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第五話

 翌朝。

 張り詰めた空気が、帝国軍の野営地を支配していた。


 中央に設けられた特設会場には、二つの調理台。

 片方には、アイゼン公爵が誇るお抱え料理人、ボルグ。筋肉隆々の大男で、巨大な肉切り包丁を軽々と振り回している。

 もう片方には、私、マリエル。武器は菜箸さいばしと小さなお茶碗のみ。


 審査員は、もちろんクロード皇帝陛下その人だ。

 彼は玉座(代わりの椅子)に座り、不機嫌そうに足を組んでいる。昨夜の焼きおにぎりを邪魔された怒りがまだ収まっていないらしい。


「勝負のテーマは『皇帝陛下を満足させる、最強の朝食』だ! か弱き女などに、戦場の男の胃袋が満たせるものか!」


 アイゼン公爵が鼻息荒く宣言する。

 先攻は、公爵側の料理人ボルグだ。


「へい! 俺の料理はこいつだ! 『厚切り猪肉のステーキ・特製ラードソース掛け』だァ!」


 ドンッ!

 テーブルに置かれたのは、朝食という概念を破壊するほどの肉塊だった。

 分厚い猪肉がジュウジュウと脂の音を立てている。さらにその上から、こってりとした動物性のラードとニンニクを煮詰めたソースがたっぷり。


「朝から精をつけるには、これくらいの脂が必要なんでさぁ!」


 ボルグが胸を張る。確かに、育ち盛りの運動部員なら喜ぶかもしれない。しかし、相手は激務で胃が疲れ気味の皇帝陛下だ。


 クロードは皿を見て、少しだけ眉を寄せたが、フォークを手に取った。

 肉を切り、口に運ぶ。


「……ふむ」


 咀嚼そしゃくする音が重い。

 彼は半分ほど食べたところで、ナイフを置いた。


「悪くない。焼き加減も絶妙で、ソースもパンチが効いている。……だが」


 クロードはナプキンで口元の脂を拭った。


「朝一番の胃には、少々重すぎる。これを食ってすぐに馬に乗れば、間違いなく吐くぞ」


「ぐっ……!」


 アイゼン公爵がうめく。

 そう、美味しいことと、朝食に適しているかは別問題なのだ。


「次はマリエル、お前の番だ」


 クロードが期待を込めた眼差しを私に向ける。

 私は「はい!」と元気に返事をし、お盆を持って前に出た。


 私が出したのは、蓋付きの小さなお茶碗と、小皿が二つだけ。

 肉塊に比べれば、あまりにも質素で貧相な見た目だ。


「はっ! なんだそれは。ままごとか?」


 公爵が嘲笑う中、私は静かにクロードの前に料理を並べた。


「私の料理は、こちらです」


 まず、お茶碗の蓋を取る。

 ふわぁ……と立ち上る湯気。

 現れたのは、一粒一粒が真珠のように輝く、炊き立ての銀シャリ。


「そして、主役はこの子です」


 私は小皿の一つを指差した。

 そこに乗っているのは、殻付きのままの卵。

 今朝、近隣の村から調達してきた、産みたてホヤホヤの新鮮な卵だ。私のスキル【完全鑑定】で、サルモネラ菌的な危険がないことも確認済みである。


「卵……? 生のままか?」


 会場がざわめく。

 この世界では、卵はしっかり火を通すのが常識。生食など狂気の沙汰だと思われている。


「はい。陛下、私を信じてください」


 私は卵を手に取り、お茶碗のふちでコンコンと叩いた。

 綺麗な亀裂が入る。

 そして、親指を食い込ませてパカッと割る。


 とろり。

 白雪のようなご飯の上に、ぷるんとした白身と、夕陽のように濃いオレンジ色の黄身が落ちた。

 その黄身の盛り上がりたるや、ピンポン玉のように張りがある。新鮮さの証だ。


「うおっ……美しい……」


 誰かが呟いた。

 白とオレンジのコントラスト。それはシンプルながらも、完成された芸術品のようだった。


「仕上げに、これをかけます」


 私はもう一つの小皿――昨夜の醤油に、カツオ出汁(干し魚から抽出)をブレンドした『特製だし醤油』を、円を描くように回しかけた。


 たらり。

 黒いしずくが黄身の上を滑り、白いご飯に染みていく。


「完成です。究極の朝食、『TKG(卵かけご飯)』です!」


「TKG……?」


 クロードが不思議そうに復唱する。


「食べ方にはコツがあります。こうして……黄身と白身、そしてご飯と醤油が一体になるように、空気を含ませながら混ぜるのです!」


 私はスプーンで全体を豪快にかき混ぜた。

 カッカッカッ、という小気味よい音。

 オレンジ色の黄身が崩れ、白身と混ざり合い、醤油色のご飯を黄金色にコーティングしていく。


 ねっとりとした音と共に、お茶碗の中身は「黄金の流動体」へと進化した。


「さあ、どうぞ。躊躇わずにかきこんでください」


