呪文
ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返した小鞠は、近くにあったテーブルに手をついた。
とたんに両サイドから声がかけられた。
「大丈夫ですか、コマリ様。オロフ、そこの椅子をコマリ様に」
「わかった。コマリ様、水をお持ちします」
椅子に座った小鞠の左右にテディとオロフが立った。
追いかけっこが始まって、澄人とゲイリーを追って走り出した小鞠は、すぐにテディとオロフの二人がついてきてると気づいた。
小鞠の護衛として側につくということで、二人はパウリにゲームに専念しろと言っていた。
「だ、大丈夫だから。あ、お水もらうね。ありがとう」
差し出されたグラスから一気に水を煽る小鞠は宙を見上げた。
澄人とゲイリーが重力を無視して軽やかに宙を舞っている。
地上ではパウリが二人を追っているが、寸でのところで逃げられていた。
(もぉ~~~なにあれ、余裕ぶっこいて!)
つかず離れずの距離で逃げ回る彼らに、小鞠とパウリは完全に遊ばれた。
特に小鞠は澄人に何度からかわれたかしれない。
手を伸ばせばギリギリ届く距離で、「鬼さんこちら」と手を叩かれるのだ。
飛びかかってもすべて躱される。
フェイントを交えることを思いついての再挑戦も、空振りばかりでかすりもしなかった。
周りのパーティ参加者も協力して捕まえようとしてくれるのだが、並の者では二人に歯が立たない。
彼らは蝶のようにひらりひらりと逃げ回った。
ただ走るだけではない追いかけっこは、運動量が半端ない。
小鞠は始まって五分足らずですでに脱落しかけていた。
彼女と対照的に息も切らしていなかったパウリに先に行ってと伝えたけれど、このまま彼一人に任せておけるわけもない。
もう少し休んだらまた追いかけっこに参加しよう。
庭園は魔法で気温を管理しているのかそこまで暑くなかった。
しかし走り回った小鞠には汗がにじむ。
呼吸を整えながら自身を手で扇いだ。
そこへ、後ろから風が吹いてきたため、小鞠は背後を振り返る。
「どうかなさいましたか、コマリ様」
「なにか不穏な気配でも?」
オロフの視線が鋭くなったことに気づいて、小鞠はううんと首を振った。
「違う違う。後ろから風が吹いてきたから変だな~って。誰か扇いでくれたのかなって思ったけど……誰もいないよね」
どれだけ目を凝らしても誰もいないのに、風だけはいまだ小鞠に送られてくる。
「暑がっている者に優先的に風が送られるよう、庭園全体に魔法がかかっているのでは?」
「そうなのかな?ま、涼しいからいっか」
くり、と再び前を向いて小鞠は腕を組んだ。
目は宙を跳び回る澄人とゲイリーを追いかける。
二人の体力は多分アスリート並だ。
タイムオーバーまでああして跳ね続けられるだろう。
「チョウチョなら虫取り網で捕まえられるのに。残り時間、あと何分なんだろ?」
焦る気持ちからつい言葉が漏れた。
するとテディが懐中時計を取り出し、
「残り十一分ですね」
答えてから、パクと蓋を閉じてポケットにしまう。
「え、ちょ……テディ、時計持ってたの?」
「はい」
「じゃあなんで今まで黙ってたの?」
「時間を尋ねられなかったものですから」
にこと微笑むテディがどこか生き生きして見える。
確かに質問しなきゃほしい答えはもらえないルールだったけれど!
まったくシモンといい……。
「みんなでわたしとパウリを応援してくれてると思ってたわ」
「もちろん心から応援しておりますよ。ですからヒントも差し上げたのです。わたしからだけでなく、たくさん集まったでしょう?」
「でもヒントの中に、あの二人を捕まえるヒントはないじゃない」
「まだヒントを聞いていない者がいるからではないですか?」
「え?全員に聞いたでしょ?」
「そうでしょうか?ヒントを集めるにはいろいろと条件が要りました。ですから二人を捕まえるヒントを聞くのも、なにか条件がいるとはお思いになりませんか?」
「え、また条件がいるの?さっきはわたしとパウリの二人が揃っていないとダメってことだったけど」
小鞠は思わずパウリを探してしまう。
「今度の条件はまず暗号を解くこと。そして残り時間が十分を切ることです。そろそろ十分を切ったころでしょうね――ではコマリ様、誰からヒントをもらっていないか。まずはそこから考えてみてはいかがでしょう」
テディに言われて小鞠は記憶を辿っていく。
最初にヒントをくれたのがトーケルとグンネル。
そしてパウリと別れたあと、シモンとオロフ、参加者からも聞いた――が、全員ではない。
(まさか残りの参加者の中に?でも不特定多数過ぎるよね)
おそらく暗号を持っていた十四人のなかにまだヒントを聞いていない者がいる。
ジゼル、ドリス、スサン、マーヤと頭の中で考えていた小鞠は、チクチクとあからさまな視線を感じて顔を上げた。
同時にオロフが顔を背ける。
「オロフ?」
質問方式にしないと嘘をつかれることもあるとか、挑戦者と仕掛け人のこととか。
シモンにゲームクリアのためのヒントをもらったときオロフもヒントを言ってたよね?
