。精霊側からすれば、入りたきゃ入れ、ただしどうなっても知らないぞって姿勢をとってるってことだ。だから人間側が注意喚起の意味も込めてあんな言い伝えを広めて、森に入らないようにしたんだろ。なのに今回は精霊が森に結界を張って、王子とお姫さんを助けられなくしてる。それってなんか理由があるんじゃないのか?モア、あんたなんか聞いてんだろ?」

「そうなのかい?モア、わたしにも言えないこと?」


問いかけにモアは返事を控えているのか、グンネルがますます眉を寄せた。

どうやらモアはグンネルにも伝えていないことがあるようだ。

「ボクも疑問あんねん」

次はスミトが胸の前に手を挙げ、モアに話しかける。

「こっちの世界来てすぐに精霊に守られてるグンネルちゃんに会うたから、ボク、ここじゃあ日常的に精霊やら妖精やらに会えるんかと思ててん。でも数ヶ月暮らしてみて全然会えへんてわかったわ。王宮におる森喰いに近づこうとしても逃げられたくらいや。見えんでも周りにいてるっちゅうのは、朧や玉響から聞いてたから、なんで出てきてくれへんねんって思たけど、グンネルちゃんみたいな精霊憑きの歴史とか知って、姿見せへん理由はなんとなくわかった」


精霊憑きの歴史と聞いたグンネルが渋い顔になった。

それに気づいたスミトは一旦口を噤み、けれど再びモアに語りかけた。

「やのに小鞠ちゃんにだけは妖精のほうから会いにきてる。シモン君とデートしてたら、たくさんの妖精がこっそりプレゼントくれたて、あの子楽しそうに話してくれたしな。それに森喰いかてなついとる。なんで小鞠ちゃんだけ違うんや?そのせいであの子、この森に連れてこられたん違うんか?」

モアはやはり動かない。

答えを知らないのか、知っているが答えられないのか。

スミトがあきらめたように溜息を吐いた。

「朧、玉響、出てき」


スミトの背後に狐目の男と、ピンクの髪をした女が現れる。

男の黄色の瞳がモアを見つめて瞳孔が縦に細くなった。

いつ見てもあの獣の目は見えない何かを見ているようで、ある種の不気味さがある。

ピンクの髪の女は腕を振って金棒を出すと、地面をドンと叩いた。

軽くおろしただけに見えたが、地面が抉れて金棒が突き刺さる。

「人間は森に入ったらあかんねやろ。せやったらこいつらに行かせるまでや。朧、玉響、シモン君と小鞠ちゃとを見つけて助けだし。おまえら単体やと精霊には敵わんでも悪霊を召喚しまくったら勝機はあるわ。精霊っちゅうんは魔物の毒気で弱って消えるんやろ?悪霊かて似たようなもんや」


モアが顔色を変えた。

グンネルがモアを守るように前に踏み出て声を張り上げた。

「モアを傷つけるならわたしが許さないよ!」

「は?いったい誰に仕えとんねん。人間と精霊の仲立ちのまえに、王宮魔法使い名乗っとんのやろが」

スミトに眼力鋭く凄まれて、言葉に詰まったグンネルの瞳に迷いが走った。

けれど彼女はとうとうモアの前から退かなかった。

宙に浮いていたモアが、グンネルの正面に回り込み、感謝するように彼女の額に自分の額を近づける。

「え?そうなのかい?……スミト、モアがオボロとタマユラが森に入るのは自由だって言ってる。わたしたち人間を森に入れないようにと言われただけで、他は聞いていないってさ」

「なんや、モアのほうが話わかるやないか」


「ただし、手出しは無用だって――モア、シモン様とコマリ様のお二人は、森で危険な目にあったりしてるのかい?」

モアが微笑みながら首を振る。

おそらくは大丈夫ということだろうと、テディは判断する。

モアは宙を駆ってオボロとタマユラに近づくと、腕を振って彼らを呼んだ。

スミトは背後の精霊を振り仰ぐ。

「行き。シモン君と小鞠ちゃんのこと頼むで」

モアを先導に人ならざる者たちは、空を飛んで森の奥へと消えていってしまう。


「スミトの勝ち」

ぼそ、とパウリが呟くのを聞いてテディが顔を向けると、彼は気配にこちらを向いた。

そして親指を振って少し離れた場所へテディを呼んだ。

気づいたオロフが気になったようにくっついてくる。

「スミトの悪霊を呼ぶっての、あれたぶんはったりだ。あいつって目的のためなら相手が誰であれ容赦がないタイプだろ。もしモアを傷つける気だったなら、あいつの精霊を呼び出したところで間髪おかずに攻撃させてるし、悪霊だって召喚してる。たぶんスミトは、モアから王子とお姫さんの情報を聞き出したかったんだ。何のために森に閉じ込められているのかはわからず仕舞いだが、ともかくスミトのおかげで、二人が無事であることは確認できたわけだし、ここは良しとしとこうぜ」


