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第21話 輪の悪魔

 教卓から飛び降りた女はこちらに近づいてくる。


 見た目は二十代前後。

 器用に編み込まれた黒髪を頭に巻き付け、まるでギリシャ神話に出てくる女神のようにも見える。

 少女のような黒いワンピースに身を包んでおり、目が大きく、鼻は小さく高い。

 モデルのように整った顔立ちをしていると思った。

 靴は履いておらず、歩くとヒタヒタと素足の音がする。


 女性の頭部からは二本の角が生えていた。

 そして背中からはコウモリのような羽が生えている。

 ひと目見て、悪魔の類だと気が付いた。


「誰かが来るのは久しぶりだ。歓迎するぞ」


 人間の言葉を解する魔物。

 九鬼と同じ知性を持つ魔物がここにもいた。

 女性は自分の胸に手を当て、貴族がするようなお辞儀をする。


「私はウィール。ここを守る番人だ」


「番人? 誰かに言われてここにいるのか?」


「違う。私は、私が望んでここにいる。生まれた時からそうあるべきと魂に刻まれていた」


 九鬼と似たようなものだろうか。

 九鬼も俺と出会うまではずっとあの大部屋で一人佇んでいたという。

 彼女は迷宮をさまよい歩くこともせず、漠然とそこにあり続けた。

 もしそれが魂に刻まれた役目なのだとしたら、ウィールも同じなのかもしれない。


 ウィールは一歩、また一歩と俺に近づいてくる。

 俺は距離を詰められないよう、彼女が近づいた分だけ後ろに下がった。


「いつだったか……ここにお前のような妙な格好をしたやつらが入ってきたことがあった。やつらは私が持つものを言葉巧みに盗もうとした」


「そいつらは、どうなったんだ……?」


「私の力を前に逃げ出し表の魔物のエサになった。やつらが喰われる様は見てて面白かった。断末魔を聞いてると、不思議と心が踊った」


 それは、かつて三層に潜ったというEDGEの精鋭部隊のことだろうか。

 彼らは魔物に喰われたのか。

 さっき見た、異形の化け物に。


「貴様も同じだな。貴様からもあいつらと同じ臭いがする。欲に塗れた臭いだ」


 ウィールはそう言うと、どこからとも無くそれを取り出す。

 彼女が手に持っていた青白い光を纏う黒い箱。

 それは、間違いなくアーティファクトだった。


 俺が目を見開くと、ウィールは何かを確信したようにニッと不気味な笑みを浮かべる。


「やっぱりそうだ。お前もこれを奪いに来たんだな」


「譲ってくれって言っても無理だよな……」


「私は奪われるのが嫌いだ。利用されるのも、舐められるのもな」


 ウィールは不意に俺に向かって手をかざす。

 嫌な予感がして咄嗟に入口に向かって走ったが、ドアは音を立てて閉まってしまった。


「アキヒト! どうした、無事か!?」


 俺に追いついた九鬼が外からドアを叩く。


「何故じゃ!? 開かんぞ!」


「中の魔物の仕業だ!」


「うぐぅ、ちょこざいな……! ぶち破る! 離れておれ!」


 俺が離れると同時に、トラックでもぶつかったかのような衝突が走る。

 壁ごと大きく揺れるが、ドアが破れることはなかった。


「無駄だ。そのドアは破れない。開くこともない。下手に物音を立てると、やつらが寄ってくるぞ?」


 すると部屋の外から何かの叫び声が聞こえた。

 如月や九鬼の声じゃない。

 三層を彷徨う魔物たちの声だった。

 大きな物音に寄ってきたんだ。


「気づきおったか。小娘、儂がドアを破るまで時間を稼げ!」


「ひいぃぃ! キモいキモい! こんなのどうしろってのよぉ!」


「おい、大丈夫かよ!?」


 俺は全力でドアを蹴るが、ドアが破れる気配はない。

 ふと背後に気配を感じ振り返ると、ウィールは俺のわずか数メートル前まで近づいてきていた。


 彼女はそっと両手を掲げる。

 すると部屋の空気が冷え、途端に霜が満ちた。

 嫌な予感がしていると、地面から針のように尖った氷塊が何本も生まれた。

 それはそのままウィールの背後に浮かぶ。


「前のやつらはすぐダメになったけど、貴様らは何分もつかな?」


 ウィールが手を振り下ろすと共に、氷塊が俺向かって降り注いでくる。

 咄嗟に机の上に飛び乗り全速力で走った。