「ん?言ってなかったっけ?あ、そうだ、暗号を持ってる人を何人か知ってるって言ってた。あ、でもあれって事実を言っただけになるのかな……。えぇ?」
待って、オロフって自分がトランプのマークを持ってることも知らなかったんだし、じゃあヒントを知ってるわけがないのかな?
あれれ、よくわからなくなってきた。
オロフの表情を窺おうにも、頑なに顔を背けていて見ることができない。
その様子が逆に怪しすぎて、小鞠はえーっと、と彼に声をかけた。
「ねぇオロフ。もしかしてヒントを持ってないかな~なんて?」
「あ、曖昧な質問にはお答えできません」
ぶ、と小鞠は吹き出してしまった。
これで隠してるつもりのようだ。
「オロフは仕事以外じゃ嘘は下手だっけね。――ねぇテディ、もしかしてオロフ自身が自分も暗号を持つ一人って知ってから、ヒントを覚えるよう言ったの?」
反対側に立つテディへ視線を向けると、彼は苦笑ともつかない顔で「はい」と頷いた。
「それが賢明かもね。ほんとわかりやすい。じゃあオロフ、ちゃんと質問するね。わたしに三月ウサギと帽子屋を捕まえるヒントを教えてもらえる?」
「逃げる二人を捕まえるには懐中時計が必要です」
「懐中時計ってテディが持ってるけど――あ!シモンがパウリに渡したあれか。あの懐中時計はゲームに必須らしいってパウリも言ってたし、ここで使えってことだったんだ」
思い至った小鞠は椅子から勢いよく立ち上がった。
だいぶ離れた場所で、人を跳び越える澄人とゲイリーを確認する。
ではあのあたりにパウリもいるはず。
このままでは逃げる二人は庭園奥にある花園に入ってしまいそうだ。
植物の陰に隠れられてしまうとやっかいだ。
「テディ、今から一分刻みで時間を教えて。オロフ、パウリのところへ行ってわたしと合流するように伝えてもらえる?とりあえず今は澄人さんとゲイリーさんのことは無視していいからって。合流地点は中央の泉よ」
「かしこまりました」
「了解しました」
小鞠がドレスを持ち上げる間にオロフは走り出し、あっという間に人の中に消えてしまった。
「コマリ様、残り時間八分をすでに切っております」
「オッケ。わたしたちも行くよ」
「お待ちください。コマリ様がパウリを呼び戻したことで、捕まえる方法を知られたとスミトとゲイリーは思うはずです。きっとコマリ様とパウリが合流しないよう妨害してくるでしょう。わたしが先に参ります。後ろをついてきてください」
「わかった」
「皆、道を開けてくれ!これより泉までコマリ様をご案内する」
テディが声を張った直後、参加者が左右に分かれ泉までの道が開かれた。
行きましょう、と振り返るテディに頷き、芝を踏んで駆け出した。
ここからは時間との勝負だ。
チュールを抱えるように持ち上げ、足が見えることも構わず走る小鞠は、ふとあることに思い至った。
テディは澄人とゲイリーがパウリと合流するのを妨害してくると言った。
このまま逃げて隠れてしまえば、こっちはタイムオーバーになるかもしれないのに。
(もしかして懐中時計があれば、どれだけ遠くに二人が逃げていても捕まえられるってこと?)
パウリがペッテルとケビから聞いたことによると、懐中時計には強力な魔法がかけられているということだが――。
「それって二人を捕まえる魔法かも……」
呟く小鞠の意識は外界から己の思考へと向いていく。
自分もパウリも魔法使いではないから、懐中時計にかけられた魔法を発動させることはできない。
(ヒント……なにかヒントもらってないかな?懐中時計に関するヒント――)
考え込む小鞠はもどかしげに拳を唇に当てた。
片手で持ち上げることになったドレスのスカートが、手から取りこぼれる。
裾が足に纏わりつく。
「っ!」
あ、と小鞠が思った時にはつんのめっていた。
そのまま芝生にスライディングするはずが、肩を引き寄せられ転ぶのを免れる。
「ありがと、う?」
顔を上げた小鞠は側に誰もいなかったため、きょろきょろと周りを見回した。
(いま、絶対人がいたよね?)
