絶賛同居中
カラコロとドアベルの音を響かせ小鞠が店内に足を踏み入れると「いらっしゃいませ」と声がした。
だがすぐに「おかえりなさいませ」と訂正した言葉が飛んでくる。
そして小鞠の後に彼が足を踏み入れたとたん。
「きゃぁ、シモン君。待ってたのよっ」
「追加注文するから早く来て」
ここは相田夫妻の経営する冠奈さん趣味丸出しのメルヘンな喫茶店です。
そしてここ最近、開店から閉店まで女性に埋め尽くされほぼ満席です。
理由は簡単。
シモンたち3人がマスターと冠奈さんのお店で働き始めたから。
「働かざる者食うべからず、とコマリは言っただろう。もっともだと思う。だから働きたい。わたしたちが世話をかけるせいでコマリの家計を圧迫しているだろう。それを少しでも軽くしたいのだ」
いやでもあなたたちが働くってどこで。
パスポートもないし素性を明かすのはなしだよ?
「マスターキクオに直談判した。最初は今の客足ではわたしたち3人のバイト代は払えないと言われたが、わたしはコマリが大学に行っている間は共についていくし、その間はオロフとテディの2人になる。それに慣れぬことで迷惑もかけるだろうから、3人で1人分でいいと頼み込んでみたのだ。コマリと約束した期限は一ヶ月だから、ともかく一ヶ月だけと言ったら最後は笑って了承してくれた。マスターキクオは良い人物だな」
えーと、今さりげなく大学までつきまとうと言いましたか?
それにマスターが笑ったのって呆れたからじゃないのかな。
そう思ったがすべて一ヶ月の我慢と小鞠は口には出さなかった。
ともかく、それからシモンは宣言どおり大学へ必ずついてくるようになって、従者二人はせめてどちらかでもつれていってください、とシモンに頼んでいたようだが、
「コマリは目立つのがいやだと言っているではないか。わたし1人で充分だ」
と、そこは譲らなかった。
おかげでテディとオロフに恨めしげな目を向けられたけど。
いーや、ここは心を鬼にして無視無視無視。
そして3人が働き出して10日余りが過ぎ、マスターと冠奈さんのお店はいまだかつてないくらい繁盛している。
もちろんお客様の目当てはシモンとテディとオロフの3人だ。
最初、コーヒー一杯で粘られてマスターが困っていたら、彼らは「わたしたちのためにたくさん注文してください」と1人1人ににっこりとお願いした。
あれは見事だった。
まるでホストのようだったものな。
次の問題は常連客が来辛くなったこと。
店内が女性で埋め尽くされいつ来ても満席では、特に男性の常連客の足が遠のく。
冠奈さん趣味のメルヘン喫茶にもめげずに来てくれていたくらい、マスターの淹れるコーヒーに惚れこんでくれていただけに、申し訳なさが募る。
だがそれはカウンター席の半分を常に常連客のために開けておくことで解決した。
それでも敬遠する人は敬遠したけれど、しばらくすればこの騒ぎも落ち着くだろうからきっと戻ってきてくれるよ、とマスターも冠奈さんも笑ってくれた。
本当に優しくて素敵な人たちだ。
またシモンたちが働き出してすぐに、女性客の中でもなにやら取り決めができたらしい。
1人一時間。
皆、平等に喫茶店で時間を過ごそうとなったようだ。
おかげでお客様の入れ替わりがスムーズに行われ、シモンたちの「たくさん注文してね」お願いも功を奏してか、マスターによれば今月の店の売り上げは、信じられないほど伸びているということだった。
「小鞠ちゃん、ぼんやりしてるとシモンさんを横から誰かに奪われたりするかもよ」
小鞠がお客の去ったカウンターを片付けていると冠奈が側ににじり寄ってきた。
冠奈は目で女性客につかまっているシモンを指す。
見れば仕事帰りらしい綺麗なお姉様方のテーブルで手を握られている。
はぁ?何やってるの。
ここは喫茶店であってホストクラブじゃないのに。
あ、テディとオロフも呼ばれた。
「あら、小鞠ちゃん眉間に皺――なんだかんだ言っても実は気になってたのね、シモンさんのこと」
「ここはホストクラブじゃないって後であの人たちにビシッと言っておきます」
「え?怒ってるのってそっち?やだもう、小鞠ちゃんってば。よく見なさい。あれは手相を見てるのよ。まぁ、ああやってシモンさんたちの手を握りたいんでしょうけどねぇ」
よくよく見てみれば確かにお姉さんの一人がシモンの手相を見ているようだ。
「生命線」や「金運」という言葉が聞こえてくる。
金運はそりゃあるだろう。
