おとうさん
あのあと、無事魔物を送還した魔法使いたちと合流し、シモンは臣を二分した。
オロフが王宮に早馬を走らせ、テディと王宮魔法使いの三人はカーパ侯爵の屋敷に残した。
人数に偏りがあったのは、魔物で汚染された屋敷の浄化を火急に行わなければならなかったのと、生き残りがいたら保護しなければならず、屋敷のほうに人手が必要だったからだ。
小鞠は怪我人がいた場合を考えて、救護要員として屋敷にいるつもりだったが、体調不良を知られていたからか、全員から強く反対されてしまった。
大丈夫と言っても聞き入れてもらえず、カーパ家にあった馬車に半ば無理やり押し込められてしまい、シモンも同乗したためこっそり降りることも叶わなかった。
二人の乗る馬車の御者はゲイリーが務めてくれ、澄人は別馬車で朧を見張りに、パウリとアンティアの護送をかってでてくれた。
王宮へ帰る道々、魔物に驚いて逃げた馬たちを見つけた。
帰巣本能が優れているらしく、王宮へ向かっていたのだ。
シモンの馬を呼べばついてきて、他の馬たちもそれに倣うように後につらなる。
方々へ散ったため全部ではないが、あらかたの馬たちを引き連れ、そうしてようやっと小鞠たちが王宮に帰ったのは真夜中をとうに過ぎた時分だった。
王族塔に残って帰りを待ってくれていたエーヴァたちが、小鞠の汚れを落とす準備をしている間に、シモンは汚れた上着と剣を置いてすぐに部屋を出ていこうとした。
「どこへ行くの?」
ベッドに腰掛け一息ついた小鞠は慌てて声をかける。
「父上のところだ。わたしが訪ねることを先ぶれしておいた」
「こんなに遅くに?それに先に戻ったオロフが今日のことを伝えてるんじゃないの?」
「詳しくはわたしの口から伝えると伝言を頼んだ。王国を揺るがす大事だったのだ。わたしを信じて、コマリに関するすべてのことを任せてくれていた父上の信頼に応えるためにも、ここはわたしが報告をせねばならない」
「そっか。……ねぇ、シモン。これからどうなるの?」
「後のことは気にせずコマリは体を休めるのだ。モアに癒してもらったとはいえ、まだ顔色が優れな――」
「教えて」
遮る小鞠の強い口調にシモンは無言になり、少しあってわずかに口の端を持ち上げた。
「コマリが狙われることはもうない」
そんなことを聞いているんじゃない。
「誤魔化さないで。事件に関わった人たちみんながどうなるか、シモンはわかってるんでしょう?もともとわたしを、…殺――認めたくないって人がいて、始まったことよね」
自分を殺したい人がいるとは言い難くて、小鞠は言葉を変えて目の前に立つシモンを見上げた。
「だけどその計画は失敗したわ。全部、未遂だったの」
彼は黙ったまま答えない。
浮かんでいたはずの微笑みも消えている。
反応が見えなくて、小鞠は焦れたように続けた。
「シモン。わたし、生きてるの」
しばらく見つめ合ったあと、やっとシモンが口を開いた。
「だから全てをなかったことにしろと?」
核心を突く声がひどく冷静で、逆に小鞠は言葉が出てこなかった。
「ではペッテルが濡れ衣を着せられたことも、ヴィゴが死にかけたことも、ルーヌの大怪我も、他にも傷つき涙を流した者が大勢いることも、すべて忘れろというのか?」
「……それ、は……」
とっさに声を絞り出して、けれどそれ以上なにを言えばいいのかわからない小鞠は、俯いて唇を噛んだ。
シモンが膝をついて、そんな彼女の顔を覗き込む。
「罪を犯した者は己の過ちに向き合わなければならぬ。そして償わなければならぬ。その機会が潰えた者ほど、過ちが増えていくとわたしは思うのだ」
頬にシモンの掌が触れた。
