ツキを払う
暗闇しかないこの世界。
怒って怒鳴って叱られて。
泣いて喚いて殴られて。
溺れて呑んで流されて。
押して縛られ叩きつけられて。
私が愚図で屑な半身と
私が愚図で愚鈍な半身を
割いて割っても
くだらない塵しか出てこない
誰も隣にたてない
縛らせることが愚か
私が許せない
ひとりはこわい
寂しくて惨めで死にたくなる
ふたりもこわい
より縋って一緒にだめになりそう
なら。さんにんは?
私は感情が好きだ。
感情という概念自体に好意と憧憬を抱いている。
そもそも感情というのは人間が物や生物等の対象に対して抱く気持ちであり、自覚か他覚なのか、抽象的なのだ。私自身が現在、抱いているこの感情自体感情と呼べないかもしれない。自分にとってそうかもしれないという曖昧で自信のないもので、第三者に誰かに構わず違うと否定されれば私は信じてしまうと思う。
私にはわからないから。
そういった疑念がある、というのも理由の一つだったりする。感情とは何か、なんて哲学的な答えのない答案用紙に何度も書いては消し手をしているような感覚だ。
そして、決まって考えてしまう。
いつも私自身は思うこと思わぬこと全てに、胸の内で疑問符をつけてしまう。
「嬉しい」ほんとうに?
「怒っている」ほんとうのホントウ?
「哀しい」ほんとうのホントウの本当に?
「楽しい」ほんとうのホントウの本当の■■なの?
ホントウニ、ソウオモッテイルノカ?
「楽しい」わけもなく、何にもない。
「哀しい」わけもなく、ナニも、何もない。
「怒っている」わけもなく、なにも、ナニも、何もない。
「嬉しい」わけもなく、なにも、ナニモ、ナニも、何もない。
何もないのだ。(無感情なのだ)
とある人物に言われたことがある。
その人物は私にとってセンパイと呼べる立場の人で、年上なはずなのに私よりも小さく5歳くらいの幼女のように見えていた。真っ黒な丸の髪飾りをつけていて、変わっていたと思う。
私のような根暗で口下手で、
人間の底辺で愚図で鈍間で、
人の下でしか生きられない癖に、
ろくに要求や言葉や期待にも応えられない、
生きている価値すらもなかった私に。
優しくしたのは、そのセンパイが初めてだった。
初めは同情からで、与えられる慰めも優しさも、内心では蔑んでいられるものだと思っていた。今までがそうだったから、そう思ってしまっていた。だけど、違っていたのだ。
そう気づいたのは、気付かされたのはセンパイとの初めての仕事のときだった。センパイとは今までろくに会話を交わさなかった。正しく言えばセンパイは話しかけてくれていても私が取り合えなかっただけだった。
あの頃の私は少し、いや、かなり捻くれていたと思う。
自暴自棄ともいえる、自殺願望に苛まれていたのだ。多分。
今でも思う。
なんて愚かなんだろう、醜いだろう、汚れているだろう、と。
「おい、吾の話を聞いとらんのか小娘」
「……っ!す、すみま……ほーっとし、…て」
「あ!?なんて言っておるのか分からん」
吾、なんて物珍しい一人称と容姿とちぐはぐな上からの言動があまりに目かけ離れていて、その強気な態度と口調に物怖じしていた。いつも肩を条件反射で震わせていた。
素で出ている乱暴で粗雑な口調は、
「だからちゃんとゆっくり喋れ。ちゃんと聞いてやるから落ち着いて、ゆっくり、だ」
こういう優しさがあった。
だが、私はそういう優しさになかなか甘えられなかった。本当だったらこの日だってそうだったかもしれないのに。ここまではいつもどおり、だがこの日、センパイは更にもう一言付け加えた。
「吾は怒ってなんかない。怒りもしないが、まずセンパイの話を聞かんやつには説教もするし怒りもするんだ」
センパイは吸血鬼の眷属で、私も同じなはず。
私は元人間で、今はそのセンパイと同じ……………、そういうのじゃなく、センパイは二桁の初めの方の眷属で血が濃いから強い。だか、曲がりなりにも同じ視線になっ……ている、のだから。そういう強さが妙な威圧を感じさせた。
「…………ご、めん、なさ…い。ぼーっ、として、ま、した」
「おう。謝られるなら十分。小娘、お前はいい子だな!」
