涙にぬれる
「駄目っ、シモン」
コマリがシモンの腕に飛びついて、ぶんぶんと首を振った。
「駄目よ、絶対ダメ!」
「どうして止めるのだ!?」
「怒りに任せた行動は、きっとあとで後悔する。誰かを傷つけることならなおさら、シモンは苦しむはずでしょう!だからお願い、やめて」
必死に訴えるコマリの顔が泣きそうだった。
その顔を見るうち、荒れ狂っていたはずのシモンの怒りが凪いでいく。
(ああ、そうか……夕刻、囹圉塔でわたしを止めたのも同じ理由か)
わたしの心を守ろうとしてくれていたのか。
シモンから、体中に漲らせていた闘志が消えた。
掴まれているのとは逆の手で、コマリの体を抱き寄せる。
普段はすぐに拗ねたり文句を言うくせに、肝心なときは怒らない。
「どうしていつも人のことばかりなのだ」
「わたしが怒るより先に、シモンがクレメッティを殴っちゃったからタイミングを逃したの」
シモンから身を離すコマリが、座り込んだままのクレメッティを見下ろした。
「廊下で話を聞いていて思ったけれど、あなたは胸に空いた穴を埋めるため、アンティアにのめり込んでいったのね」
「穴?」
「そう。兄のパウリを亡くしたことでできた大きな穴。アンティアはパウリの代わりだったんでしょう?もう二度と大切な人を無くしたくなくて、彼女のために何でもやったのね。ねえ、このまま全部壊して終わらせるの?クレメッティはそれでいいの?」
「なんだそれ?壊したってどこがだよ?」
切り返すように尋ね返したクレメッティは、突然激昂したように叫んだ。
「てめえらに強制終了させられたんだ!まだ終わってねぇ。あの女、殺し損ねた」
苛立ったように床を殴りつけたことで、コマリがビクと身を竦ませる。
「アンティアめ、俺を騙してやがった。すべてを俺のせいにして自分だけ助かろうと……死んで当然なんだ……殺さなきゃなんねぇ……殺して、切り刻んでやる……」
クレメッティは急速に周りが見えなくなっていっているようだ。
昏い目が何かに取り憑かれたように、じっとアンティアを見つめている。
シモンはクレメッティがぶつぶつと繰り返す言葉に耳を澄ました。
「せ……殺せ……殺せ、殺せ、殺せ」
背中にゾワリとした悪寒が走った。
「なに?なんて言ってるの?」
クレメッティを覗き込もうとしたコマリの腕を、シモンは強く引き寄せる。
「コマリ、だめだ」
「ダメ?ってなにが?」
「クレメッティはおそらく――」
それは、意識がコマリへ向いたことにより、シモンがみせた隙だった。
クレメッティがシモンの手から剣を奪ったのだ。
「死んじゃえよっ」
剣を振り上げる姿に、シモンとオロフがほぼ同時にコマリを庇う。
しかしクレメッティは三人に目もくれず、意識のないアンティアへ突進した。
シモンの手が一瞬遅れて彼を追うも、空をかいただけだった。
オロフもクレメッティを追うため足を踏み出すが、それより早くパウリがクレメッティの前に立ちふさがった。
クレメッティは勢いのまま突っ込み、ド、と二人がぶつかる。
そして直後に顔を顰めたクレメッティがやっと我に返ったらしく、のろのろとパウリを見上げた。
「てめぇ……こりゃさっきの仕返しかよ」
「おまえは俺が止めると、王子とお姫さんに約束した」
「はっ、王宮側に協力して罪を軽くしたいのか」
「覚悟を決めるためだ。どんな手を使ってもおまえを止めたかった」
「なんだそれ、意味わかんねぇ。つか、やっぱりてめえがパウリのわけねぇわ……あいつはいつも俺を守ってくれたんだ」
パウリを押しのけようとするクレメッティの腕は弱々しく、傍目に見てわかるほどに震えている。
「これ以上おまえに罪を重ねてほしくなかった」
