妖精の翅
「モア?」
びっくりしてモノクルを目に当てるのも忘れた小鞠は、精霊がふわりと地に降り立ったことで気づいた。
「シモン!見えるようになってる」
「すべては精霊の見せる夢だ」
「夢?そういえばアリスって、不思議な出来事は全部夢だったんだっけ」
そうか、このゲームの最後もお話を真似て、夢だったってことにするのか。
「じゃあみんな夢から覚める時間なのね」
小鞠が再びモアへ眼差しを向ける。
まるでそれが合図だったようにモアは掌をくるんと振った。
するとシルクハットが逆さを向いて、光が尾を引く流星のごとく吹き出した。
庭園の上空をブーメランのように飛んで、白から赤や青と色を変えて光の滴を落としていく。
滴は庭園の人々に触れると淡く発光した。
それに合わせて、宙に浮いていた十四個のあかり玉の明度が下がった。
光は庭園を周遊しながら徐々に天へ昇っていき、最後は弾けて消えてしまった。
「見て、シモン。体がキラキラ光ってる。きれいね」
自身の腕を見ていた小鞠がシモンを見上げれば、薄暗がりのなかで光を纏う彼の背中に、向こうが透けて見える翅が見えた。
翅は体を光らせるわずかな光にも反射して、いろんな色に輝く。
「翅!?すごーい、妖精の翅みたい」
「コマリの背中にもある。というより、庭園にいる皆に翅が生えたな。飛ぶことはできないようだが」
「わたしにも?あ、ほんとだ。でも触った感触ってないね」
「幻だろう。それより何か聴こえないか?音楽だ」
シ、と人差し指を立てるシモンに小鞠も耳を澄ました。
いつの間にかモアは消えていたが、シルクハットが逆さを向いて宙に残っていた。
音楽はそこから聴こえてきているようだ。
背中に翅が生えたことで騒めいた庭園も、耳に届く明るい調べに少しずつ静かになった。
皆が宙を見上げる中、シルクハットからの音楽はどんどん大きくなって、いきなり音符が飛び出た。
いや、音符の模様をした翅をもつ小さな人型の妖精だった。
20cmほどの大きさで、横笛を楽しそうに吹きながら宙を跳ねる。
シルクハットから次々と妖精が現れて、彼らは弦楽器や管楽器を奏でて楽しげに踊った。
軽快で陽気なメロディに、地上では一人、また一人と音符の妖精を真似てステップを踏み始め、泉の側にいた楽師たちが音楽に合わせて楽器を奏でだす。
庭園中でいくつものダンスの輪ができあがった。
笑い声をあげながら踊る皆を見るうち、小鞠もうずうずとして隣にいるシモンの手を取った。
「わたしたちも踊ろ」
「いや、妖精の輪に足を踏み入れると死ぬまで踊り続けることに――」
「大丈夫だってば。今はわたしたちも妖精だし、これは精霊のモアが見せる夢なんでしょ?」
しかし、と言いかけるシモンの腕を引っ張って、小鞠は仲間のもとへ戻ると、体を揺らして音楽に乗っていた澄人の横に並んだ。
「澄人さん、ステップわかるの?」
「こういうのはノリやでノリ。適当でええねん。小鞠ちゃん、スカート踏まんようにだけ気をつけや」
「うん、手で持ち上げておきます。ほら、シモン、オロフを呼んで、で、ゲイリーさん。テディ、ゲイリーさんの隣に……もう、えーって顔しないの。パウリもこっそり逃げようとしない。あ、澄人さん。ジゼルたちが来たわ。それにエーヴァと魔法使いのみんなも。輪を広げないと」
オロフとテディ、パウリがぶつかりそうなテーブルや椅子をよけてくれた。
輪の間隔が広がって、小鞠の元にジゼルが駆けてくる。
「ゲームクリアおめでとう!」
むぎゅ、と抱き着いたあと、パウリに視線を移した。