頭を無造作に撫でられる。子供扱いをされていた。私より小さなそのセンパイは少しだけ背伸びをして、私はそれに身を任せて少しだけ身を屈めた。「素直」と歯をむき出しに笑うセンパイだったけど、私は違った。
頭を撫でられて髪が揺れて、色の抜けた白濁は金色に染まりつつあり、同時に私は本当に人間でなくなってしまったのだと錯覚させられてしまうのが、酷く虚しかったのだ。
今からすることだって、多分それの追い打ちなのだ。
だからこの行為に偽りでもいいから甘えるのがせめてもの、救いというより逃げであったと思う。
「………こ、小娘じゃ、ない。これ、から、一緒に仕事する、なら小娘、じゃ長い、です」
「吾が名前を聞いて答えないからだろう?基本無口だし」
「相、手に名を聞くのならば………自分から、名乗るのが礼儀………です」
頭に載せられた手を強引に払い、距離を取った。
小娘。
確かにセンパイから見れば私はそうかもしれないが私は不満ではあった。これは単なる子供扱いではないかと。私は子供だけど、誰かに甘えるなんて家族でさえもしていない。そういう誤解も含めて、強く私は言葉にした。
反応が怖かった。
私は、怒らないっていう人ほど怒られるのを知っている。
だから恐る恐る目を開けるーーーーーー前にセンパイの愉快そうな笑い声が聞こえた。
「にしし、それもそうだな!吾も気が急っていたようだ。これは吾が悪かった!すまん!」
小さなセンパイの大きな態度は自然と私の緊張を解いた。
「吾の名はシンだ。小娘の名は?」
「………ツキ」
そっぽを向いて答えた私は、不意にシンの視線に気づく。今までもそうだったが、こうして真正面から向き合うと余計にわかってしまった。センパイは、シンは、私をいつだってその深い赤に呑みこまんと見つめてくるのだ。
正直、人間やら吸血やら眷属やら関係なくそれがセンパイの苦手なところだった。あまりに眩しい。
「ツキってあの月からか?」
目を細めながら頷くと、センパイは意外な言葉を吐く。
「奇遇だな!吾の名もそこから来ているんだ。新月の新からだ!月と新月の夜の惑星タッグ軌跡の爆誕っ!?てか!にししっ!」
「じゃあ、……その、まっくろ、の髪飾り、は……」
「そうさ!新月さ!ってかよく気づいたなぁ……大抵のやつは腹黒なお前にびったりなブラックホールだな!って勘違いしてボコされんのに。流石吾の相棒だな!」
ボコすといった。
ボコすといった。ボコすといった。
大事なことなので三度繰り返してしまった。私は特になんともないと思っていたのてますけど、言われれば確かに腹黒は兎も角ブラックホールは案外的を射ているような気がしました。だから内緒です。
兎にも角にも、太陽みたいなか眩しいセンパイは真逆の新月。
暗闇に紛れ目に見えない、私とは別種の地味なのに、目立つセンパイでした。
この世界で吸血鬼という存在は英雄のような扱いを受ける。
十人十色のこの世の中では賛否両論ではあるけど、一般教養としてはそう認識される。夜しか存在しない世界での一般教養だ。
この世界を闇で包んだ、光の壊し屋を従えて、支配している。
光の壊し屋というのがその眷属。
うまく比喩したものだと思う。
吸血鬼は日の下に出られない。だから朝や昼の太陽という日の根源の存在を覆い隠したんだとか。どういう原理になのかはわからないが、吸血鬼というのか人外であり超常的な意味不明な力を持っているのは確かであった。私が生きてきた中で一度も太陽を見ていないのは、本当なのだから。
それに吸血鬼の眷属だって見たことがなかった。
だからこうして同じ立場になって、しまった、のは信じざる得ない。それがわかっていても拒絶してしまう、嫌悪してしまうのは必然ではあった。
だから決してこの眷属に、センパイに心を開いたわけではない。
私は見定めて、見下して、卑下しようとしているのだ。
嫌悪の理由だってきっと、私に要因がある。私はただ、それを取り除きたいだけだ。
「そっちの方の見守りよろしくな、ツキ」
「…わかり、まし…た」
吸血鬼の眷属の仕事というのは存外グロテスクなものを想像しがちではあった。吸血鬼の食料源は人間の血であり、それを採取せよなんて言われた暁には私は自殺でもしてやろうかと思っていた。