「黙れ、偽物が。兄貴面すんなよ。俺は騙されない。放せ――放せっつってんだ!てめぇも殺すぞ。つか殺してやるっ。死ねよ、死ね!死ね死ね死ね」
「死ね」と繰り返すクレメッティは、狂人そのものだった。
(とうに狂っていたのだ――)
アンティアに歪められた心は、とっくに壊れていた。
クレメッティを許せないシモンですら、彼の姿に憐れみを覚えた。
もはや何を言っても通じまい。
シモンの服をコマリが掴んでくる。
無意識だろう彼女の顔には、驚きと恐怖と他にも様々な感情が浮かんでいた。
「………………」
クレメッティの耳元でパウリが何か言うのがわかった。
そのまま背に片腕を回し、強く引き寄せる。
直後にクレメッティの声が不自然に途切れ、握っていた剣が落ちた。
瞳から光が失われていく。
息を詰まらせたコマリが縋りついてきた。
肩が震えているのは泣いているからだろう。
彼女の背中を撫でたシモンは、再びパウリたちへ双眸を向けた。
クレメッティの目は虚ろに床を見つめていた。
眉根を寄せるパウリの手から、血に濡れたペーパーナイフが落ちて、カツと硬い音をたてる。
パウリは強く弟を抱きしめた。
けれどそれはほんの短い時間だった。
床上に横たえたクレメッティの瞼を閉じさせたあと、こちらに顔を向けたパウリから、一切の感情が消えていた。
「これで約束は果たしたぞ」
シモンは言葉が出なかった。
本当はうすうす感じていた。
囹圉塔でのパウリの様子から、クレメッティを止められたなかったとき、彼が何をするつもりなのか、どこかでわかっていた。
「捕まればどのみちクレメッティは処刑されてたんだ。他人の手より、俺の手でこいつを送ってやりたかった。だから、これでいいんだ」
パウリは何もかもを受入れるような顔で、微かに笑った。
どうしてそこで笑うのか。
笑えるのか。
たった一人の肉親を、その手で殺めたというのに。
「いいわけないっ」
強い口調とともに顔を上げたコマリが、真っ赤な目でパウリを見据えた。
歩み寄り、拳で彼の胸を叩く。
「ここが痛いでしょう!?なのに平気な顔しないで。隠しちゃ駄目。悲しまなきゃ駄目!悔やまなきゃ駄目っ!」
「……お姫さん」
「いま泣かなかったら、いったい他のどんなときにパウリは泣くの?我慢しちゃ駄目なの!」
腕を伸ばしたコマリが、パウリを強引に抱き寄せる。
「お、おい……何を」
「クレメッティのこと、わたしはほんの少ししか知らない。その大部分は恐怖心で占められてるけど、それでもわたし、クレメッティのことを嫌いだって思えないの」
逃げようとしていたはずのパウリがもがくのをやめた。
「初めてクレメッティに会ったとき、友達と過ごす彼は言葉とは裏腹に楽しそうだった。本当のクレメッティはあっちなんじゃないかって思うから」
「殺されかけたんだろ、あんた……――ほんと、お人よしだな」
噛みしめるような声にやっと少しだけパウリの感情が見えた気がした。
パウリがコマリに抱きついたようにシモンには見えた。
だが彼はぐったりと力を失っただけのようで、重さに支えきれなくなったコマリを、シモンとオロフが助ける。
「気を失ったのか。怪我をしているな」
「黒い服のせいでわかりませんでしたが血を流しているようです。わたしが傷の手当てをいたします」
頷いて、オロフにパウリを任せる。
パウリを見つめていたコマリが、悲しげな様子のまま床に横たえられたクレメッティの傍らに跪く。
シモンも隣に膝をついた。
「二人の何がずれてしまったのかな。兄弟だってわかりあえたはずなのに……こんな結末――」
そう言ってコマリはまた涙をこぼす。
ずれていたのではなく、狂わされたのだ。
人間の汚れた心が悪意になって、別の人間を壊していった。
