第二話
「鍋と、水。あと、空き瓶と棒を貸してください!」
私の要求に、帝国兵たちは「はあ?」と顔を見合わせた。
だが、皇帝クロードの「貸してやれ」という鶴の一声で、渋々ながらも道具が集められた。
場所は野営地の焚き火の前。
私は腕まくりをして、目の前の「家畜の餌」――もとい、愛しのお米たちと対峙した。
(よく見るとこれ、籾殻がついたままの籾米だわ)
帝国の人々が「泥のような味がする」「口当たりが悪い」と言っていた原因はこれだ。
彼らは殻ごと煮ていたのだ。そりゃあ不味い。口の中でジャリジャリするし、消化にも悪いだろう。
本来なら脱穀機や精米機が欲しいところだけれど、今の私には前世の知識と、食い意地からくる根性しかない。
「ふんっ! ふんっ!」
私は革袋の中に籾米を入れ、空き瓶の底でトントンと突き始めた。
簡易的な精米作業だ。
摩擦で殻を剥ぎ、さらにヌカを取り除いて白米にする。全員分やるには時間が足りないけれど、まずは皇帝陛下の一食分だけでも「銀シャリ」にしなければ意味がない。
「……おい、あの女、何をしているんだ?」
「さあ……。何かの呪いか?」
背後で騎士たちがヒソヒソと囁いているが、無視だ。
今の私はゾーンに入っている。
三十分ほど一心不乱に瓶を突き続け、袋の中を確認する。
「よし……! 完璧とは言えないけど、これならいける!」
殻が外れ、中の白い肌が露わになったお米たち。
それを鍋に移し、近くの川の水で研ぐ。
シャカシャカ、と小気味よい音が森に響く。白く濁った研ぎ汁を見て、また騎士たちが「うわ、水が汚れたぞ」と騒いだが、私は「これが美味しさの秘訣なんです!」と一蹴した。
水を切り、新しい水を適量注ぐ。
指の第一関節くらいの深さ。長年の勘が「これだ」と告げている。
「火加減、お願いします!」
私は鍋を焚き火にかけた。
飯盒炊飯の要領だ。『はじめチョロチョロ、中パッパ』。
最初は弱火で、沸騰したら一気に強火にする。
じっと鍋を見つめる私の横顔を、クロード皇帝が静かに見下ろしていた。
「……本気なのだな」
ポツリと、彼が呟く。
「はい?」
「ただの時間稼ぎかと思ったが……お前の目は、真剣そのものだ。まるで、恋人を見つめるような目をしている」
「恋人以上です」
私は即答した。
「恋人は裏切るかもしれませんが、正しく炊かれたお米は、決して私を裏切りませんから」
「……」
クロード皇帝は呆れたように肩を竦めたが、それ以上は何も言わなかった。
やがて。
グツグツという沸騰音と共に、鍋の蓋がカタカタと揺れ始めた。
それと同時に――。
フワァ……。
辺りに漂い始めたのは、甘く、ふくよかな香り。
穀物が熱を帯び、糊化していく際に放つ、あの幸せの匂いだ。
「な……なんだ、この匂いは?」
最初に反応したのは、遠巻きに見ていた騎士たちだった。
鼻をひくつかせ、ざわざわと落ち着きをなくし始める。
「甘い……? パンが焼ける匂いとも違う、もっとこう、腹の底を刺激するような……」
「いい匂いだ……。なんだこれ、腹が減る……」
クロード皇帝もまた、微かに目を見開いて鍋を凝視している。
喉仏がゴクリと上下したのを、私は見逃さなかった。
(ふふん、チョロいですね)
匂いだけでこれだ。実食したらどうなることやら。
私は鍋からパチパチという乾いた音が聞こえた瞬間に、火から下ろした。
ここからの「蒸らし」が重要なのだ。
焦らされること十分。
騎士たちの視線が鍋に釘付けになっている。
私は意を決して、鍋の蓋に手をかけた。
「お待たせいたしました。オープン!」
パカッ。
立ち上る真っ白な湯気。
その向こう側から現れたのは――。
「おおおおおっ……!?」
騎士たちのどよめきが重なった。
そこにあったのは、先ほどの茶色い「家畜の餌」ではない。
一粒一粒が立ち上がり、月明かりを反射してツヤツヤと輝く、純白の宝石。
銀シャリの完成だ。
「白い……? あの汚い穀物が、なぜこんなに白く輝いているんだ?」
クロード皇帝が信じられないものを見る目で呟く。
「これが『お米』の真の姿です」
私は少し誇らしげに胸を張った。
さあ、ここからが仕上げだ。
お皿も箸もないこの状況で、最も適した食べ方。
私は水で濡らした手に、ひとつまみの塩をまぶした。
そして、炊き立ての熱々のご飯を、手に取る。
「あちちっ!」
指先が焼けるように熱い。けれど、この熱さこそが御馳走への第一歩。
キュッ、キュッ。
リズミカルに、かつ優しく。
米粒同士の間の空気を潰さないように、ふんわりと三角形に握っていく。
具なんていらない。海苔さえもない。
ただ、米と、塩と、私の愛情(食欲)のみで構成された、究極のミニマリズム。
「どうぞ、毒見は私が済ませます」
私は自分用に作った小さな塊を口に放り込んだ。
ハフハフと息を吐きながら噛み締める。
広がる甘み。絶妙な塩加減。
(う、うまぁぁぁ……!! 生き返るぅぅ……!)