「パウリ、ゲームを楽しんだ?」
「疲れた――いや、そこそこ……心から楽しみました」
ドリスに睨まれて、パウリは彼女と目を合わせないようそっぽを向きながら言い直す。
「そ、よかった。あなたの歓迎会も兼ねてたの。楽しいって言ってもらえてこっちも嬉しいわ」
「歓迎?俺を?」
「質問ならシモンに。今日のパーティの言いだしっぺは彼だもの」
パウリの顔がシモンへ向く。
「あー……王子」
米神を掻きつつ言葉を途切れさせ、何か言おうとして結局は首を振った。
「おまえから感謝されようとは思っていない。背中を向けろ」
シモンはパウリに近づくと、強引に体を反転させた。
「むしろおまえを挑戦者にしたことを激しく後悔した。コマリとあのように密着するなどどれほど腹立たしかったか。コマリとともにゲームを解くのをわたしとすればよかった。だからこれは嫌がらせだ」
シモンがパウリの尾骶骨を思い切り叩いた。
よろけるパウリの尻に皆の視線が集中する。
白い毛が生えてきて丸っとした大きな毛玉になったからだ。
「イテテ、ん、なんだみんなして?」
おそらくシモンの手には魔法がかけられていたのだろう。
真っ白なウサギの尻尾はなぜかピコピコと揺れていて、それを見た小鞠はプーと吹き出した。
「その尻尾、すんごい可愛い」
「は?尻尾?」
振り返るパウリはしかしよく見えなかったようで、手で尻を撫でて「あぁ!!」と声を上げた。
「王子っ、ちょっと待て。これって罰ゲームじゃないのか!?ゲームには勝ったろ」
「その姿で庭園を回ってくるのだ。でないとわたしの気がおさまらん」
ふん、と鼻息も荒く腕を組んだシモンの目が本気だ。
文句を言うほどに怒らせると感じたらしいパウリが黙る。
その肩を澄人が慰めるように叩いた。
「ボクつきあったるわ。ダンスの輪、順に回ろか」
「え、スミトと踊りたかったのに。じゃわたしも一緒にいくわ」
「あんたたちがついて来たら余計に目立つ……や、もういいわ、どうでも。行くか」
疲れ切った様子で歩いていくパウリに、澄人とジゼルがくっついていく。
ウサギの耳を生やすパウリの尻の上ではいまだ尻尾はピコピコと揺れたままで、背中にある美しい妖精の翅とのギャップがものすごい。
パウリが一つ目の輪に加わったら、その滑稽な姿はやっぱり参加者の笑いを誘っていた。
それを見てシモンはやっと組んだ腕を解く。
小鞠は「もう、ちょっとこっち来て」とシモンの手を引っ張って移動した。
「どこへ行くのだ」
「みんなの踊りを邪魔しないとこ」
そして人のないテーブルの陰に立つ。
「パウリがウサ耳を嫌がっていたの、知ってるでしょ。なのに尻尾まで……みんなに早く馴染めるようにっていうのもわかるけど、あんまり苛めたら可哀想よ」
「コマリが無防備すぎるのがいけないのだ」
取り合わないシモンに、なぜか自分のせいのようなことを言われてしまった。
「わたし、シモンを怒らせるようなことをしちゃったの?」
見上げる青い瞳をのぞき込むと、シモンは少し身を引いて黙りこんだ。
が、それでも見つめ続けると彼は根負けしたように苦笑を浮かべる。
「なにも――」
頬に手が触れ親指が肌を撫でた。
シモンの顔が近づいて反対の頬へ口づけられる。
「なにもしていない。だからそんなに見つめてくれるな。それともこれ以上わたしをコマリに夢中にさせたいか?翅のせいでよけいに精霊じみて、本物の夏の精となってしまったようだ。消えてしまわぬよう、手を繋いでおこう」
甘い笑みを向けられて、小鞠はつい見惚れてしまう。