コマリが静かにクレメッティへ語りかけた。
「もう自由になっていいよ、クレメッティ」
自由に――。
パウリが弟に願ったことだが、果たしてその願いは叶ったといえるのだろうか。
胸に広がる苦い思いを抱えたままシモンはコマリを見つめた。
彼女の頬を滑って流れる雫は、すべての罪を許す涙に見えた。
* * *
ガンガンと自室の扉を派手に叩かれて、魔法書に没頭していたペッテルは心臓が飛び出るほど驚いた。
とっくに飯の時間は過ぎて、早い者ならそろそろ休み始める頃だ。
「いるんだろ、開けろーい」
軽い口調にすぐに思い当って、返事よりも慌ててドアを開けた。
「よっ!」
右腕を三角巾でつるしたケビが、手にした包みをペッテルに押しつけ、無遠慮に室内に入ってくる。
「よ、っておまえ、鎧とやりあったときにぶっ飛ばされたから、しばらく様子見で医薬師塔で療養すんじゃなかったのか。頭ぶつけてじわじわ血が溜まってたり、ってのが怖いんだぞ」
「なんもねぇ。あんなとこ二日もいりゃ充分だっての。医師の了解はもらって戻ってきてんよ」
「無理やり言わせたんじゃないのか?」
ペッテルは溜息をつくと手にした包みへ視線を落とした。
「で?なんだよ、これ」
「やるよ」
「やるって……服?これおまえのじゃん」
「ペッテルが服を返せって言ったんだろ。自分で破いたくせにさぁ」
「おまえを腕の止血するためだろ。つうか、新しい服をよこせっつったんだ」
「それ、俺のお気に入りだし問題なし」
「嘘つけ。魔法使い塔の大掃除んとき、汚れてもいい服だって言ってたやつじゃん。あ、袖口綻びてる。いるか、こんなもん」
「んじゃ捨てれば?とにかく服は返したからな~」
興味なさげに言いながら、机上にある魔法書を見ていたケビは、あれ、と気づいたように表紙を確認した。
「こんな基礎中の基礎を読んでどうすんだよ。まがりなりにも王宮魔法使いになってんだろ~」
「んなこと俺だってわかってるよ。それ、クレメッティのだ」
にやにや笑っていたはずのケビの顔色が変わる。
「あいつの部屋、立入禁止になったんだろ?コマリ様の暗殺未遂と、これまでずっとコマリ様を付け狙っていた暗殺者として手配されてるって、見舞いに来たマーヤが言ってたぞ」
「一昨日のあの晩、俺、手当てがすんだあとクレメッティの部屋に行ったんだ。そしたらリクハルド様とトーケル様がいてさ。たぶんあいつの罪を暴く証拠とか、そういうの探してたんだろうと思う。その時に、許可をもらって一冊借りてきたんだよ」
魔法書を閉じたケビが、椅子を引き寄せてどっかと腰を下ろした。
粗野な座り方のせいで、傷に響いたのか顔を顰める。
「痛てて……クレメッティは俺の睨んだ通り、コマリ様を狙ってたんだ。なのに、なんだってそんな奴の魔法書読んでんだ?」
返答を待つケビの目はまっすぐ自分へ向けられていた。
どんな答えでもきちんと聞こうとする姿勢がうかがえて、ペッテルは呼吸を置くようにベッドへ腰かけた。
対面となるようケビが体の向きを変える。
彼の尻の下で椅子が軋んだ音をたてたのを合図に、ペッテルは口を開いた。
「その魔法書、使い込まれてんだよな」
「は?」
「それだけ勉強したってことだろ。努力したってことだろ?たぶんあいつ、魔法が好きだったんだ。使える魔法が増えてくのが楽しかったんだよ。けどさ、同じように部屋にあった上級者向けの魔法書は、すげぇきれいなままなんだ。空間魔法とか呪いとか、鎧にあんな細かい動きをさせられるくらい魔法に長けた奴が、読んでわからなかったってことはない。なのにそっちには汚れひとつなかった。まるで潔癖なあいつそのもんみたいに」