そんな度胸もないけど。形だけ。
だが吸血鬼が英雄扱いを受けるだけあり、定期的な血液採取が人間達に義務付けられていた。だからそういうのはなかった。
仕事は見回り。
「吾らの親であり王の吸血鬼の反乱分子を取り除き、人間通しの諍いの未然予防や介入して止めること。それが吾ら眷属の仕事だ」
「………本気、で吸血鬼は世界、を牛耳ろうとしてるんで、すか?」
「……………牛耳ろうって、ふふっ…面白い小娘だな」
少し離れて、私の声は辛うじて届くだろうに帰ってきたのは静寂によく響くものであった。そして一つ「吸血鬼を親と呼ぶのが基本だ。もしくは王とか、敬意を払った呼称にしろよ。これは覚えておくといい。でないと吾よりも怖ーい兄様姉様にボコされるんだぞ」と注意をされて肩を震わせてしまう。
「別に多分吾の意見になるが、小娘の言う牛耳ろうかんてつもりはないようには見えるぞ。吾らの親は気まぐれで、特定の人間に酔狂していたり、世界なんてどうでも良かったり、自殺願望をもった王もいた。結局同じだと思う。
吾は今、眷属としてなんとなく生きておる。
結局、この体に流れる血が親を崇拝すべきだとか世界の均衡者となるべきだとか使命やら義務やらを上書きしようとしているだけで、吾は今きっと、なんとなく生きている。
死にたいわけでもないし、生きていたいんけでもなく、なんとだな!
多分それと同じなんだよ、吾らの親は、王は」
センパイのその理論であると、私達はその程度の存在であると言われているような気がした。
吸血鬼と眷属と人間とでそこには確かな力の差と明確な区別があって、弱肉強食と例えられるこの世界も在って。なんとなく、であるのならばそこに吸血鬼にとって区別はないとしていて、そもそも皆等しいなんて考えもない。
なんとなく守り守られ、憎まれ慕われている。
なんて理不尽で身勝手なんだろう。
唇を噛みそうになるものの、やめた。頭の中で懐かしい言葉が静止させたのだ。私の、人間のツキであった唯一の拠り所の人間。
今とは違う親とよべる存在。
母親。
『駄目!駄目に駄目よ!駄目ったら駄目で駄目なものは駄目なの駄目!駄目ったら駄目よ!!あなたは私の■しい娘、あなたは私を裏切っては駄目。あなたは私の言うことを聞かないと本当の本当に駄目な子になってしまうの。ただでさえ、あなたにはあの忌々しい人のお金で息を啜るような愚図な塵の血が混じったあなたなんだから!そんな糞野郎に騙され侵されて拐かされた馬鹿で愚鈍な私の血も混じっているんだから……あなたは只でさえ醜くて汚れてて汚くて愚かで憎たらしい望まれない子なんだから、ちゃんと言うことも聞けないでどうするの!それ以下に成れ下がるの!?それこそ既にあなたは成れ下がっている証拠になるから別にいいけど、あなたがそれでいいならいいのよ!でもあなたはそれで本当にいいの?ほんとうのホントウに本当に本当にいいの?私が失敗したのは耳にタコができるほど聞かせたでしょう!?一時の幸せに溺れてはいけないの!生きている時はね、常に思考を伴わないといけないの。一時に身を任せていれば先も昔に、ズルズルズルズル引きづられて堕ちていくんだから。恋は盲目なんて上手く言ってるものね。溺れてしまえば、何も見えなくなって、知らないうちになくなってしまうもの。壊れる、のほうが分かりやすいかしらね。ともかくそういうことなの。常に考えて、フカンして、間違えないように壊れないように、失わないように、絶対に。あなただって嫌でしょう?■してる、■情が壊れるのは。でもあなた残念だから、言うこと聞くことしかできないのよね。考えても考えても所詮は餓鬼で私とあの人の子供だもの。いつかきっと、あなたも間違えるのよね。………ええ。別に私には関係ないもの。でも安心しなさい。私がいる限り、あなたが私の言うことを聞く限りは大丈夫だから。絶対安心だから。■してあげるから。大嫌いで憎らしいあなたでも、ね………………………………ごめんなさいね。不甲斐ないの、私のせいなのよね…あなたの母親なのにね。本当なら私もあなたに謝るべきよね。