第5話 相棒
その日の授業を終えた俺は家路についた。
今日は珍しくバイトも入っていない。
こうした日は久しぶりかもしれない。
地元まで戻ってきて帰り道を歩いていると、にゅっと九鬼がリュックから顔を出した。
「学校とやらはもう終わったのか?」
「あぁ。今日はそんなに講義入れてねぇからな」
すると九鬼は俺の言葉には反応せず、何やら神妙な顔を浮かべていた。
どうしたのだろう。
「のうアキヒト。お主がさっき見ておった黒い箱、あれは価値があるものなのか?」
「アーティファクトのことか? 価値があるどころか、あれがあれば一生遊んで暮らせるかもな」
「ふむ……」
九鬼はじっと俺の顔を見る。
「アーティファクトが欲しいか?」
「まぁ、欲しいか欲しくないかで言えば欲しいな」
「なら儂に一つ心当たりがあるぞ」
「あっ?」
◯
九鬼に連れられ再び庭先のダンジョンへと潜る。
「んで、どこに連れて行こうってんだよ」
「慌てるでない。すぐに分かる」
「……たく」
前を歩く九鬼の姿は狐女の姿になっていた。
ダンジョンではすぐに魔力が戻るらしく、姿も自由に変えられるようだ。
薄暗いダンジョンの空気は重い。
何度来ても慣れることはない。
「にしてもお前、こんな場所で暮らしてたんだよな。飯とかどうしてたんだよ」
「ここでは腹は減らん。何せ力に溢れておるからのう。お主たちの家の方がよっぽど腹が減る」
「生理現象を人ん家のせいにすんな」
でも言われてみれば、ダンジョンに入る前は空腹感を覚えてた俺も、今は別に腹が減っていない。
ここには生命力を満たしたり、体を滾らせるような何かがあるのかもしれないな。
歩いていると、急に九鬼がピタリと足を止める。
「止まれ」
「どした?」
「何かおる」
九鬼の肩越しに奥を覗き見る。
そこにあったのは広い空間だ。
初めて九鬼と会った、あの大きな部屋だ。
その中心に、見たこと無い獣がいる。
猿のようにも見えるが、皮膚が緑色をしていて気味が悪い。
しかもそれは一体や二体ではなかった。
少なくとも三、四十体はいる。
もはやちょっとした軍勢だ。
「何だありゃ……」
「小鬼じゃのう。下級風情が、今まで姿を見せんかったくせに、儂が留守にするようになると途端にねぐらを奪いに来たか」
九鬼はそう言うと、たじろぐこともなく小鬼へと近づいていった。
「お、おい! 九鬼!」
俺が止める間もなく、彼女はみるみるうちに体を巨大化させる。
巨大な九尾の狐に。
「ちょうど良い、アキヒト。あいつらで遊ぶのを見せてやろう。儂が最強じゃということを知るが良い」
九鬼はそう言うやいなや、小鬼の軍勢へと飛び込んでいった。
こちらに気づいた小鬼が、すぐに九鬼を取り囲む。
しかし九鬼はまるで怯む様子が無かった。
「アキヒト、目を瞑っておれ」
「えっ?」
俺が答える間もなく九鬼の尻尾の一つから怪しい光が溢れ出す。
咄嗟に目をつむると、フラッシュライトのような激しい光がまぶた越しに辺りを照らしたのが分かった。
俺はギリギリ回避したが、小鬼たちは途端に視界を奪われる。
「ほれほれ! 儂の前で踊ってみせよ!」
九鬼が嬉しそうに尻尾を振り回すと、今度はまた別の尻尾から炎が溢れ出た。
溢れ出た炎はまるで龍のように辺りを舞い、広い室内を途端に業火で焼き尽くす。
体に火が点いた小鬼たちは奇声を上げながら逃げ惑った。
「まだまだじゃあ! そんなに熱いなら冷ましてやろう!」
九鬼が叫ぶと同時に、今度は室内にどこからともなく水球が溢れ出る。
よく見るとそれも九鬼の尻尾が生み出しているらしい。
生み出された水球が小鬼たちの体を取り囲み、熱さに悶え苦しんでいた小鬼たちが今度は溺れたように水球に包まれる。
その状態を見た九鬼は、大きな牙をむき出しにして笑みを浮かべると、尻尾から雷を生み出した。
「仕上げじゃあ!」