差しのべられた手を、はにかみながらもつかむと優しく握り返された。
妖精の音楽はまだ続いている。
庭園に集まる人たちは、思い思いにステップを踏みながら笑顔で踊っていた。
「あれ?嫌がってたはずのテディが踊ってる。あ、ゲイリーさんも逃げてない。珍しい」
「あれはトーケルとグンネルに捕まったな。ああそうだ。モア、もうグンネルのところへ帰ってくれていいぞ。ゲームへの魔法協力と音楽の妖精を呼んでくれて礼を言う。おかげでこんなにも盛り上がっている」
シモンの声に反応して、霞が色を成すようにモアが二人の前に現れた。
緑の髪と同じ色をした瞳が、「ありがとう」と礼を述べたシモンを見つめ、にっこりと笑う。
モアの顔が小鞠に向いた。
彼女は軽い足取りで何度か跳び跳ねると、腕を振ってダンスの輪に行こうと誘った。
「うん、わたしとシモンも踊る。でもその前に、モアが協力してくれたっていま知ったの。わたしからもありがとう。今日、すっごく楽しい。だけどモアはグンネルを守ってるんだし、そのうえたくさん魔法を使ったら疲れてしまうんじゃないの?」
モアは優しい顔のまま首を振った。
「でも昨日グンネルが、モアはカーパ侯爵のところから戻って、ずっと眠ってるって言ってた。魔物の毒気は精霊を弱らせてしまうって聞いたわ。本当に無理をしていない?」
まだ魔物に耐性のある妖精とは違い、精霊は毒気を浴び続けると弱って消えてしまうのだそうだ。
希薄な存在だと思っていたが、死ぬと死体も残らないらしい。
もしかして以前見た時より、受ける印象は儚くなっていないだろうか。
じっとモアを見ていると、彼女は両手を輪にし、そして空の薄桃色の欠けた月を指さして、頭の横で手を枕に眠る仕草をした。
それからガッツポーズをして元気であるとジェスチャーをしてみせる。
「ああ、太陽と月の力を浴びて元気を取り戻したのか」
シモンが確認するとモアは「そう」とばかりに指を振って何度も頷いた。
こんなに長くモアと接したことはなく、いつも微笑んでいるイメージだったが、どうやらグンネルに似て明るい性格のようだ。
「元気になったならよかった」
ほっとして呟きを漏らすと、モアはふわんと宙に浮いて小鞠に近づいた。
両手を口の前に持っていくとフウと小鞠に息を吹きかける。
その瞬間、薫風に包まれたような心地がして、彼女はうっとりと目を閉じた。
(もし樹木に抱きしめられたらこんな感じかな?)
爽やかで快い風は体中を駆け抜け、隅々までいきわたる。
小鞠は体の奥から活力が湧き出てくるのを感じた。
瞼を開けると間近にいたモアが笑みを残し空気に溶けて消えてしまった。
いつもの優しいけれど整った微笑みとは違い、親しみのこもったあたたかな笑顔だった。
なんだかモアと近づけた気がする。
小鞠は嬉しくなって笑っていた。
体が軽い。
心なしか体に纏った光も強さを増したように見える。
「またモアに元気にしてもらっちゃった。ん?シモン、どうしたの?」
シモンが目を真ん丸にしたため、小鞠のほうが驚いた。
「もしかすると、いまのは精霊の息吹か?」
「え?なに?精霊の息吹っていうのはなにか問題があるの?」
「ああいや、問題はない。わたしも書物で読んだことがあるくらいだから、今のが精霊の息吹かどうかもはっきりとはしない。だがコマリが元気にしてもらったと感じるくらいなのだから、おそらくはそうなのだろうな」
コマリがよくわからないという顔をすると、シモンは話を続けた。