顔をシモンのほうへ向けられる。
「命を尊ぶコマリが何を嫌がっているのかわかっているつもりだ。わたしの力がどこまで及ぶかわからないが、捕まった皆の罰が少しでも軽くなるよう力を尽くそう」
感情に任せて駄々をこねているのは自分なのに、こうして気持ちを汲んでくれようとする。
そう思うと胸がつまって、小鞠は泣きそうになりながら頬を撫でるシモンの手を握った。
(シモンだってきっとたくさん傷ついてる)
それにもしかすると、シモンの本心は別にあるのかもしれない。
けれど自分のためを思って、彼自身の気持ちを押し殺してはいないだろうか。
「シモンはそれでいいの?」
「――……コマリの望むままに」
返事に少し間があったのは、質問の意味を理解するまでの時間だったのか。
それともやはり本心を隠しているからなのか。
小鞠がどれだけ青い瞳を見つめ返しても、シモンの心の内はわからなかった。
「シモン、わたしも王様のところへ行く」
「え?」
「わたしが自分で、皆の罰を軽くしてって言う。こういうのは事件の当事者だったわたしが言ってこそ、考慮されるんじゃないかって気がするの」
ちょうどそこへエーヴァたちが、湯の入れた桶と布を手に浴室から現れたため、小鞠は彼女たちに着替えを頼んだ。
シモンは何か言いたげではあったが反対はしなかった。
そうして身支度を整えて、二人が国王の前に立ったのはそれから数十分後。
執政塔の執務室ではなく、王族塔の国王と王妃の住まう部屋だった。
小鞠がシモンと住む一画より部屋数は多いようで、国王の書斎に案内された。
寝衣姿なのは、休んでいたのを起こされたからだろう。
アルヴァー王は気だるげにソファに身を預けていたが、部屋に小鞠たちが入ってゆくと気安く二人を手招いた。
「父上、夜分に申し訳ありません」
シモンが謝罪するのに合わせて、隣で思わず小鞠が頭を下げると、アルヴァーは口元を笑ませて彼女へ視線を向けた。
お辞儀は日本の習慣と話していたけれど、おかしな習慣と映っているようだ。
「訪ねてくるのはシモンだけと思って油断しておった。コマリが来るとわかっておれば、ちゃんとした格好で迎えたのだがな」
「わたしが無理言ってくっついてきたんです。すみません」
もう一度、ぺこりと頭を下げてしまったとたん、楽しそうな笑い声が聞こえたため小鞠は顔を上げる。
「そのように何度も腰を折ってはいずれ痛めるぞ?謝罪はもういい。二人とも座ってくれ。見上げていては首が疲れる」
向かいのソファを進められて小鞠とシモンは並んで腰を下ろす。
「あかり玉の加減かと思ったが、コマリの顔色が悪いな。まだ体調が優れぬのではないか?シモンとともに犯人を追ったと聞いておるが――なんとも無茶をする」
「ご心配くださってありがとうございます。でも大丈夫ですから」
「そうか。――して、シモン。罪人を捕らえて戻ったそうだが、それがカーパ家のアンティアと下男だけとは。黒幕は侯爵ではなくアンティアであったということか?」
「侯爵は殺されました」
予想外の返答であったのかアルヴァーが驚きの表情で目を見張った。
「どういうことだ?」
説明を求められたシモンがすべてを話す間、小鞠はおとなしくしていた。
どうやら今日までのことは随時国王に話していたらしい。
それでも今夜のことを話すだけでしばらくの時間を要した。
「人というものは愚かだな」
話を聞き終えたアルヴァーが額をおさえ、呟くように言った。
「はい」
頷くシモンは「ですが」と言葉をつづけた。
「愚かであると気づいた者はやり直すことができるのだと思います」
「驚いたな。おまえがそのようなことを言うとは。コマリが狙われたせいで、怒りに我を忘れておるのではと思っていたが」
