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あなたの虜  作者: 七緒湖李
本編
104/161

隠された人

手元が明るくなったためジゼルは顔をあげた。

デザイン画が並ぶテーブルにそっとランプが置かれた。

元からあったランプは油が切れかけていたらしい。

熱中していて炎が小さくなっていたことに、まったく気がつかなかった。


人の気配に見上げた先で、ふんわりした雰囲気を持つ女性の、優しげな顔があった。

「ありがとう、サデ」

目が合うと笑顔が深まって、いいえとサデが首を振る。

「そちらはコマリ様の新しいドレスですか?」

「そういうのと関係なく思いつくままに描いてみたんだけど。仕立て屋から何点かデザイン画が欲しいって言われてるの。サデはどれが好き?」

「え?えっと、そうですね……これとか?」

「意外ね。サデならもっとふわふわした感じのドレスを選ぶかと思ったわ」


「憧れますけど、コマリ様がいつもドレスのスカートが邪魔だとか、ドレープが多いと歩きにくいっておっしゃっていますから。実際着るのだとしたら、こんなふうにすっきりしたものの方がいいのかと」

「そうね。じゃあやっぱりここをこうして、足首ぐらいの長さに……で、スカートは崩した感じで段々にしたら――」

「わ、可愛いです」

ポンと手を合わせてサデが顔を綻ばせた。

ゆるく癖のかかった髪が肩上で揺れる。


「色は、そうね。サーモンピンクで決まりかしら。ん、サデに似合いそう」

「え、え?わたしにはもったいないです」

「なぁに言ってるの。おめかししたところを見せてやればいいのよ。きっと一目見ただけでサデに釘付け。簡単に落とせるから」

言いながら、ジゼルは背もたれに腕を預けて後ろを振り返った。


「ね、ヴィゴ。だからさっさと目を覚ましなさい」

ベッドには包帯を巻かれたヴィゴが横たわる。

点滴をされ眠り続ける顔は青白く、怪我をした日からずっと彼の意識は戻らないままだ。

ヴィゴは一時は危険な状態だった。

今は容体が安定し傷も随分と癒えてきている。


ヴィゴを死んだことにして、こうして隠すことになったのには理由があった。

庭師小屋で煉瓦が崩れたのが事故ではなかったとしたら、ヴィゴは犯人を見ているかもしれない。

彼が生きていると知れば、また狙われて、今度こそ本当に殺されてしまうだろう。

そしてその犯人は、ヴィゴの友人であるクレメッティではないかと、ジゼルはスミトから聞いていた。


彼曰く、「同じ事故現場に居合わせていてクレメッティは軽傷すぎる」ということだった。

そして、「もしもの事を考えてヴィゴを隠すから、ジゼルは彼の看病をしてもらいたい」と頼まれたのだ。

立っていた場所が違うだけで九死に一生を得るということはある。

怪我の具合だけで犯人とするのはどうかと思ってそう言うと、スミトは「せやったらええなぁ」と小さく笑った。

もしかしてクレメッティが犯人と思わざるをえない理由が、他にもあるのだろうか。


突っ込んで尋ねると、「勘」などという、根拠のない答えが返ってきた。

ジゼルはそのときのスミトのやるせないような微笑みを見て、本当は彼もクレメッティを疑いたくはないのだと気がついた。

魔法協会にいたころのことをスミトは話したがらない。

だからほとんど知らないけれど、スミトが自身に染み付いてしまったものを、心底疎ましく思っていることは知っていた。

