第31話 新しい人生
眼の前の建物を、俺とコハルと狐女姿の九鬼で見上げる。
「如月に言われた場所ってここだよな」
「うむ」
「すっごいお家……」
俺たちは自宅と大学のちょうど中間の駅に存在する家の前に立っていた。
十人は暮らせそうな二階建ての箱型の真新しい建物。
デザイナーズハウスというやつだろうか。
黒塗りの壁と木目調のドアがかなりお洒落だ。
どう見てもお金持ちの一軒家に見える。
如月の実家かと思ったが、多分違うよな。
数日前、急に如月から電話が来たかと思ったらこの場所に来るように言われた。
理由を尋ねたら「来たら教える」と言う。
「何で九鬼やコハルまで呼ばれたんだろうな?」
俺が聞くと二人はギクリと表情を固くした後――
「分かんない」
「さぁのう?」
と首を傾げた。
正直言ってかなり怪しい。
「まぁ、いいか……」
少なくとも、呼ばれたのは悪い理由じゃないよな。
俺が呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開かれ如月が顔を見せた。
「早かったわね。上がって頂戴」
「お邪魔します」
中に入ると新築特有の木の匂いがした。
暖色の電灯が室内を明るく照らしている。
ただ、ものが置かれておらず生活感はない。
「ここまで遠かったかしら?」
「言ってもそんなだな。電車で数駅だし。二十分掛からなかったと思う」
「そう、それなら通いやすいわね」
「通いやすい……?」
何の話だろう。
「それよりこの家、如月の実家か?」
「んな訳ないでしょ。新しく買ったの」
「買った!?」
予想外の言葉に俺とコハルの声が重なる。
何でもなさそうに如月は「そう」と答えた。
「賃貸にするより良いと思ってね。結構高かったんだから」
「結構ってレベルじゃねぇだろ」
さすが人気配信者だな。
しかしそこで疑問が浮かぶ。
「でも何で急に家なんて買ったんだ?」
「その話をするためにあなたたちを呼んだの。それから、あの子もね」
「あの子?」
如月に連れられリビングへと通される。
家の中にはまだほとんど家具がなかったが、大きなソファーやテーブルは既に設置されていた。
ソファーには見覚えのある少女が座っている。
と言うより、この角と羽は……。
「ウィール!」
ソファに座ったウィールは、照れくさそうに「うん」と頬を掻いた。
「何でお前がここに居るんだよ?」
「私が連れてきたの。コハルちゃん経由でEDGEの時雨さんに理由を話して」
「コハルが……?」
俺がチラリと目を向けると、コハルはこちらには目を合わさずまっすぐ前を見ていた。
如月は構わず話を続ける。
「聞いたわよ。守森屋くん、冒険者を廃業するんですって?」
「あぁ……親父とお袋の件も決着がついたからな。普通のバイトに戻そうかと思ってる」
「本当にそれでいいの? あなた、本当は冒険者の仕事続けたいんじゃないの」
何を急に、と言おうとして言葉を飲み込んだ。
コハルが何か言ったんだろうか。
「もう納得してるし別に良いんだよ。その話はコハルと九鬼にも伝えたはずだ」
「ところが私はそうじゃないのよね」
「どういうことだ」
「私、新しく事業をすることにしたの。この建物はそのためのオフィスってわけ」
「事業?」
俺が眉を潜めると、如月は仁王立ちになってふっふっふと笑った。
「冒険者の活動を支援する事業、いわゆる冒険者事務所よ!」
「冒険者事務所……?」
「腕利きの冒険者を所属させて、ダンジョンの探索に関連するあらゆる仕事を行う事務所よ。ダンジョンに関連する依頼の受付や、冒険者装備メーカーの広告活動、ダンジョン配信なんかを行っていくの。海外だと既にちらほら出て来てて、間違いなくこれから盛り上がっていく業界よ」
「ここがその拠点ってことか。すごいな」
学生起業家の話は割とどこでもある話だ。
だが身近で出会ったことはなかったので、いざ話を聞くと感心してしまう。
如月はきっと、ダンジョン配信で成功したノウハウを仕事に活かそうとしているのだろう。
華やかな経歴を持つ彼女にはピッタリの仕事だと思う。
「感心してる場合じゃないわ。守森屋くん……私はあなたと九鬼さん、そしてここにいるウィールをうちの所属冒険者として雇いたいと思ってる。あと、受付兼私のアシスタントとしてコハルちゃんも。今日あなたたちを呼んだのはそれが理由」
「はぁ?」
寝耳に水だった。
如月は続ける。
