幸せそうな死体は甘い夢を見る
美しい令嬢というのは大勢いるものだ。
貴族家に生まれた女は、先天的後天的な美貌でもって条件のいい男を絡め取るのが使命みたいなものだから。
オルムステッド伯爵家の三男に生まれた僕ジョナサンも、王立アカデミーではくだらぬ女に引っかかるなよと散々言われたよ。
自分でもそれくらいの分別はあると思っていたけれど。
ただシヴェリア・ヘイズ男爵令嬢はちょっと違ったんだな。
輝くような銀髪で小鳥のような美しい声を持っていて。
普段の澄まし顔と時折見せるいたずらっぽい笑顔のギャップが印象的で。
気付いたら惹かれ、恋人同士になっていた。
僕は魔道の才能に恵まれていてね。
三男坊ではもちろん家は継げないが、卒業後にシヴェリアを養っていくことくらいはできると思っていたんだ。
宮廷魔道士の給料は高いから。
伯爵家出身ともなると、将来宮廷魔道士長になれる可能性も大いにあるし。
ところが予定外の事態になる。
卒業後すぐにシヴェリアをアカデミーの裏庭に呼び出した。
何となくだ。
出会いがアカデミーだったから。
「外国に留学?」
「そう、優秀過ぎるのも困ったものだ」
隣国メイナスの進んだ魔道を学ぶための国費留学生に、僕が選ばれてしまったんだ。
国費で学ぶのだから、シヴェリアは連れて行けない。
もちろん留学を断るのは論外だ。
陛下の要請を袖にしたとなると僕の出世は期待できなくなるし、また実家のオルムステッド伯爵家も白い目で見られてしまう。
「成果を出すまで帰れないから、いつになるかわからん。申し訳ないが別れよう」
「……仕方ないわね」
「僕がシヴェリアを愛していたのは本当だ。君の幸せを願う」
シヴェリアほどの令嬢ならすぐに適当な相手は見つかるだろう。
僕のことなんか忘れて、新たな相手と仲良くしてくれ。
「一つお願いがあるの。いいかしら?」
「もちろんだ。僕にできることなら何でもかなえよう」
「二〇年経ってもお互い独り身だったら、この場所で会いましょう」
「独り身だったら? ここってアカデミーの裏庭で?」
二〇年後シヴェリアが独り身ってあり得ないだろう。
いや、未亡人って可能性はなくもないのか。
「わかった。でも僕はシヴェリアに幸せになってもらいたいんだよ。独り身なんて、寂しいことは言わないでくれ」
「うふふ」
何か企んでいそうな顔だこと。
僕はどうだかわからんな?
異国で研究に打ち込んでいると女性に縁がなさそう。
笑顔で手を振り、シヴェリアと別れた。
正直後ろ髪を引かれる思いはあったが、振り返らなかった。
だって僕はケルテアス王国の威信を懸けた留学生だから。
メイナス人に舐められてはいけない。
絶対に結果を残さなければならなかったのだ。
三年後くらいだったか。
僕が隣国メイナスの魔道研究所にいた時、たまたまシヴェリアのその後を知る旅行者に会った。
「死んだ? シヴェリアが?」
「はい。馬車事故だそうで」
呆然としてしまった。
信じられない、あのシヴェリアが?
手紙で実家に問い合わせたが、やはり同じ内容の返信が来ただけだった。
しかもシヴェリアは結婚していなかったらしい。
僕と出会ったことで、シヴェリアの人生を狂わせてしまったのだろうか?
胸が痛い。
本当の意味で僕には魔道しかなくなった。
シヴェリアを捨ててまでメイナスに留学することを選んだのだから。
一心不乱に研究を続け、いくつかの誇るべき発明品や研究結果もできた。
「ジョナサン君、帰国するのか」
「はい。メイナスでは二〇年近くお世話になり、様々なことを学びましたのでね。僕は国費留学生ですから、以後はケルテアス王国のために働きたいと思います」
「そうか。もっともなこととはいえ、惜しいなあ。君ほど優秀な魔道研究者は滅多にいないのに」
惜しまれるのは嬉しいが、二〇年だ。
シヴェリアとの約束の日が近付きつつあるから。
『二〇年経ってもお互い独り身だったら、この場所で会いましょう』
バカげた感傷だってわかってる。
でも僕は独り身だ。
約束の場所、アカデミーの裏庭の行かねば。
シヴェリアへの思いを清算するためにも。
帰国後、陛下に拝謁だの研究成果の報告だのでバタバタしたが、ちょうどシヴェリアと別れて二〇年目に当たる日、アカデミーを訪れた。
「オルムステッド伯爵家御当主の三男で宮廷魔道士をしていらっしゃるのですか。優秀なのですねえ」
守衛に身分証明書を見せると感嘆していた。
大したものじゃないよ。
愛する女性一人でさえ幸せにできなかった、つまらない男なんだから。
「アカデミーではどなたかと面会でいらっしゃいましたか?」
「いや、裏庭をぶらぶらしたいだけなんだ」
「裏庭を?」
「若き日の思い出に浸りたくてね」
「ああ、さようでございましたか。現在学期末の休業期間中ですので、何者にも邪魔されずゆっくりできると思いますよ」
「うん、ありがとう」
のんびりと裏庭へ。
あの大ケヤキの木、サンショウウオの棲む池、懐かしいなあ。
いや、在学していた時とここまで変わってないと逆に驚くくらいだ。
散策路のベンチのところまで来ると……。
「君か」
『うふふ。わたしよ』
シヴェリアだ。
別れた時とほとんど変わっていない。
万分の一くらいの可能性で会えるかもとは思っていたが……。
隣に座る。
「シヴェリアは相変わらず美しいな。見とれてしまうよ」