「つまりおまえは、クレメッティが歳を追うごとに変わっていったって言いたいのか?事情があってああなったって?」
無言になって答えないペッテルに、ケビは業を煮やしたのか吐き捨てるよう言った。
「馬鹿かおまえ。クレメッティはまともじゃねぇよ。あいつはコマリ様を殺そうと狙ってたんだろ。だったら拉致したとき一思いに殺せばいい。なのに呪いの鎧に閉じ込めて、部屋に入ってきた人間を襲わせた。シモン様たちに助けられたコマリ様、泣いてたじゃねえか。怪我した俺らのことを心配して、助けてくれって……コマリ様こそふらふらだったってのに、自分のことそっちのけで――」
あの夜のことを思い出したのか、ケビが一瞬言葉につまった。
膝にあった手を強く握り締めている。
「それになぁっ、鎧があんな強力な防御魔法で守られてちゃ、鎧を止めるためにこっちも相当強い魔法で攻撃しなきゃいけない。マーヤから聞いたけど、実際リクハルド様たちはそうしたんだろ?きっとクレメッティは、中のコマリ様ごと鎧を破壊させたかったんだ。もしあんとき鎧の中のコマリ様に、シモン様が気づかなかったらコマリ様は死んでた。それだけじゃない。魔法を放った魔法使いは一生重荷を背負うことになるんだぞ。そんなひでぇこと、普通思いつくか!?……おまえがあいつのこと、まだ仲間だって思ってんなら殴り飛ばすぞ」
くそぼけ、とケビに罵られ、ペッテルは苦く笑んで俯く。
大半の人間はケビのような反応を示すのだろう。
ペッテルもケビの言わんとすることはわかるし、同じように思っている。
けれど簡単に割り切れないのだ。
ヴィゴとマーヤを含めた四人で過ごした思い出が、褪せずに残っているからこそ。
口には出せないまま、かわりに謝罪の言葉を述べる。
「だよな。悪い」
「……なんかおまえ変だな」
「何が」
「反応が薄味になったつうか、殊勝で気持ち悪いっつうか。部屋に閉じこもって枯れたじじいみたいになってたときから復活したはずなのに」
「そこは、俺もちょっとは成長したって言ってくんね?」
本当にいろいろなことがありすぎた。
床の木目を眺めたペッテルは、ずっと胸にあった疑問を口にした。
「クレメッティはなんでコマリ様を狙ってたんだろう」
「一昨日、リクハルド様とトーケル様に会ったとき、聞かなかったのか?」
「聞いても答えてくれない気がした」
「確かに調査中のことを、おいそれと話すわけねぇわな」
言いながらケビは考えるように背もたれに身を預けた。
「誰かに命令されてたんじゃね?貴族の誰かが娘をシモン様の后にしたくて、とかさ。で、クレメッティを刺客として送り込んだ。それともあいつ自身が実は貴族出身で、自分の姉を王妃にしたかったなんてのはねぇかな。ほら、あいつが頻繁に文の遣り取りしてたのって姉なんだろ?」
「あー、確かに姉がいるって言ってたけどなぁ。でもそのわりには女の子ことをわかってねぇっつうか、変だなって思ったことある。俺、妹いるからさ。実態はこんなかよ、ってのも知ってんだよ。でもクレメッティは理想を持ちすぎっつうかさ。マーヤがガサツなことすると顔しかめてたしなぁ」
「おとなしい女が好きなんじゃん?それこそ貴族のお嬢様的なさ」
「俺が女の子の話をしたらいつも睨むし、ひどいときは軽薄だとか死ねとか言われたんだぞ。うーん……でもそうか。理想がお嬢様なぁ」
そういえばクレメッティは何故か時々、自分に突っかかって来ることがあった。
確かそれらはすべて、貴族のお嬢様の名前を挙げていた時だったように思う。
(じゃあケビの言う、クレメッティは貴族からの刺客って、実はいい線いってんじゃないか?)
大事なお嬢様の名を口にするな、とか。
クレメッティの前で貴族のお嬢様の名前を、いったい何人くらい挙げただろう?