「精霊や妖精は人間よりはるかに魔法に長けているが故、人間と関わることはほとんどない。モアはグンネルを守護するくらいだから、人が好きなのだろうが、それでも守護するグンネル以外の人間に、癒しの魔法をかけるなんてふつうはあり得ない。グンネルが頼んでいてくれたのかもしれないが――いや、今のは自発的にという感じだったな」
「わたしがまだ調子が悪そうに見えたのかしら?精霊だから本人も気づかない人間の疲労がわかっちゃうとか?あ、ほら朧もそういうことできるっぽいじゃない」
小鞠がシモンに「今日も昨日みたく顔色が悪かった?」と尋ねると、彼は首を振った。
「コマリ、わたしが言いたいのは、精霊や妖精はわたしたち人間と同じ世界に暮らしてはいるが、友達ではないということだ。これはわたしの考えだが、おそらくは彼らは人間に利用されたくないのだろう」
「利用?」
「精霊や妖精は人間が使えない魔法や、人間が使うより強力な魔法を使うことができる。例えばモアがコマリを癒したような治癒の魔法は人間には使えない。それに先ほどのゲームでモアは気配も感じさせぬほど完全に、わたしの存在を消してしまえただろう?人の使う魔法では気配まで絶つことは無理だから、目晦ましと人避けいうように二重、三重に魔法をかけるのだ」
シモンの説明に小鞠は、精霊や妖精は人間がお手本にすべきマジックマイスターのようなものか、などと胸中で思いつつ頷いた。
「わたしたち人間はグンネルのような精霊憑きを利用してきた過去がある。だから現在では、精霊憑きである者が激減してしまった。同時に妖精もあまり人の前に姿を見せなくなった。大昔は日常的に精霊や妖精がわたしたち人間の目に触れていたらしい。いまこのように、妖精が人の前に姿を現すのは本当に珍しくなってしまった」
音楽を紡ぐ妖精たちをシモンが見上げたのにつられて、小鞠も顔を上げた。
「人間は精霊や妖精に嫌われてしまったの?でもシモンの金山ではたくさんの妖精が会いに来てくれたわ――あ、でも姿は見せてくれなかったっけ」
しゅんとした小鞠の頭をシモンが撫でる。
「きっと好きや嫌いを感じないように、彼らは人間と距離を取ったのだ。そうやって何年も何十年も過ぎ、同じ世界に暮らしながらも相容れぬ存在となったのだろう。だがコマリのおかげでわたしは知れた。精霊も妖精も純粋で優しいとな。コマリにとって精霊や妖精は物語の中の存在だったのだろう?だから彼らのことを知らない。故に先入観もないのだろう」
「少しは知ってるわ。妖精の粉をふりかけてもらったら人も空を飛べるようになるし、精霊は水、火、風、地の四精霊が有名でしょ。彼らの力をかりて人が炎や水を操れるようになるの」
小鞠が胸を張ってこう言うとシモンは可笑しそうに笑った。
「そうか、人と精霊や妖精は仲が良い話ばかりなのだな。だからコマリは彼らに友好的なのか。納得した」
「仲良しの話ばかりじゃないけど……え?何か違うの?」
「グンネルはモアに守護されているが、モアの力をかりて自然を操ったりしないぞ。そんなこと願えばモアが離れてしまう。それに妖精が空を飛ぶ粉をもっているなんて聞いたこともない」
日本で培ったファンタジー知識が玉砕しました。
「お話する動物とか動く植物とかいないの?」
「めったに人の前に現れなくなってしまったからわたしも会ったことはない」
「いるの!?」
どうやらものすごく期待した顔をしてしまったようだ。
シモンがまた可笑しそうに笑って、少し身をかがめると小鞠の顔を覗き込んだ。
「コマリなら会えるやもしれないな。だがあまり夢中にならないでくれ。わたしを忘れてしまわぬように」