「わたしの目を覚まさせてくれたのはコマリです」
「ほう」
アルヴァーの瞳が興味深そうに小鞠に向けられた。
「シモンは一度怒りに火がつくと止めるのは難しいのだ。いったいどんな魔法を使ったのやら」
「え?と……シモンは怒っていても、ちゃんと話を聞いてくれるから、きちんと話し合えば――」
「納得しなければ、梃子でも考えを譲らん」
「そこまで頑固者じゃないですけど……?どっちかっていうとわたしのほうが怒って、シモンに無理を言って困らせてしまってます」
「なるほど、頑固者には更なる頑固者しか太刀打ちできんというわけか」
朗らかに笑う姿は、国の一大事を聞いているようには見えない。
「父上」
シモンが話を戻すよう、声をかけたのを手で制したアルヴァーは小鞠に尋ねた。
「事件の真相はわかった。では次だ。コマリよ、何ゆえわたしを訪ねたのだ?」
顔から笑みが消えていたため、小鞠は思わず背筋を伸ばす。
黙っているのに、他者を圧する緊張した空気が漂う。
これが王の威厳というやつだろうか。
ゴク、と唾を飲み込んで、小鞠は膝にあった両手を握りしめた。
隣でシモンが気づかわしげな様子を見せていたが、口を挟むことはしなかった。
「あ、あの――」
いつも自分に向けていたのは、シモンの父という顔だったのだろうか。
(なんか、王様がいつもと違うから……こ、こ……こわ――)
怖いようぅぅぅぅ!
ビクついて視線を伏せてしまった小鞠は、しかし、臆しては駄目だと自身に言い聞かせた。
(大事な話をするときは相手の目を見なきゃ)
気合とともにしっかりと顔を上げて、アルヴァーを見据えた小鞠は大きく息を吸い込んだ。
「暗殺計画は失敗したし、わたしはこうして生きてます!だから捕まった人たちの罰は軽くしてくださいっ!!」
思った以上の大声が出てしまった。
アルヴァーは目をぱちくりとさせ、隣でシモンが、プ、と噴き出した。
「さすがコマリ、直球でいくとは……なんともらしいというか――ハハハ」
「わ、笑うなっ!王様、いつもと違って怖い顔するし、こっちはすごく緊張してたんだからねっ」
「父上は基本こんな調子だ。政務時以外の顔は身内かよほど親しい者にしか見せないから、コマリがいつも見ている顔の方が、周りの者には珍しいのだぞ」
「え?じゃあ普段の仕事モードの顔ってことなの!?」
「それほど恐ろしい顔をしておるか?」
顔を撫でつつのアルヴァーの声が心なしか萎れていたため、小鞠は慌てて首を振った。
「いえっ、輝いてて、威厳があって、これぞ王様っていうくらい凛々しいですっ。だからピシっとした雰囲気になると、ちょっと気後れしちゃうっていうか……でもでも、大人の魅力があって、渋くて素敵です」
アルヴァーの顔が自信を取り戻したように明るくなる。
よし、と小鞠が思ったところで、
「渋い大人の魅力……」
今度は隣でシモンが悔しげに呟きだした。
ええ~、もう、何なのこの親子。
めんどくさい~~~。
小鞠がシモンをフォローするより早く、アルヴァーが口を開いた。
「コマリよ、いま聞き捨てならぬことを言ったな」
真剣な声に小鞠も表情を改める。
「あの……無茶なお願いをしてるって思います。でも――」
「わたしのことを「王様」と呼ぶとは、なんとも他人行儀ではないか」
「へ?」
「舞踏会の日、リネーア――王妃が言ったであろう。おまえはもう娘であると。家族の一員なのだと。忘れたか?」
「覚えています」
「ならば「王様」はなかろう。どうして義父と呼んでくれぬのだ」
いま、呼び方がどうとかそんな話、どうでもよくないかな?
