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第八話

 カツ丼の余韻が支配するダイニングルーム。

 空になった器が積み上げられ、セレス王国の騎士たちは満腹感に浸り、ふやけた顔をしている。

 その中でただ一人、空腹と怒りで震えている男がいた。


「き、貴様ら……! 恥を知れ!」


 ジェラール王太子がバンッとテーブルを叩く。しかし、その手には力がなく、音は虚しく響くだけだ。


「敵国で餌付けされ、骨抜きにされおって! それでも誇り高きセレスの騎士か!」


「申し訳ございません、殿下……。ですが、あまりにも美味すぎて、抗うことができませんでした……」


「言い訳無用! ええい、マリエル! 貴様だ!」


 矛先を私に変え、ジェラールが食ってかかる。

 私はクロード陛下の隣で、静かに紅茶をすすっていた。食後の一杯は格別だ。


「なんでしょうか、殿下」


「とぼけるな! この『白い宝石』……貴様らがゴハンと呼ぶ穀物だ! これは本来、我がセレス王国に自生していた植物だろう!」


「ええ、そうですね。『ライ』と呼ばれていた雑草ですわ」


「雑草などではない! これほどの美味を隠し持ち、余には『家畜の餌』だと偽ったな!? これは国家反逆罪だ! その調理法と、帝国内にある在庫全てを賠償として差し出せ!」


 ジェラールの論理は破綻していた。

 空腹のあまり脳に糖分がいっていないのかもしれないが、あまりにも自分勝手な言い分だ。


 私はため息をつき、テーブルの上に小さな布袋を置いた。

 中からザラザラと取り出したのは、籾殻もみがらのついたままの『ライ』だ。


「殿下。私は偽ってなどいません。これが、あなたが『鳥の餌』と吐き捨てたものと同じものです」


「嘘をつけ! あの泥のような味の雑草が、こんなに白く輝くわけがない!」


「手間暇をかけて殻を剥き、正しく研ぎ、火加減を調整して炊き上げるからこそ、輝くのです。あなたはその『手間』を惜しみ、私の言葉に耳を貸さなかっただけではありませんか」


