監禁部屋
薄暗い廊下に男女の話し声がした。
「本当に監禁部屋からクレメッティが出てきたのかぁ?」
「本当だってば。そのまま疲れた様子でどこかに行っちゃったの。ヴィゴのことで落ち込んでたし、自分は無事だったこともあって自責の念にかられたんだわ。あの部屋に入って死のうとしたけれど死にきれなかったのかも」
ペッテルとマーヤだ。
「監禁部屋は一回入ったら一週間出られないんだろ?なんで簡単に出入りできんだよ?隣のクレメッティの部屋から出てきたのを見間違えたんだって。つぅかさマーヤ、夜遅くに俺やクレメッティの部屋を訪ねるってどうよ」
「クレメッティのことは二人で見守ろうって決めたじゃない」
「や、そういうことじゃなくて……トーケル様以外は男じゃないってか?」
呟くペッテルは頭を掻いた。
女なんだからもうちょっと用心しろと言いたい。
当のマーヤは彼の様子に気づかず話を戻した。
「絶対監禁部屋から出てきたの。クレメッティって目立たないけど実は優秀だし、魔法で出入りができるのよ。きっと監禁部屋には自殺グッズがいっぱいあるんだわ。クレメッティがまた自殺を考えて戻ってくるかもしれないし、いまのうちに全部処分しなきゃ」
「想像力豊かだなーおまえ。てか、俺を巻き込まないで一人でやってくれ」
「だって監禁部屋から出られなくなったら怖いじゃない。ペッテル入ってよ」
「俺は閉じ込められていいのか?――あのなぁ、忘れてるようだけど俺はいま、魔力を封じられてて魔法を使えないんだぞ」
「わたしが扉を開けて待っててあげるから大丈夫」
自信たっぷりな様子のマーヤに、ペッテルはもはや何も言う気がなくなった。
ヴィゴがいなくなって、マーヤは必要以上にペッテルとクレメッティを気にかけているようだった。
もう仲間を失くしたくないのだろう。
ただペッテルはクレメッティが自殺を考えるなんてどうしても想像できなかった。
(自分を責めてって、そんな弱い奴じゃねーだろ)
ならば監禁部屋で何をしていたのか、というのが気にかかる。
しかも出入りが自由にできるとか……それは本当か?
マーヤの見間違いと思うが、確かに彼女の言う通りクレメッティには実力がある。
魔法の修得はヴィゴが早かったが、いつの間にかクレメッティもできていて驚かされた。
もしかすると意識して目立たないようにしているのかもしれない。
本当の実力を隠しているのだとしたら?
(や、隠す必要なんかねぇよな。実力を認められれば出世できるし、部屋だって変われる)
ああそういえばクレメティは体が弱い。
無理をするとすぐに体調を崩すくらいに。
(実力があっても体がもたねぇってのは、魔法使いとして致命的じゃ……)
高度な魔法ほど魔力を消費するし、そのたびにフラフラになっていては、いずれ体を守ることを優先にと、王宮魔法使いをやめさせられるかもしれない。
そうなることを恐れて体のことを隠し、そこそこのレベルのふりをして、監禁部屋で密かに魔法の修行をしているのではないだろうか。
「マーヤ、やっぱり――」
やめておこう、というペッテルの言葉は、割って入った声に邪魔されて言えなかった。
「よぉう~、二人れろこ行くんらよ?」
振り返ると口いっぱいにパンを頬張ったケビが立っていた。
「ふぁいびき?」
「食ってから話せよ」
「んー…………んぐ、……だからさ、逢引かって聞いてんの。おまえらつきあってたのか?」
「そんなわけないだろ」
「そんなわけないでしょ」
ペッテルとマーヤの声が重なった。
二人を見てケビは「だよなー」と笑うと、残ったパンを口に押し込んだ。
「ちょっと腹が減って厨房でもらってきたんだ。うし、これで朝までもつな」