思ってはみても口にはできない。
何よりアルヴァーは真剣そのものだ。
そういえばシモンも初めて名前を呼んだとき、ずっと名前呼んでほしかったようなこと言ってたっけ。
(親子だなぁ)
けどそっか。
シモンのお嫁さんになるんだもん。
王様はお義父さんになるんだ。
今まで深く考えていなかったことを意識した小鞠は、自身を見下ろした。
シモンの隣にいることはどういう立場になるのか。
そればかり気にしていたけれど、もっと身近で変化することがあったのだ。
何年も前に呼ぶことができなくなってしまった言葉を、また口にするのは少し気恥ずかしい。
「お義父……さん」
懐かしい響きにじんわりと小鞠の胸が熱くなった。
「お義父さん……」
二度目を噛みしめるように口にした。
知らず笑顔になっていた。
小鞠を見つめるアルヴァーが眉をあげ、次いで、彼女のはにかんだ様子に釘付けになっているシモンに気づいて小さく笑う。
そんな父の視線を感じたシモンが、軽く咳払いした。
二人の無言のやりとりに気づかないまま、頬が緩むのを止められない小鞠は、ニヤけた顔を隠すように掌で押さえる。
愛する人とともに生きるということは、家族が増えるということだった。
シモンの両親を義父と義母と呼んでいいことがこんなにも嬉しい。
「「お義父さん」?耳慣れん呼び方だ。いや、城下の民が使っていたか」
「っあ!貴族のお嬢様とかって父親のことを「お父様」って呼ぶんだった。すみません、「お義父様」です」
慌てて言い直す小鞠だったが、アルヴァーは顎に手をあて「ふむ」と考えるそぶりを見せた。
「コマリが言う「お義父様」はやけによそよそしいな。「お義父さん」のほうが断然親しみがこもっておった。よしコマリ、わたしのことは「お義父さん」と呼ぶがよいぞ」
「え!?ダメです。そんな庶民っぽい呼び方したら、王様の威厳が地に落ちちゃう」
「では公的な場で「お義父様」と呼べばよい。他では「お義父さん」と呼ばねば返事をせんからな」
「で、でも……」
弱り果てる小鞠を見て、義父となるアルヴァーは楽しげに笑った。
「父上、そこまでにしてください」
「なんだ、シモン。コマリがわたしのほうがおまえよりいい男だと言ったのが、そんなに気に入らなかったのか?せっかく親子の情を深めておるのに無粋な真似をするな」
「からかって遊ぶの間違いでしょう」
シモンの声に棘が宿ったせいか、アルヴァーは首をすくめた。
「――ああ、わかったわかった、そう睨むな。それにしても、ずっとおまえがコマリを隠しておったのがようやくわかった。誰にでもこの調子ならば気が気ではなかろうよ」
ニヤニヤ笑いのアルヴァーの台詞にシモンが嫌そうな顔になったが、小鞠はそれどころではなく、ええ!?とばかりに青ざめた。
それはやっぱり大声を出したり言葉遣いがなってなかったり、まったく貴婦人らしくないってことですか!?
だから人前に出せないってこと?
「すみません!レディに見えるよう精進します」
小鞠が謝罪すると、父と息子は目を見交わしておかしそうに顔を綻ばせた。
「コマリらしくあればいいと、わたしはいつも言っているだろう?」
「シモンの言うとおりだ。個性を殺してはおまえの面白味が――いや、愛らしさが損なわれてしまうではないか」
いま、面白味と聞こえたけれど。
そして「あ」という顔をして言い直しましたけれど。
(きっとわたし、王様のなかで面白キャラに決定されたんだ)
じゃあここは開き直って、一発芸とか準備しとくべき?