ここと思うあたりに手を伸ばしてみても何も触れない。
「あれ?だっていま人が」
「コマリ様?」
「テディ、いまわたし、助けられたの」
「は?」
「だからわたし、転びそうになってね。助けてくれた人が……」
自分を助けた腕の感覚に覚えがあって、小鞠は何もない空間に再び目を向けた。
「シモン?ねえ、シモンだよね。いるんでしょ?」
澄人はシモンを隠したと言った。
でもそれはどこかに閉じ込めたということじゃなかったのだ。
フワ、と背後から風が吹いた。
先ほど椅子に座る自分のもとに流れてきていたものと同じ、肌を冷やす涼やかな風だった。
(やっぱりシモンだ)
見えないだけで側にいる。
そう思うと、いつの間にか焦っていた心が落ち着いた。
「二人を捕まえてシモンを取り戻すからね」
風が吹く先に宣言して、小鞠は両手でスカートを持ち上げ再び走り出した。
テディとともに泉に駆け込む。
ほぼ同じにパウリとオロフが向かい側に現れた。
「パウリ、オロフ、こっち!」
軽く小鞠が手を挙げると気づいた二人が駆けてくる。
「オロフにヒントを聞いた。俺がお姫さんと合流するって知ってから、スミトとゲイリーが懐中時計を狙ってる。周りの奴らがあいつらの邪魔してくれてるけど、あまり足止めできていないぞ。ここじゃ目立つから人に紛れて――くそ、もうきた!」
「向こうは人垣だってひとっ跳びだもの。逃げられないわ。懐中時計を出して、パウリ」
ポケットからパウリが懐中時計を取り出す。
「これでどうやって二人を捕まえるのか、お姫さんはわかったのか?」
「懐中時計にかけられた魔法を発動させればいいと思うけど、どうしたらいいかわからないの。ヒントを集めてた時、誰か懐中時計のことを話してた人っていなかった?」
「そういやケビがこれは王宮騎士の証だって言ってたな」
「騎士の証?へぇそうなんだ――て、違う!魔法を発動させるための方法を話してた人はいなかったかって聞いてるの」
「魔法を発動させる?――お姫さん、上っ」
上空に目を向けたパウリが懐中時計を握る小鞠の手を両手で握りしめた。
勢いよく降ってきた澄人の手刀がパウリの手を叩く。
寸前、小鞠の手首にある魔法石が反応して、澄人の攻撃を阻んでいた。
驚きながら澄人を見つめた小鞠は、前髪の間から覗いたぎらつく眼差しに射竦められる。
ギク、と本能的に強張って動けなくなった小鞠に、澄人が手を伸ばした。
瞬間、背後に強く引っ張られ、よろめいたところを後ろから抱きしめられる。
しかし見下ろしても自分に回されたはずの腕は見えなかった。
気づけば目の前に人の壁ができていた。
パウリとオロフが腰の剣に手をやり、テディとゲイリーが、小鞠に向かって伸ばされた澄人の腕を押さえていた。
人壁の間から見えた澄人が、立ちふさがる四人を睨んでいる。
澄人が動く前に、ゴツといい音がしてゲイリーが言った。
「いいかげん、やめろ」
「あいたっ!なにすんねん、ゲイリー。演出やんかぁ~」
澄人の情けない声に、テディやオロフ、パウリから緊張がとけた。
「やりすぎだ。コマリを怯えさせてどうする。ちょっと小突いたぐらいで大げさに言うな」
「絶対悪意あったっちゅうねん」
ぶつくさ言いながら頭をさすっていた澄人は、テディ、オロフ、パウリを順に窺った後、最後にヒョイとコマリを覗き込んだ。
向けられた目は、眼光鋭かった先ほどと違って笑みを滲ませている。
「ごめんなぁ、小鞠ちゃん。パウリ君とオロフ君が相手やし、手ぇ抜いたら逃げられるやん。やからちょっと本気になってもうたわ。もうせぇへんし許してな」
さっき、懐中時計を握る小鞠の手は、パウリの両手に庇われた。
なのに防御魔法が働いたということは、澄人の攻撃はパウリの手もろとも、小鞠に怪我を負わせるほどの威力があったということだ。
スイッチが入ると人が変わったようになると、ゲイリーが澄人のことをそう言っていたけれど。
(きっと今のがそうなんだ)
目的のためなら相手が味方であっても容赦しない。
いま見ている澄人は彼の一部でしかないのかもしれない。
「え、と」
不意に小鞠を抱く見えない腕に力がこもった。
そうやって注意を引きながらも離れていく気配に振り返ると、今度は懐中時計を握る手を持ち上げられる。
