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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
110/161

血塗られた手

室内に入って仕掛けを準備しているとふいに視界が揺らいだ。

グラついた体を支えるために、クレメッティは先ほどから元に戻している鎧に手をつく。

床には女物のワンピースと靴が散らばっていた。


「くっ……」

冷汗が頬を伝い、呼吸が思うようにできなくて胸を押さえた。

(魔法を使い過ぎた)

あとは頭の冑をつけるだけなのに、そこでクレメッティの手は止まる。

ぜぇと息をつく彼は、ランプの灯りのなか、窓に映る自身を見つめた。


「情けねぇ姿だなぁ。王宮魔法使いってんなら、連続で魔法を使ったくらいでへばんなよ」

嘲るような声が聞こえた。

ピクとクレメッティの眉が不快げに動いた。

異世界の悪魔を処理するため、呪いの鎧を利用して襲わせたり、邪魔な護衛を手違いに見せかけ吹き飛ばしたりしたのだ。

しかも魔法でここまで人間二人と鎧を運び、それを周りに悟らせないため、人避けの魔法を施していた。

健康体の魔法使いであっても、さすがに魔力が尽きてくるだろう。


「その人避けの魔法、しっかりかけとかねぇと、ペッテルやマーヤがまた部屋にやってくるぞ。あいつらおまえが死んだヴィゴのことを気に病んでるとかって、本気で思ってんだ。はっ、誰がヴィゴを殺ったかも知らねぇで、ホントめでたい奴らだぜ」

クレメッティはヌルリと手がぬめった気がして、思わず両手を見つめた。

あの雷雨の日のことが思い出される。


頼まれた魔法書を取りに魔法使い塔へ向かう途中の急な雨だった。

すぐそこまで来ていた魔法使い塔へ駆け込むこともできたが、自分を手伝うため追ってきていたらしいヴィゴに、庭師小屋へ連れていかれた。




* * *




「魔法使い塔まですぐだ。走ればよかったんじゃないか?」

クレメッティが濡れた顔を拭ってこう言うと、眼鏡を外し、同じように服で顔を拭ったヴィゴがちらと彼を見た。

眼鏡をかけなおすと、小屋の天井を見上げる。

「この中を走るのか?屋根を叩く雨音を聞いてみろ。雷まで鳴っているぞ」


ごろごろと唸る雷の音にクレメッティも耳をすました。

「夕立だ。少し待てば小降りになるだろ。それより布かなにかあれば濡れた服を拭えるんだが」

ヴィゴは小屋の奥へと進んでいく。

壁の高い位置に明り取りの窓があるが、この空模様で小屋の中は薄暗かった。

庭師がどこかに肥料でも置いてあるのか嫌な臭いがする。


「あったぞ。ほら、クレメッティ」

「それ、雑巾じゃないのかい?」

「ちょっと土がついてるくらいできれいなものだ。たぶんこの鋏の汚れを拭ったんじゃないか?風邪をひくよりましだろう」

棚の上に枝や茎を整理するための銀色の鋏があり、小屋を仕切った煉瓦には何枚か布が掛けられていた。

雑巾を洗って干しているのだろう。

クレメッティは雑巾の中から、綺麗なものを選んで手に取った。

「わたしはこちらにする」


ヴィゴは手に持つ布と見比べて「神経質だな」と笑った。

クレメッティが雑巾で衣服に滲みた雨を吸い取る。

ヴィゴも、黒にも見える木炭のような濃い灰色の髪を乱暴に拭って、雑巾を煉瓦に戻した。

会話のない中、ヴィゴから視線を感じた。

眼鏡の奥のダークブルーの瞳が何か言いたげだ。


「何か言いたいことがあるならはっきり言ってもらってけっこうだよ」

自分より背の高いヴィゴを見上げる形でそう言うと、彼はクレメッティの手から雑巾を受け取り、無造作に煉瓦に干した。

「ああ……それより寒くないか?クレメッティはすぐに体調を崩すだろう」

何をいきなり。

まさか心配しているのか?