私が生まれなかったらあなたも生まれなかったのに、私が間違えなかったらあなたにこんなにつらいことを強要する必要もなかったのに…、私なんていなければよかったのに。なんで、私は今も生きてるのかな……………………………わかんないや。わからないけど、今私が死んでしまえばあなたを一人にしてしまう。それだけは駄目よね。私は散々あなたに駄目と叱って、言うことを聞かないと駄目だなんて私がいなくなったら本末転倒よね。ごめんなさい。………………ごめんなさい、本当に。あなたの前ではちゃんとしないといけないのに、根は変えられないの。私はあなたよりも弱くて愚かなの。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい』
「…………っ、なんとなく、だなんて言わ、ないで」
嗚咽混じりの言葉には脳裏によぎった母親の記憶から本能的に反射で出てしまったものだった。
なんとなく生きている。死にたくもないし、生きたくもない。
それは今の私であることは確かで、死ぬにしても死ににくい体になってしまい、生きるにしても生きづらい環境下にいる私なのだ。 別にセンパイは私の話でなく、親や王に当てはまる吸血鬼の存在とセンパイ自身を比喩してわけであるのだ。別にどうだってことはないのだけれど。
なんとなく、嫌だった。
■■やら■やらわからないくせに、嫌悪感憎悪感だけははっきりとわかってしまう。センパイは私を同じ同列としてみているのだと感じた。お前もそうなんだろ、と諭されたような気がした。
それが嫌だった。
分かられることが、同情が嫌いだった。
「私、はまだ人間だ…もん。私はまだ、ちゃ、んと」
「………そろそろ場所移動するぞ。ちゃんと飲んどけよ。持たないし、万が一に備えとかねーとだから」
聞こえているのに、聞こえないふりをしたセンパイ。
それでもう一度私に諭した。腰のベルトのポーチ、その中には必ず支給される必需品、私が眷属であることを晒しめる命綱の一つ。
血液採取。
しかも、親。吸血鬼のである。眷属は吸血鬼の血を、吸血鬼は人間の血を接種しなければ生きながらえないのだ。そして頻度は極少数だが、この見守りには諍いの防止、未然防止の為、力を振るわなければならないときの血液採取は力を発揮しやすくなる効果があるのだ。
「………」
息を呑んで、小瓶に入った青い液体をじっと見つめる。センパイはそれを黙ってみていた。私はどうにか飲み込んで、床に膝から崩れ落ちて口を両手で抑えた。
嘔吐するつもりはないが、どうしょうもない嫌悪感だけが私の胃の中を掻き乱したのだった。
「いくぞ」
「…は、い」
センパイは立ち上がった私を見て、半呆れ顔で先導した。
順々に仕事を終えるものの、逆に会話は弾まず結局私は振り出しに戻ったような感じではあった。反応が怖い。これは何度もいっているが、基本的に笑顔で楽しげなセンパイが先の私の言葉で神妙な顔つきになってしまったのだ。
『余計なことは言わない』
母親の声が反芻されて、確かにそうだなと納得させられてしまう。
母親の言うことはやはり正しかったのだ、と。
私の余計な一言がセンパイをこうも悩ませてしまった。そのくらいは流石に分かった。それでも謝罪はないし申し訳ないなんて一ミリも思っていない。怖い、それ以外は何も感じられなかった。
ようやく私はここで異変に気づく。
センパイのその態度の要因が接近していることに。
「………いつの、まに」
囲まれている。私に感じられる範囲では周囲五十メートルの物陰のアチラコチラに十数名の気配を感じた。息を潜め静かに機を待つ、いくら意識したって呼吸でわかるのだ。
眷属は人何十倍もの身体機能、能力が上がっている。
バケモノに近づいてしまう。
私もそれに………と思ったところで首を振り、咄嗟に思考を止めた。考えてしまえばきっと止まらないし、母親の声が再度反芻したのだ。
『余計なことを考えない』と。
目を瞑り物理的にも精神的にも背けようとした現実が、猛威を奮った。