「知ってる? EDGEが今、公認冒険者制度を作ろうとしてるって話を。高ランク帯の依頼を無理に受けて行方不明になってる冒険者も多い。だからEDGEは今後、公認冒険者になった人にだけ高ランクの仕事を受けられるようにするみたいよ」
「それと今回の話と何の関係があんだよ」
「今後、EDGE公認冒険者になれば日本の冒険者のトップ層ととして扱われるってことよ。少なくとも三層の探索を記録した守森屋くんや私は確実に公認冒険者になる資格はあるでしょうね。私は希少なトップ冒険者に所属してもらって、冒険者事務所としてもっと箔をつけたいの」
「じゃあコハルは何なんだよ。こいつはダンジョンなんて潜れないぞ」
「コハルちゃんには私のアシスタントをお願いするつもり。可愛いから私の配信にたまに出てもらったり、私の仕事を一部請け負ってもらうの。あと、動画の編集スタッフとして氷室くんも確保してるわ」
以前大学で氷室と如月が打ち合わせがどうとか話していたのを思い出す。
どうやらかなり前から動いていたらしい。
「私の新事業にはあなたたちが必要なの。特に守森屋くん、皆を繋ぐ中心となるあなたが絶対にね。だから今あなたに冒険者を辞められたら困るのよ」
「そんなのお前の事情だろ。俺はもうダンジョンには入らないって決めたんだよ」
「行ってきてよ、お兄」
言葉を被せたのはコハルだった。
「お兄が冒険者を辞めるのは私のためでしょ? 本当はダンジョンに潜りたいの、知ってるよ」
「俺はそんなこと一言も――」
「分かるよ。だって私、お兄の妹なんだから」
コハルは真剣な表情で俺を見つめる。
「ダンジョンに潜ってる時のお兄、バスケやってた時と同じくらい楽しそうだった。その顔を見た時、すごく安心したんだ。ずっと私のために我慢してたお兄が、ようやくちゃんとやりたいことを見つけたんだって」
そんなことを考えていると思わず、俺は静かに息を呑んだ。
コハルは優しい笑みを浮かべる。
「私のためにじゃなくていい、お父さんやお母さんのためにじゃなくていい。これからは、お兄にやりたいことをやってほしい」
「でも、もし俺に何かあったら、お前が一人になっちまうだろ」
「そんなの考えなくていい。もちろん、危ない目に遭ってほしくないけど……私が理由でお兄がやりたいことをできない方が辛い。重荷になりたくないんだ。だから九鬼ちゃんに頼んで如月さんとお話して……雇ってもらうことにしたんだ。早く自立して、お兄に心配かけないようにするために」
「コハル……」
困惑した。
ダンジョンの探索が楽しくなかったと言えば嘘になる。
冒険者を辞めようと思った時、迷いはあった。
俺はきっと、コハルを言い訳にして納得しようとしていたんだ。
コハルもそれを強く感じていたのだろう。
だから九鬼や如月に相談したんだと思う。
ただ、俺がもしダンジョンで死ねば、彼女が一人ぼっちになってしまうことは事実だ。
俺が考えていると、九鬼が俺の肩にポンと手を置いた。
「安心せえアキヒト。儂が守ってやる。どんな魔物が出てきてもお主を生かしてやろう。あとはお主がどうしたいかじゃ」
「俺は……」
俺が目を向けると、コハルは小さく頷く。
もう、何もためらう必要はないのかもしれない。
「如月、本当に俺で良いのか?」
「当たり前でしょ。私の計画にはあなたが必要なの」
「分かった。じゃあよろしく頼む」
俺が頭を下げると、コハルが小さく飛び跳ねて如月とハイタッチした。
如月はなんだかニヤついていて、かなり嬉しそうに見える。
「決まりね。じゃあこれからどんどん忙しくなるわよ! 覚悟しときなさい」
「俺たち一応学生なんだし、ほどほどに頼むぜ」
「分かってるわよ! よーし、そうとなったら決起会ね! 出前取るわよー!」
「ウィールちゃんの歓迎会もだね」
「わーい!」
如月が張り切り、コハルとウィールは嬉しそうにはしゃぐ。
ずいぶん賑やかだな。
数ヶ月前では考えられなかったことだ。
すると、俺の横にいた九鬼がそっと顔を寄せてきた。
「アキヒト、人に恵まれたな」
「……そうだな」
「心配は要らぬ。この儂がおるのじゃから、何も恐れることはない。儂と暮らし、そしてダンジョンを探索するだけでよいのじゃ。簡単じゃろう?」
そんな九鬼は呆れるほど自信満々だ。
彼女の存在が、俺の中の迷いとか不安を吹き飛ばしてくれる。
「あぁ、頼むぜ、相棒」
俺たちはコツン、と互いの手をぶつけた。
ここからがきっと俺の新しい人生だ。
そう考えると、無性にワクワクしてしまう。
最強の魔物と暮らしてダンジョンを探索するだけの簡単な生活は、これからも続いていきそうだ。