脳内でファンファーレが鳴り響いた。
久しぶりのまともな食事に、涙腺が緩む。
私が幸せそうに咀嚼して飲み込むのを確認し、クロード皇帝が手を伸ばした。
「……では、いただこう」
私の手から、白い三角形――『塩むすび』を受け取る。
彼はまだ半信半疑の表情だ。
恐る恐る、その頂点を齧り取る。
サクッ。
表面は適度な圧力で固められ、歯切れが良い。
そして、中からほぐれる温かい粒。
その瞬間。
クロード皇帝の赤い瞳が、限界まで見開かれた。
「――っ!?」
動きが止まる。
時が止まったかのような静寂。
騎士たちが固唾を呑んで見守る中、皇帝はゆっくりと口を動かした。
噛む。噛む。噛む。
噛むほどに、口の中に溢れ出すデンプンの甘み。
シンプルな塩味が、その甘みを極限まで引き立てている。
「……なんだ、これは」
震えるような声が漏れた。
「外側はしっかりとしているのに、中は信じられないほど柔らかく、モチモチとしている。噛めば噛むほど、濃厚な旨味が湧き出してくる……! これが、あの泥煮と同じ食材だというのか!?」
「美味しい、ですか?」
恐る恐る尋ねると、彼はハッとして私を見た。
その瞳から、先ほどまでの冷徹な光は消え失せていた。
あるのは、未知の美味に遭遇した子供のような、純粋な驚きと感動。
「美味い……。いや、美味いなどという言葉では足りん」
彼は夢中で二口目を頬張った。
今度は大きく。おにぎりの半分が消え失せる。
「スープでもない、肉でもない。だが、これ一つで食事が完結するほどの満足感がある。それにこの塩加減……! 疲労した体に染み渡るようだ」
あっという間に、一つ目の塩むすびが彼の手から消えた。
「……もう一つ、ないか」
皇帝の威厳もかなぐり捨てて、クロードが手を差し出してくる。
私はニッコリと笑って、残りのご飯で握っておいた二つ目を渡した。
「ずるいぞ陛下!!」
「俺たちにも! 一口でいいから俺たちにも食わせてください!!」
見ていた騎士たちが暴動寸前の勢いで詰め寄ってきた。
匂いと、皇帝のあの反応を見せられては、空腹の兵士たちが我慢できるはずもない。
「こら、並びなさい! まだ鍋に残ってるから、小さいのなら全員分作れるわよ!」
私は肝っ玉母ちゃんのように兵士たちを叱咤し、次々とミニおにぎりを握っていった。
兵士たちの手に、小さな白い塊が渡る。
「う、うめええええ!!」
「なんだこれ、甘い! 穀物ってこんなに甘かったのか!?」
「母ちゃん……故郷の母ちゃんに食わせたい……」
中には感動のあまり男泣きする者まで現れる始末だ。
野営地は一転して、おにぎり試食会という名の宴会場と化した。
その光景を、二つ目のおにぎりを大事そうに食べ終えたクロード皇帝が眺めていた。
彼は口元についた米粒を指で拭うと、それをパクりと口に入れ、私に向き直った。
「マリエル・フォン・グランツと言ったな」
「は、はい」
名前を覚えられていたことに驚きつつ、私は居住まいを正した。
彼は真剣な眼差しで私を見下ろし、宣言した。
「お前を処刑するのは中止だ」
「ほっ……ありがとうございます!」
「その代わり」
彼は一歩、私に近づいた。
長身の彼が目の前に立つと、威圧感と同時に、どこか甘やかな気配を感じてドキリとする。
クロードは私の手を取り、その泥と塩にまみれた指先に、恭しく口付けた。
「お前を帝国へ連れ帰る。そして余の専属となれ」
「へ……?」
「余の胃袋は、今、お前に掌握された。……責任を取ってもらおうか」
その赤い瞳は、獲物を逃さない肉食獣のように妖しく、そして熱っぽく輝いていた。
(あれ? これって生き延びたのはいいけど、別の意味で貞操の危機……いや、胃袋の危機?)
呆然とする私をよそに、皇帝は満足げに微笑むと、部下たちに撤収命令を下した。
こうして私は、囚人としてではなく、皇帝陛下の「餌付け役」として、帝国ガルディアへと連れ去られることになったのである。
(まあ、いいか。帝国に行けば、あのお米が食べ放題だもんね!)
この時の私はまだ知らなかった。
私のおにぎりが、やがて帝国の食文化を根底から覆し、私自身をも「聖女」以上の存在へと押し上げていくことになるなんて。