「ツキ!!!!」そう呼ばれた気がしたけど、そのときには私の右腕は中を舞っていた。スローモーションに、時間が止まったように、その瞬間だけは妙に冴えていて痛覚も感じなかった。私が一番に認識したのは切り離された右腕、ではなくその血。
鮮血。
鮮やかな蒼の、不気味で神秘的な血。
ほんの少し残留分子なのだろう紅の血が混じって濁り、澄んでなどいない淀んだ見にくい血。
私のどうしょうもない両親の醜い血。
吸血鬼という古臭く英雄気取りの無能の汚い血。
それが混じって、余計に私の中に流れる血は………………全部。
「ーーっ!てめぇら新世界派か!!この行為は吾らの親に逆らう行為とみなしていいんだな!いいよな!なら遠慮なく壊すぜーーっ!」
…………。
…………………………。
…………………………………………。
「お母さんが大好き」
言うことを聞くいい子。
好き嫌いもなく、何でも食べて。
よく食べて、よく動いて、よく寝て。
健康的で規則的。
物欲は少なく、我儘もない。
大抵のことは器用にこなす。
得意不得意がこれといってない。
規則的で模範的、親にとって理想の子供。そんな言葉が当てはまる子だった。
ただ一つ、愛嬌がなかった。それだけだった。
苦しい。息が続かない。冷たい。
怒号と罵声と荒々しい吐息が否応に響くこの瞬間は、私がいちばん苦手なものであった。いつも怖く恐ろしい、それでも■■きなお母さんを最も憎悪や嫌悪で満たされそうになる瞬間だった。それでも私は毎度思うのだ。私が愚図で愚鈍で塵以下のどうしょうもない悪い子だからと自信へと矛先を向けてしまう。実際こういう瞬間は、決まって私の笑顔が出来ないことに要因はあった。
笑顔だけは、いくら教えられても身に着けられなかった。
だから大抵はその場に合わせて感情の足並みを揃えていた。が、今回は一緒にいた子が駄目だったらしい。変なことで、普通じゃないことで笑っていたらしい。それは私が取捨選択を間違えたからだから、多分、絶対私のせいなのだ。
決まって水だめしている風呂桶か何か、虫の死骸が浮いていたり淀んでいたりの誰でも抵抗するだろうその汚水に頭を入れられる。首根っこを掴まれて、力加減などお構いなしにズブズブと私の首を絞めていく。
気持ち悪い。
まとわりつくように粘り気のある汚水。
時折汚水とともに死骸が張り付いてくる。
等しくそれも水と同じで冷たい。
上下運動に加えての水中での時間もバラバラに、息が続かなくて口の中に汚水が入り込んで飲み込んてしまう。お母さんはその際にいつもの口癖を言い続ける。
いつもどおりに私を責め、自分も責めて。
最終的に私が精一杯の笑顔で「頑張るから、ごめんなさい、怒ってくれて、叱ってくれてありがとう、私ちゃんといい子にするから、お母さんのこと■■きでいるから」と私とお母さんの関係で典型的な終止符を打つのだ。
………。
………………………。
………………………………………??
目が覚めたら全く知らない場所にいました、なんてことはなく何の変哲もない真っ黒な空。不幸か幸いか星は出ていなかった。眩しくないのはありがたい、かも。そんなことを思いながら状況把握に務めた。
そういえばと思い右手を見た。
中に待って体から離れたと思っていた右手はあった。というよりはくっつけられていたのほうが正しいかもしれない。仰向けのまま視線をやれば、切断跡がくっきりと残っていた。それが今は治癒しているなで後にあとも消えるだろうが。
これは、多分やってしまったのだ。
錯覚してしまえばそれは現実となる。口の中から鉄の味がした。右手を動かす勇気もなく左手の甲で口元を擦れば真っ蒼な血の跡がついていた。
蒼?
紅ではなく、蒼。これが指すのは一つしかないだろう。
センパイの仕業だ。
「ーーーーーーおっ!目が覚めたか小娘。右手はどうだ?くっついてるかー?」
センパイの姿を探すより先にセンパイの声が届いた。センパイは先程の吸血鬼が支配する世界に反対的な派閥ーーーーーー新世界派の痕跡を消滅するべく縛り上げ一箇所に集めていた。私の視線に気づくと手をはたき汚れを取り、こちらへと近づいてきた。
呑気に手を振りながら、明らかに人為的な手首の切り傷とその頬に拭った血の跡を添えて。
あの人数を一人でやったのか?
