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第28話 月下にて

「決意も新たなところですけども、特使の件はちゃんとお願いしますね?」

「わかってる。そっちも色々と頼むぞ」

「ええもちろん。明日にはリョウゴクへの船を出せますよ」

 胸を張って自慢げに言う皇帝の姿は、皇帝というよりはむしろ青年期の女性に近い。

 褒められたがっているようなそんな風だ。

 そんな二人を見ていると、ふと横から灯りとは違う光が差し込む。眩しさに少しそちらへと目を向けた。

「すごい……綺麗な月ですね」

 窓の外には全く欠けのない、夜空を支配するように大きく映る月があった。

「月の旬は少し先ですけど、これも悪くはないですね」

「砂漠に来ればもっと良い月が見られるぞ」

「皇帝を退位したら、それもいいかもしれませんね」

 唐突に流れるこの空気感、なんとなく自分とオーロラは席を外した方が良い。

「バルコニーとかあります? 外で見てみたくて」

「そこから外に出れますよ。あまり遠くに行き過ぎないようにしてください」

 オーロラを抱き抱えたまま外に出る。

 窓越しでない、直接見る月。それは都市の明かりの中でも見事そのものだった。


 ■■■


「気を使われましたね、先輩?」

 鈴を鳴らすように笑う皇帝に対し、少しばかり恨めしげにノアは窓の外を見つめる。

「はぁ……お前は根っこは変わらんな」

「これでも結構変わったつもりですよ。国を建てて、随分と現実を見ました」

 かつてノアが見たのは国母でなく、皇帝でなく、英雄ですらなかった田舎から出てきたばかりの小娘だった。

 しかし今目の前にいる彼女には幼さはほぼなく、未熟さもあまりなく、国の主としての器を得た一人の皇帝だ。

「先輩は退役する私に『いつか、戦争を忘れ去ってくれ』とおっしゃいましたけど、やはりそれは難しいですね」

 皇帝は心底疲れたような表情で、ため息のように吐き出す。

「守るためにか」

「ええ、国を建てるために戦争へと加わったんです。その国を守る手段もまた、戦争でしかない。いつか起こる戦争のために、いつでも備えていなければならない」

「ふん……あの大会もそういう意図だろう? 自国の兵士を養成するために」

「バレますか」

 舌を少しばかり出し、叱られたいたずらっ子のような笑いを見せる。

「バレバレだ。そもそもリョウゴクの『将軍取り合戦』を参考にしている時点でな」

「いい言い訳でしょう? 少なくとも14年の間、外面は誤魔化せてますよ」

 ノアは傷だらけの手を軽く頭に置く。

「だったら俺にもバレないようにやるんだな」

「無茶言わないでくださいよ、私はそこまで上手くないんですから」

「ははっ、やっぱりお前はまだ田舎娘だな」

 彼は少しばかり回想する。

 DもFも、ただの人間も関係なく国のために戦った。何も知らず突き進んだあの時期が懐かしいと。

 戻ってはいけないが、今も時々戻りたいと思うことが彼にはあった。


「そういやお前、結婚はしないのか?」

「私はもう国母ですからね。誰かのものになる訳にもいきませんよ」

「自分の後継はどうするつもりだ」

「もう育成中ですよ。孤児を二人引き取ったんです。聡明なのでふさわしいかな、と」

「相変わらず将来設計が上手いな……」

 軍隊で共に戦っていた時から、国を建てるための計画を知っていたノアは改めて感心する。

「それにしても結婚かぁ、どうせなら先輩が婿に来てくれたりはしませんか?」

 その言葉に意表を突かれ吹き出す。

「馬鹿言え、一国の主と脱走兵だぞ。世間体を考えろ」

「私は別に気にしないんですけどね」

「俺が気にするんだ。せめてしっかりと引退してからにしやがれ。それからなら考えてやる」

 昔のように、子供をあしらう様に言葉を紡ぐ。

「本気にしますよ?」

 ノアは返答はしなかった。

 彼はこの旅路が無事に済む保証の無い道であることを知っている。

 それに後継の育成は一朝一夕で済むものではない。きっとそんな事は忘れているだろうと、そう思ったが故のことだった。

「さて、そろそろ若者を連れ戻すか。いい加減戻って用意をしなけりゃな」

 逃げるように外に通じる扉から出ていくノアを少しばかり不満そうな顔で見送る。

「先輩の朴念仁も変わりませんねぇ……」

「そりゃあそうでしょう。未だに独身よ」

「風来坊気取りじゃよ、実力行使でもせんと捕まらんさ。何せ鳥だからな」

 ミライとナハイムを含めた三人に後ろ指を刺され、ノアは大きくくしゃみをした。


 ■■■


 オトナの雰囲気から逃れるために外へ出て月を眺める。こうやってまじまじと眺めることもあまりなかったからか、授業で習ったことを思い出す。

