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第四話

ガルディア帝国の冬は早い。

 国境付近の山岳地帯。冷たい風が吹き荒れる中、クロード皇帝率いる帝国軍の遠征部隊は、魔獣討伐の任務に就いていた。


 重厚な鎧に身を包んだ兵士たちの足取りは重い。

 寒さもさることながら、彼らの士気を下げているのは「食事」だった。


「……硬え」


 休憩中、若手の兵士が携帯食の干し肉をかじり、歯を押さえてうめいた。

 帝国の兵糧は保存性重視だ。石のように硬い黒パンと、塩辛いだけの干し肉。これを雪で溶かした水で流し込む。それが彼らの日常だった。


 だが、今回の遠征は少し様子が違った。

 本陣の幕舎の中だけ、空気が違っていたのだ。


「――ん」


 天幕の中で、クロード皇帝は優雅に「昼食」を摂っていた。

 手に持っているのは、竹の皮で包まれた白い塊。

 冷めてはいるが、しっとりと水分を含んだ『塩むすび』だ。


 パクり。

 音もなく一口。


(……冷めても、美味い)


 クロードは内心で感嘆していた。

 パンは冷めればパサつき、喉に詰まる。肉は脂が固まって不味くなる。

 だが、この「おにぎり」はどうだ。

 冷めたことで米の弾力が増し、噛みごたえが出ている。噛めば噛むほどに甘みが滲み出し、適度な塩気が疲労した脳にダイレクトに効く。


「陛下、そろそろ出発の刻限です」


「うむ。……名残惜しいが、行くか」


 クロードは最後の一口を惜しむように飲み込むと、立ち上がった。

 その体には力が満ち溢れていた。

 胃もたれせず、しかし腹持ちは良い。

 米とは、なんと優れた兵糧レーションなのか。


          ◇


 その日の夜。

 部隊は森の開けた場所に野営地を設営した。

 兵士たちが焚き火を囲み、味気ない夕食の準備を始める中、私は「臨時厨房」と化した一角で、ある実験を行っていた。


「見つけたわ……! やっぱり味噌があるなら、コレもあるはずだと思ったのよ!」


 私の手元にあるのは、小さな壺。

 城の倉庫の奥底、あの味噌樽の隣に放置されていたものだ。

 中に入っているのは、黒く透き通った液体。


 舐めてみると、強い塩気と、独特の芳醇な香り。

 そう、醤油だ。

 この世界では使い方が分からず、「黒い塩水」として放置されていたらしい。


「ふふふ、今日は寒かったからね。兵士の皆さんにも温かいものを振る舞って、私の味方を増やさなきゃ」


 私は『専属料理人』として同行を許されていた。

 お米が入った麻袋は、私の枕元に常備されている。


 今日のメニューは、夜食の定番。

 冷えたおにぎりのリメイク料理、『焼きおにぎり』だ。


 まずは、昼に握っておいたおにぎりを網の上に並べる。

 炭火の遠赤外線効果で、表面をじっくりと炙っていく。

 パチパチ、という炭の爆ぜる音。

 お米の表面が乾燥し、ほんのりとキツネ色に変わり始める。


「ここがポイントなのよね。すぐにタレを塗っちゃダメ。まずは表面をカリッとさせて……」


 私は刷毛はけを取り出した。

 壺の中の醤油に、少しの酒と砂糖(貴重品だが皇帝権限でゲットした)を混ぜた特製ダレだ。


 網の上のおにぎりに、タレをひと塗り。


 ジュワァァァ……ッ!!


 瞬間、爆発的な音が響いた。

 タレが炭火に滴り、煙が立ち上る。

 そして、その煙に乗って拡散されたのは――暴力的なまでの「香ばしさ」。


 醤油が焦げる匂い。

 それは人類のDNAに刻まれた、食欲のスイッチを強制的にオンにする魔法の香りだ。


「な、なんだ!?」

「敵襲か!? いや、なんだこの匂いは……!?」


 野営地がざわめき始めた。

 疲れ切って泥のように眠っていた兵士たちが、次々と起き出し、鼻をひくつかせる。

 匂いの元を辿り、彼らの視線が私――の手元の網に集中した。


「マリエル、これは……」


 天幕から出てきたクロード皇帝も、目を見開いている。

 私はニヤリと笑い、おにぎりをひっくり返して、裏面にもタレを塗った。


 ジュワッ。

 再び広がる香ばしさ。

 表面はこんがりと茶色く染まり、所々にできた焦げ目が食欲をそそる。


「お夜食の準備ができました、陛下。特製『焦がし醤油の焼きおにぎり』です!」


 私は焼きたてのアツアツを、木の葉に乗せて差し出した。

 クロードはゴクリと喉を鳴らし、熱さを堪えてそれを掴む。


 カリッ。

 小気味よい音。

 表面は煎餅せんべいのように香ばしく、カリカリだ。


「熱っ……! ハフ、ハフ……っ!」


 冷徹な皇帝が、熱さと格闘しながら口を動かす。

 カリカリの層を突破すると、中はふっくらと熱い白米。

 醤油の塩気と焦げた風味、そして米の甘みが口の中で一体となる。


「……美味い!!」


 夜の森に、皇帝の叫びが木霊こだました。


「ただの塩味とは全く違う! この黒いタレの香ばしさはなんだ!? 鼻から抜ける香りが、強烈に食欲を煽ってくる。外側のカリカリとした食感と、中のモチモチ感の対比も素晴らしい……!」