そう思ったら、体がすくんだ。動けない、動けなかった。返り値は特にない、傷を追わずして子供をあやすみたいに大人しく拘束したのだろう。それは予想はできていた。何時だって、センパイがそういうバケモノなのだと見てきた。人間の血液採取も、反抗派閥の取締も、戦いぶりも、バケモノらしさを間近で見て、私は違うと問い続けていた。自然と拒否をしていた。だけれどここで限界だった。
無感情でいた。
『余計なことを考えない』で、言うことを聞いて。
それでも、それでも。
恐怖は働いた。
嫌悪以外に初めて、本能が警告した。
「こっ、来ないで……っ!、く…ださ……い」
脱力させた右手を抑えて、反射的に体を起こして。初めて、センパイの顔を直視した。今までもすっと見てきた。見てきたけど、ノイズのような靄がかかっていてよく見えなかった。眩しすぎて認めたくなくて、無意識に避けていた。
でも純粋にこの瞬間だけは、輪郭線を目元を強く焼き付けた。
危機として恐怖を、バケモノを。
初めはどこから震えたのか、わからない。口か、齒か。それとも心臓から煩く伝わって、伝播して全身に伝わったのか。そうして握る右腕も、肩も足も、ガクガクして止まらなかった。心做しか視界もノイズが霞んで歪んでフラフラだった。
「ツキ?」
それでもセンパイは、バケモノは私に近づいてきた。私は動けなかったから、恐怖に襲われたまま伸ばされてきた手に目を瞑った。そして、初めて私は喉の、心の奥底からでた言葉を吐き出した。
『言うことを聞かない子はいらないから』
反芻し続ける呪縛の言葉は加速した。お母さんは優しいときと優しくないときがあって、決まって手を出した。それが痛い方か嬉しい方かは私の行動によって決まっていて、心からの心配と疑念を込めたセンパイのそれは私にとってはもうーーーーーー痛い方にしか、思えなかった、
「……………っ、ぶ‥たない……で……、叩か、ない……で………………痛いの、や……なの。ちゃ、んと……い、いこにする……から、わた、しがわるいこ、だから。ばか、で……ぐず、で…………みにくく、て……けが、れてて………………のぞまれない、この分ざい、で……のぞんでごめ、んなさ、い………ゆる、してくださ、い……。わた、し、いうとお、りにする…から、ごめん、なさい。ゆる、して、母さん……母さんーーーーーーーーーーーーきらわ、ないで」
蚊の鳴くような、覚束ない声で漏らし続ける言葉は最後に行くに連れて度を増してゆく。そして鮮明に、センパイには最後の一言が響いたと思う。
私は母親の言う■や■情や■■きが分からなかった。
それでも一つだけ、幼い私の唯一許された意思、思考は、感情はーーーーー服従心、依存心。嫌悪されること、壊されること、捨てられること、独りの恐怖だった。
「ーーーーーー吾はお前を、どうするつもりもねぇよ」
センパイの手、母親の手。
重なったはずの手は、全く違っていた。伸ばした小さく色白な手のひらは冷たかった。脳天からその冷たさは髪の毛を、頭を伝って不思議とぬくもりを伝えた。
「とういうか、どうしたらいいのかわからねぇっていうのが……情けねぇけど吾の本音だ。吾は小娘と同じ元人間だったが、それは数えるのもやめたとうの昔に忘却わけだから、今の小娘の内が読めん。読めんから分からん。だから困っている」
パニック状態の私は間髪入れず、癖となっている目線をそらすことを徹底した。別にこんな状態でなくとも焦点は合わなくて、ぼやけていた。どうすればいい、そう考えて履いても思考は巡らなかった。
「でもこれだけは分かった。小娘、小娘は人間のなりぞこないでバケモノのなりぞこないでもあるらしいな」
違う、と言いたかった。
私は人間だと、センパイ達みたいなバケモノとは違うって。
でも、言葉は出てこなかった。
「お前の記憶を不可抗力で見てしまった。吾ら吸血鬼眷属一同は同じ親後を分け与えられ記憶と使命を共有することが義務づけのように、鎖のようにあってな。吾は先程の小娘の治療に当たり血を分けた。飲ませた。人間の血液接種は苦手だと思ってな」
なんで、そんなことわかるのか。
そんな言葉に出ない、口パクで聞き取られて、思わず私は焦点が合わずともようやくセンパイへと顔を向けた。センパイは私の腰元を指さした。
「ベルトポーチの血液小瓶、小娘と会ってから一度も開けてないだろ?満タンに補充してある水音ならぬ血音が吾の耳には聞こえたぞ。元人間なら余計に苦手なのでは、と珍しくこの吾も考えた結果だ」