 クロードは、黄金色に輝く茶碗を受け取った。

 ステーキの時とは違い、その表情には好奇心と食欲がみなぎっている。


 彼はスプーンですくい上げ、口へと運んだ。


 ――ジュルッ。


 行儀悪く音を立ててすすり込む。

 その瞬間、クロードの目がカッと見開かれた。


「――っ!!」


 言葉がない。

 彼はすぐに二口目を口に運ぶ。

 ジュルッ、ハフッ、ジュルッ。

 止まらない。まるで飲み物のように、茶碗の中身が彼の喉へと消えていく。


「な、なんだ!? 陛下が肉も食べずに、ただの穀物をむさぼっているぞ!?」


 アイゼン公爵が愕然とする中、クロードは最後の一粒まで舐め取るように完食し、深く息を吐いた。


「……ふぅ」


 その顔は、至福そのものだった。

 彼はうっとりと目を閉じ、感想を紡ぎ始めた。


「驚いた……。なんという喉越しだ」


「喉越し、ですか?」


「ああ。濃厚な卵の黄身が米の一粒一粒を包み込み、まるでシルクのように滑らかに喉を通っていく。噛めば米の甘みが弾け、醤油の塩気と出汁の香りが鼻に抜ける……」


 クロードは空になった茶碗を愛おしそうに撫でた。


「ステーキのような暴力的な旨味ではない。だが、五臓六腑に優しく染み渡り、体の底から力が湧いてくるような……そう、まさに『黄金の活力』だ」


 彼は立ち上がり、高らかに宣言した。


「勝者、マリエル!」


「やっ……たぁぁぁ!」


 私は思わず飛び上がった。

 兵士たちから「ウォーッ!」「TKG! TKG!」という謎のコールが巻き起こる。


「ば、馬鹿な……。肉が、卵かけ飯に負けただと……?」


 呆然と立ち尽くすアイゼン公爵。

 私は残っていたご飯と卵で、もう一杯のTKGを作り、彼の前に差し出した。


「公爵様も、一口食べてみてください。食わず嫌いは損ですよ?」


「ぬ……敵国の女の施しなど……」


 渋る公爵だが、漂う醤油と出汁の香りに、喉がゴクリと鳴るのを隠せていない。

 彼は震える手で茶碗を受け取り、一口食べた。


「……む」


 頑固な老将軍の動きが止まる。

 そして、次の瞬間には猛烈な勢いでかきこみ始めた。


「ぬおおお! なんだこれは! トロトロで、甘くて、しょっぱくて……懐かしい味がする! ワシは、ワシは今まで何を食べていたんじゃぁぁ!」


 公爵、陥落。

 涙を流しながら完食した彼は、「負けた……完敗じゃ」とガックリと膝をついた。


          ◇


 勝負の後。

 私は調理器具の片付けをするために、一人で天幕の裏手にいた。

 すると、背後から気配が近づいてくる。


「マリエル」


 振り返ると、クロード皇帝が立っていた。

 公式の場での厳しい表情は消え、どこか甘えたような空気をまとっている。


「おめでとう。見事な勝利だった」


「ありがとうございます。お米の美味しさが分かってもらえて嬉しいです」


「うむ。……ところで、だ」


 クロードは少し言いにくそうに視線を泳がせた後、じっと私を見つめた。


「先ほどの、その……TKGとやら。もう一杯、作れないか?」


「えっ? さっき大盛りで食べましたよね?」


「足りん。あんなに美味いものが、一瞬で喉を通り過ぎてしまった。もっとじっくり味わいたいのだ」


 帝国の支配者が、おかわりをねだっている。

 そのギャップに、私は思わず吹き出してしまった。


「ふふっ、わかりました。特別ですよ?」


 私は小さなおにぎりを握り、余っていた卵黄と醤油を絡めた『一口TKG』を作った。

 スプーンに乗せて、彼に差し出す。


「はい、どうぞ。あーん」


「……!」


 クロードの耳が赤くなる。

 さすがに不敬だったか? と引っ込めようとした瞬間、彼は私の手首を掴み、そのまま私の手ごとスプーンを口に含んだ。


 パクり。

 指先に彼の唇が触れる。熱い舌の感触。

 心臓がドキンと跳ねた。


「……ん。美味い」


 彼は満足げに微笑むと、私の耳元で囁いた。


「やはり、お前を正妃……いや、専属料理人にして正解だった。一生、私のそばでこの味を作れ」


「えっと……専属料理人としての契約なら、考えさせてもらいます」


 顔が熱くなるのをごまかすように、私はそっぽを向いた。

 けれど、繋がれた手はほどかれない。


 こうして、保守派貴族をも味方につけた私の地位は、盤石なものとなった。

 だが、平和な時間は長くは続かない。

 「米」の噂を聞きつけたハイエナたちが、国境の向こうから近づいていたのだ。


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