#4
「糸原和成さんですよね」
「は、はい」
自己紹介する前に名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばした。しかしその後に続ける言葉が思いつかない。どうしようか迷っていると、ちとせが突然席を立った。
「私が居たら話しにくいでしょ。それじゃ二人とも、ゆっくりね」
「はっ!?」
なんと彼女は鞄を持って、にこやかに店を出て行った。
意味不明だ。最初からこのつもりだったのか、と思うとまた恨みが募る。いくら何でも初対面の女性に悩みを聞いてもらうなんて。……でもここまで出向いてもらってすぐ別れるのも失礼だ。
「ちとせちゃんたら……困りましたね、どうしましょう」
「いや、何か俺達はめられた気がします」
正直に答えると、元村さんは可笑しそうに笑った。こんな目に合って怒らないとは、本当に大らかな人らしい。
「あの。糸原さんさえ良ければ、少しだけ付き合ってもらえませんか? 実は私今日忙しくて、お昼食べそびれちゃって。……すごいお腹空いてるんです」
彼女は桃色の頬をさらに赤らめ、恥ずかしそうに笑った。ほんわかしたオーラを放っているとは思ったが、それの理由が少し分かった気がする。
「俺は大丈夫です、けど」
「良かった! ありがとうございます、じゃあさっそくなにか頼みましょ!」
彼女は席につくと、さっそくメニュー表を眺めた。どうやらとてもお茶目な人みたいだ。
彼女の名は元村泉純。聞けば自分より四つ歳上で、都内のメンタルクリニックで働いているらしい。
仕草も言葉も控えめ。でもご飯はとても美味しそうに食べる。こちらは緊張で、ほとんど酒しか入らなかった。
たまに目が合うと上品に微笑む。……こっちが見てない時に視線を感じることもあった(自意識過剰かもしれないけど)。ただ、その視線は自分というよりも、まったく別のなにかを観察しているようにも思えた。
カウンセラーというだけあるから、一挙一動もこまかく見ているんだろうか。そう思うと何か緊張する。
「……海鮮が好きなんですか」
彼女が食事している時にペラペラ話しかけるのも悪いと思って黙っていたが、次々に運ばれてくる品にはついツッコんでしまった。刺身の盛り合わせ、海鮮サラダ、ホッケの炙り焼き、握り寿司……肉がない。野菜もない。これはベジタリアンとは言えないだろう。
彼女はまたハッとした様子で、照れ笑いした。
「すいません……! お腹空いてる時に好きな物が目に飛び込むと我慢できなくて」
「海の近くで育ったとか……?」
「いいえ。でも海は好きです。河も湖も、水の周りはみんな好き!」
ぐっ、と日本酒を一気にあおぎ、彼女はにっこりと笑った。
「日本はとても平和な国ですよね。なのに歩いている人はみんな難しい顔をしていて、あまり幸せに見えない。どうしてでしょう?」