1、2、3、と数えるペッテルは、うわ~と頭を抱える。
「俺って節操なしの女好き?」
「なんだ、いきなり?ペッテルが女好きなのはいまに始まったことじゃねぇし」
「否定してくれよ。言っとくけどトーケル様だって俺と似たようなもんだからな」
「全然違ぇよ。トーケル様は公私をきっちり分けるだけの良識をもってる。けどおまえは煩悩のままに行動するじゃん。舞踏会んとき、下心丸出しでお嬢様に惚れ薬を配りまくったりしてるから、毒薬入りの惚れ薬を器に混ぜられたことにも気づかないんだよ。このまぬけ」
さっきからケビに、バカとかボケとかマヌケとか、さんざんに貶されている気がする。
そして彼に言われてみて気付いたが、確かにトーケルは仕事のときは、どれほどの美女に会おうと鼻の下を伸ばしていたことはない。
「ケビってさぁ、実は人のことちゃんと見てんたよなぁ。普段ふざけてるから誤魔化されてたわ」
「ああ、魔力あるせいで嫌な思いとかしたし、敵か味方か嗅ぎわける癖がついたってかな。俺が育ったとこ田舎で、魔法使いを化けもんみたいに思ってる人間もいたから」
「それ、俺と似てるかも。何かが壊れたら俺のせい、不吉なことが起きたら俺のせいって」
「おまえの場合、キレて暴れてた口だろ?だから喧嘩レベルならそこそこ強いタイプ。俺はそこまで熱くないし、正直いちいち相手にすんのがめんどいわ」
「それで軽口言ってかわすのか。――ていうか、ケビも俺が毒を盛った犯人じゃないって思っててくれてたんだな」
事件後、ケビから距離は置かれなかったが、かといって心配してくれていた様子もなかった。
悪く言えば無関心、よく言えばいつもと変わらず接してくれたといえよう。
「だっておまえって単純じゃん?謀略に向いてないって」
「単純……」
「褒めてるぞ~」
「嘘くせぇな。――で?さっきの話。ケビが思う貴族の美女って誰だ?」
「美女ぉ?だったら三大貴族んところのオルガ様、アンティア様、マチルダ様は外せないわな。他は、なんとか男爵の二番目の……えーとなんてったっけ?俺、お前と違って、あんま貴族のお嬢様っつうのに興味ないんだよ。どんなにいい女でも接点ないし、言葉遣いとか丁寧すぎて気持ち悪くね?遠目で眺めとくのが一番いいんだって」
「いいから思い出せ。クレメッティがどっかの貴族の刺客だったとして、そこのお嬢様の名前を俺が言うたび、あいつを怒らせてたんだって気がすんだよ」
「はぁ?陰謀だなんだって、そんなの考えるだけ無駄だって。どうせ 俺ら下っ端魔法使いには上の考えなんて下りてこないんだし、放っておけばいいじゃん」
怪我のない左手を顔の前で振って取り合わないケビに、無言で眼差しを向けていると、やがて彼は折れたように溜息をついた。
「はいはい。「貴族がクレメッティを王宮に送り込んだ」説を支持するわけね。だったらカーパ侯爵家を疑うね。三大貴族のうち二家のお嬢様が、庭園の魔物騒ぎに関わってたんだ。カーパ侯爵の謀って思わねぇ?コマリ様が暗殺されたら、以前のようにシモン様のお后候補は三家のお嬢様たちに絞られるはずだろうし、その前にオルガ様とマチルダ様を排除しておけって思った、とかな?」
「カーパ侯爵家か……あ――」
「けどカーパ侯爵が黒幕ってのは、ちょっと安直すぎる気もする。……なんにしても、逃げたクレメッティを捕まえたら、事の真相がわかるだろ」
話を切り上げるようにケビは立ち上がると、「俺、部屋に帰るわ」と背を向ける。
だが扉の前で何かを思い出したのかケビが振り返った。
「そうだ。おまえの毒薬混入犯人の疑いは完全に晴れたから、もう自由だぞ」
「へ?」
「ヴィゴがさ、舞踏会でクレメッティがおまえの持つ器に、惚れ薬の瓶を入れるのを見てたんだと。魔力封じてんのはまた後日、元に戻してやるってよ。もうちょっと辛抱してくれって、グンネル様からの伝言。んじゃあなぁ~」
ひら、と手を振って部屋を出ていったケビの言葉を、ペッテルが理解するまで数秒かかった。
理解して慌てて部屋を飛び出す。
「ちょっ……ヴィゴって!?いったいどういうことだよ、ケビ!」