王宮でヴィゴやペッテル、マーヤと共にいるようになって、長い間忘れていた言葉を聞くことが増えた。

子どもだった頃は、唯一の兄が口は悪くとも自分の体を案じてくれていたが――。

いや、なにをつまらないことを考えているのか。

「ひ弱な人間のように言わないでくれ。わたしに言いたいことはそんなことじゃないだろう?」


ヴィゴにしては珍しくはっきりしない態度で、クレメッティから視線を逸らした。

迷う素振りを見せていたがやがて切り出す。

「舞踏会のときのことなんだが――」

ああ、きたか。

内心思いながらもクレメッティが無言を通すと、相槌を待っていたらしい彼は、言いづらそうに言葉を続けた。


「あのとき一瞬、俺の方を見たよな?」

ペッテルの銀の器に毒入りの惚れ薬を入れた直後、少し前までペッテルと話をしていたヴィゴが、こちらを見ていたことに気がついた。

犯行の瞬間を見られたかもしれない。

だからクレメッティは先に、怪しい手を見たとシモンに告げたのだ。


参考人が集められた来賓室に、シモンとともに現れたクレメッティを見て、ヴィゴは驚いたようだった。

けれど手の話を聞くと自分も見たと、証言の後押しをした。

見られたと思ったのは思い過ごしだったのか。安心しながら、それでもやはり確信が持てず、結局は始末をつけることに決めたが。

(やはり、気づかれたのか)


ではいまがヴィゴを片付ける絶好の機会じゃないだろうか。

ここならば危険物もあるし、何より誰もいない。

ドク、とクレメッティの胸が脈打つ。


俺が殺ってやろうか?


聞こえた声に首を振る。

「まだだ……」

「え?まだって何がだ?」

見下ろすダークブルーの瞳と目が合った。

その眼差しはいつも向けられているものと変わらない。

疑惑を持っているのだろうに、どうしてそんな目を向けることができる。


「なんでもない。それよりあのときと言われても、なんのことかわたしにはわからない」

「わからない、のか?」

困惑しつつも探るような様子をみせたヴィゴが、やがて安堵した。

「そうか。いいんだ。わからないならいい」

噛みしめるような声になぜか胸がざわつく。

納得するのか?

こうも簡単に?

「とても深刻な顔をしていたがいいのか?」

「ああ。俺の勘違いだったんだろう。悪いな、思わせぶりなことを言って。忘れてくれ」


ヴィゴは優秀で同期の中では頭一つ以上抜きでている。

さすがにまだ隊の指揮官レベルではないが、先輩の魔法使いからも一目置かれる実力があり、知識も豊富でなにより腕を磨く努力を惜しまない。

だからこそクレメッティも、彼のことは自分と話すに値する相手だと認めていた。

一を聞いて十を知るような男が愚鈍なはずはないだろう。

なのに誤魔化されてくれるのか。

(それはきっとわたしのことを――)


甘いんだよ、おまえは!


頭の中で強い声がした。

直後、クレメッティの表情が一変する。

「俺がてめぇのお友達だから、俺の言葉を信じようってか?」

人を馬鹿にしたような声がクレメッティから発せられた。

ヴィゴにニタリと品のない笑みを向ける。


「あんときおまえ、本当は見たんだろ?クレメッティが毒入りの惚れ薬を、ペッテルの持つ器に入れるところをさ。なのにクレメッティの嘘の証言に話をあわせやがって――どんだけおめでたいんだ?」

「クレメッティ?どうしたんだ、急に」

「ざぁーんねん。俺、おまえのお友達のクレメッティじゃねぇんだわ。双子のお兄ちゃんなのよ……て、ハハ、わかんねぇって面だな。そんなことより、おまえがちゃんと証言してやりゃ、ペッテルが犯人扱いされることもなかったんだぜ?あいつ、相当落ち込んでたよなぁ。ペッテルの部屋に日参したり、犯人探ししてたのは、真犯人がわかってて黙ってることが後ろめたかったからだろ?」


「違う。あれだけの人がいたし、よく見えなかった。たまたま犯行時におまえがあそこにいただけだと……」

「へえ?本当は無理やりにでも違うって思いたかったんじゃねえの?でもやっぱり黙っていることもできなくて、こうして強引に二人きりになって話を切り出した――て、とこじゃねえ?。俺としちゃ、脅して金でも要求するつもりで黙ってるってんなら、まだ理解できんだけど違うよな?友達だからってんだろ?」

