第18話 記憶
「アキヒト! そっちじゃ!」
「おぉ!」
ダンジョンの二層に入った俺は鬼を壁に叩きつける。
先日の話し合いから数日。
俺はダンジョンに潜る回数を格段に増やしていた。
EDGEの時雨さんに連絡し、現状発見されている二層への入口の情報を提供してもらい。
主要となる探索箇所を、一層から二層へと移すようになったのだ。
映像記録が欲しいと言われているから、アクションカメラなどを通じてなるべく記録も残すようにしている。
以前目覚めた新しい異能のお陰で、俺の戦闘能力は格段にアップしていた。
現状俺の中には、三つの能力が宿っているらしい。
時の流れを遅くする『遅延』の異能。
桁違いの力を発揮する『剛力』の異能。
自分へのダメージや毒などの異常に対し強力な耐性をつける『鉄壁』の異能。
それらの能力に加え、EDGEから支給された装備を身に着け、EDGEの施設で近接格闘術の訓練なども行ってもらった。
元々運動は得意な方だったのも幸いし、今や一対一なら二層の魔物も屠れるようになっている。
「これで全部か?」
「他に気配はないのう」
「じゃ、進もうぜ」
俺が言うと「待てアキヒト」と女の姿に戻った九鬼が声をかける。
「今日はここまでにせぬか? すでにダンジョンに潜って半日が経過しておる。いくらお主がタフでも、疲労が溜まっておるじゃろう」
「九鬼はどうなんだよ?」
「儂を誰じゃと思うておる。儂は平気じゃ」
「ならもう少しだけ進もうぜ。ちょっとでも探索範囲を広げたい」
三層への入口は、現状ほとんどみつかっておらず、確認できているものでもかなり遠方に存在しているらしい。
俺たちは庭からダンジョンに入っているから、もう少し近場にある入口を見つけ出さねば繰り返し探索するのは難しいだろう。
二層の入口はたまたま近場に存在していたが、三層へ続く階段は未だ発見できていない。
俺が進もうとすると、九鬼はピタリと足を止めた。
「のう、アキヒト。お主、焦っておらぬか?」
「焦る? 俺がか?」
「うむ。生き急いでるように見えるぞ」
「心配しすぎだろ」
「むぅ……」
九鬼は頬を膨らましたまま、ジト目でこちらを見つめてくる。
俺はそとため息を吐いた。
「……分かったよ。今日は戻ろうぜ」
◯
家に戻るとリビングに見慣れぬ人の姿が目に入った。
客でも来ているのだろうか。
玄関に回って靴を脱ぎ、中に入る。
「あ、お兄。すっごいお客さん来てるよ!」
「すごい客?」
「私よ」
そう言って姿を見せたのは如月だった。
「お前、なんでうちにいんだよ」
「最近全然連絡取れないから様子見に来たの。氷室くんに聞いても姿見てないって言ってたし」
「あー、確かにそうかも」
ダンジョンの下層を調べるようになってからというもの、大学に行く頻度はかなり落ちていた。
単位は足りていたから不要な講義は欠席するようになっていたのだ。
「でもそれならわざわざ来なくても、連絡くれれば良いじゃねぇか」
「う……それはそうだけど。たまたま近くに来たから寄ったっていうか……」
如月はそこまで言うと、何か思いついたようにパッと表情を変えた。
「そう! 次の配信の話もあるし! 色々計画してるんだから、また手伝ってよね! この間のコラボ配信以降、『今日はスタッフさんいないのー?』ってリスナーがうるさいんだから」
「それどうせ俺じゃなくて九鬼が見たいんだろ……」
「素直でない小娘じゃのう。アキヒトに会いたかったと言えば良いではないか。もっとも、この男は儂のものじゃがな」
「う、うぐぐぐぐぐぐう!」
「お前のものでもないけどな」
呆れ顔の九鬼に、見たことない顔で如月は歯ぎしりしている。
ふと見ると、俺の横でコハルが目を丸くしていた。
「お兄、本当に如月オトメさんと友達なんだね……」
「まぁな。配信のこととか聞いてみたらどうだ?」
「う、うん……。あの、如月さん! 私、大ファンで! 一緒に動画でもらったりとか!」
「えぇっ?」
途端にリビングが賑やかになる。
こう言うのも悪くねぇな。
何だかふっと肩の力が抜ける気がした。
***
……神様。
……神様。
儂を呼ぶ声がする。
ここではないどこか。
知らぬはずなのに、知っておる場所。
古びた木造の建物に儂は座っていた。
眼の前には儂を見つめる多くの人間たちがいる。
服装はアキヒトやコハルのものとはまるで違う。
ずいぶん古い時代のものに思えた。
人間たちは毎日のように儂の元を訪れ、供物を捧げる。
儂は儂を慕う人間が好きじゃった。
じゃがこやつらはいつも儂を恐れていた。
誰も儂の目を真っ直ぐ見つめぬ。
誰も儂とはまともに話さぬ。
しかし、一人だけ例外がおった。
「神様」
見覚えのある顔の男。
儂にとってそやつは特別じゃった。
そやつが儂の元に来ると胸が弾み、心が楽しくなった。
男の顔は、アキヒトと良く似ていた。
儂は男と他愛もない話をした。
今日見た鳥の話や、最近あった出来事。
男の話を聞くのが儂は好きじゃった。
長く続く石階段の最上段に、儂は男と座る。
儂がいた場所からは、里が見渡せた。
階下には村があり、田畑や人々の姿が見える。
儂は男とともに、その景色を眺めながら語らった。
しかし、瞬きをした次の瞬間。
眼の前の光景が地獄と化す。
至るところに血が広がり、建物や田畑から火が上がっておった。
ふと自分の手が視界に入る。