コツと額が合わさって甘く乞われる。
小鞠が恥ずかしくなって逃げようとすると、腰を引き寄せらた。
背中で手を組み合わせたのか、腕に囲われた。
「ゲームのせいでコマリを独占できなかったのだ。少しはわたしと過ごしてくれないと拗ねるぞ」
本気でない目で軽く睨まれてしまった。
そんなシモンが可愛く思えて、小鞠は彼の頬を両手で挟むと、青い目をのぞき込む。
「グンネルがゲームのあとに素敵なことが起こるって言ってた。この不思議で綺麗な演出と妖精の楽しい音楽のことかと思ってたけど、もしかしてシモンがご褒美になるってことだったの?」
「そうコマリが望むなら」
「じゃあまずはダンスからね?」
「わかった。それから?」
「ご飯を食べながらみんなとおしゃべり」
「ああ、それで?」
「泉から流れる水路に魔法の魚が泳いでるんだって」
「じゃあ一緒に見よう。そのあとは?」
「アーチの光る飾りを取りに行くの」
「青以外で欲しい色を決めておかないとな。で?」
「で……って、シモンは?やりたいこととか――」
「そんなもの決まっている。わたしはコマリへの褒美となったのだから、ここは主に奉仕するところだろう?」
耳に届く声は蕩けるようで腰にきた。
そのままキスされそうになって、小鞠は一瞬遅れて我に返ると、シモンの口を手で押さえた。
そのままぐいーと顔を押しのける。
「きょ、今日はそういうのなしっ!」
やばかった。
また雰囲気に流されそうになってた。
「そういうの?……とはどういうものだ?ただわたしはコマリが喜んでくれるようにと思ってだな」
嘘だ。
目が面白がっているもん。
唇を尖らせシモンを見据えると、彼は微笑みを苦笑へ変えた。
「そうか、コマリは湖畔での避暑は嫌であったか。ならば仕方がない。明日、出かけるのはやめておこう」
「湖へ避暑!?シモンと?」
「そのつもりであったがコマリが嫌なのなら――」
「行くっ。絶対行く」
「明日までしか公務を休めないため近場となるが、長閑で自然豊かなところだ」
シモンから逃げたはずが、小鞠は嬉しそうに彼に抱きついた。
「久しぶりのデートね、シモン」
小鞠を抱き上げていたシモンがつられた様子で笑顔を深めた。
「喜んでくれたか?」
「うん」
「そこはキスで答えてくれ」
「え?」
「拗ねるぞ」
シモンの台詞に小鞠はこらえきれずアハハと笑った。
芝生におろされ、彼女はシモンの首に腕を回す。
ちゅ、と一度キスをすると彼の項を引き寄せた。
近くなった距離で二人は見つめ合う。
「今日はありがとう。シモンの言ってた笑顔になれる場所って、みんなが笑顔になれる場所だったのね」
「礼なら最初に聞いたぞ」
「言い足りないの。だってほんとに楽しいんだもん。明日も楽しみ。きっと今晩はウキウキしすぎて眠れないわ」
「ではわたしがコマリを眠らせる手伝いをしよう」
耳元にシモンが唇を寄せた。
「わが主への奉仕は伽まで含むのだから」
艶を含む声音にゾクゾクした。
そしてどこか楽しげな様子にピンとくる。
やっぱりさっきのあれも、エッチな意味を含んでたのね。
腰砕けになりそうなのをこらえて小鞠はシモンを引っぺがす。
「今日はなしって言ったでしょ」
しばらく肌を合わせていない。
きっと一度では済ませてくれないだろう。
後退る小鞠にシモンはわずかに首を傾げた。
「先ほどからやたらと「今日は」と強調するが、では「明日以降」ならば良いのだな」
「そんな意味じゃ――」
「いやいい、わかっている。これもツンデレなのだ」
ん、ツンデレ?