「大食らいの癖にどうしてそんなに痩せているのか不思議よね」
羨ましいとマーヤがケビの体を眺める。
「俺は肉がつかないから不満なんだけど。で?あっちに行くってことはクレメッティのところか?」
「クレメッティがヴィゴのことで自分を責めて、自殺を考えているかもしれなくて」
「え!?」
ケビがぎょっと目を剥く。
「ちょ……マーヤ、おまえ適当なこと言うな。違うぞ、ケビ。クレメッティが監禁部屋から出てきたってだけで――」
「へぇー。なに、あいつ監禁部屋に出入りできんの?俺、あの部屋ん中がどうなってるか一度見てみたかったんだ。閉じ込められた奴の血文字があるって噂があってさぁ。行ってみようぜ」
「え、わたしはそんな怖いもの見たくないわよ」
「クレメッティに頼めば閉じ込められることもないわけだろ?行かない手はねーって」
渋るマーヤとは対照的に目を輝かせるケビが駆け出していく。
「あ、待ってケビ。わたしは血文字なんていやだからね」
つられてマーヤも走り出した。
「マジかよ」
慌ててペッテルは二人を追いかける。
クレメッティの部屋の前に三人は立った。
ノックしても返事がないため、ケビがそうっと扉を開けて中を覗く。
「おーいクレメッティ――て、いないじゃん」
ペッテルも横から顔を寄せたが部屋は真っ暗で人の気配はない。
「だからクレメッティは呼んじゃ駄目なんだってば」
マーヤがペッテルとケビの服を引っ張って、隣にある監禁部屋に連れて行く。
「監禁部屋に自殺の道具がたくさんあるから二人で取ってきて。クレメッティがいないうちに捨ててしまうの。わたしは二人が閉じ込められないよう扉を開けておくわ」
ほら早く、とマーヤに急かされたケビが首を傾げた。
「クレメッティってんな事するタイプかぁ?ヴィゴのことでしばらくは口数も減ってたけど、今じゃいつもと変わらねーだろ。俺から見たらおまえらの方がよっぽど落ち込んでるように見えるぞ」
ケビの言葉にペッテルとマーヤの視線が合う。
ケビに落ち込んでいるといわれたせいか、なんだかお互いばつが悪くてすぐに視線を逸らした。
軽口ばかりでふざけて見えることの多いケビだが、意外にしっかり人を見ているようだ。
「クレメッティは気丈に振る舞ってるだけだと思うわ。ヴィゴを知ってる人はみんな落ち込んでるのよ。ケビだってそうでしょ」
「そりゃな……やっぱへこんだ――でも俺、気丈な奴は自殺なんて考えない気ぃするんだよな」
「あ、それ俺も思う」
ペッテルが同意するとケビは「だろ」と言葉を続ける。
「クレメッティの性格からして、この部屋で冷酷極まりない呪いの研究をしてるって言われたほうがしっくりくるっつうかさ」
自分の台詞にケビは黙り込み、次いでにやりと悪い笑みを浮かべた。
「なんかその可能性が高い気がしてきた。よしここはちょっと拝見しとこうぜ」
クレメッティなら本当にやっていそうで笑えない。
「やめとけって」
ペッテルはケビの肩を掴んだ……はずが空をかく。
「うっわぁ!」
ケビがノブをつかんだとたん、いきなり扉が開いてケビが部屋の中へ引き込まれた。
そのままバタンと扉が閉まる。
「え……えっ、なに?ちょっとケビ?……ねぇペッテル、ケビが――」
動揺したマーヤがドアノブに手を伸ばすのをペッテルが制した。
「触んなっ!なんかこれ、絶対ヤバイ」
「だ、だってケビは?」
ドン!と扉が叩かれたように大きく鳴ったことで、マーヤが体をビクつかせた。
しかし聞こえ方が変だ。
音が外に漏れないよう防音でもされているかのような、こもった音だった。
監禁部屋は人を閉じ込めたことを周りに気づかせないようにでもなっているのか?