儂の手は血まみれで、狐とも人とも違う異形のものとなっておった。
まるで鬼みたいじゃと思った。
「神様……何故です」
背後から男の声がする。
儂が振り返ると、男は刀を構えて儂と対峙しておった。
悲しげな瞳を浮かべておる。
覚えているわけではない。
おぼろげに魂に刻まれた記憶が、儂にそのように告げておる。
そうじゃ、こやつは確か――
「トキサダ……」
***
呟く自分の声で目が覚めた。
ムクリと体を起こす。
儂はアキヒトの家のリビングにいた。
昼間あの小娘が来て騒いでいるうちに疲れて眠ってしまったらしい。
ソファは柔らかくて居心地が良いから無理もないかもしれぬ。
体が重い。
魔力が枯渇しておった。
ダンジョンで得られる魔力は、地上ではすぐに失われる。
懐かしい夢を見た気がした。
じゃが、その夢が一体いつのもので、どこで経験した夢なのかが分からなかった。
「トキサダって……誰じゃ?」
呟くものの、誰も答えはしてくれぬ。
すると奥からアキヒトの妹のコハルが姿を見せた。
髪の毛が濡れておった。
風呂に入っていたのじゃろう。
「あれ、九鬼ちゃん。起きちゃった?」
「うむ。あの小娘は帰ったのか?」
「うん。明日、ファッション誌の撮影があるからって。すごいよね。あんな人気者がうちに来てくれるなんて」
「儂にはただの小娘にしか見えんがな」
コハルは冷蔵庫から牛乳を取り出し、ゴクゴクと飲み干す。
グラスを洗うその姿は、どこか元気がなかった。
「コハル、アキヒトが心配か?」
儂が尋ねると「分かる?」とコハルは苦笑する。
「最近のお兄の様子、どうにも気になっちゃって。たぶんオトメさんも同じ理由でうちに来てくれたんだよね」
「そうじゃろうな」
「九鬼ちゃんは、今のお兄をどう思う?」
「ふむ……」
儂は少し考え、答える。
「焦っておるように見えるな。早く成果を出そうとしすぎておる。まるで人参をぶら下げられた馬じゃ。アキヒトはタフじゃが、だいぶ無理しておるぞ」
「……だよね。私もそう思う」
コハルはそっと目を伏せる。
「お兄は昔から人のためなら無茶しちゃうんだよね。自分のことは適当なのにさ」
「アキヒトらしいな」
「昔ね、私の誕生日にお父さんとお母さんが仕事で遅くなったことがあったの。ケーキ屋さんが閉まってて、用意できなくて、私は泣きわめいた。だけど、お兄が自転車で街中のケーキ屋さんを巡ってくれて、夜遅くまでやってるお店で誕生日ケーキを買ってきてくれたんだ」
「良い話じゃな」
「他にも、私が虐められてたら助けてくれたり。一緒に街を歩いてても、困ってる人を助けたり。お兄は私にとってヒーローなんだ。優しくて、いつも誰かを助けてる気がする。だから、どうしても心配なんだ。お父さんとお母さんを蘇らせようとして、今度は命まで懸けてしまうんじゃないかって」
「それは……」
否定できなかった。
今のアキヒトには、どうしようもない危うさがあったから。
するとコハルは悲しげな笑みを浮かべた。
「私、お兄に隠してることがあるんだ」
「隠してること?」
「お父さんとお母さんが死んだ時のこと」
儂はそっと息を呑む。
「お兄には事故で何も覚えてないって言ったんだけど、本当は覚えてるんだ、私」
「真か?」
「うん。トラックが急に倒れて、荷台が車にのしかかってきて、すごい衝撃で。気が付いたらどこからかクラクションが鳴ってて、潰れた車からお母さんの手が飛び出してて……」
コハルの声は震えている。
「無理に話そうとせんでよい」と声をかけると「ううん、良いの」と彼女は言う。
「その光景が、今も時々夢に出るの。本来ならあの時、私の心は壊れていたはずだったんだと思う。でもそうしたらきっとお兄が一人ぼっちになっちゃうから……」
「アキヒトが支えになって、耐えられたのか」
「お兄には内緒ね」とコハルは弱々しい笑みを浮かべる。
儂が見てもコハルは明るい女の子じゃ。
そのような重たいものを背負っているとは思わなかった。
アキヒトはコハルを支えにして今まで頑張ってきた。
そしてコハルもまた、アキヒトが支えとなり生きることができたのじゃろう。
「私、お兄には幸せになって欲しい。お兄がやりたいことはできるだけ応援したい。ただ、今のお兄を見てるとどこかに消えちゃいそうな気がして……怖い」
「コハル……」
「お兄は一度決めたら私が何言っても聞いてくれないから……九鬼ちゃん、お願い。どうかお兄のことを護ってあげて欲しい」
『神様、どうか兄様を助けて……鬼を殺してください』
不意に、脳裏に誰かの言葉が蘇る。
それが誰の言葉なのかを、儂は思い出せない。
ただ、誰かに願いを捧げられることは嫌な感覚ではなかった。
むしろ、それは儂にとって喜びに通ずるものじゃった。
遠い昔に忘れてしまった、古い感情。
「儂はどうやら、コハルもお気に入りになってしもうたみたいじゃな。そんなコハルの頼みとあれば、無下にはできぬのう」
「本当?」
「うむ。約束じゃ。儂がアキヒトを護ってやろう」
「ありがとう、九鬼ちゃん」
「だからコハルも美味しい飯が作れるよう修練せよ。儂にもっと供物を捧げるのじゃ。今のところ、アキヒトの作る飯の方が美味いからのう」
「むー、分かったよぉ。約束ね?」
「約束じゃ」
誰かと約束すること。
それは、かつての儂にとって、大切な意味のある行為だったのかもしれない。




