第2話
飛ぶ。飛ぶ。
屋根から屋根へ。
シャルロットは貴族街の屋根の上を、軽い足取りで疾走していた。
ドレスで隠れたローヒールが、屋根瓦の上でステップを踏む。
屋根の終わりまで来たら、力強く蹴って空中へ踊り出す。
「……ふ、ふふふ」
綿毛のようにふわりと飛んで、新しい屋根へ。
「うふふふふ」
笑いが止まらない。足も止まらない。
「ああ、やった! やったあ!」
たまらず、シャルロットは歓声を上げた。
「やっと消えることが出来た! もう自由だ!!」
たーん、ともう一度空中に踊り出す。王城で死んだように動かなかった時とは大違いである。
一人でワルツを踊るようにくるくると回る。
「うふふ。街の外はどんなことがあるんだろう? 美味しいものも食べられるといいなあ。ふかふかの羽毛のベッドにも寝てみたい!」
たん、と屋根に降り立ったシャルロットは、その屋根についた天窓を開ける。慣れた様子で中に滑り込んだ先は屋根裏部屋だ。
さっさと古いドレスを脱ぎ捨て、着替えるのは綿の長袖シャツにパンツルックの平民の服。
「着替えヨシ、財布ヨシ、本もヨシ、あとはご飯ね」
肩掛け鞄の中に詰めた荷物を月明かりで確認する。それを抱えてシャルロットはそっと部屋を出た。
灯りはあるけど人の気配はほとんどない。思った通り、みんな出かけている。
厨房に侵入して、丸パンを三つほど拝借。さらに塩漬け肉やリンゴ、それらを切るためのナイフも鞄に入れた。塩漬け肉は本や着替えに侵食しないよう、古着で厳重に巻く。
「よし」
シャルロットは一つ頷いて、厨房から外へ直結している裏口を使って出た。
「精霊さん、私を空へ連れて行って」
シャルロットが両手を空へ広げると、ひゅるりと風が降りてきて彼女を包んだ。
彼女を導くように、ゆっくりと足が地面から離れる。
「このまま城壁の外へ。馬車が見えるまで私を運んで」
シャルロットの言葉に頷くように、風が頬を撫でた。
「わあ」
城壁の外へ出て、シャルロットは感嘆のため息を漏らす。
眼下に広がるのは夜の闇と、その闇に負けないほどたくさんの光。
「すごい! 街ってこんなに大きいんだ!」
まるで宝石箱みたい。そう呟いてシャルロットは笑う。
「うふふ。こんなに綺麗なのに、人の心ってなんて汚いんだろう」
顔から表情が消える。それから町に背を向けて、シャルロットはひたすらに飛んだ。
「どこへ行くかは決めていないの。今は、私がいない世界を楽しんでみたい」
姿なき精霊にそう返して、シャルロットは夜の世界を飛んだ。
城壁を越えて、眼下に広がる黒い森の上を飛ぶ。興奮で目がさえる。心臓の音がバクバクとうるさい。
ああ。ああ。
自由だ。
これから先、どれほど辛いことがあろうと、それとでさえ喜んで手を取り踊れる気がした。
もう消えろと言われることはない。誰にも見えないんだから。
愛することも愛されることもない。認識されないんだから。
それがとても寂しくて、同時にとても嬉しかった。
「――あ」
精霊に頼んで、速度を緩めてもらう。屋敷より小ぢんまりとした家屋が見えた。馬宿だ。
まだ夜明けは遠い。空き部屋で寝させてもらおう。
そっとドアを開けて、大勢が雑魚寝している部屋の片隅にうずくまる。
目を閉じると、意外なほどすぐに眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆
目を覚ますと朝だった。雑魚寝していた人たちもあらかた出て行っていた。誰にも気付かれなかったということは、精霊たちが夜通し魔法をかけてくれていた証だ。
「ありがとう、精霊のみんな」
小声で感謝の言葉を呟き、起き上がる。変な体勢で寝ていたので体が痛いが、それよりも目指すは馬車だ。
馬車は三台ほど停まっている。それぞれ西行き、東行き、南行きとあった。
西は王都方面なので除外。となれば、行く先は東か南になる。
「ふむ……」
シャルロットは悩んで、南行きにした。人が少なくてのんびり乗れそうだからだ。
南行きの馬車に乗り、すみっこを陣取る。ここで朝食のリンゴを食べることにした。
行儀悪くそのままかじる。シャクッと音がして噛み切れる。
瑞々しい甘酸っぱさが口の中に広がって、シャルロットは笑みを浮かべた。
「南行き、オルガティン方面、出発しまーす」
御者ののんびりした声がして、馬車が動き出した。
オルガティン方面は、長閑な農村風景が続いている。遠くに見える山々が朝日に照られて美しい。
リンゴを食べながら、シャルロットはその景色を眺めていた。王都暮らしではまずお目にかかれない景色である。
(オルガティンは、農業が盛んなのよね。王都はもちろん、近隣の大きな街にも食べ物を運んでいる、まさに国の台所。そのさらに南の地域は海に面していて、魚が豊富なんだっけ)
魚、という単語が脳裏に浮かんで、シャルロットの口の中がよだれでいっぱいになった。
貴族でさえ、干し魚は貴重品で滅多に食卓に上らない。昨日の卒業パーティーでは、その干し魚を蒸し焼きにした一口料理が並んでいた。姿を消した後、会場を出る前にせっかくならとこっそり食べたのだ。肉とも野菜とも違う食感だった。肉厚で淡白でだけど柔らかくて滋味深い味わい。港町で食べたらどれほど美味しいだろう。
(たしか、大きな港町がオルガティン地方にあったわ。ええっと……そう、ティムルン)
決めた。最初の目的地は港町ティムルン。
それまでのんびり、この馬車の旅を楽しもう。
シャルロットはのんびりとリンゴをかじった。
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