小鞠の額に見えない額がコツンと触れた。
「……………」
他の誰にも聞こえない囁きは、やがて小鞠に笑顔を呼んだ。
額に口づけを落として彼は離れていくが、さっきまでのように近くにいてくれるとわかる。
怪訝な様子でこちらを窺う澄人に、小鞠はシモンの存在に気づいていないのかと思いながら再び口を開いた。
「澄人さんって普段ほんわかしてるのに、実は俊敏ってびっくりしちゃった」
言いながら数歩前に出てパウリの二の腕をつかんだ。
「お姫さん?」
「あのね、今日のことはみんなで一生懸命考えてくれたんだって」
「ん?」
「このパーティでゲームをしようって話になって、ちょうどパウリに騎士の証である懐中時計を渡すから、ゲームにアリスのお話を絡めたら面白いかもって。そう提案してくれたのは澄人さんとゲイリーさんなんだって」
「お姫さん?わかるように言ってほしいんだが」
「だから、あの二人は敵じゃないの」
パウリが考えるように何度か瞬いた。
表情が困惑から納得したものへ変化する。
「ああそれ、ゲームを盛り上げるために邪魔はするけど敵じゃないってのだろ?最初にスミトたちから聞いてる」
「え、知ってたの?も~、そういう大事なことちゃんと教えておいて」
「そんなに重要なこととも思えないけどな」
「だってシモンを消されちゃったじゃない。そのせいでわたし、小さな悪戯を仕掛けてこっちを油断させて、実は大悪党役だったのか、って二人のことそう思っちゃってたんだから」
「お姫さんも想像力豊かだな」
「わたしも?誰と一緒にされてるんだか――それよりパウリ、忘れてない?」
「懐中時計の魔法を発動させる方法ってのだろ?考えてるけどさっぱりわからない」
そこへ「コマリ様」とテディが割って入った。
「突発的な出来事が起こったためにお伝えするのを忘れておりました。残り四分ほどでございます」
げ、と漏らしたパウリが、すぐに変だなと眉を寄せた。
「あんなに懐中時計を奪おうとしてたのに、スミトもゲイリーも何もしかけてこない。逃げるわけでもないし」
「懐中時計を狙ってたのは、パウリを呼んだわたしが、二人を捕まえる方法がわかったって思ってたからじゃない?でもこの状況見てそれは違うって気づいただろうし、残り時間も少ないし、捕まえられるわけないって余裕なのかも」
「あ~、確かに余裕な面してんな」
一度二人を振り返ったパウリは再び小鞠へ視線を戻す。
「悪あがきでもう一度追いかけてみるか?」
問いかけに小鞠は首を振る。
「わたし、思ってたの。もしかしてこのゲームは、いろんなところにヒントは散りばめられてるんじゃないかって。庭園の入口で澄人さんとゲイリーさんはわたしとパウリにだけ挨拶したわ。あれはわたしたちがゲームへの挑戦者で、澄人さんとゲイリーさんが仕掛け人だって、暗に示してだったんだと思う。それにウサ耳とか帽子とか懐中時計とか、そういう特徴的なことでアリスのお話だって気づかせてもくれた。シモンが懐中時計をあなたに渡したとき、失くさないようにって言ってた。もちろん騎士の証だからっていうのもあるんだろうけど、もう一つ、ゲームクリアの重要なアイテムだよっていうことだったんだわ」
小鞠は懐中時計をパウリにも見えるように、胸の前で手のひらを開く。
「残り三分です」とテディの声が聞こえた。
「「ゲームが始まってからのヒントがすべてじゃない。始まる前に知ったこともゲームを解く鍵になる」だって」
「そんなヒントあったか?」
「見えない味方もいるの」
微笑む小鞠に、パウリはわかってないような顔を見せた。
さっきシモンは教えてくれた。
小鞠が楽しめるように、パウリが皆に馴染めるように、一番頭を悩ませていたのは仕掛け人の彼らだと。
たぶん澄人の二面性を目の当たりにしたことで、今後彼を怖がると思って伝えてくれたのだろう。
確かに獲物を狙う目で睨まれた時は動けなかった。
けれど、今までの澄人を知っている。
なによりもみんながどれだけ今日を、自分を楽しませようとしてくれていたかがわかって、さっきから喜びで、小鞠の胸がホコホコしっ放しだ。
「わたしね、大事なものをしまっておく小箱を持ってるんだけど、魔法がかかってて開けられないようになってるの」
