表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人気アイドルグループを追放された姉を、もう一度アイドルにする話  作者: 雨天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

1 六畳一間のアンコール!

 六畳一間の部屋は、時間が止まっていた。

 昼でもカーテンは閉じられ、薄暗い空間にあるのは、最低限の生活用品と、過去の残骸だけだ。


 床に転がる空のペットボトル。

 壁に貼られた、剥がれかけのライブポスター。

 それは次のツアーを告知するはずだったもので、もう使われることはない。


 姉――ユイは、ベッドの上で天井を見ていた。

 スマホも触らない。テレビもつけない。

 ただ、時間をやり過ごすだけの姿勢で。


「……金、あとどれくらいだっけ」


 独り言みたいに呟いて、ため息を吐く。

 貯金を切り崩して生きる、完全なニート生活。

 昨日も、今日も、明日も、特に予定はない。


 その部屋のドアが、ノックもなく開いた。


「姉ちゃん」


 僕が声をかけると、姉はちらりとこちらを見ただけだった。


「なに。説教なら帰って」

「違う」


 僕は、肩に提げていたバッグを床に置いた。

 ずしりと音がする。


「……それ、なに」

「衣装だけど」


 姉の視線が、はっきりとバッグに向いた。

 その目に、ほんの一瞬だけ光が戻る。


「は?」


 僕は黙ってファスナーを開けた。

 中から取り出したのは、ステージ用の衣装だった。

 照明を浴びることを前提にした、生地とライン。

 六畳一間には、まったく似合わない代物。


 姉は、しばらく何も言わなかった。


「バカじゃないの」


 ようやく出た言葉は、それだった。


「私、もうアイドルじゃないんだけど」

「知ってる」

「じゃあ、なんで」

「もう一回やって」


 姉が、ゆっくりと起き上がった。


「……何を」

「アイドル」


 姉は鼻で笑った。


「ここで? この部屋で?」

「今はな」


 僕はスマホを取り出し、机の上に置いた。

 簡易スタンド。安いライト。

 さっき、コンビニで揃えた即席の機材。

 人気アイドルだった姉にとって屈辱かもしれないけど、今は我慢してもらいたい。


「ネットでやる。ライブだ」

「誰が見るの」

「見るやつは見る」


 姉は、僕をまじまじと見た。

 その視線には、呆れと困惑と、ほんの少しの期待が混ざっている。


「……おバカな弟よ」


 とても低い声だった。


「私はもう追放されたんだよ」

「知ってる」

「もう、戻る場所もない」

「だからこうして作っているわけだ」


 沈黙が落ちた。

 六畳一間。元トップアイドルと、無謀な弟。

 姉はしばらく黙り込み、それから小さく笑った。


「……最悪だ」


 そう言って、衣装に手を伸ばす。


「責任取れる?」

「取る」

「途中で逃げたら?」

「逃げない」


 姉は立ち上がり、衣装を抱えた。


「着替えるから、出て行って」


◇◇◇


 ライトを点けた瞬間、六畳一間の空気が一変した。

 白い壁に反射した光は柔らかく、けれど逃げ場がない。天井も床も近く、少し身じろぎするだけで身体が世界にぶつかる。ここは本来、人が生活するための箱であって、歌ったり踊ったりする場所じゃない。


 それなのに。


 僕はスマホのカメラを姉に向けていた。

 配信中の画面が表示されているが、同時接続者数はまだ0人。


 そんななか姉は衣装の裾を指で摘み、軽く息を吸った。

 六畳一間の空間を支配することくらい、姉にとっては容易かった。

 音を立ててはいけないと思って、息を呑むこともできずに、僕はただ呼吸を止めていた。


 姉の姿勢が変わる。

 背筋が伸び、顎がわずかに上がる。

 視線はスマホのレンズを“見る”のではなく、その奥――もっと遠くを捉える。


 ここに観客はいない。

 椅子も、客席も、ざわめきもない。

 あるのは、安いライトと、古いスピーカーと、スマホ一台。


 だが姉は、それを一切気にしなかった。


 音源が流れる。軽く、薄く、頼りない伴奏だ。

 それを合図に、姉の足が一歩、前に出る。


 床が軋む。ボロいアパートの床だ。

 ライブハウスの頑丈なステージとは違う。


 それでも、姉は踏み込む。


 歌い出し。

 声が、狭い部屋に満ちる。


 マイク越しではあるが、声はまっすぐだった。

 加工も誤魔化しもない、生の声。

 音程は正確で、息の使い方が異様にうまい。

 狭い空間だからこそ、声の輪郭がはっきり分かる。


 姉は歌いながら、身体を動かす。

 大きな振りはできない。腕を広げれば壁に当たる。

 だから、動きは最小限だ。

 肩、腰、首、視線。

 ほんの数センチの差で、印象を変える。


 ――それができる。


 指先が止まり、視線が切られる。

 その一瞬の“間”に、意味が生まれる。


 スマホの画面に、コメントが流れ始めた。

 最初はゆっくり。

 「なにこれ」「偶然来た」「かわいい」

 姉からはコメントの流れは見えていない。


 サビに入る。声量が上がる。

 同時に、身体の軸がさらに安定する。

 六畳一間が、狭く感じられなくなる。

 ここは部屋じゃない。ここはステージだ。


 姉は大きく微笑んだ。

 微笑みって普通は小さいだろ?

 でもアイドルの微笑みは大きいんだ。


 コメントの流れが速くなる。

 「うま」「本物」「誰?」「大城ユイじゃね?」

 姉を知っている人もいる。


 踊りが激しくなる。

 足を踏み替え、腰を切り、身体を回す。

 壁ぎりぎりまで寄り、また中央に戻る。


 ――上手すぎる。


 それは才能という言葉では足りない。

 何度も、何度も、何度も、

 大勢の視線に晒され続けた人間の動きだ。


 息が上がる。だが、歌は乱れない。

 乱れたところで、乱れたとは思わせない。


 曲の終わり。最後の音が切れる。


 一瞬の静寂。


 姉は、肩で息をしながら、レンズを見る。

 その目は、はっきりと誰かを捉えている。


「……おい。どうだ」


 誰に向けた言葉でもない。

 それなのに、画面の向こうが一斉に反応する。


 コメントが、爆発的に流れる。

「アンコール!」「アンコール!」「アンコール!」

 すごい速度のアンコール。

 そのアンコールに音はない。

 六畳一間に響かない。


「アンコールだってよ」

「最高じゃんね」


 次の曲に入る。

 止まらない。止まれない。


 六畳一間の空間で、

 追放された元アイドルが、

 たった一台のスマホを前に、

 誰よりも視線を集めている。


 ここにはステージも、照明も、歓声もない。

 それでも。


 ――アイドルは、ここにいる。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