小鞠が密かにお笑い担当を覚悟している横で、シモンがアルヴァーに質問した。
「父上、それで先ほどのコマリの願いは聞き入れてくれるのですか?」
「犯した罪によって罰は決まるのだ。コマリが生きていたから罪が軽くなるのではない。殺人を犯したという罪が加わらぬというだけだ。なによりコマリは将来この国の王妃となる身。王族の一員と何ら変わらぬ。その王族に仇なすとは王国を揺るがす一大事だ。謀反に他ならぬ。それゆえ関わった者は誰一人として許すわけにはいかん」
シモンは反論せず黙り込んでしまう。
おそらく彼自身も、アルヴァーの言った通りだと思っているからだろう。
「あの、でも……魔が差したり、本意じゃなかったかもしれません」
シモンから引き継ぐように小鞠が言うと、国王の顔に戻ったアルヴァーが、ソファに深く座り直し吐息をもらした。
「仮にそうであったとして、どうやって見分ける?人の心の中など覗いて見れるわけもないのだ。助かりたい一心で反省の言葉を紡ぐだろう」
「だから全員悪人として裁くんですか?」
非難めいた口調になってしまった。
内心、ヤバいと思いつつも、言ってしまったことをどうにもできない。
アルヴァーは気にする様子もなく、先ほどまでと変わらぬ態度で答えた。
「事情を鑑みないとは言っておらん。だが同情で裁くことはできん。反対に娘のおまえを狙ったからと、怒りに任せて処罰することもならぬ。公明正大であれということだ。それはコマリとて理解できよう?」
隣に座るシモンの視線を感じた。
アルヴァーが告げたのは、おそらくシモンが口にするのをやめたことだと、小鞠は直感的に思った。
なのに彼は本心を飲み込んで、罪の軽減を王様に進言してくれようとしていたのだ。
「でも……だって……自分の愚かさに気づいた人はやり直せるって、さっき――……謀反って、きっと厳しい処罰がくだされるんですよね。関わった人全員処刑されるんですか?」
「重臣らとまだなにも話しておらぬからはっきりとしたことは言えん。実際犯行に及んでいた魔法使いと、その者を王宮へ送り込んだカーパ侯爵は死しておらぬし、ならば魔法使いにコマリの殺人を教唆したというアンティアが、一番処罰が重かろう。オルガとマチルダは貴族から平民へ落とされようか。で、パウリという男だが……こやつをどうしたものか」
パウリはオルガに魔物召喚の魔法をかけた指輪を渡したり、捕えられそうなクレメッティを助け王宮から逃げたりしたのだ。
彼もまた重い罰を受けるのではと、小鞠は「あの」と弁護の言葉を口にした。
「パウリはカーパ侯爵の手先だったけど、悪い人ではありません。彼はシモンに協力して、クレメッティを止めようとしてくれました」
「ああ、そうではない。問題はもっと根本的なことなのだ。もともとリキタロの貧民であったのだろう?どういう経緯でカーパ家に拾われたのかはわからぬが、おそらくカッレラに国籍はなかろうよ」
「そうか、パウリはカッレラの民じゃない」
アルヴァーの話にシモンが納得したように呟いたが、小鞠にはどういうことなのかわからない。
「え、と?何か問題なの?」
説明を求めるようにシモンに問う。
「よその国で罪を犯した場合、罪人は即刻自国に送り返され、自国の法の下に処罰を受ける」
「そうなの?それってカッレラの決まりじゃなくて、この世界のどこの国でも同じ?」
「そうだ。そして他国で罪を犯せば、普通より重罰になる」
「え?国に戻った民を守るためじゃないの?」
映画で領事館なんかに逃げ込めば助かる、なんていう話があるのに。
驚く小鞠に、シモンは理解し難いという様子を見せて首を振った。
「守る?罪に問わぬということか?――そんなわけがないだろう。自国の恥を他国にさらしたようなものなのだ。厳しく罰するのは当然だろう」
そうか、罪を犯してるんだし助けるのは違うか。
「じゃあパウリはリキタロに強制送還されるの?」