しかし彼の言った「勘」は、本人が疎んじるそれらを元に導き出されるもので、信じるに足る根拠となってしまうのだろう。


ジゼルはクレメッティを疑うスミトを責めたいわけではなかった。

ましてや魔法協会のことを思い出させたり、自己嫌悪に陥らせたかったわけじゃない。

軽はずみな言葉を悔いたが、謝れば余計にスミトを傷つけるだろうと言えなかった。

ヴィゴのことは任せてと、ジゼルが明るく請負うと、スミトはまた笑って「おーきに」と言った。

優しい笑顔に泣きたくなった。


ヴィゴを守るため、密かに、そして速やかに医薬師塔へ運ぶよう指示したのは、もちろんシモンだ。

彼はヴィゴの看病にジゼルだけでなく、もう一人サデをつけた。

彼女は大怪我をしたヴィゴを見て気絶したのだ。

ヴィゴを守るための嘘とはいえ、死んだと聞いたらどれほどのショックを受けるか。

サデの精神的負担を考えると、嘘の死で苦しめるより、ヴィゴの世話をするほうがいいだろうと、看護を頼んだのだそうだ。

ただしクレメッティを怪しんでいることはサデに話していないらしい。


リクハルドが空間を広げて室内を広くしたり、人が寄り付かないよう人避けの魔法を施してくれているため、ここにヴィゴがいることは、シモンとリクハルドを除けば、彼を診ている医師と、あとはスミトとゲイリー、そしてテディとオロフが知っているだけだ。


「ヴィゴが目覚めたら告白するの?」

眠るヴィゴからサデに視線を戻して質問すると、彼女はびっくりしたような顔になった。

しかしすぐに悲しそうに俯いてしまう。

椅子に座るジゼルが見上げるその表情は、不安が見て取れた。

「ヴィゴさんは、目を覚ましてくれるでしょうか?」

サデの赤茶色の瞳から、ぽろりと涙が流れ出た。


「医師の方が点滴だけでは体が弱ってしまうと……確かにヴィゴさん、痩せてきています。このままじゃ――」

「馬鹿なこと言わないのっ」

ジゼルは思わず立ち上がってサデを抱きしめていた。

「生死の境をさまよって生き残った奴なのよ。そういう人間はね、生きるって気持ちが強いの。諦めていないのよ。だから絶対ヴィゴは目を覚ますわ」

ひ、ひ、と嗚咽を漏らすサデは、今日までずっと不安と戦ってきたに違いない。


「そうだ、サデ。ヴィゴの手を握ってみたらどう?」

「手、ですか?」

「早く目を覚ましてほしいんでしょう?繋いだ手からサデの気持ちがきっと伝わるわ」

ベッドの横にサデを座らせ、手を握るように促すと、彼女は躊躇いながらもヴィゴの手に触れた。

彼の手を両手で包み込んで握ると、額に押し当てる。

「起きてください、ヴィゴさん。目を覚まして……お願い」

ヴィゴが目覚めるのを一心に祈っているようなその姿に、ジゼルは目頭が熱くなった。


「またお話してください。魔法のこと教えてください。わたしの知らないことを、たくさん話してください。ヴィゴさんがわからないことは、わたしができるんです。だって部屋の片付け方を尋ねてきましたよね。わたし、お掃除は得意です。お手伝いします」

サデの手のひらが強くヴィゴの手を握った。

「――わたしの知らないヴィゴさんをもっと知りたいです。わたしのことをもっと知ってもらいたいです。そうやって少しずつでも仲良くなりたい。だから起きて、ヴィゴさん」

サデが黙ると、しんと室内が静まり返った。


(やっぱりダメなの?)

