#4
泉純という女性と会ったのは、この夜が最後だった。
過日連絡しようと思ってスマホのアドレス帳を開くと、彼女の名前はどこにもなかった。まさかと思って、意を決して元カノのちとせに連絡すると、
『ええ、誰それ? 知らないよ!』
という信じられない答えが返ってきたのだ。
例えば泉純が自分を避けているとして。彼女を庇う為にちとせが嘘をついてる可能性もある(もっと現実的な嘘がたくさんあるけど)。だからなるべく穏便に、刺激しないよう問い質した。
「あのさ、彼女が俺に会いたくないならそれは良いんだ。ただ元気かどうか知りたくて……あ、もしかしてドイツに帰ったとか?」
『さっきから何の話してんの? 忙しいから切るね』
キンキンに冷えた声だった。待っ、と言いかける前に通話終了の効果音が流れる。
「えぇえ……!!」
ちなみに、ちとせと会話をしたのもこれが最後だ。
こうして俺は、彼女達との繋がりを完全に失うことになる。
突如として突きつけられた別れ。告白したわけでもないのに、二人の女性からフラれた気分だった。
もう誰も信じられない。自分は恋愛とは無縁の星で生まれ落ちたんだ。
元カノはともかく、泉純が姿を消したことは相当ショックだった。いや、別に彼女とどうにかなりたいとか考えてたわけじゃない。ただ突然過ぎて心の整理がつかなかった。
こういう時に握り締める小石もないし、そもそもアドレスが勝手に消えるって……絶対おかしいけど、もう訳が分からない。
「……」
代わりに握り締めていたスマホを弄り、ほとんど無意識に母に電話していた。
あ、まずいぞこれ。女性絡みで動揺して速攻母親に電話とか、マザコンの代表みたいだ。
慌ててスマホを耳から離したが、こういう時に限って母は電話に出るのが早い。
『もしもし、どうしたの?』
「あ……いや、何となく」
いつもと全く変わらない、さばさばした声。変わらな過ぎて笑ってしまう。
けどもしかしたら……母以上に自分が変わってないのかもしれない。
『最近アンタからの電話が多くてお母さん不安よ。死んだりしないわよね?』
死なない。
「別に。元気かなー、って思って」
『元気よ。あ、お父さんもね。今リビングに居るから電話代わろうか?』
「いやいや大丈夫。……久しぶりに次の週末に帰るよ」
『あらほんと。じゃあ何か美味しいもの作っておいてあげる』
やっぱり俺はマザコンかもしれない。
家族の声を聴くと安心する。不変とまでは言えないけど、いつも変わらない、世界で唯一の場所。
生まれて一番最初に出会った存在だからかな。
「サンキュー。それじゃ切るね」
『短い電話ね~』
「今度会った時にいろいろ話すよ。……そうだ、あと忘れる前に。前電話した時に話した、ドイツに住んでた女の人いるじゃん? よく分かんないけど、その人が母さんにありがとうって」
『女の人?』
「うん。素晴らしい親子だって言われた。でも何かその後連絡取れなくなってさ。嫌われたのかな、あはは」
『そうじゃない?』
母の直球なひと言が刃となって胸に突き刺さる。
嫌われるようなことをした覚えはないんだけど。……女性は難しいな。思いがけないことに憤激することもあるし。
『……ま、そうね。私はともかく、アンタは川で人を助けた。不思議だけど、なにかと川と縁のある親子なのかもね』
「川……」
『川は生命の源なのよ。なーんて、人は川で出産しないけどね』
母のおどけた笑い声が聞こえる。まったく、こうして考えると母も不思議な人だ。
不思議な体験をしても誰にも話さない。自分もそうだった。
ずっと昔に小石をくれた少女は自分と同じ大人になっているはずだ。きっと明るい笑顔の、綺麗な女性になっているだろう。
ただの石でも失くしてしまったことを謝りたかった。けど今は、何故だかそれほど気にならない。許してもらったような気さえしている。
今でもたまに覗く川の中には、人とは違う不思議な存在がいるんだ。彼らは人の手を借りて、現代も命を繋げている。
誰にも打ち明けず、ひっそりと、暗い水中から光を探している。