黙り込むヴィゴに、クレメッティは「はっ、馬鹿馬鹿しい」と吐き捨て、棚にあった鋏を手に取る。

刃をなぞった指先を、ふ、と軽く吹いた。


「友達、仲間、なんてのは寒すぎて虫唾が走る。まぁでもおかげでこうして隙ができるんだ。俺としてはあっけなさ過ぎて物足りねぇけどなっ……と」

一瞬の動きだった。

クレメッティの握る鋏の尖った先端が、ヴィゴの腹に食い込んでいた。

「おまえ、懐に入れた奴に対して無防備すぎだ。それが命取りになるんだぜ?」

ぐり、と鋏を押し付けられたヴィゴの顔が苦痛に歪んだ。

クレメッティの指先が血に濡れていく。


「ぅ、ぐ」

うめき声を漏らすヴィゴが、力いっぱいクレメッティを突き飛ばした。

仕切りの煉瓦に背を打ちつけたクレメッティの手から、血のついた鋏が落ちる。

「痛ェ……このバカ力。ちったぁ抵抗してくれた方がこっちも殺りがいがあるが、ガチで抵抗されっとかなりムカつくな」

苛ついた様子の茶目が、床に落ある鋏に走った。

小屋を打つ雨音さえも消し去るほど、雷がごろごろと大きく唸りをあげた。

いつの間にかあたりに雷が近づいてきている。


クレメッティが鋏を拾うため動いた瞬間、空気の圧力で押されたように、彼の体が煉瓦に押し付けられた。

「ぁ、つぅ……」

「おまえは何者だ」

ヴィゴがクレメッティを睨みつける。

腹を押さえるヴィゴの手が赤く濡れていく。

「だーから、こいつのお兄ちゃんだって言ってんだろ。……ちっ、動けねぇ。魔法使いってのはやっかいだな」

「クレメッティにいるのは姉だ。高位の魔物の類は、人に憑いてその者を操ることもあると、大昔の書物に記述があったが」 


「魔物?この世界に魔物がうようよしてたのは、はるか昔のこったろ?つうか、おまえ、舞踏会のときのことを見てたんなら、薄々こいつの嘘を感じてたんじゃねぇの?頻繁に手紙をくれる相手は、姉じゃないんじゃねえかってな」

「それは……」

「はっはー、図星かよ。ありゃあ、ほとんどが恋文だったんだぜ。ま、クレメッティはまるっきり気がなかったけどなー。俺からすりゃおいしく食ってりゃいいのに、楽しむ気ゼロだしよぉ。もったいねぇ」

にやにやと笑う顔が下品に歪む。


「話を逸らすな」

「そう怒るなって。俺は嘘は言ってねぇぞ。こいつの中にいる、こいつの死んだ兄貴だ」

「では死者がクレメッティに憑依したのか。おまえがクレメッティを操って、舞踏会の事件を起こしたのだな。俺に見られたから、シモン様へ犯行現場を見たと言って、疑いの目を背けようとしたんだろう。何が狙いで騒ぎを起こした!?兄のくせに弟を貶めるなど――」

プ、とクレメッティが吹き出した。


「そんなにクレメッティを信じたいのか……ほんと、めでてぇ頭だなぁ。面倒だから説明しねぇでおこうと思ったけど、笑わせてくれた礼に教えてやるよ。舞踏会をぶち壊したかったのはクレメッティだ。第一王子の愛魂相手が邪魔で、随分前から消したがってんだよ」

雷が轟き、明り取りの窓の向こうで空に稲光が走る。

「まさか、異世界にいたコマリ様を狙っていたのは……」

呆然とするヴィゴの言葉にクレメッティは、あん?と目を眇め、思い当たったような顔になった。


「それ、異世界と連絡をとりあうため、魔力を供給してたときにでも知ったか?広まらないように、箝口令が敷かれてたってわけだ。けど最近、上層部には知られつつあるぞ?おかげで一時少なくなった女の護衛がまた増えやがった」

「そんな情報、いったいどこから――」

「人が集まる場所には、馬鹿で口の軽い奴ってのがいるもんだ。そして人が噂好きなのもまた、変えようのない事実。注意してりゃ情報なんてもんはすぐ集まるさ。つうか実際、いろいろ「見てた」んだけどな」