パウリは何やら話をしているスミトとゲイリーを見やり、さすが、というように首を振って話を続けた。

「二人を探しにいけないなら情報だけでもって、即座に頭を切り替えて、正攻法がダメなら脅しにかえる。それも駄目だったならスミトのやつ、精霊使ってまじで力技に出てただろ。ゲイリーはゲイリーで、自然体に見せてまったく隙がなかったぞ。リクハルドとトーケルが、グンネルに加勢しようと動いた時に備えて警戒してた。あいつら事前に打ち合わせなんてできなかったはずだし、阿吽の呼吸ってぇか……ホント何者だよ」

パウリにここまで言わせるのか。


テディもスミトとゲイリーの力量は認めているが、まさか裏の仕事をしていたパウリですら一目置くほどとは思っていなかった。

パウリの言葉にオロフも、ああと感心した様子で頷く。

「いつ見ても素晴らしい連携だな。ところでパウリ、おまえはスミトたちのことを誤解しているぞ。彼らは仲間を傷つけるようなことはしない――なぁテディ」

同意を求められたテディは額に手をやった。

フェルトの森の精霊たちの意味不明な所業や、己の不甲斐なさに苛立ちを感じているせいか、隠せないくらい不機嫌な声が出た。


「おまえたち、この非常時によくもそう暢気でいられるな。わたしは強引にでも森に入りたいぐらいだというのに」

「冷静だと思ったのに、やっぱり周りが見えないくらい焦ってるのか。普段のおまえならもっと状況をよく見て動いてる。一人でそう気負うな、俺たちもいるだろう。今はモアたちに任せて待つしかない」

その「待つ」が、時がたたなくて焦れるのだとわかってほしい。

苛立つテディとは対照的に、パウリが近くの石に腰を下ろして伸びをした。

「長丁場になるんだったら、なんか食い物を調達してくるか?あ、でも金持ってないわ。気ぃ抜けたら腹減ったってのに」

足を投げ出してだれるパウリをオロフが笑って見下ろした。


「お二人がすぐに森から出ていらっしゃるのを期待しろ」

「そういうこと言われると、逆にここで夜明かし決定になりそうだな。あ~、腹が減ったって思ったら余計に減る。プールであんなに泳ぐんじゃなかったな」

オロフもパウリも、ここに来るまではもっと、研ぎ澄まされた刃物のごとく鋭さがあった 。

なのにいまはずいぶんと雰囲気が柔らかい。

シモンとコマリに差し迫った危険はないと知り、安堵したからだろう。

そんなことを思いながら、軽口を言い合うオロフとパウリを見るうち、やがてテディは苦笑を浮かべる。

この中で誰よりもシモンとの付き合いが長いとの自負から、自分がなんとかせねばと思い上がっていたのか。

同じように二人の身を案じ、力を尽くす仲間がいるのに。


オロフに「すまん」と謝ると、彼は瞬きのあと笑顔になった。

「なにがだ?」

「あー、やっとテディがいつもの調子に戻ったところで――金ないか?食い物を買ってくる」

伸ばされたパウリの手をテディは無視した。

「町や村に行くくらいなら保養地に戻る方が早い。が、戻ったらおまえは向こう十日、飯抜きにしてやるからそう思え」

「十日は飢え死にするだろ……はいはい、おとなしく待ってますよ」

口答えするなとばかりに睨んでみせると、パウリは横を向いて顔を顰める。

オロフが肩を竦めてテディを見つめ、サーベルベルトから剣を外して地べたに腰を下ろした。


「おまえも突っ立っていないで座ったらどうだ?」

促されてテディが膝を折ると、パウリも石から降りてきた。

車座になって誰ともなくフェルトの森へ視線を向ける。

長い夜になりそうだった。 





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