『ジョナサンは少し老けたわね』
「二〇年経っているからな」
『でも素敵よ』
「嬉しいことを言ってくれる」
悲しいことだ。
しかし僕に責任があるから。
『ようやく帰ってきたのね?』
「君が亡くなったと聞いたから、ケルテアスに拘る理由がなくなったんだ。研究は魔道の進んでいるメイナスで行う方が捗るのでね」
『結構な進歩があったから、国に還元するために戻ってきたってこと?』
「そうだ。既に報告はすませた」
あの膨大なレポートはケルテアスの財産になるだろう。
もう僕がいなくても大丈夫。
国に恩は返した。
『ジョナサンのことだから国のためになる研究だったのでしょう?』
「まあね。どの研究もそれなりに自慢できるよ」
『うふふ、さすがね』
「しかし帰国後忙しくてね。君の墓参りがまだなんだ」
『ジョナサンらしいわ』
いたずらっぽい笑み。
ああ、魅力的だな。
「……馬車事故だったんだって?」
『そうね。避ける暇もありはしなかったわ』
「結婚しなかったと聞いた」
『ええ。いくつか話をもらったのだけれど、ジョナサンよりも素敵な人はいなかったから』
僕はシヴェリアに幸せになって欲しかったのに。
胸がえぐられるように切ない。
『ジョナサンもずっと独身だったの?』
「ああ。君が亡くなったと聞いて、研究三昧さ。出会いらしい出会いもなかったね」
『ウソ。わたしのことが気にかかっていたのでしょう?』
「否定はしない」
そうだ。
シヴェリアが死んだのに僕ばかりが幸せになるのは許されないと、心のどこかで思っていた気がする。
「だから二〇年前の約束を思い出したんだろうな。それでアカデミー裏庭に来てみたら君がいた」
『会えて嬉しいわ。ゴーストになってまであなたを待っていてよかった』
「ビッグサプライズだな」
ゴーストか。
ゴーストね。
会えて嬉しいのは本当だけど。
「シヴェリア。君、悪霊だろう?」
ゴーストとは肉体が滅びたのに天界に昇れない魂のことだ。
いずれ下界に存在するだけのエネルギーを使い果たして消滅する運命にある。
ところが悪霊は違う。
生きている人間を襲って生気を吸い、エネルギーを補給して存在し続けることができる。
だからシヴェリアは今でも下界に居続けているのだ。
『……どうしてそう思うの?』
「僕は魔道士だぞ? わからないわけがないじゃないか」
『……そうだったわね』
「何人殺めた?」
『数えていないから正確なところはわからないわ。十数人だと思うけど』
存在していくのに最低限でそれくらいだろうな。
『だけど信じて。誓って善良な人間は殺していないわ』
「シヴェリアならそうだろうね。ただ僕は宮廷魔道士として、悪霊の存在を許すわけにいかないんだ」
『く……あっ?』
「逃げられないよ。結界を張ったから。僕を倒さないと結界は解けない」
『……結局対決になってしまうのね? 気が進まないのだけれど』
「僕もさ。嫌なことをやらずにすませることができたなら、人生はどんなに気楽なことか」
シヴェリアが悪霊になったのは、おそらく今日僕に会いたかったからだ。
今日まで存在し続けるために人を狩って生気を啜った。
つまり僕のせいだ。
『行くわよ? 逃げてもいいのよ?』
「逃げやしないさ。さあ」
シヴェリアと抱擁し、口付けをする。
口付けは悪霊が生気を吸う、ごく一般的な手段だから。
咳込むシヴェリア。
『ぐほっ! ぐほっ! こ、これは?』
「気付いたかい?」
『聖属性? ジョナサンあなた、聖属性持ちだったの?』
「ああ。元々は違ったがね」
人は誰も一つ以上の魔法属性を持つ。
聖属性は回復・治癒・浄化など術の効果が非常に高くなる有用な魔法属性だが、残念なことにかなり稀だ。
僕のメイナスでの研究の一つに、特定の魔法属性を人に持たせるというものがある。
僕も試験的に自分を聖属性持ちにしている。
この聖属性というやつ、ゴーストや闇の眷属を浄化する性質があるんだ。
だからシヴェリアが僕の生気を啜った場合、浄化して魂は昇天するだろう。
「僕の生気を全部あげるよ」
『……ありがとう。やっぱりジョナサンは最高ね!』
ニッコリ笑顔で返す。
シヴェリアが僕の生気を全部吸えば、悪霊として存在できなくなるのはその通り。
また僕も生気を全部失えば死ぬ。
僕とシヴェリアの魂はともに天に昇るだろう。
シヴェリアは人を殺める業を背負った。
が、魂は清められる。
またシヴェリアの業は僕に原因があるのだけれど、僕は死をもって償うことになる。
借りはないと思いたい。
僕らは確かに下界でともに暮らすことはできなかった。
でもこれからは天界で一緒に過ごすことになるのさ。
……ああ、もう意識が途切れる。
愛する人とキスしながら逝くって、なかなか悪くないな。
◇
――――――――――翌日。
「間違いないです。昨日裏庭をぶらぶらしたいと仰っていた、宮廷魔道士のジョナサン・オルムステッド様です。ああ、こんなことになるとは!」
一人の男性の遺体が、王立アカデミー裏庭のベンチに座った状態で発見された。
守衛の証言で身元の目星がついた。
憲兵の検死官が言う。
「争った様子も苦しんだ様子もありません。自然死でしょう」
その遺体は幸せそうな笑顔を浮かべていた。
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