九鬼が最後の一閃を放つと同時に、部屋中に縦横無尽に雷が走る。
生み出された雷は小鬼たちを包む水球へと伝播したかと思うと、部屋中に広がり小鬼を焼き尽くした。
辺り一帯に黒焦げになった小鬼の死体と、その中心で高らかに笑う女性姿の九鬼だけが残される。
何十体といた小鬼が、ほんの僅かな間に余すことなく消し炭になっている。
最強の魔物と呼ぶにふさわしい強さだと思った。
俺は思わずゴクリと唾を呑む。
こんなヤバい奴を俺は相手にしていたのか。
九鬼は女性姿のまま、俺に近づいてくる。
「どうじゃ、儂の力は」
「正直言って、ビビったよ」
「恐れたか」
「あぁ」
俺は九鬼から視線を外すことなく言う。
すると何故か九鬼は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それでもお主は、儂から目を逸らさぬのじゃな」
そうして彼女は俺の首に手を回した。
大きな胸が押し付けられ、体が密着する。
九鬼の端正な顔が俺を見上げていた。
その鼻息は荒く、頬も赤い。
蒸気している。
「強者にも引かぬ、媚びぬ。さすが儂が見込んだ男じゃ」
「何かお前……興奮してない?」
「ふふふ、久しぶりの戦闘じゃったからのう。体が滾っとるんじゃよ」
「えぇ……?」
俺がドン引きしていると艶めかしく体を擦り付け始めたので思わず「離れろ!」と叫んだ。
渋々といった様子で九鬼が体を離す。
「何じゃケチじゃのう。ちょっとくらい良いではないか」
「こんな訳わかんねぇ空間で盛る趣味はねぇよ。さっさと行くぞ」
「つまらんのう」
九鬼と共に再び部屋の奥へと向かう。
部屋の奥には更に細い通路が続いているのが分かった。
このダンジョンもまた、他の部屋に繋がっているらしい。
うちの庭と繋がったからこうして簡単に足を運ぶことができているが、本来ならこの部屋はダンジョンの奥側に当たるのだろう。
つまりはボス部屋のようなものだ。
その部屋にいた九鬼は、まさしく彼女が言うように上位種に当たる魔物なのだろう。
すると、部屋の一角に鳥居のようなものが見えた。
だだっ広い平坦な部屋の隅に、不自然に鳥居と小さな祠のようなものが見える。
「こっちじゃ」
九鬼は鳥居の方へと歩いていった。
俺はその背中についていく。
礎の上に建った木造の祠には扉がつけられていた。
人がようやく一人寝れるかどうかというくらいの大きさだ。
ここが九鬼のねぐらだろうか。
九鬼は祠の扉を開く。
祠の中には更に小さな神棚があった。
その神棚に何かが置かれている。
それは、黒く四角い箱だった。
正確に正方形に切り出された立方体。
そしてその箱は、仄かな青白い光を放っていた。
「これ儂の寝床にずっとあるんじゃが、眩いし妙な力を感じるしずっと邪魔じゃったんじゃ。さっきの小鬼もこれに釣られて寄ってきたんじゃろうなぁ」
その箱の正体に行き着いた時、全身に鳥肌が立った。
俺は思わず息を呑む。
すると九鬼は何でもない様子で、その箱を手に取った。
「これ、お主がさっき見ておったものじゃろ」
時価数千万は下らないと言われた、迷宮の遺物。
九鬼が手にしているのは、まさしくアーティファクトだった。
「お主がこれを欲しいというなら、くれてやっても良い。この箱はどうやら儂には使えぬようじゃしな」
「本当か?」
「もちろん、タダではない。条件がある」
九鬼の顔が突如として悪意に満ちる。
「何だよ条件って。魂でも食わせろってのか」
「アホ抜かせ。そんなもん喰らう趣味なぞないわ。まぁ、お主は心が強いから、その魂が食えるならさぞかし美味じゃろうな」
九鬼は小さく舌舐めずりした後、表情を変える。
「アキヒト、儂の下僕になれ」
やっぱり想像通りろくでもない提案だった。
「下僕って、何させるつもりだよ」
