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第六話

 季節は巡り、冬の寒さが和らぎ始めた頃。

 私が帝国で「お米ライフ」を謳歌している一方、国境の向こう側――祖国であるセレス王国は、地獄のような様相を呈していた。


          ◇


「……硬い。なんだこのパンは、石か?」


 セレス王国の王宮、ダイニングルーム。

 王太子ジェラールは、ナイフが通らないほど硬化した黒パンを皿に叩きつけた。

 豪華なシャンデリアや絵画に囲まれた部屋だが、テーブルの上に並ぶ食事はあまりにも貧相だった。


 メインディッシュは、具のほとんどない薄いスープと、ボソボソのパン。

 付け合わせのサラダもしなびている。


「申し訳ございません、殿下……。小麦の不作が続き、王宮への納入量も激減しておりまして……」


 侍従が青ざめた顔で頭を下げる。

 ジェラールの隣では、聖女リリナが涙目でスプーンを握りしめていた。


「ひどいですぅ……。私、もう三日も甘いお菓子を食べていません。お肌がカサカサになっちゃう」


「ああ、可哀想なリリナ。君のような愛らしい花には、ふわふわの白パンと蜂蜜こそがふさわしいのに」


 ジェラールはリリナの肩を抱き寄せ、慰めるように撫でた。

 しかし、その目には焦燥の色が濃い。


 かつて「農業大国」とうたわれたこの国は、急速に衰退していた。

 原因は明白だ。異常気象による小麦の凶作。

 そして、それに対する王族の失策である。


 あの時、悪役令嬢マリエルが提案した「湿地帯でのライ(米)栽培」を、「家畜の餌など食えるか」と一蹴し、彼女を追放した。

 代わりに採用されたのが、聖女リリナの「聖なる祈りで小麦を増やしましょう計画」だった。


 結果は惨敗。

 祈れど歌えど、枯れた小麦は蘇らない。当たり前だ。

 民衆の間では飢餓が広がり、暴動の気配すら漂い始めていた。


「クソッ、どいつもこいつも無能ばかりだ! なぜ余の国にはまともな食い物がないのだ!」


 ジェラールが苛立ちを露わにした、その時だった。

 扉が慌ただしく開かれ、影のような男――王家直属の密偵が入ってきた。


「報告します! 帝国ガルディアより戻りました!」


「おお、待っていたぞ! どうだ、あちらの様子は? 痩せた土地しかない帝国なら、我が国以上に飢えているはずだろう?」


 ジェラールは期待に目を輝かせた。

 自分たちより不幸な者がいれば、溜飲も下がるというものだ。

 しかし、密偵は苦渋の表情で首を横に振った。


「そ、それが……信じられないことに、帝国軍の士気は最高潮に達しております」


「は? 何を言っている? 食うものもないはずだぞ」


「いえ、食料事情は劇的に改善されています。なんでも、彼らは『白い宝石』と呼ばれる謎の穀物を手に入れたとか」


「白い……宝石?」


 ジェラールとリリナが顔を見合わせる。


「はい。その穀物は、炊くとふっくらと膨らみ、銀色に輝き、噛めば甘みが溢れ出すそうです。兵士たちはそれを『ゴハン』や『オニギリ』と呼び、奪い合うようにむさぼり食っていると……」