「ぐぬっ……!」


 ジェラールが言葉に詰まる。

 そこへ、クロード陛下が追い打ちをかけた。


「無知とは罪だな、セレス王太子。お前が雑草だと見捨てたものを、マリエルは宝に変えた。ただそれだけのことだ」


「だ、黙れ! これは我が国の財産だ! リリナ、お前も何か言ってやれ! 聖女として、この泥棒猫を断罪してやるのだ!」


 ジェラールは隣に座る聖女リリナに助けを求めた。

 しかし、返事がない。


「……リリナ?」


 彼女はうつむき、何やらもごもごと口を動かしている。

 両手はテーブルの下に隠されていた。


「リリナ、どうした? 気分でも悪いのか?」


 ジェラールが心配して肩に手を置こうとした、その時。


 ――ぽろり。


 リリナのドレスの袖口から、何かが転がり落ちた。

 それは床の上でころころと転がり、ジェラールの足元で止まった。


 白い、三角形の塊。

 中心には、ちょこんと赤い梅干しが乗っている。


「……おにぎり?」


 ジェラールが呆然と呟く。

 リリナが「ああっ!」と悲鳴を上げた。


「私の梅おにぎりがぁぁ!!」


「り、リリナ……? お前、何を隠し持っていた?」


 ジェラールの問い詰めに対し、リリナは観念したように顔を上げた。

 その口元には、数粒の米粒がついている。

 頬はリスのように膨らんでいた。


「もぐ、もぐ……ごっくん。……だって、カツ丼だけじゃ足りなかったんですもの!」


 リリナは開き直った。

 聖女の清楚な仮面はどこへやら、食欲全開の顔で叫ぶ。


「マリエル様にお願いして、お夜食用の『おにぎり』をこっそり頂いたんです! だってこれ、冷めても美味しいし、持って帰ればお城でも食べられると思ったんですもの!」


「き、貴様……聖女の分際で、盗み食いだと!?」


「盗み食いじゃありません! 聖女への御布施おふせです! 殿下だって、本当は食べたいんでしょう? お腹の音がうるさいですわよ!」


「なっ……!?」


 図星を突かれ、ジェラールの顔が真っ赤になる。

 周囲の帝国の兵士たちが、必死に笑いを堪えてプルプルと震えていた。

 私の元婚約者と、私を陥れた聖女。

 その二人のあまりに情けない内輪揉めに、呆れを通り越して哀れみすら感じる。


 カツ、カツ、カツ。

 冷たい足音が響き、喧騒が止まった。

 クロード陛下が立ち上がり、ジェラールの前に歩み寄ったのだ。


 彼は足元に落ちた梅おにぎりを拾い上げると、悲しげにそれを見つめた。


「……粗末にするな」


「え?」


「一粒の米には、七人の神が宿るとマリエルは言った。それを床に落とすなど、万死に値する」


 クロードがジェラールを睨み据える。

 その瞳は、深紅の宝石のように美しく、そして底冷えするほど恐ろしかった。


「セレス王太子。お前の敗因を教えてやろうか」


「は、敗因だと? 余はまだ負けてなど……」


「いいや、負けたのだ。食の価値も分からず、民の飢えを顧みず、己のプライドのために有能な人材を捨てた時点で、お前の国は終わっていた」


 クロードは私の肩を抱き寄せ、高らかに宣言した。


「マリエルは渡さん。彼女が握るおにぎり一つにすら、お前の国全てを合わせた以上の価値があるからな」


「おにぎり一つに負けたと言うのか……! 王族であるこの余が!」


「そうだ。悔しかったら、民に美味いものを食わせてみせろ。それができぬ王に、誰もついてはいかぬ」


 ジェラールは反論しようと口を開いたが、言葉が出てこなかった。

 圧倒的な「王の器」の差。

 そして何より、彼自身の胃袋が、クロードの言葉を肯定していたからだ。


 ――民に美味いものを食わせろ。

 ――余も、あのカツ丼が食いたい。


 本能からの叫びが、彼のちっぽけなプライドを粉々に砕いていた。


「……くそっ、くそぉぉぉ!!」


 ジェラールはその場に崩れ落ち、拳を床に叩きつけた。

 悔し涙なのか、空腹による涙なのか、その目からはボロボロと雫がこぼれ落ちる。


「殿下、もう諦めましょう……」


 リリナがそっと彼に寄り添う。

 その手には、いつの間にか新しいおにぎりが握られていた(いつの間に確保したのやら)。


「マリエル様、お願いです。この情けない殿下に、何か食べるものを恵んであげてくださいまし。……カツ丼の汁をご飯にかけただけでもいいですから」


 聖女の懇願(という名のトドメ)に、私は苦笑いしながらクロード陛下を見上げた。


「陛下。……『塩むすび』一つくらいなら、よろしいですか?」


「……フン。マリエルがそう言うなら仕方あるまい」


 クロードは私の頭をポンと撫でる。

 私は作り置きしてあった塩むすびを一つ、皿に乗せてジェラールの前に置いた。


「どうぞ、殿下。これがあなたが捨てた『雑草』の味です。……よく味わってくださいね」


 ジェラールは震える手で、その白い三角形を掴んだ。

 屈辱にまみれながら、彼はそれを口に運ぶ。


 ガブッ。


 一口食べた瞬間、彼の動きが止まった。

 そして、せきを切ったように号泣し始めた。


「うっ……うううっ……! なんだこれは……美味い、美味すぎるぞ……! こんな……こんな美味いものを、余はずっと捨てていたのか……!」


 塩味と米の甘み。

 シンプルすぎるその味が、彼の愚かさを責め立てるように、優しく、残酷に身体に染み渡っていく。


 泣きながらおにぎりを頬張る元婚約者を見下ろしながら、私は思った。

 

 ざまぁみろ、なんて言葉はいらない。

 ただ、「美味しいご飯」の前では、人は嘘をつけないというだけのことだ。


 これで勝負はついた。

 けれど、まだ終わりではない。

 彼らがこの味を知ってしまった以上、セレス王国は帝国の――私の「お米」に依存せざるを得ないのだから。


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