 俺が走った後を次々と氷が強襲し、床や壁をえぐる。


「あははは! ほら、もっと逃げろ! 速く走らないと死ぬぞ!?」


 まるで遊ぶようにウィールは次々と俺に氷塊を飛ばしてくる。

 机の上を走り、床に飛び、転がり、机を遮蔽にしつつ逃げた。

 その間も部屋の温度は下がり続けており、徐々に体の動きが鈍ってくる。

 このままだとジリ貧だ。


 ふと、腰に刺さっているナイフの柄に手が当たった。

 EDGEから支給された特殊ナイフだ。


『このナイフの素材はアーティファクトです』


『アーティファクト?』


『はい。先日アキヒトさんからご提供いただいた使用済みのアーティファクト――いわゆる人に能力を与えるタイプのアーティファクトですが、ああいった能力付与型は一度使うとただの金属箱になってしまいます。そこでEDGEは、そうした使用済みのアーティファクトを加工する技術を開発しました。アーティファクトの金属片は現代科学では解明できない硬度と粘りを持ちます。通常では切れないものも切れますよ』


 時雨さんの説明が不意に脳裏に蘇る。

 アーティファクトを加工して作られた最強の切れ味を持つナイフ。

 形状はサバイバルナイフに近く、刃は黒い。


「やるしかねぇか……」


 俺が机の影から飛び出すと見計らったように氷塊が飛んできた。

『遅延』で時の流れを遅くし、状況を正確に観察する。


 氷塊は俺の心臓めがけて放たれていた。

 その尖端に、構えたナイフを正確に当てる。

 するとチーズでも切るかのように、抵抗なくナイフは氷をするりと分断した。

 真っ二つに裂かれた氷は瞬く間にその勢いを失う。


 俺は『剛力』の異能で氷を振り払うと、思い切り壁に向かって跳躍した。

 すべてが低速で進む中、集中を止めずに体を捻り《《壁に》》着地する。

 ウィールは俺の動きに追いつけておらず、新しい氷塊を生み出している途中だった。

 強襲するなら今しかない。


『鉄壁』の異能を用いてスーパーアーマーをまとい、思い切り壁を蹴った。

 生み出される氷塊に真正面からぶち当たるが気にしない。

 俺の体当たりを受けた氷塊は粉々になり、こちらを振り向いたウィールにそのままのしかかった。

 素早く腰に差していたナイフを抜き、ウィールの喉元に当てる。


 それまで余裕ぶっていた彼女の表情が驚きに満ちた。

 あとはその喉元にナイフを突き刺せばこの戦いは俺の勝ちだ。

 ナイフを構え、振り下ろそうとした時。

 俺は動きを止めた。


 眼の前にいるのは魔物だ。

 それは分かっている。

 殺せば他の魔物同じく灰となり、そして消え失せるだろう。


 でもどう見ても人間の見た目をしている。

 殺すのか?

 こんな人間みたいな外見のやつを、俺は殺せるのか?


 その一瞬の判断が命取りだった。


 驚愕に見開かれていたウィールの表情が途端に歪み、そして口が開かれる。


「止まれ」


 不意に放たれたその一言に、全身の身動きが奪われた。

 構えていたナイフが振り下ろせなくなり、体が全く動かなくなる。

 一瞬何が起こったか分からなかった。


「貴様すごいな、負けるかと思ったぞ」


 目を白黒される俺を見て、ウィールはケタケタと笑った。


「切り札を持ってるのが自分だけだと思ったか? 私は動物を使役する力を持ってる。もちろん人間もな」


 ウィールは体を起こし、俺を軽く押した。

 全く抵抗できず、俺は頭上にナイフを掲げたまま倒れる。

 倒れ込んだ俺にウィールは顔を寄せて囁いた。


「貴様と戦ったのはほんの暇つぶしだ」


 そして彼女はその指先に氷を生み出す。

 鋭く尖った氷は、人間の喉なら簡単に破れそうだった。

 喉元に氷が当てられ、俺は唾を飲み込む。

 喉が動き、氷が皮膚を突き破った。

 痛みが走り血が流れる。


「殺すのは惜しいがここでお別れだ。お前の死体は以前のやつらと同じくエサにしてやるから安心しろ」


 異能を使っても抜け出せない。

 どれだけ全身に力を入れても動くことができなかった。

 ここまでか……。

 俺が目を瞑ったその時。


「勝手に死ぬなアキヒト!」


 不意に響いた九鬼の声と共に、部屋に閃光が満ちた。

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