(それともクレメッティの奴が部屋に呪いでもかけてたのかよ)
マーヤがペッテルの腕を握り締めてくる。
見れば怯えた顔をして今にも泣きそうだ。
「今の音、なんなの?」
「ケビが部屋から出たくて叩いたとか?」
それにしては一度聞こえただけで静かになったのが気にかかる。
「どうしよう、わたしが監禁部屋に行こうって言ったから――ケビに何かあったらわたし……」
「俺が中に入る。マーヤは腕の立つ魔法使いを連れて来い」
「腕の立つ魔法使いって誰?わ、わかんない……」
テンパっているのかマーヤは涙目で首を振る。
数年先に王宮魔法使いになっただけの先輩魔法使いでは、ケビの二の舞になる気がした。
周りから一目置かれるような魔法使いでないと駄目だ。
「おまえの大好きなトーケル様レベルの魔法使いだよ。ほら早く行け」
マーヤの背中を押しやる。
「わかった、トーケル様ね」
大きく頷いて彼女は駆け出していく。
「トーケル様ぁ!!」という叫び声が、マーヤの消えた方向から響いてきた。
魔法使い塔中に響きそうな大声だ。
これでは寮にいる魔法使い全員が出てくるだろう。
「あのバカ」
騒ぎを大きくしては、あとでクレメッティが困った立場になるかもしれないのに。
(いや、もしここを人に害を成す呪い部屋に変えてたってんなら、罰を受けるべきはクレメッティか)
ペッテルはゴクと喉を鳴らし覚悟を決めるとノブに手をかけた。
直後にケビのときと同様扉が開いて、見えない力で中に引っ張られた。
「わっ」
そこへいきなり、ブン、と鈍い煌きが走り、ペッテルは反射的に身を捩る。
そのままバランスを崩してよろけ、壁に背中をぶつけた。
明りの乏しい質素な部屋に鎧騎士が立っていた。
壁に取り付けたランプの光を反射させる鈍い煌きは、騎士の振り下ろした剣だったと気づいてペッテルはぞっとする。
対鎧を想定して作られた剣で袈裟切りにされていたら、骨を砕かれていたかもしれない。
「ペッテルおまえ、なんで入ってきたんだよ」
声に目を向けると、ケビが鎧騎士を挟んでペッテルとは反対の位置にいた。
剣を避けてペッテルとは逆側に飛んだようだ。
「なんでっておまえを助けようとだなぁ」
「魔力を封じられてて魔法が使えないんじゃ役立たずだろうが!」
「うるせぇな。中から音がしたし気になって――ケビ!おまえ血がっ」
「入ってすぐに斬りかかってきたんだ。剣先が触れただけだし掠り傷だ。それよりも部屋の奥見てみろよ」
ケビの視線を追ったペッテルは、
「っ!コマリ様っ」
横たわる黒髪の女性に見覚えがあって叫んでいた。
駆け寄ろうとしたが、騎士が横一文字に剣をふるったせいで足止めを食らう。
「やぁっぱコマリ様か。俺は間近で見たことがないから自信がなかったけど。一緒に食事したペッテルが言うなら間違いねぇよなぁ」
「なんでここにコマリ様が」
「クレメッティが攫ってきたんだろ?」
「はぁ!?てめ、言うに事欠いて――」
「じゃなきゃこの状況どう説明するって?マーヤがこの部屋からクレメッティが出てくのを見てんだし、充分ありえることだろが。この部屋、俺たち新人部屋と一緒っぽいけど、天井の高さとか部屋の奥行とかおかしいぞ。鎧が剣を振り上げられたり、入口からコマリ様までの距離が遠いんだ」
「言われてみれば」
机やベッドがないぶん広く感じているだけかと思ったが、高さと奥行きはケビがいうように新人部屋と違う。
横幅に変化がないように思えるが、これは脇をすり抜けてコマリを助けにいけないようにするためだろうか。
「クレメッティの奴、空間魔法を使えんじゃねぇ?あいつ、実力隠してやがったんだ。まずいな、俺のレベルじゃどうにも……部屋から出られねぇし、嬲り殺し決定?軽い肝試しのはずがなんでこうなるよ」
チ、とケビが小さく舌打ちして「どうすっかな」と独りごちる。
「やっぱドアは開かないのか?」
「ああ、びくともしねぇわ。まさしく監禁部屋の名にふさわしいってやつ」
部屋から出られないのでは一旦退いて、万全な体制で臨むこともできない。
ペッテルは部屋の奥で床に倒れたまま、ピクリとも動かないコマリを見つめた。
怪我でもしているのだろうか。
ガチャガチャと鎧騎士が近づいてくる。
剣を振り上げペッテルに斬りかかってきたのを避けるうち、狭い部屋では簡単に追い込まれた。
ケビが彼を助けようと魔法を放つが、見えない壁があるかのごとく、鎧騎士に触れることなく無効化される。
振り下ろされる剣をギリギリで避けて、ペッテルは鎧の足元を転がってすり抜けた。
「…………」
そのとき鎧から何か聞こえた気がして振り返る。
とたんにケビから声が飛んできた。
「ペッテルぼさっとすんな!魔法が使えないんだしせめて足引っ張るなよ。あーこんちきしょう、防御魔法がかかってるなんてやってらんねぇっ。しかもめちゃくちゃ強力じゃん」
「なぁケビ、鎧から声が聞こえた気がする。それにこの鎧、コマリ様は狙わない。もしかしてクレメッティはコマリ様を守ってるんじゃないか?」
「王国一守りの強固な王族塔にコマリ様はいるだろが。そこが危険ってカッレラの一大事だし、そんな状態なら護衛がコマリ様を守ってるっつうの。鎧が襲わないのは既に死んでるからか、死にかけてるからじゃねぇの?こんなに周りでドタバタやってんのに起きないし」
「縁起でもないこと言うなっ!なんだよ、おまえさっきから嫌なことばっかり言いやがって」
向かってくる鎧を避け魔法を放つケビは、やはり防御魔法に阻まれるのを見て、苦々しく顔を顰めた。
「こういう状況下で楽天的なことを考えられるほど、めでたい頭はしてねぇよ。で、実は俺、クレメッティのことあんま好きじゃないんだわ。マーヤははっきり物を言うクレメッティに嘘はないって言ってたけど、俺からすりゃ、クレメッティってほとんど自分のことを話さない秘密主義な奴だし、そういう奴はなんか信用できないって思うんだよな」
「だからってコマリ様を攫うなんてことするわけない」
「おまえは魔法使い塔から出られないから知らないかもしれないけどな。最近、変な噂が流れ始めてんだよ。コマリ様が誰かに狙われてるってな」
ケビの台詞にペッテルはぎょっとした。
(なんでコマリ様が狙われていることをケビが知ってんだ?)