小鞠がいきなり話題を変えたため、パウリは首を傾げつつ視線で続きを促した。
――懐中時計はコマリの宝箱と同じだ。
シモンが離れる間際にくれた最後のヒント。
「懐中時計も魔法がかかっていて蓋が開かないでしょ」
そこまで言って、小鞠はパウリを手招いて顔を寄せ合うと声を潜めた。
仕掛け人の二人に聞こえないようにするためだ。
「わたしの小箱を開けるには呪文が必要なのよ。これも同じ。ねぇパウリ、懐中時計をもらったとき聞いていない?魔法を解く呪文。覚えておけって言われてたでしょ」
「……あ」
「わかった?」
パウリが口の端を持ち上げる。
「今の状態じゃ自然に言ってしまいそうな言葉だな。もしかしてこっちが焦って口走るって思ってたんじゃないか。だとしたら、ほんとみんなしてお姫さんに甘い。クリアさせる気満々だな」
「わたしだけじゃなくパウリにも楽しんでもらうために考えられたゲームだからね。そこは間違えちゃダメ。……ちょっと、なんでそこできょとん顔なの?わたしとパウリが最初ばらけさせられたのって、パウリにパーティ参加者と話をさせたかったからよ」
「ああ、お姫さんの周りにいる人間を覚えさせるために――」
「違うってば。パウリに早くここに馴染んでほしかったの」
「コマリ様、残り時間二分を過ぎました」
テディの言葉に小鞠は視線で答えた。
反応もできないくらいに混乱しているらしいパウリを覗き込む。
彼の茶色の瞳に戸惑いの色が浮かんでいた。
「いままでのあなたの周りはどんなだったかわからないけれど、ここはたぶん全然違う場所よ」
言いながらパウリの胸をコツンと拳で突く。
「胸があったかくなる場所なの」
パウリが自身を見下ろし、少しあって、はは、と笑い出した。
「本当だ――確かに疼く」
どこか噛みしめるように言って片手で額をおさえ、そのまま顔を撫でてから面を上げる。
「じゃあお姫さん、ゲームを終わらせよう」
頷いた小鞠はパウリの手をつかんで懐中時計を握らせた。
ゲーム開始前、懐中時計を渡されたパウリにゲイリーは言ったのだ。
白ウサギは懐中時計を手に物語の冒頭から登場していると。
だからきっと彼が持っていなきゃいけない。
澄人とゲイリーが異変に気づいて地を蹴ったがもう遅い。
「「時間がない!」」
二人の声が重なった瞬間、懐中時計の蓋が開いて、長針と短針が鞭のようにしなりながら伸びあがった。
それは狙いたがわず、宙を駆って逃げる澄人とゲイリーに巻き付いて、二人を小鞠たちの前に引きずりおろした。
澄人は悪あがきに逃げようとしたせいか地面にしりもちをついたが、ゲイリーは片膝をついてきれいに着地する。
「はい、捕まえた」
小鞠はパウリの手を引っ張って、一緒に二人の肩にタッチすると笑顔になった。
「わたしたちの勝ちよ。さ、隠したシモンを返して」
二人を束縛していた時計の針が、シュルシュルと縮んでいった。
自由になった澄人が尻をさすりながら、もう一方の手でポケットを探るとモノクルを取り出した。
「参りました。ハートの王を探すにはこちらをお使いください」
「見つけたら、この帽子を被せるといい」
ゲイリーも頭に被っていたシルクハットを渡してくる。
二つのアイテムを手に小鞠はパウリを見上げた。
「モノクルを覗いて庭園中を探すのかしら?」
「元に戻った懐中時計の針が、さっきぐるぐる逆回転してたんだが、今は一方向を差している。こう時計を回転させても――」
「あ、針が動く。コンパスみたい」
「これってたぶん王子のいる方向を差してるんじゃないか?」
「かも。じゃあこっちの方向ね」
小鞠は左目を瞑って、指に挟んだモノクルを右目にあてた。
小鞠たちから数メートル離れた場所。
誰もいなかったはずの空間に、笑って立っているシモンをみつけた。
「いた!」
シルクハットを持つ左手でドレスの裾を持ち上げ、レンズを覗いたままシモンに駆け寄る。
帽子を被せる小鞠に応えて、シモンが身を屈めてくれた。
濃紺の礼服を身にまとったシモンの頭に、濃茶のシルクハットはおかしい。
だがすぐに、シモンの姿にダブるように別の姿が重なって、緑の髪をした女性が現れた。
シルクハットとともに宙に浮く。