「リキタロが受け入れてくれればな」
難しい顔になったシモンの台詞に、またも訳が分からなくなった。
小鞠が眉を寄せると、気づいたシモンが「ああ」と説明してくれた。
「あの国は徹底した支配社会で、王や貴族が絶対的力を持つ。そのせいで貧富の差が世界一あると言われているのだ。特に貧民はなんの保証もされず、そのために国に期待をしないせいか、子ができても届出をしない。だから国籍を持たぬ者も多くいると聞く。昔は貧しさに耐え切れず、国外へ逃げ出す貧民が後を絶たなかったらしいが、リキタロはそれを許さず国境に強固な砦のごとき関を設け、逃亡者と疑わしき者はすべて処刑した。そのため逃げる者は減ったが、今度は貧民が増え続けてることとなったのだ。そうなってようやくリキタロは現状に危機感を抱き、貧民を減らすべく政策を行い始めたが……あまり芳しくないようだ。そんな国に貧民となるパウリを受け入れろと言っても、リキタロの民ではないと受け入れを拒否される可能性がある。そもそもパウリはリキタロの国籍を持つのかどうか」
「ちょ……ちょっと待って、子どもが生まれても出生届を国に出さないって――そういうのって義務とかじゃなかったっけ?じゃあ戸籍はどうなってるの?」
「コセキ?……とはわからぬが、確かに子どもの届出は義務だ。しかしリキタロでは貧民は国から捨て置かれているような扱いを受けている。生きるのに精いっぱいで、学び舎に通えず無学なものが多いということだ。で、あるために民の義務を知らぬ者が多かったのだ。それほどにリキタロは民への教育が遅れている。まともな教育を受けられるのは貴族や一部の上流階級だけだそうだ。学び舎に通える民であっても、読み書きなど、生きていくうえ必要なことをわずかに学ぶぐらいのことらしい」
「そんなことって……」
あるのだろうか?
いやあるのだ。
日本という国で育った小鞠は恵まれていただけで、地球でも十分な教育を受けられない子どもたちはいた。
小鞠はこの世界に来て日も浅く、まだカッレラ王国しか知らないから誤解していた。
魔法にあふれた豊かな世界だと思い込んでいた。
しかしこの世界にも様々な国があるのだ。
「わたし、もっと知らなきゃ……この世界のこと」
小鞠の呟きにシモンは少し驚いた顔をした。
そして優しい顔になって頷く。
貧民として生きていたパウリは、クレメッティと二人、お互いを頼りに身を寄せ合って生きてきたのではないか。
パウリの姿を思い出して、小鞠はそんなことを思った。
彼は最後までクレメッティを案じていたように思う。
だのに、あんな悲しい最後を選んだのだ。
囹圉塔で話をした時から小鞠はパウリに嫌な印象は受けなかった。
むしろ好ましく思った。
そんなパウリに同情はするなと言われても無理だった。
「パウリがもし無国籍だったとして、そのせいでリキタロに受け入れを拒まれたなら、もうどこの国の法でも彼を裁けないの?」
「いや、その場合は罪を犯した国の法で――つまりカッレラの法で裁くことになる」
「しかしそこに至るまで、長く時間がかかるだろうよ」
アルヴァーが割って入ったことでシモンは控えるように口を閉ざした。
小鞠が視線を向けると、王は言葉を続ける。
「リキタロ側は貧民全部の国籍を確認せねば、パウリとやらの国籍がなかったと我が国に言うことはできぬのだ。まだ国籍があるほうが楽だろうよ。見つかればそこで確認作業を終われるのだからな。それとも自国の民として受け入れて、ろくな詮議もせずに重罪人として処刑とするやもしれんか。確認作業に膨大な時間をかけるより、いっそそのほうが早い」
「そんな!」
「一人の貧民に煩わされてはかなわん……とわたしがリキタロの役人なら思う。だがおまえたちの父として話を聞くに、捨てるには惜しい男だと思う」
小鞠は目を瞬いた。
惜しい、と聞こえたけれど空耳?