異世界にいるシモンと連絡を取る際、魔力を供給していたペッテルは、たまたまコマリが狙われていると聞いてしまった。
火事現場で炎がまるで意思あるようにコマリを襲ったらしかった。
あのとき話を聞いた魔法使いと神官は、他言せぬようきつく言い渡されたはずだ。
しかし誰かが話してしまい、それが噂として広まったのかもしれない。
無言のままのペッテルに、ケビは驚いて言葉も出ないと勘違いしたのだろう。
「で、俺はその誰かってのがクレメッティだって気がして――っと」
鎧騎士に攻撃されたケビの言葉が途切れた。
ヒラリと避けたはよかったが、勢い余ってよろけたところをペッテルが肩を押さえて支える。
「悪ぃ」
「ケビ、腕の傷、ひどいんじゃないのか?」
袖で隠れているが右腕の二の腕を斬られたのか、ポタポタと床に血が落ちている。
「んぁ?ちょっと肉が裂けて血は止まらないけど、手は拳に握れるし骨までいってねぇ。大丈夫」
「はぁ!?おまえ、掠り傷っつったじゃないか」
ペッテルは自分の着ていた服を力任せに裂いて、ケビの腕に巻くと、きつく縛って止血した。
傷口はそう深くはなさそうでほっとする。
「おー、ペッテル、おっとこまえ」
「今度新しい服買って返せ」
「男前訂正。小せぇぞ」
「うるさいっ!こんなときまでふざけてないで真面目にやれ。マーヤがトーケル様を呼びに行ってる。トーケル様がつかまらなくても、同じくらいに実力のある魔法使いを呼んできてくれるはずだ。助けが来るまでなんとか持ちこたえんぞ」
「えー、助けが来るまで時間かかりそ~だな」
軽く笑ったケビは、しかしすぐに顔つきを改めた。
「この鎧はたぶん、前から魔法使い塔にあった人を追い回す鎧だな。こっちから攻撃すりゃ動きは止まってたはずだけど、いまは人を殺すよう呪いでもかけられてんじゃないか?なんかときどき動きがぎこちないから逃げられっけど、長引いたら生身の俺たちのが不利だ」
疲れて動きが鈍ったところをやられると言いたいのだろう。
それはペッテルも思うところだ。
とはいえケビの言う通り、先ほどから鎧騎士は一歩進むのも、剣を振るうのも、なぜか動きが鈍くなるときがある。
魔法で動いているから、人のようにスムーズに動けないのだろうか。
「防御魔法で守られてるからこっちの攻撃は無意味だよな」
「ああ。ずいぶん強力な防御魔法だ。クレメッティの奴ってここまでデキる奴だったのか。俺の魔法じゃどうにもできねぇわ」
ペッテルは自分の魔力が封じられていることを歯痒く思う。
「魔法が無理なら、なんとか二人で鎧を取り押さえて動きを封じてみるってのは?」
「原始的だけどそれが一番いい方法かもな。ああでも縛るもんねぇぞ」
「服でいいだろ」
ケビは溜め息とともに嫌そうな顔になる。
「肉弾戦かよ、暑苦しい」
破れた上着をペッテルが脱ぐと、しかめっ面のままケビもそれに倣った。
目を見交わしたあと、鎧騎士に向き直った。
力をため二人同時に床を蹴った。