 前暦と呼ばれる時代。人類が外宇宙に出る計画の足がかりとして、月は一時期開発が行われていたらしい。

 しかし外宇宙への遠征を諦めたのち、月も放棄されたと歴史では習った。今は開発の影響として歪な模様が浮かんでいるだけに過ぎない。

 かつてはその模様を生物に例えていたらしいが、自分が見ても変な模様にしか見えない。

 叶うなら、開発以前の月を見てみたいものだ。


 7月のぬるい風が頬を撫でる。微妙な気分を表すには丁度いい。

 決意は決めた。自分の気持ちにも向き合った。

 でも、自分の不安にはまだ向き合えていない。これから相対する敵がより強くなるにつれ、自分がノアと交わした「不殺」が守れなくなる状況が来るかもしれない。

 もしその時「殺し」のスイッチを入れてしまったら自分は耐えられない。

 今更殺したくないという言葉は詭弁でしかない。だが自分はまだその覚悟ができていない。

 未だに古い血の跡が手にこびりつく幻視が解けない。それを見て見ぬふりをいつまで続けられるだろう。

 最近、一人に近い状況ではずっとこんな独白を繰り返すことが増えた。いよいよ疲れているのかもしれない。

 曇る気分のように、月は雲へと隠れてしまう。

 頭を駆け巡るめちゃくちゃな感情に、また吐き気が込み上げてきそうになる。

「うっ……」

 片手で口を抑えた。その手を何かが掴む。

「ウィッシュ、大丈夫?」

 オーロラがいつの間にか目を覚ましていた。心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

「ああ、うん、ごめん。大丈夫だよオーロラ」

 笑わなきゃダメだ。自分が笑っていなければ、この子も笑えない。

 オーロラはゆっくりと膝の上から降り、自分の隣に座る。

「大会、見てたよ。かっこよかった」

「そう? ありがとう」

 嬉しかった、だけど笑顔を作れない。必死に滲みかける涙を抑え、口角を無理やり上げる。

「ウィッシュ」

「うん?」

「もう、寂しくないよ。私も」

 柔らかい手の感覚。いつもとは違い、オーロラが自分の頭を撫でている。

「そうだね……うん、寂しくない」

 察されてしまった。なんと情けない。けれど今は気分がずっと楽だった。


 数分の後、また空が明るくなり始めた。

「お月さま、綺麗」

 眩しそうに月を見上げるオーロラが呟く。

「月は好き?」

「窓越しに見てた月は嫌い」

 窓越し、おそらくはあのキャリアーで囚われていた時期のこと。

 もしかしたらオーロラにとって、あまり気分の良いものじゃないかもしれない。

「でも、この月は好き」

「それは……どうして?」

「ウィッシュと初めて一緒に見た月だから、この月は好き」

 そう言って笑顔を見せる。その顔は月より眩しい。

 自分がそばにいるだけで、オーロラの嫌な記憶が上書きできる。とても嬉しかった。

「きっと、また一緒に月を見よう」

「うん!」

 それはリョウゴクかもしれない、帝国かもしれない、それとももっと違う土地かもしれない。

 だがどこであっても、月を一緒に眺めることができる。

 そうして、窓越しの月を忘れさせてあげればいい。

 もう月を見てオーロラが辛くならないために。


「ヘブッ!」

 突然後ろから大きな声が響く、完全に不意打ちで二人揃って飛び上がる。

「あーすまん、ビビらせちまったか?」

 鼻を啜りながら自分たちへノアが近づいてくる。音の正体はくしゃみだろうか。

「かなり驚きましたよ」

「悪い悪い。そろそろ帰るから呼び戻そうと思ってな。気遣いご苦労」

「どういたしまして」

 互いをからかいながら、月下の外をゆっくりと戻っていく。

 オーロラはくしゃみで少し驚きすぎたのか自分の腕を掴みながら後ろをついてきていた。

 室内に戻って皇帝に挨拶を済ませる。

「では明日、シャングハイ港で待ってますよ。持ち物はよく選ぶこともお忘れなく」

「ああ、また明日」

 部屋を出て、来た時の中年男性に案内されて来た道を戻る。

 本殿を出るとやはり大勢の兵士。落ち着かない気分で門まで歩き、外に出てようやく姿勢を崩す。

 ちょうど外にはキャリアーからの迎えの車が来ており、それに乗り込んでキャリアーへと帰投した。

 車窓越しに見るフォンクォンの景色が明日までという呆気なさを感じながら、車の振動と疲れでいつの間にか眠りについていた。


 短いようで長いフォンクォンの滞在が終わり、海を超えたリョウゴクでの旅が迫ってきていた。

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