そういえば部屋でも言ってたけど。
「シモン、なんかやっぱりおかしな勘違いしていない?」
「していない」
にこにこと微笑むシモンが訝しむ小鞠の手を取った。
そのまま仲間の元へ引っ張られる。
「さぁコマリ、まずはダンスからだったな?」
振り返るシモンの笑顔に小鞠も遅れて笑い出した。
踊りの輪の中に飛び込んで、両手をつなぐと周りを手本に見よう見真似でステップを踏む。
失敗もご愛嬌だ。
シモンや仲間たちと飛び跳ねながら、小鞠は楽しげな声をあげた。
妖精の音楽は笑い声に呼応するように新たなメロディを生み出していく。
庭園のパーティは長い時間終わることはなかった。
* * *
カーテンを開け窓の外を見ていたサデは、螺旋状に天へ上る光を見つけて「あ」と声を上げた。
光玉は最後には花火のように弾けて消えてしまう。
「ヴィゴさん、見えました?パーティ会場の庭園のあるほうで魔法の花火があがりました」
振り返ると、ベッドに半身を起していたヴィゴが頷いた。
頬は痩け、体も以前より細くなっているが、血色は随分と良くなった。
眼鏡の奥で細められていたダークブルーの瞳がサデに移る。
「俺のことは気にしないでパーティに参加してきたらどうだ?せっかくのシモン様とコマリ様のお誘いだろう」
「いいんです」
「だがずっと俺につきっきりだ。息抜きをしてきたら――」
「わたしがヴィゴさんの傍にいたいんです」
ヴィゴの言葉を遮ってサデは少し強めに言った。
交わす視線に沈黙が流れた。
またヴィゴが口を開く。
「俺の看病をしてくれて感謝している。でもいい加減、コマリ様の元へ戻ったほうがいい」
サデにはそれが、ヴィゴの拒絶に思えた。
震えそうになる手を拳に握る。
目覚めてからのヴィゴの回復は順調だ。
筋力を鍛えるためのリハビリも始めた。
医師によれば予定より早く元の生活へ戻れるだろうと言われている。
しかしすべてが元通りというわけではない。
「俺の左目を気にしているのか?」
言いながらヴィゴは左目の目じりを撫でた。
指先が瞼からの傷痕をなぞる。
「大丈夫、視力が落ちたのは怪我のせいだと医師も言っていただろう?以前の眼鏡では合わないだけで、度をきつくすればいいだけの話だ」
「でも、もしかしたら左目は少しずつ悪くなっていくかもしれないって……」
「なら更に度をきつくする」
ヴィゴの台詞にサデは首を振った。
「視力が悪くなり始めたら悪い兆候だって医師様がおっしゃっていたじゃないですか。今のままで落ち着かなかったら、将来、ヴィゴさんの左目は光を失ってしまうと伺いました」
「もしそうなっても、右目は残るからそこまで困らない」
サデはさらに首を振る。
「わたし、片目を手で覆って確かめました。視野が狭くなって、物の距離も測りにくくなりました。わたしだったら片目が残るからって思えません」
「サデ、俺の左目が失明するとはまだ決まっていない」
ハッとしたようにサデは顔をあげた。
「す、すみません、わたし――」
ヴィゴが口の端を持ち上げて笑った。
思いがけない微笑に、サデは涙で潤んでいた目を見張る。
「左目が光を失うなら、それはそのときに考えればいい。楽観的だと言われようが、不安に毎日顔を曇らせるよりずっといいはずだ。だからサデも笑ってくれないか?俺が目覚めてからこっち、いつも不安そうだ。以前のように笑ってほしいのに」
「それは……ヴィゴさんも笑ってくれないから」
「俺のせいか」
「そうです」
「ずっと眠り続けていたせいか、気力、体力、魔力のすべてが空になってたんだ。笑い方を忘れていても大目にみてくれ。というかいま、笑っているつもりだが失敗してるのか?」