アルヴァーは肘掛けに肘を預けて頬杖をつくと、青みを帯びたグレーの瞳を小鞠からシモンへと移した。
「男の実力はオロフと互角であろうと言っておったな」
「はい。オロフほど洗練されてはいませんが、俊敏なうえ度胸もあります。侯爵家で裏の仕事をしていたようですし、おそらく愚鈍な男ではないでしょう」
「ずいぶんと買っておるな。しかもコマリもそやつを気に入っておるようだ……――」
頬杖をついた手で思案するようにこめかみを叩いていたアルヴァーは、次の瞬間、何やら楽しいことを思いついたらしく、くるんと再び小鞠へ目を向けた。
「どうだコマリ、一つわたしと勝負をしないか?」
「勝負、ですか?」
「パウリという男を口説いてみせたら、おまえの護衛として召し抱えよう」
「は…へ?口説……口説くぅ?」
「父上!パウリは罪人です。しかるべき手続きを踏んでリキタロに確認をとり、国籍がなければわが国で裁くことになると――」
「ああ……まったく おまえは頭が固い」
うんざりとした様子で手を振るアルヴァーに、シモンがムッとした表情になった。
「父上は先ほどコマリに、公明正大な裁きをせねばならぬと言ったではないですか。なのに、国王が自ら法を無視すると?」
「そぉーだと言っておる」
欠伸をかみ殺しつつの返事に、シモンが声を荒らげた。
「父上っ」
「頭を働かさんか。王族を狙った事件を他国にわざわざ漏らす必要がどこにある?我が国の権威が地に落ちるぞ」
「これだけ王宮で噂が広がっているのに、隠し切れるとも思えません。いずれ諸国にも流れるでしょう」
「噂はあくまで噂だ。知らぬ顔をしておけば良い。自ら認めるような愚行を冒してはならんと言っておるのだ」
シモンが黙り込むと、アルヴァーは肘掛に預けた手に顎をのせたまま、
「おまえ自身、惜しんでおる男なのだろう?なぜ欲しがらぬ」
と呆れ顔で言った。
「コマリを泣かせる原因を作った一人でもありますので」
「買ってはおっても恨みは別か。それもよかろうが――シモンよ、扱いやすい王にはなるなよ」
ハッとした様子でシモンが父王を見つめた。
(なんだかよくわからないけど……シモンがぐうの音も出ないなんて)
アルヴァーには余裕というか、清濁併せ呑むくらいの大きな人であるという印象を受ける。
これを一国の王としての風格とするなら、シモンはまだ発展途上なのだろう。
(王様ってとっても王様なんだなぁ)
などど思いながら、小鞠がキラキラと尊敬の眼差しを向けていると、
「シモンなぞよりよほどいい男であろう、コマリ」
アルヴァーが気取った様子をみせた。
「なっ――」
シモンが反論しかけるが、小鞠のほうが早かった。
「いいえ、わたしの一番はシモンです。だから「おとうさん」たちは二番目です」
「おとうさん、たち?」
「わたしには「おとうさん」って呼べる人が三人いるんです。亡くなった本当のお父さんと、保護者代わりのおとうさんと、新しい世界でできたお義父さんです。みんな素敵だけど一番じゃありません」
指折り数えて、にっこり笑いながら小鞠が言うと、眼差しを柔らかくしたアルヴァーが同じように笑い返してくれた。
「そうか、二番目か――よかったな、シモン。渋くて魅力的なわたしの輝きに霞んでいるおまえなのに、まぁしょうがないから我慢してやるとコマリが言っているぞ」
「父上、耳が遠くなったのですか?わたしが一番であると、コマリは言ったのです。話を捻じ曲げて母上に話したりしないでくださいよ」
「小さいやつめ。その様子では大人の魅力なんてものは到底持てんぞ?」
揶揄する声にシモンがますます不機嫌な様子になった。
