2 その空白にカムバック!
人気アイドルグループ『ユニゾンドットハート』が起こした前代未聞の追放事件は、全国ドームツアーの最終日に発生した。
――なんて、後からならいくらでも言えるよね。その日、ステージに立っていた私は、ただ「今日も最高だね」と思っていただけだった。大事件っていうのも私視点の話であって、ファンも運営も予想通りだったみたい。
その日のドームは、海みたいだった。
見渡す限りのペンライトが揺れて、名前を呼ぶ声が波になって押し寄せる。
照明が落ち、次の曲のイントロが流れた瞬間、歓声が一段跳ね上がった。
このグループのセンターがいつもの場所。
私が一歩前に出ると、空気が応える。
「――いくよ!」
叫ぶと、声が何万人分にも膨らんで返ってきた。
歌って、踊って、煽って。
予定通りじゃない動きも入れる。
ほんの一拍、間をずらすだけで客席の反応が変わる。
ほらね。今日も、ちゃんと伝わってる。
私は“型通り”が嫌いだった。
決められた振り、決められた言葉、決められた笑顔。
それを完璧にこなすだけなら、人形と変わらない。
アイドルは、生き物だ。
その日の空気を吸って、その瞬間の熱で動くものだ。
だから私は、少しだけはみ出す。少しだけ予定を壊す。
その「少し」が、観客を一番沸かせるって、私は知っている。
事実、今日のステージは完璧だった。
隣で踊るメンバーが、一瞬だけ私を見る。
私と双璧の人気メンバーだ。
笑顔は完璧。動きも正確。
私のことをチラッと見るその視線には、いつもと同じ色があった。
――またやってる。
――勝手なことを。
分かってる。ごめなさいね。
この子は練習をちゃんと頑張っている。
練習通りにするのは当然だ。
分かってるけど、やめる気はなかった。言い訳をする気もない。
曲が進み、ステージは最高潮に達する。最後のポーズ。
照明が弾け、歓声が天井を突き破る。
幕が下りても、歓声は止まらなかった。
アンコール。
私の名前が鳴り響いていた。
「……今日も最高だね」
胸の奥が、じんと熱くなる。
ほら。これが答えじゃん。
楽屋へ戻る通路で、空気が変わった。
さっきまで賑やかだったはずなのに、音がない。
スタッフが、私と目を合わせない。
他のメンバーは、固まった背中のまま足早に先へ行く。
「……あー、はいはい」
思わず、笑ってしまった。
この感じ。
知ってる。
楽屋の扉の前で、マネージャーに呼び止められる。
「ユイ。少し、話がある」
「今? アンコール残ってるけど」
「……今だ」
その言い方で、なんとなく察してしまった。
そのときはまさかと思っていたけどね。
別室にはソファがあって見慣れない大人たちが座っていた。
誰も、さっきのステージの話をしない。
「単刀直入に言う」
一人が口を開く。
「今日をもって、君はグループから外れる」
一瞬、意味が分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
「……まじで言ってる?」
「協調性の問題だ。君の行動は、グループ全体の方向性と合わない」
「ねえ」
私は、思わず笑った。
「今日のステージ、見てた? 盛り上がり、過去一だったよね」
「結果だけの問題ではない」
別の男が言う。
「他のメンバーとのバランスが――」
「つまりさ」
言葉を被せる。
「“目立ちすぎて邪魔”ってことでしょ」
誰も、否定しなかった。
その沈黙で、全部終わった。
怒鳴る気にもならなかった。
泣く気にもならなかった。
ただ、分かってしまった。
ここでは、私は“異物”だった。
面白くしようとする人間より、
整っている人間の方が、都合がいい。
「あー……そっか」
息を吐く。
「分かった。辞める」
立ち上がって、最後にだけ言った。
「でもね。アイドルって、言うこと聞く係じゃないでしょ。私は、本気でやりたかっただけ」
返事はなかった。
楽屋を出ると、まだアンコールの声が聞こえていた。
私の名前だ。
でも、もう戻れない。ごめんねオタクたち。
廊下の壁に背中を預ける。
冷たい。
ステージは、あんなに熱かったのに。
「……バカだな、私」
でも、不思議と後悔はなかった。
だって――
あれは、間違いなく本物だったから。
アンコールに応えることはできなかった。
でも、私は知っている。
私が消えた瞬間から、
あのステージは、少しだけつまらなくなった。
◇◇◇
アンコールは、当然のように起こった。
ステージの幕が下りた瞬間、悲鳴みたいな歓声が会場を満たす。名前を呼ぶ声。リズムを刻む拍手。床が揺れて、胸の奥まで震える。僕も立ち上がって叫んでいた。周りのオタクと一体となって身体の芯から登場を待つ。
姉の名前を何度も叫ぶ。
喉が痛くなるのを感じる。
アイドルはこれ以上に声を張り上げて歌っているのに。
喉が痛いなんて言い訳をしている場合ではない。
アンコールは、そこに生まれてしまった空白にもう一度アイドルを埋める行為だ。
だから、出てくると思っていた。
疑いもしなかった。
幕が上がり、照明が点く。
メンバーが出てくる。
しかし一人、足りない。
最初は、理解できなかった。脳が状況を拒否した。
立ち位置の問題だと思った。演出だと思った。
次の瞬間に、遅れて出てくるのだと。
でも、何秒待っても。何十秒待っても。
姉は、いなかった。
「……え?」
隣の誰かが、小さく声を漏らす。
前の列がざわつく。
「本日は、ここまでとなります」
ステージ上では、別のメンバーがマイクを持って笑顔を作っている。
明るい声と丁寧な言葉で今日の公演の感謝を伝えている。
姉がアイドルをやめたと知ったのはそのすぐあとのことだった。
これが僕の人生で最初で最後の絶望だ。