尋ねられてサデはいいえと、先ほどのように首を振った。
「じゃあどうしてサデも笑わない。俺が笑ったら笑うんだろう?」
今度はコクンと頷いた。
だけど笑うのとは逆に涙が溢れてくる。
ベッドの横にある三段棚の上にあるランプの炎がゆらゆらと揺れ、サデの頬を伝う涙が光に反射して落ちていった。
「いきなり泣かれると驚く。それも俺のせいか?」
「だってヴィゴさん、わたしのこと迷惑なのかもって……傍にいたいって言っちゃったから、ウザイって思ったのかなって。笑ってほしいって言ってくれて……嬉……――嬉しい」
我慢しようにも嗚咽が漏れてきて、サデはひ、ひ、としゃくりあげながら両手で涙をぬぐった。
「生きててくれて……目覚めてくれて……良かった……良かったあぁぁ」
胸を突く熱い思いが止まらなかった。
気持ちがバレるだとか、呆れられるだとか、そんなことも頭から消えていた。
子どものように泣きじゃくるサデは、ヴィゴがベッドから立ち上がろうとしたことで、やっと我に返った。
床に足をつき、グと気合を込めて立ち上がる彼は、しかしそのままよろめいてサデのほうに倒れてくる。
「ヴィゴさん」
抱きとめたはずが反応が遅かった。
かろうじて腕をつかんだが、かかる重みに耐えきれず、二人してもつれるように床に膝をつく。
「大丈夫ですか?」
「すまん、まだ筋力が全然だ。情けないな」
「そんなのいいです。それよりベッドに――」
「このままがいい」
サデの肩に手をかけたヴィゴが体を起こした。
たった今聞いた言葉にサデは声が出なかった。
食い入るようにヴィゴを見つめる。
「嬉しかったんだ――……俺も、嬉しくて――」
しかしヴィゴは言葉に詰まって顔をそむけた。
「サデ、俺に穴が空く」
「え?」
「そんなに見られていると言いづらい」
「でも顔を見て聞きたい。言ってください」
押し黙るヴィゴに「言って」とねだると、彼はしばらくあって観念したようだ。
「サデに傍にいたいと言われて嬉しかった。だけどそのことに気づかれたくなくて平静を装ったんだ」
「それって――?」
唇から零れた声は歓喜に震えていた。
視線を合わせてくれなかったヴィゴが、横を向いたまま目だけをサデに向け、躊躇いがちに彼女を引き寄せる。
サデも迷いながら同じようにヴィゴを抱いた。
「俺を呼ぶサデの声が聞こえた気がした」
ヴィゴの言葉の意味が分からなくて顔をのぞき込む。
「いろんな話をして俺を知りたいと……そして少しずつ仲良くなりたいと。そんな都合のいい声を聞いたような気がするんだ」
サデは閃くように思い出す。
彼が目覚めたときのことを。
ずっと眠り続けるヴィゴにこのまま目を覚まさないのではないかと不安だっだ。
気持ちが届くようにと祈りながら言葉をかけた。
ヴィゴはきまりが悪くなったのか少し早口に言う。
「ああいや、だから、眠っていた時に聞いた幻聴を真に受けて、嬉しくなってはいけないと思って――」
「幻聴じゃありません」
「え?」
「だから、ヴィゴさんが目覚める間際にわたし、言ったから」
するとヴィゴは息を詰めて、逸らし気味だった目を向けてくる。
瞳には驚きが浮かんでいて、サデは肯定するために微笑んだ。
「わたしの想いはちゃんと届いていたんですね」
ヴィゴが吐息とともに「ああ」と洩らした。
身を寄せてサデを抱きしめる。
「俺が戻ってこれたのはサデのおかげだ。傍にいてほしい、サデ――」
ヴィゴの唇が更に言葉を紡ぐ。
耳に聞こえた告白にサデの双眸から、止まったはずの涙がまた流れた。
嬉しすぎて言葉が出てこない。
泣き笑いの顔でサデはヴィゴにまわした手に力を込めた。