 クロードはあっという間に一つを平らげ、指についたタレまで舐め取った。


「マリエル、これは酒だ! 酒を持ってこい!」


「あ、こら陛下! 任務中ですよ!」


 完全に居酒屋のオヤジと化している皇帝陛下。

 その背後から、無数の視線が突き刺さる。

 兵士たちだ。

 よだれを垂らし、亡者のような目で網の上を見つめている。


「あ、あの……俺たちにも……」

「金なら払う! 給金の半分払ってもいいから、それを一口!」


 彼らは限界だった。

 硬いパンと干し肉だけの生活の中に投下された、焼きおにぎりという爆弾。


「ふふっ、大丈夫ですよ。皆さんの分もたっぷりありますから!」


 私は大量に作っておいたおにぎりを、次々と網に乗せていった。

 ジュワジュワと響く音と香り。

 配られた焼きおにぎりを頬張った兵士たちは、次々と膝から崩れ落ちた。


「うめぇぇぇぇ!」

「なんだこれ、外側がカリッカリだ!」

「母ちゃん、俺は今、天国にいるよ……」


 涙を流しながらおにぎりをむさぼる屈強な男たち。

 彼らは口々に叫んだ。


「マリエル様……いや、マリエル女神様!」

「一生ついていきます!」

「飯の神様万歳!」


 こうして、帝国軍最強の精鋭部隊は、たった一夜にして私の(というより醤油と米の)信者へと堕ちたのだった。

 クロード皇帝も、兵士たちの士気が爆上がりしたのを見て、「うむ、米は国力なり」と満足げに頷いている。


 だが、そんな平和なうたげを、冷ややかに見つめる影があった。


「――何事だ、この騒ぎは」


 低く、威圧的な声が響く。

 兵士たちの背筋が凍りつき、道が開く。

 現れたのは、白髪混じりの髭を蓄えた、厳格そうな老将軍だった。


 帝国の重鎮、アイゼン公爵。

 古くからの伝統を重んじ、他国の文化を毛嫌いする保守派の筆頭だ。


 彼は兵士が食べている焼きおにぎりをひったくり、松明の明かりにかざした。


「黒い……。なんと禍々(まがまが)しい色だ」


 公爵は私を鋭く睨みつけた。


「貴様だな、セレス王国の女狐め。我が軍の兵士に、このような『焦げた毒物』を食わせるとは!」


「ど、毒物じゃありません! これはお焦げと言って……」


「黙れ! この神聖な遠征中に、異国のけがれた作物を持ち込むなど言語道断! 兵士たちのはらが緩み、戦えなくなったらどう責任を取るつもりだ!」


 アイゼン公爵は焼きおにぎりを地面に叩きつけ、軍靴で踏みにじった。


 ――プチッ。


 私のこめかみで、血管が切れる音がした。

 食べ物を粗末にする奴は、誰であろうと許さない。

 たとえ相手が将軍だろうが公爵だろうが。


 しかし、私がフライパン(武器)を構えるより早く、一陣の風が吹いた。


「――アイゼン」


 地面に落ちたおにぎりの前に、クロード皇帝が立っていた。

 その背中は静かだが、周囲の気温が急激に下がったかのような、凄まじい殺気を放っている。


「へ、陛下?」


「余の夜食を……踏んだな?」


 クロードがゆっくりと振り返る。

 その瞳は赤く輝き、魔王のごとき形相となっていた。


「そしてマリエルの料理を毒と愚弄したな。……覚悟はできているのだろうな?」


「ひっ……!」


 歴戦の将軍であるはずのアイゼン公爵が、恐怖に後ずさる。

 食べ物の恨みは恐ろしい。特に、美味しいご飯を知ってしまった男の恨みは。


「申し開きがあるなら聞こう。……料理勝負でな」


「は、はいぃ!?」


 こうして、なぜか私は保守派の貴族たちと料理対決をすることになってしまったのだった。

 テーマは『皇帝陛下を満足させる、最強の朝食』。


(上等じゃない。お米の本当の実力、見せてあげるわ!)


 砕かれた焼きおにぎりのかたきは、明日の朝食で取る。

 私は燃え上がる闘志と共に、再びお米の袋を抱きしめた。


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