呼び止められたケビの顔には、いたずらが成功した子どものような表情が浮かんでいた。
「ヴィゴな、医薬師塔でずっと寝てたんだってよ。なんかよくわかんねぇけど、シモン様が安全のためにあいつを隠してたって言ってた。筋力、体力ともにかなり落ちてて、今はまだ安静にしてなきゃいけないらしいから、もうしばらく療養が必要だってさ。でも少しの間なら話もできるみたいだし、詳しいことは本人から聞けば?」
「え?じゃあヴィゴは……?」
「だーかーらー、医薬師塔で俺、会ったっつってんの」
「……生きてる?」
二、と笑うケビの顔が肯定していた。
その瞬間、ペッテルは目頭が熱くなるのを感じた。
彼が死んだと聞かされたときは、枯れ果てたように涙は出なかったのに。
「俺もあいつが生きてるって知ったのは今日だよ。忙しいなか見舞いに来てくれたグンネル様から聞いた。一緒に来たマーヤは泣いて喜んでたぞ~。おまえに伝えに行くっつうのを、俺が代わって引き受たんだ」
「そっか、ありがとな」
声が震える。
潤んだ瞳を見せたくなくて俯いたペッテルは、ケビのからかうような声を聞いた。
「おう、いいってことよ。俺もちょっと、来るのが遅くなったし。医薬師塔から帰って昼寝したらうっかりな?で、晩飯食ったあと部屋で寛ぐうち、なんか忘れてるなーって気がして、あ、ヤベって。もしかしてもうマーヤから聞いてるかと思ったけど来なかったんだな。たぶんいま、魔法使い室は人手不足だろうし残業か?なんにしても、思い出してよかった」
「ちょっと待て。昼寝?ってことは俺、昼には謹慎がとけてたってことで、だったらヴィゴのところにだって行けてたんじゃ?」
「明日行けばいいじゃん。ヴィゴだって何人も人に会ったら、本調子じゃないのに疲れるだろ。じゃあな~、腹出して寝るなよ」
悪びれもせず去っていくケビを見送るペッテルは、彼のマイペースさに呆れ、真剣に怒ることが無駄に思えて部屋に戻った。
明日一番に医薬師塔へ行こう。
そしてすべてを聞こう。
こみあげる嬉しさが落ち着くと、どうしてという思いがペッテルに浮かんできたのだ。
迎賓塔での事情聴取のとき、最初からヴィゴがクレメッティのことを話してくれていたら、犯人と疑われることもなく、こんな風に魔法使い塔から出られなくなることもなかった。
犯人捜しをしてたのは、真実を黙っていることへの罪悪感からか?
いいやとペッテルは首を振った。
きっとヴィゴは悩んだはずだ。
思慮深く友人思いな彼ならば、自分とクレメッティの二人を思い、どうするのが最善かと考えたに違いない。
もしかすると、クレメッティを自首させようとしていたのかもしれない。
「だから言えなかったんだよな」
声に出すと本当にそんな気がしてきた。
そういえば先ほどケビは安直だと言ったが、ペッテルは「黒幕はカーパ侯爵」というのが当たっているのではと感じた。
ケビの推理を聞いているうち、ペッテルはふと思いあたったのだ。
クレメッティが激しい怒りを見せていたとき、必ず「アンティア」の名前が出ていたと。
確信はないがあの激しい怒り方から察するに、クレメッティはカーパ家のアンティアに憧れていたのではないだろうか。
ペッテルは机にある魔法書に視線を落とした。
書のそこここに書込みがあり、クレメッティが必死に魔法を勉強していたことが窺える。
魔力があったというだけで、深く考えずに魔法を学んだ自分とは、学ぶ姿勢が全然違った。
魔法を得たいという貪欲なまでの熱意が、魔法書からあふれている。
ヴィゴも魔法に対して強欲だ。
クレメッティはヴィゴには気を許していたように思うが、たぶん似た匂いを感じ取り、彼のことだけは認めていたのだろう。
(逆に俺は破滅させたいほど嫌われてたってわけか)
机に近づいて、クレメッティの物であった魔法書を手にした。
部屋の壁に備え付けられた戸棚には、ペッテルの物である魔法書が並ぶ。
クレメッティの魔法書を机の端に置いた彼は、戸棚から数冊選び椅子に腰を下ろした。
ページを繰る。
それから長い間、ペッテルの部屋から明かりが消えることはなかった。