ヴィゴはこのまま――。

嫌な想像が浮かびかけたジゼルだったが、サデがハッと顔をあげた。

「ヴィゴさん?」

「どうしたの?」

「いま指が動いて握り返してくれたような……気のせい?」

包帯を巻かれていないヴィゴの右瞼が微かに震えた。


「ヴィゴさん!」

「ヴィゴ!」

思わずジゼルはサデの手の上から、彼の手を握っていた。

「聞こえてるのね。だったらさっさと起きなさい、このアンポンタン!こんな可愛い子を泣かせていつまで寝とぼけてるのよっ」

「ジ、ジゼル様。大声は――」

「ここが男の見せ所でしょ。起きるのよ。根性をみせるの。目を見開きなさい、さあ!!」

声が大きくなるにつれ、ヴィゴの手を握るジゼルの力も強くなった。

震えていたヴィゴの瞼がゆっくりと開いた。


「ヴィゴさん!」

「ヴィゴっ」

ジゼルたちの声に、少し遅れて視線がこちらを向いた。

サデが涙をこぼして彼の手を引き寄せる。

ジゼルも滲む涙をぬぐった。

「よかった、ヴィゴ……本当に――」


「…………っ……テ……」

喘ぐようにヴィゴの口が動いたが、声が上手く出ていない。

それでも必死に何かを訴えようとしている。

「何?なんですか、ヴィゴさん」

サデが身を乗り出し耳を寄せる。

「……テ……」

「え?」

「……クレ、…メ……テ……」


何を言っているのかわかっていないサデの横で、同じように眉を寄せていたジゼルは、少しあって気がついた。

「クレメッティがなに?」

やはりクレメッティがヴィゴを襲った犯人だったのだろうか。

だから彼の名を口にしているのでは!?

サデの隣からヴィゴを覗き込むジゼルにダークブルーの瞳が向けられた。

また彼の唇が動く。


「……ェゲイ…ナセ、イ……ルォ……コ、マ……」

だが切れ切れの言葉では首飾りも上手く通訳してくれないのか、なにを言っているのかさっぱりわからなかった。

「――ルォン……コマ、……リ……、ツェ……ゲィ……セイ」

ヴィゴはベッドから起き上がろうとしたようだ。

しかにわずかに身じろいだだけで、顔を顰めてしまう。

「駄目ですヴィゴさん。安静にしてください」

「弱った体で動けるはずがないわ」

は、は、と息をもらしながら、ヴィゴはまた同じことを言った。


「ル……コマリ……ツ……ゲ……ナセィ」

「え、コマリ?コマリって言ってるの?」

「もしかして「ツェゲナセイ(危ない)」?ヴィゴさん、コマリ様が危ないと言いたいんですか?」

サデの台詞に、ヴィゴは弱々しいながらも、握られたままの手に力を込めた。

その通りだというように。

しかし彼は言葉を続けるのは限界だったのだろう。

「…マリ……ゲ……ナ、ィ――」

ふ、と気を失ってしまった。


「ヴィゴさん?ヴィゴさん!?」

サデが血相を変えて彼に呼びかける。

「落ち着いて、サデ。無理に動こうとしたから、ちょっと疲れちゃったんだわ。一度意識が戻ったんだから、きっとヴィゴは大丈夫。今は眠らせてあげましょう。ね?」

「眠って……?あ……はい、そうですね」

ヴィゴを見て、よかったとサデが喜ぶ。

その顔はさっきまでと違って明るかった。


「ねぇ、サデ。コマリが危ないってヴィゴは言っていたのよね?」

「はい、わたしには「危ない」と聞こえました。クレメッティさんの名前も呼んでいましたが、いったいどういうことでしょうか?」

「たぶん小屋で煉瓦が崩れてきたとき、クレメッティと一緒にいたから、彼が無事か気になったんだと思うわ。それより、わたしがシモンにヴィゴの言葉を伝える。だからサデは王宮医師に、ヴィゴが目覚めたことを報告に行ってくれるかしら?」

クレメッティのことを誤魔化して用を頼むと、サデがチラとカーテンの引いた窓を見やって首を振った。


「もう外は暗いです。医師の方にヴィゴさんのことを伝えた後、わたしが執政塔まで参ります」

「ああ、大丈夫。スミトの魔法があるから」

「え、魔法?異世界には伝言魔法みたいなものがあるのですか?……わかりました。ではお願いします」

魔法ではなくスミトの「式」に伝言を頼むのだが。


スミトは「式」のことを周りに隠したがっていた。

無防備に手の内をさらすような真似はしたくないという。

やはり本人がどれほど嫌がっていても、魔法協会にいた頃に覚えた、身を守る術というか、他人を疑う癖が抜けないのだろう。

信頼しているシモンやコマリ、テディたちには「式」のことは隠していないが、こちらの精霊との違いを説明するのが面倒だから、とそれらしい理由をつけて、周りに話さないよう口止めをしているようだ。

