第十四話 助けて
「……疲れた」
家へ帰った瞬間。
紗奈はそのままソファへ倒れ込んだ。
今日は本当に色々ありすぎた。
玲奈のこと。
莉緒のこと。
撮影のこと。
昔のことまで思い出してしまった。
「……なんなんだろ最近」
天井を見る。
でも。
不思議と嫌じゃなかった。
少し前までの自分なら、絶対こんな毎日送ってなかったと思う。
スマホを見る。
莉緒からは。
『今日はありがとうございました』
『紗奈先輩と撮れて嬉しかったです』
そんなメッセージが来ていた。
思わず少し笑ってしまう。
『こちらこそ』
『楽しかったよ』
そう返す。
すると。
すぐに既読がついた。
『……本当に?』
その返事が妙に莉緒っぽくて。
紗奈はまた小さく笑った。
『ほんとほんと』
『また怒られそうだけどね』
送る。
すると。
『なら今度はもっと撮りたいです』
「欲張りだなぁ……」
でも。
嫌ではなかった。
◇
しばらくして。
紗奈はお風呂を済ませ、自室へ戻る。
ベッドへ座りながら、小さく息を吐いた。
やっと落ち着いた気がする。
今日はもう寝ようかな。
そう思った時だった。
スマホが震える。
「……玲奈?」
画面を見る。
でも。
そこに表示されていたメッセージに、紗奈の表情が変わった。
『助けて』
一言だけ。
「……え?」
嫌な感覚が背中を走る。
『どうしたの!?』
急いで送る。
すると。
数秒後、返信が来た。
『今マネージャーさんにマンションの駐車場で降ろしてもらったんだけど』
『話しかけられて』
紗奈の呼吸が止まる。
『それが、あの時動画に映ってた人だった』
「っ……!」
頭の中で、昼に見た動画が蘇る。
帽子を深く被った男。
三人の後ろを歩いていた人影。
すると。
またメッセージが届く。
『急いで逃げたんだけど』
『追いかけられて』
『今駐車場で隠れてる』
紗奈の指先が冷たくなる。
『怖い』
その一言が。
玲奈がどれだけ追い詰められているかを伝えてきた。
『助けにきて』
その直後。
マンションの住所が送られてくる。
「……っ!」
紗奈は勢いよく立ち上がった。
上着を掴む。
鍵。
財布。
スマホ。
適当に持って玄関へ向かう。
その途中。
紗奈は一瞬だけ立ち止まった。
「……警察」
急いでスマホを操作する。
事情を簡潔に説明する。
玲奈のマンションの住所。
ストーカー。
追われていること。
震える声で全部伝える。
そのあと。
マネージャーにも連絡を入れた。
『今行く』
玲奈へ、それだけ送る。
すると。
すぐに既読がついた。
でも。
返事はない。
「お願いだから無事でいて……!」
靴を履き。
紗奈は夜の街へ飛び出した。
◇
マンションへ着いた頃には。
息が上がっていた。
「はぁっ……はぁ……っ」
高級マンション。
エントランスは静かで。
でも。
妙に不気味だった。
紗奈は急いで地下駐車場へ向かう。
薄暗い。
静かすぎる。
自分の足音だけが響く。
「玲奈!?」
小声で呼ぶ。
すると。
「……紗奈」
震えた声。
車の陰。
そこに玲奈がしゃがみ込んでいた。
「玲奈!」
急いで駆け寄る。
玲奈の顔は真っ青だった。
肩も震えている。
「大丈夫!?」
「……っ」
次の瞬間。
玲奈が勢いよく紗奈へ抱きついた。
「怖かった……!」
震える声。
今にも泣きそうだった。
紗奈は思わず玲奈を抱きしめ返す。
「もう大丈夫」
「警察も呼んだから」
「……ほんと?」
「うん」
玲奈を落ち着かせるように背中を撫でる。
すると。
遠くから足音が聞こえた。
玲奈の身体がびくっと震える。
「っ……!」
紗奈は咄嗟に玲奈を庇うように前へ出た。
暗い駐車場の奥。
帽子を被った男が立っていた。
「……なんで逃げるの?」
低い声。
「俺、玲奈ちゃんのこと心配してただけなのに」
ぞわりと背筋が冷える。
でも。
紗奈は玲奈の前から動かなかった。
「もう警察呼んでます」
はっきり言う。
すると。
男の動きが止まった。
「……は?」
「だからもう来ます」
その瞬間。
遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
男が小さく舌打ちした。
そして。
「……邪魔するなよ」
そう吐き捨てた瞬間。
後ろから警察とマネージャーが駆け込んできた。
「確保してください!」
マネージャーの声。
男は逃げようとした。
でも。
すぐに警察に取り押さえられる。
その光景を見た瞬間。
玲奈の力が抜けた。
「……ぁ」
紗奈は急いで玲奈を支える。
「玲奈?」
すると。
玲奈が小さく紗奈の服を掴んだ。
「……紗奈」
震える声。
「来てくれて、ありがとう……」
その声は。
今まで聞いたどんな玲奈の声より、弱かった。
その後。
警察による事情聴取は、一時間ほど続いた。