「見てた?」

疑問を口にするヴィゴに答えないで、クレメッティは意味ありげに笑った。


「異世界に向けて魔法を放つにはかなりの魔力を消費する。魔法石で魔力を増幅しても、弱っちいクレメッティにゃ荷が重い。こいつがよく寝込んでた理由がわかったか?あ、そういやおまえ、休んでるこいつの仕事までやってたんだっけなぁ」

間抜けな奴、と嘲笑されたヴィゴが眼差しを険しくする。

魔法で動きを制限されたクレメッティの体が、更に煉瓦に押し付けられ、彼は呻いて顔を顰めた。

「無詠唱ってのが優秀だねぇ。さっきからクレメッティの奴がうるせぇし。しょーがない、任せるか」

品のない笑みが面から消えた。

直後にクレメッティを押さえつけている、ヴィゴの魔法が消えうせる。


「しゃべりすぎだ、パウリ」

「パウリ?」

呟くヴィゴに、クレメッティがゆっくりと顔を向けた。

「わたしはきみのことは認めていたんだ。あの救いようのない馬鹿で女好きのペッテルと親しくするのは疑問だったが、知識は豊富で魔法の腕も確かだ。わたしの友人に相応しいだろうってね。残念だよ、ヴィゴ。わたしへの疑いを口にさえしなければ、きみを見逃したかもしれないのに」


「おまえ、兄の悪霊に操られているんじゃ……?」

「悪霊?馬鹿を言わないでくれないか。パウリは生きてわたしと共にいる。矢の雨をかいくぐり死の滝を越えて、わたしたちはカッレラへ辿り着いたんだ。二人で生き延びようと言ったパウリの言葉通りに、わたしたちはこうして生きている。そしてわたしは天の使者たるあの方に巡り会えたんだ」

クレメッティの面にどこか狂気を感じさせる笑みが浮かぶ。


「わたしが生かされたのは天の意思。聖なるあの方をお守りする使命を与えられたのだ。この豊かなカッレラ王国を、更なる幸福の地へと導くのはあの方しかいらっしゃらない」

ところが突然クレメッティの表情が昏く陰鬱としたものへ変わった。

「なのに異界の悪魔がシモン様を誘惑し、王国の母たる座をあの方から奪おうと画策した」

「コマリ様が悪魔だと言いたいのか?」

「そうだ。あれは排除せねばならない。悪魔を消し去って、あの方の座を取り戻して差し上げなくては。だから邪魔しないでくれ。でなければきみも排除しなくてはならなくなる。ああでも……放っておいても大丈夫か。けっこう血が流れているようだし、そろそろ立っていられないんじゃないのか?」


ヴィゴの手はすでに真っ赤に濡れ、服が血に染まっていた。

血の気が失せた顔は青ざめて、冷汗が浮き出ている。

「「あの方」とは誰のことだ?」

「とても清らかでお優しい方だ。一人生き残った幼いわたしを慰めてくださって……?――一人?」

首を傾げたクレメッティは、だがすぐに頭を振った。

「ああ違う、パウリはわたしと生きている。ずっと一緒だ。そして邪魔者を排除している。排除し続ける。あの方のために。……そう、だからヴィゴ――てめぇも邪魔者だ!」

「うぁっ!」


ヴィゴが横殴りに殴られたように吹っ飛んだ。

不意打ちをくらった彼は、身を守ることもできず壁にぶつかって、ずるずると座り込む。

意識が朦朧としているらしい。

咳き込んだあと体が傾いで仕切りの煉瓦に肩を預ける。

荒い息を繰り返すヴィゴは、それでもぶつぶつと何事かを呟きはじめた。

勝ち誇った態度で、クレメッティがゆっくりとヴィゴに近づいていく。


「終わりにしようか、ヴィゴ」

嵌め殺しの窓に雨粒が叩きつけられていた。

耳がおかしくなるほどの轟音が響き渡る。

雷が落ちたのか地面が揺れた。

クレメッティが呪文を唱えた。

宙に魔法陣が現れ、その一瞬後に、ヴィゴの前にも魔法陣が浮かぶ。

二人の魔法が発動した。




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