「儂に構え。未来永劫面倒見よ。そして儂を称え、忘れぬと誓え。そしたらこの下らぬ『宝』とやらはやろう」
「世話係をしろってことか?」
「ま、そんなもんじゃのう」
正直その提案は、困惑する。
一体何が狙いなのかが分からない。
「……何でそんな条件出すんだよ。俺とお前は、まだ会ったばかりだろ」
九鬼は俺に近づくと、そっと俺の顎に手を這わせ、唇に指を当てた。
「分からぬか? 儂はお主を気に入ったんじゃ。お主は儂を恐れぬ。恐怖を抱いていても逃げぬ。生きるために必死で、素直じゃ。だから傍に置いてやると言っておる。気に入ったものは傍に置きたい。それはお主らの価値観でも共通じゃろう?」
「俺をもの扱いすんじゃねぇよ」
下僕をさせられるだなんて、今後何を命じられるか分かったもんじゃない。
悪い奴じゃないと思っていたが、さっきの戦闘を見て恐ろしさを感じたのも事実だ。
いくら金のためとは言え、このままこいつの言いなりになって良いのか判断に迷った。
「それで、条件を呑むか?」
九鬼は俺の顔をじっと見つめている。
何故だかその瞳の奥から、どこか寂しさのようなものを感じた。
不敵に見える九鬼の姿は、何故だか不安そうな少女にも見える。
「お前、本当は一人で寂しかったんじゃないか?」
気付けばそう言っていた。
図星だったのか、俺の言葉を聞いた九鬼は目を丸くする。
「何故そう思う?」
「何となくな……。こんな無機質で、薄暗い場所にずっと一人でいるのはつまんねぇだろうなって、そう思った」
「儂は最強じゃ。さみしいなどという感情に流されるほど弱くはない」
「でも、誰かに居てほしかったから俺を下僕にしようとしてんじゃないか?」
「むぅ……」
九鬼は口を尖らせたまま黙り込む。
否定しないということは、やはりそうなのだろう。
こいつは――九鬼はずっと一人でこのダンジョンに住んでいた。
さっきみたいな魔物を警戒して、あまり出歩いたりもしていなかったのかもしれない。
普通なら想像を絶する孤独のはずだ。
初めて出会った時もそうだ。
得体の知れない化け物の割に、妙に人懐っこいと思った。
たぶん、こいつはずっと傍にいてくれる人を探していたんじゃないだろうか。
得体の知れない怪物が急に人間じみて見えた。
でも。
「下僕にはなれない」
俺は言った。
九鬼はジッと、俺の顔を見つめる。
「下僕ってのは、対等な関係じゃないってことだろ。それなら、俺はお前の下僕にはなれねぇ」
「そうか……」
少しだけ寂しそうな表情を浮かべた九鬼に「ただ」と俺は言葉を継ぐ。
「仲間や友達にならなりたいと思ってる。それなら対等だ」
「仲間……?」
「あぁ。毎日家に来ても良い。コハルにも会ってやってくれ。お前が喜びそうな飯も作ってやるよ。俺はお前を裏切らない。約束する」
俺は頭を下げる。
「だから頼む。そのアーティファクトを譲ってくれ」
しばらく沈黙があった。
無言のまま微動だにもしない九鬼に、俺は恐る恐る顔を上げる。
九鬼はこの上なく嬉しそうな含み笑いを浮かべていた。
九本の尻尾がゆらゆらと揺れている。
「仲間……仲間か。この儂に向かってずいぶんな交渉じゃなぁ。下僕にもならず、対等なまま、宝までよこせとは。図々しいにもほどがある」
「やっぱダメか?」
「いや」
すると彼女は小さく首を振って、ぴょんぴょんと小さく跳ねた。
「なら、相棒はどうじゃ?」
「相棒?」
「お主は儂の片割れとなるのじゃ。その代わり儂を裏切ることは許さん。恐れたり、怖がらぬとここで誓え。儂を拒絶せぬこと、それが儂らの契となる」
「何だそれ……」
ただの言葉遊びじゃねぇか。
呆れる俺に、九鬼はニッと笑みを浮かべている。
その姿が何だか子供みたいに見えて。
何故だか俺まで笑っちまったんだ。
「わかった。約束だ。今日から俺たちは相棒だ」
「約束じゃ、アキヒト」
そして俺たちは、小さく指切りをした。




