第28話
「「「かんぱーい!」」」
馬宿に併設されている食事処で、用心棒や乗客らがジョッキをぶつけ合った。
「今日はありがとうな、おかげで助かったぜ!」
「いやいや、俺は精霊たちに協力をお願いしただけで……」
「かってーこと言うなって! ほら、飲め!」
「いや俺飲めっ――」
用心棒の一人が新しいジョッキをエリックの口にぶつけた。痛みに悶絶するエリックを見て用心棒たちが笑う。相当に酔っているようだ。
「ごめんねー、お嬢ちゃん。あいつら今、最高にテンションがハイだからさ」
「女性には手を出さないようにきつく言ってあるからさ。こっちで静かに食べよう?」
「は、はい」
(エリックさん、ごめんなさい)
シャルロットは用心棒パーティの女性二人と一緒に、長テーブルの隅に座っていた。ほぼ対角線上にいるエリックに心の中で謝っておく。
いつもの馬宿は、座りっぱなしで疲れた体を癒すために食事は最低限にして、すぐに雑魚寝部屋へ行っていた。今日は盗賊を捕まえられた用心棒たちに「恩人だから」と捕まってしまい、局所的にどんちゃん騒ぎをしている。他の客たちは、自分たちに飛び火していないから静観していた。見物しているだけとも言う。
「ねえ、あなたたちってラシガムに帰るの?」
薄切りのチーズをパンに乗せながら、女性の一人が訊ねた。シャルロットは曖昧に頷く。
「……そう、ですね」
「へえ。やっぱり故郷が恋しくなっちゃった?」
「そんなところです」
「まだ若いのに旅ってすごいね~。どこらへんを回ってきたの?」
「海を越えた、フレイジーユ王国のあたりを」
「それはまた遠くに行ったね。どうだった?」
「…………それは」
言葉に詰まった。
楽しかったとは言えない。けれど、辛い思い出ばかりでもなかった。
ただ、生きることに必死だった。
《シャーリー》
ロゼットが耳打ちした。
《こう誤魔化して。なかなか刺激的な旅だったって》
なるほど、間違ってはいない。
「……刺激的な場所でした」
「へえ~」
「そっかあ。今度の行き先にしてみる?」
「いいね。シラフの時に相談してみようよ」
二人は上手く騙せたのか、顔を見合わせて頷き合う。
「ルビリファからラシガムまではさー、たしかに長旅なんだけど、盗賊退治ができたらさらに美味しいんだよね」
「馬宿の宿泊費は自腹だけど、護衛代金と相殺できるし、色々なところを巡れるから面白いよね」
「そうなんですね」
「…………。ねえ、そこは『今までどんなところを旅してきたの?』って聞くところじゃないの?」
「す、すみません」
「謝らなくていいの。ほら、今日は無礼講よ。あなたたちのおかげで盗賊を捕まえられたんだし!」
女性の一人がシャルロットの前にジョッキを持ってくる。シャルロットは勧められるまま、ジョッキを持った。
「「かんぱ~い!」」
「か、乾杯」
ジョッキを軽くぶつけて、それぞれ一口飲む。
甘い香りと同時にやってきた苦味にシャルロットは驚いた。
「けほっ、けほっ」
なんとか吐き出しはしなかったが、変なところに入って噎せる。
「あら、お酒は初めてだった?」
《えっ、お酒!?》
女性の言葉にロゼットが反応した。
《ちょっとシャーリー、大丈夫!?》
シャルロットに呼びかけるが、返事がない。言葉で返せなくても、なにかしらのリアクションはあるはずだ。それがないことにロゼットは焦る。
《エリック! エリック、ちょっと来て!》
すぐさまエリックのところへ飛んでいく。ありがたいことに、彼は酒を固辞していてすぐに反応してくれた。
「どうしました?」
《シャーリーがお酒を飲んじゃったの。あの子、お酒は生まれて初めてだからなにが起こるか……》
「……わかりました、行きます」
エリックはダル絡みする用心棒たちをどうにか撒いて、シャルロットがいるテーブルの端まで来た。
シャルロットはジョッキを抱えたまま俯いていた。長い髪のせいで表情は窺えない。
「シャルロット、どうしました?」
《シャーリー、エリックを連れてきたわよ》
二人で呼びかけるが反応しない。エリックは用心棒の女性らを見た。
「すみません、精霊に呼ばれてここに来たんですけど、どうかしたんですか?」
エリックが訊ねると、女性たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「それが、お酒を勧めたら、一口でこうなっちゃって……」
「もしかして、お酒に弱い人だった?」
「お酒自体が初めてだったようなので、どうなるかはなんとも……」
その時、ゆっくりとシャルロットが顔を上げた。ほんの少しだけなのでまだ完全に表情は見えない。
だが、頬に涙の痕のようなものが見えた。
「しゃ、シャルロット?」
エリックがつっかえながら訊ねる。
シャルロットはそれに応えず、手にしたジョッキを静かに傾けた。
こきゅ、こきゅ、と喉が動く。ジョッキと一緒に顔もゆっくりと上がっていく。
両目からはらはらと涙を流していた。瞳は硝子玉のようになんの感情も映していない。
シャルロットは一度もジョッキを下ろすことなく、時間をかけて酒を飲み切った。
「…………」
ことん、とジョッキがテーブルに置かれる。
《ええと、シャーリー?》
ロゼットが控えめに訊ねる。
《その……お酒、初めてだったんでしょう? 大丈夫?》
シャルロットがゆっくりとロゼットの方を見る。涙は止まらない。
「……お母様」
ぞっとするほど澄んだ声で彼女は言った。
「私は、お母様と一緒に死にたかった」
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