 ゴクリ。

 ジェラールとリリナの喉が同時に鳴った。

 目の前のカチカチの黒パンとは大違いだ。想像するだけでよだれが出そうになる。


「嘘だ! あの不毛の地で、そんな作物が育つわけがない!」


「それが……なんでも、例の湿地帯に自生していた『雑草』を活用したそうです。それを美味しく食べるための『秘術』を、ある女性が持ち込んだとか」


「女性……?」


 ジェラールの脳裏に、ある人物の顔がフラッシュバックした。

 断罪の広間で、「ライを食べればいい」と訴えていた、元婚約者。

 マリエル・フォン・グランツ。


「まさか……あの女か!?」


 ジェラールは椅子を蹴倒して立ち上がった。

 顔色が赤から青、そしてまた赤へと変わる。


「あの時、マリエルが言っていた『ライ』こそが、その『白い宝石』だったというのか!?」


「殿下、どういうことですの?」


「おのれ、マリエル……! あいつは知っていたのだ! あの雑草が、実は極上の美食であることを! それを余には黙って、自分だけ甘い汁を吸おうと……!」


 完全な逆恨みである。

 彼女は必死に提案したのに、話を聞かずに処刑しようとしたのはジェラール自身だ。

 しかし、プライドの高い彼の脳内では、事実は都合よく改ざんされていく。


「しかも、それを敵国の皇帝に売り渡すとは! 売国奴め! その技術は本来、セレス王国のものだぞ!」


「そうですわ殿下! その美味しい『ゴハン』とかいう食べ物、きっと私たちが食べるべきものでしたのよ!」


 リリナも身勝手な怒りを燃え上がらせる。


「許せん……。余がこんな硬いパンを食べているというのに、あいつは帝国でぬくぬくと美食三昧だと? そんなこと、あってたまるか!」


 ジェラールの瞳に、歪んだ決意の光が宿った。


「直ちに親書を用意せよ! 『罪人マリエルの身柄引き渡し』を要求する!」


「しかし殿下、帝国が素直に応じるとは……」


「応じるさ。向こうは野蛮な軍事国家だ。高貴な我々が出向いて『食料支援の交渉』を持ちかければ、尻尾を振って喜ぶはずだ」


 ジェラールはニヤリと笑った。


「マリエルを取り戻し、その調理法を聞き出す。そして帝国にある『白い宝石』を全て没収するのだ! そうすれば我が国の飢饉は解決し、余は救国の英雄となる!」


「素敵です殿下! ついでにその『オニギリ』、私も食べてみたいですわ!」


 こうして、世界一勘違いした使節団が結成されることになった。

 彼らは知らなかったのだ。

 マリエルが今や、帝国の兵士たちから「飯の女神」として崇拝され、皇帝クロードに至っては彼女の料理なしでは生きられない体になっていることを。

 そして、お米を愛する者たちが、どれほど恐ろしいかということを。


          ◇


 一方、ガルディア帝国。

 そんな不穏な動きなど露知らず、私は幸せな時間を過ごしていた。


「見てくれ、マリエル」


 クロード皇帝に手を引かれ、私は城のバルコニーに立っていた。

 眼下に広がるのは、かつては泥沼だった湿地帯。

 しかし今は違う。


 私の指導のもと、水路が整備され、整然と区画された水田が広がっている。

 まだ苗を植えたばかりの時期だが、水面に青空が映り込み、キラキラと輝く様は壮観だ。


「美しいな……」


「はい。秋になれば、ここが一面の黄金色になりますよ。そうなったら、もう国民が飢えることはありません」


 私が微笑むと、クロードは愛おしそうに私の髪を撫でた。


「お前が来てから、この国は変わった。兵は強くなり、民には笑顔が増えた。……余の腹周りも、少し健康的になった気がするが」


「ふふっ、陛下は少し痩せすぎでしたから。TKGの食べ過ぎには注意してくださいね?」


「む、あれは抗えぬ魔力があるのだ……」


 クロードはばつの悪そうな顔をして、それから真剣な表情に戻った。


「マリエル。近々、お前の故郷から使節団が来るそうだ」


 不意の言葉に、私の心臓が跳ねた。


「セレス王国から……ですか?」


「ああ。名目は親善だが、要求は透けて見える。食料援助と……おそらくはお前のことだ」


 クロードの声が低くなる。

 私はギュッとドレスの裾を握りしめた。

 あの国には、苦い思い出しかない。

 自分を信じてくれなかった元婚約者。嘲笑う貴族たち。


「……私は、戻りません。私の居場所は、ここですから」


 私が顔を上げて告げると、クロードは安堵したように、そして強く私を抱きしめた。


「当然だ。誰にも渡さん。例え相手が国家だろうと、神だろうとだ」


 耳元で囁かれる独占欲たっぷりの言葉に、顔が熱くなる。

 

「それに……奴らが来るというのなら、好都合だ」


 クロードの腕の中で、彼が冷酷な「皇帝」の顔に戻った気配がした。


「お前を捨て、雑草扱いした愚か者たちに、教えてやらねばな。自分たちが何を失ったのかを。……絶望的なまでの『味の格差』でな」


 ゾクリとするような殺気。

 けれど、なぜか頼もしく感じるのは、私がすっかり帝国の人間になってしまったからだろうか。


「はい、陛下。私も腕によりをかけます。最高に美味しくて、最高に残酷な『おもてなし』をしましょう」


 私たちは共犯者のように笑い合った。


 数日後。

 ジェラール王太子率いるセレス王国使節団が、帝国の城門をくぐった。

 やつれきった顔で、しかしプライドだけは高い彼らを待ち受けていたのは――。


 城中に漂う、暴力的なまでに食欲をそそる「出汁だし」と「揚げ油」の香りだった。


「な、なんだこの匂いは……!?」


 馬車から降りたジェラールが、鼻をひくつかせる。

 さあ、開戦だ。

 武器は剣でも魔法でもない。

 

 サクサクの衣と、とろとろの卵。

 禁断の『カツ丼』が、彼らを地獄(という名の天国)へ叩き落とす。


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