ジゼルからすれば、「式」とは日本の幽霊だと思うのだが、そう尋ねると困った顔をされたため、実際のところ違いの説明は本当に難しいのだろう。


部屋を出て行くサデを見送り、ジゼルは「式」の名を呼んだ。

「タマユラ、いる?」

【こちらに】

宙からピンクの髪をした和装の女が現れる。

護衛として彼女をつけてくれていることは、トーケルに教えてもらって、そのあとスミト本人にも確認した。

照れながらも「心配なんや」と言われて、倒れそうなくらい嬉しかった。


「いまのを見ていたわよね。わたしはあなたの主じゃないけれど、ここで見たことと、コマリが危険ってことをスミトに伝えて。彼からシモンに知らせてくれるはずだから」

【主の命はあなたをお守りすることです。お側を離れることはできません】

「スミトが何のために動いているかあなたも知っているでしょう。コマリとシモンの幸せを守ろうとしているの。わたしだって同じ気持ちだわ。だからお願いよ」

【――ではわたしがいない間、ここから動かないでください】

ジゼルがしっかりと頷くのを見届けてから、タマユラの姿がかき消えた。


ヴィゴを隠すことを知る人間は最小限にとどめたいと、シモンがコマリにも伏せることにしたせいで、もう何日も彼女に会っていない。

ジゼルは仕事で忙しくなるとコマリに嘘をついてここにいるのだ。

(コマリが危ないって……やっぱりクレメッティが?)

眠るヴィゴを見つめ、先ほどの必死な彼の様子を思い出したジゼルは、胸の前でぎゅっと手を握り合わせた。

ここで隠れるような生活をしているから、時おり顔を見せてくれる仲間たちに話を聞くまで、なにも情報が入ってこない。

しかもサデがいるからはっきりとしたことを尋ねられないのだ。


不安がジゼルの胸を占めたが、彼女は思いなおしたように首を振った。

皆が協力してコマリを守っている。

だから彼女が誰かに害されるはずがない。

それよりもコマリは一人で思い悩むところがあるから心配だ。

ホームシックは消えただろうか。

それに舞踏会の騒ぎのせいで、自分がシモンの后に相応しくないと思われていると、感じているようだった。

シモンが上手くフォローして、彼女の気持ちを楽にさせられていたら良いけれど。


窓に近づいたジゼルはカーテンを捲った。

この部屋は上層階にあるため、王族塔がよく見える。

ヴィゴは目覚めてすぐに動こうとするほどの気概のある男だ。

きっとこれから快方へ向かうだろう。

そうなったら彼の看病はサデだけでよくなるはずだ。

じきに以前のようにコマリの側についていられるようになる。


日本でスミトとともにマンションに転がり込んだ自分を、彼女は嫌な顔一つしないで住まわせ、仲良くしてくれた。

つきあいはまだまだ短いけれど、ジゼルはコマリのことが可愛くて好きだった。

明るくて楽しい彼女は、ちょっと頭が固いし泣き虫で実は短気なところがある。

そんな彼女だから、友達でありながらも、一人っ子の自分がお姉さんの気分を味わえる相手だった。

手のかかる妹のように思うときがあるのだ。


「いつもはスミトが危ないことをしてないかって心配してるのに」

ポソリと呟くジゼルの指先がカーテンを握り締めた。

今日はコマリのことばかり気にかかる。

やはりヴィゴの言葉が不安を募らせているのだろう。

空には星が瞬き、欠けた月が明るく輝いていた。

薄雲が流れていく。

しばらく空を見上げていたジゼルは、やがてカーテンから手を放した。




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