口をへの字に曲げるシモンを見て、コマリはつい「可愛い」と言いかけてしまい、慌てて口を閉じる。
危ない。
いまその言葉は禁句だ。
きっともっとへそを曲げてしまう。
(王様相手だとシモンも子ども扱いされちゃうんだなぁ)
二人のやり取りをニコニコ見ていた小鞠は、シモンが気にするようにこちらへ目を向けたため、首を傾げた。
「コマリはどうするのだ?」
「何が?」
「父上との勝負だ。受けるのか?」
「あ、それはえと……口説くって、そんなことできないし」
「そうか?コマリならばパウリの心を動かせるかもしれないが」
「え!?シモンはわたしがパウリを口説いて平気なの?」
まさか浮気がオッケーだなんて……。
「じゃあわたしもシモンの浮気をオッケーしなきゃいけないってこと?」
ぶつぶつと呟く小鞠の声がシモンには聞こえたらしい。
「浮気!?なんの話だ?」
「だって王様がパウリを口説けたら護衛官として雇うって――色仕掛けでパウリをその気にさせるなんてできないし、できたとしてもやりたくないもん」
瞬間、ブハとアルヴァーが派手に噴き出した。
「言葉通りの意味にとったのか。なんと素直な……素直すぎる……く……ははは」
てことは深読みしなきゃしけなかったの?
小鞠がシモンを見れば、彼もまた苦笑を浮かべていた。
「父上の言う口説くとは、味方にせよということだ」
「味方……」
なんだそうかとホッとした小鞠は、遅れて急激に恥ずかしくなった。
(わたし、無意識に自分は色仕掛けできるくらいのいい女なんて思ってた!?)
ああなんて自意識過剰。
愛魂マジックにかかっているシモンが、いつも可愛いと言ってくれるから、いつの間にか勘違いしてたんだ。
部屋に帰ったら鏡を見て己を知ろう。
顔を赤くする小鞠へシモンが言った。
「パウリはおそらくクレメッティを手にかけたことで、生きる意欲をなくしているだろう。自分から重い処罰を望むかもしれない。そのような状態のパウリの心を解き放ち、さらに味方となるよう説得するのは難しいはずだ。しかし、できなければパウリは生涯牢につながれる」
「えっ、なんで?罪を償ったら牢から出られるんじゃないの?」
「侯爵家でパウリがしていたのは、おそらく表沙汰にできないようなことだろう。そして人は変わろうとしなければ慣れた空気を求めてしまう。危険人物になるかもしれない男を、牢から出せるはずもない」
ああまたこれだ。
悪人になるかもしれないからと自由を奪うのか。
「話をした感じでは悪い人に思えなかったわ」
「人を騙す人間ほど善人に見えるのだ」
「じゃあシモンはパウリが嘘つきだと思うの?」
小鞠の質問にシモンはわずかに首を傾け、パウリを思い返すような素振りを見せた。
「食えない男だと思う。おそらく必要に応じてなら、平気で嘘をつくだろうな」
「それって悪い人みたい」
「善人ではないだろう」
「シモンはパウリを買ってるんでしょ?」
「だとしても、食えない男を手放しで信用するほど愚かではない」
「なのにわたしの目を信じるの?それとも、反対してるの?」
結局シモンがどうしたいのかわからない。
小鞠の問いかけにシモンは苦く笑んだ。
「コマリが少しは相手を疑ってくれれば、わたしも心安らかなのだがな」
それってつまり、心配しつつも反対はしないということだろうか。
目が合うとシモンは苦笑を微笑みに変えた。
好きにやってみればいい、というところか。
捕まった人たちの罪の軽減を願った自分が、何を迷うことがあるだろう。
小鞠はアルヴァーに向き直る。
「その勝負、受けて立ちます!」