玲奈はかなり精神的に疲れていたのか、途中からほとんど紗奈の隣を離れなかった。
警察へ説明している時も。
時々、服の袖を小さく掴んでいる。
そんな玲奈を見て。
紗奈はずっと背中をさすっていた。
「とりあえず、相手の身元はこちらでも確認しています」
警察官が静かに言う。
「今後は接近禁止も含めて対応する予定です」
「……お願いします」
玲奈の声は少し掠れていた。
そして。
警察が帰ったあと。
マネージャーが大きく息を吐く。
「……ほんと、無事で良かった」
長い黒髪を後ろでまとめた女性。
切れ長の目。
スーツ姿がよく似合う、仕事のできる大人という感じの人だった。
名前は水城 梓。(みずきあずさ)
玲奈の専属マネージャーで、二十八歳。
でも。
今の表情は、仕事人というより玲奈を本気で心配している人の顔だった。
「梓さん……」
「ごめん、私がちゃんと中まで送ればよかった」
「そんな……梓さんのせいじゃ……」
玲奈が小さく首を振る。
すると。
梓がゆっくり紗奈の方を見た。
「今回は助けてくださりありがとうございます」
「い、いえ」
「玲奈、かなり怖がってたから」
そう言いながら。
梓は少しだけ安心したように笑う。
「あなたが駆けつけてくれて本当によかった」
その言葉に。
紗奈は少しだけ玲奈を見る。
玲奈は静かに俯いていた。
でも。
まだ紗奈の服を掴んでいる。
「今日はどうする?」
梓が玲奈へ聞く。
「一応、私の家来る?」
すると。
玲奈は小さく首を横に振った。
「……やだ」
「玲奈?」
「今日は……紗奈といたい」
一瞬。
空気が静かになる。
梓は少しだけ目を細めた。
でも。
すぐに小さく息を吐く。
「……分かった」
それから。
どこか優しい目で紗奈を見る。
「悪いけど、今日はお願いしてもいい?」
「え、あ……はい」
「後のことはこっちでやっとくから」
そう言って。
梓は玲奈の頭を軽く撫でた。
「ちゃんと休みなさい」
◇
玲奈の家へ着いた頃には。
もう深夜に近かった。
「……すご」
部屋へ入った瞬間。
紗奈は思わず声を漏らした。
広い。
綺麗。
高級ホテルみたいだった。
でも。
どこか生活感が薄い。
一人で住んでいることがすぐ分かる部屋だった。
「……あれ?」
紗奈が少し辺りを見る。
「玲奈の親って?」
すると。
玲奈が小さく靴を脱ぎながら答えた。
「別に住んでる」
「え?」
「ここ、学校近いし」
玲奈はソファへ座りながら続ける。
「仕事行くのも楽だから」
「へぇ……」
すると。
玲奈が少しだけ視線を逸らした。
「……それに」
「ん?」
一瞬。
少しだけ間が空く。
それから。
玲奈が小声で呟いた。
「紗奈の家、近いし」
「……え?」
思わず聞き返す。
でも。
玲奈は顔を逸らしたままだった。
「……なんでもない」
「いや今絶対なんか言ったよね?」
「言ってない」
「言ったって」
すると。
玲奈が少しだけ頬を赤くしながら、小さく紗奈を見る。
「……近い方が、会いやすいから」
その声は。
いつもの玲奈よりずっと弱くて。
でも。
真っ直ぐだった。
「……適当に座って」
玲奈が小さく言う。
その声には、もういつもの余裕がなかった。
紗奈がソファへ座る。
すると。
玲奈も隣へ座った。
そして。
次の瞬間。
「……っ」
力が抜けるみたいに。
玲奈がそのまま紗奈へ身体を預けてきた。
「れ、玲奈?」
「……ごめん」
声が震えている。
「なんか、まだ怖い」
紗奈は少しだけ目を丸くする。
玲奈がここまで弱っているのを、初めて見た。
いつも余裕があって。
からかってきて。
強引で。
自信満々な玲奈。
でも今は。
本当に壊れそうだった。
「……大丈夫」
紗奈がゆっくり背中を撫でる。
すると。
玲奈の身体が少し震えた。
「……本当は」
「ん?」
「警察とか、梓さんに連絡した方が良かったんだと思う」
小さな声。
「でも」
玲奈がそっと紗奈を見る。
「最初に浮かんだの、紗奈だった」
一瞬。
紗奈の心臓が跳ねる。
「怖くて」
「頭真っ白で」
「でも、紗奈なら来てくれるって思った」
その声は弱くて。
でも。
真っ直ぐだった。
玲奈がゆっくり紗奈の服を握る。
「……来てくれて、ほんとに嬉しかった」
少しだけ涙声だった。
そのまま。
玲奈は紗奈の肩へ顔を埋める。
「怖かった……」
ぽつりと漏れた本音。
その瞬間。
今まで張り詰めていた糸が切れたみたいに。
玲奈の身体から力が抜けた。
紗奈へ体重を預けるように、静かにもたれかかってくる。
紗奈はそんな玲奈を抱き寄せる。
「……もう大丈夫」
ゆっくり言う。
「私いるから」
その言葉に。
玲奈の肩が小さく震えた。
それから。
玲奈は少しだけ泣いた。
声を押し殺すみたいに。
静かに。
紗奈へ身体を預けながら。