異世界の王子様だからね。
なんてったって金山持ってるらしいし。
ハ、と乾いた笑いを浮かべる小鞠に冠奈はなぜかがっかりしたように首を振っている。
カウンターの向こうで菊雄までもが笑ったため、彼女は問うような目を向けた。
「なんですか?マスターも冠奈さんも」
「シモンさんにもっと頑張らなきゃ駄目って教えなきゃいけないわね」
「小鞠、今週末は大学の文化祭でバイトは休むってことだったが、あの3人はどうなんだ?一緒に行くのか?」
「えぇ?3人は関係ないですよ」
「大学の文化祭なんて若いもんの祭みたいなもんだろう?彼らの国とはまた違った雰囲気だろうし案内してやったらどうだ?」
「やです。あの3人といたら目立つし――」
ミネ先輩とも話せない。
今週のゼミで先輩に会ったとき、すっかりシモンを彼氏だと誤解していた。
彼氏じゃないですと否定したけれど、シモンが側にくっつていたため誤解されたままだろう。
小鞠の返事に菊雄が渋い顔になって溜め息をついた。
「日本の文化を学びたくて留学してるのに――小鞠、おまえ彼らをどこか日本的な場所に連れて行ったりしたのか?」
「へ?」
「へ、じゃない。バイトをしなくては食べていけないほどの貧乏留学者なのだから、おまえが協力して日本のことを教えてやらないでどうする。知り合いもいない日本で偶然親切にしてくれたおまえを頼るしかないと言っていたぞ。小鞠、彼らが日本にいる間は最後まで面倒みてやれ。それが拾った者の務めだ」
あの、それはワンちゃんネコちゃんを拾ったときの言葉に聞こえます、マスター。
彼らは人間ですし拾ってませんから。
どっちかっていうと勝手に押しかけて家に住みついてるんですってば。
こう言えればいいけれど、さすがにマスターたちに現在彼らと絶賛同居中です、とは言えてない。
日本の文化を学ぶためしばらく彼らは日本に滞在する、とマスターと冠奈さんに話してあるだけだった。
(なんで貧乏留学者とかわたしが親切にしたとかって話になってるの?)
考えられることとしては自分が大学でいないとき、ここでバイトしているテディとオロフが二人からいろいろ質問されて、当たり障りのない話で誤魔化した、ということぐらいだ。
そしてそれが妥当な線だろうと小鞠は納得する。
異世界人の彼らにしてはなかなかの誤魔化し方だけど……。
(なんか、わたしが悪者になってる?)
そして最初は冠奈さんだけだったはずが、すっかりマスターまで3人の味方になってしまってるのはなんでだろう。
「明日バイトは休んでいいから、大学が終わったら3人を連れて近くの寺や神社に連れて行ったらどうだ?」
「まぁ、いいわね。寺社仏閣巡りツアー。紅葉の季節だしきっと素敵だわ」
「放課後は学祭の準備なんですけど――金曜の午後から始まるし明日が最終準備の日ですから」
「なら、やっぱり3人を文化祭に招待してやりなさい」
「ええぇぇー」
小鞠が心底嫌そうな声を出すと菊雄は「わかったな」と念を押した。
菊雄に父を、冠奈に母を見ている彼女は二人には逆らえないのだ。
「――はい」
店内の女性の視線を集めているシモンたちをチラと見た小鞠だったが、結局は渋々ながら了承の返事をした。
* * *
「大学の祭にわたしたちを招待してくれるのか?」
「うん、よかったら……だけど」
バイトからの帰り道、小鞠はシモンたちを大学の大学祭に誘ってみた。
もちろん本意ではないので、来ないでください、と内心祈っていたけれど、シモンは嬉しそうな笑顔を浮かべる。
見えない尻尾がぶんぶん振られているようだ。
「行くに決まっている。いろんな露天や出し物が出るのだろう?小鞠のゼミの友人たちに聞いたのだ」
ああ、そういえば大学で顔を合わせるうちに、シモンってばなんだかうちのゼミの男の子たちと親しくなってたもんね。
「もちろんコマリに誘われなくとも護衛として付き従うつもりだったが――正式に誘ってもらえたのだ。その日は護衛としてではなくパートナーとしてエスコートさせてもらおう」
「いいえ、エスコートはけっこうです。そもそも学生がやる素人なお祭で、貴族様の社交界とは違いますから。舞踏会とかもないですしね」
目の前のシモンを見てアハハと疲れた笑いを浮かべた小鞠は、こっそり溜め息を吐いた。
「そう、来るの……」
小鞠のぼそりとした呟きを聞いたテディとオロフは、主の浮かれようと彼女のやつれた表情を見て、それぞれに苦笑を浮かべた。