ここでようやく私は気づく。センパイの少し前の発言に。
『お前の記憶を不可抗力で見てしまった。吾ら吸血鬼眷属一同は同じ親後を分け与えられ記憶と使命を共有することが義務づけのように、鎖のようにあってな』
見られた。
私の記憶、私の夢、私の縛り。
大事な大事な、私の。
原点で拠り所。
知られてしまえばきっと言われるのだ。私の母親のこと、私のこと、よく知らない表面上だけを組みとって深く考えずに物を言って説教をするに決まっている。それはおかしいって、母親と離れたほうがいいって。
「小娘は今、人間じゃない。それは紛れもない事実で受け入れ難いのは周知なのだ。吾だって忘却はしてるがそういう時期がないでもなかったかとしれない。だが元人間であることは変わりないんだ」
こうやって言い聞かせるみたいに、
「人間ってのは進化する生き物だろ?進化っつうのは前に進むと書くがうちを開けてみれば変化し適応することをいう。進化の条件はなにかの変化でありそれに適応するにあたった行動が必須になる。それは肉体的なものは勿論だが、精神的なものが大いに作用されるだろうな」
諭させるみたいに、説明をして。
「だから吾のように小娘もきっと、この進化に、変化に、環境に、適応して馴染んでいくさ。だからお前は今、人間のなりかけでバケモノのなりかけなんだ」
納得したか?理解できたか?と言わんばかりの間を作る。
そして一息をついて、絶妙なタイミングで続けられるのだ。
「そういう中途半端にいる小娘は今が一番苦しいだろう。それは多分人間の部分が化け物を否定しているからで、受け入れれば楽になる。だがそれをしないのは、小娘ーーーーーー小娘の優しさだ」
どうせどうせと御託を並べた言葉が止まった。
いつもの模範の方程式が崩れて、今思えばセンパイへのなにかが築かれた瞬間だったりするかもしれない。センパイの予想外の言葉に私の体の震えや心を苛むモヤモヤの侵食が、止まったのだ。
「小娘の母親は人間をやめた元人間のバケモノの眷属にいわせれば、割といい部類のやつだ。血の繋がりというのはそれだけ濃厚だ。あれが家庭内暴力だ虐待だって言うやつは馬鹿なんだろうな。平和ボケした頭が弱いやつのもとで育ったんだろう。小娘の母親は正しい教育をしている。弱さを自覚させ後ろめた背を常にもたせる。そうすればひとりにはならないだろうな。人間にとっての一番の苦痛は孤独だからな。孤独に成らない為に依存を後ろめたさを植え付けた。小娘の母親は正しいさーーーってどうした?!」
「……な、…にが…………?」
「涙だよ!あーと、えーと……どうすれば」
初めて、母親の存在を肯定された。
正しいと言ってくれた。
センパイが、初めてだった。
周囲も、母親本人でさえ否定した存在を、センパイが初めて肯定したのだ。私の人生の全てだった、基盤だった母親の存在を肯定された今私という存在も同時にーーーーーー初めて肯定された。私の行き方を肯定する人なんか、いないと思っていた。この生き方自体、おかしいと分かっていてそれでいて肯定してくれる人は100%いないと胸のどこかで諦めていて。
私は。
私は。
「……あ゛り…、がどぉ……ござ、い……ます……」
私は、その時初めて今の私に納得がつけられた。
「………泣き止んだ、か……?」
「…は、い。…ごめ、い…わく、おかけ、しま…した」
「迷惑ってことはないが、まあ、気にすんな」
センパイは肩を震わせて嗚咽混じりの私の言葉を待ってくれた。泣いた、と言われればそうかもしれないが私に自覚はなかった。自然と流れてしまっていたから。特にそこに感情はなく、強いて言えば報われたような嬉しいとまではいかないささやかな温もりが残っていた。
「…………」
センパイは少し沈黙して切り出した。
私の瞳を深く見据えられて、気づく。信じられないけども、多分数分前の私と同じ緋色の瞳を震わせて緊張しているように見えた。
「………吾らの親が小娘の母親を殺したことには変わりない。小娘が今の境遇にあるのも吾らの親のせいだからな。吾らの親の罪は吾らの血を分けた眷属の罪である。謝罪をする」
謝らなくていい、そういっても多分センパイは頭を下げたのだろう。こんな私に、ましては下位眷属で元人間の底辺に。だから私は後ろめたくなって、沈黙を守り目線をそらした。またいつもみたいにこうして接してしまうか、私の中で問いかけてもどうしようもなかった。
本質は変わりやしない、それが私というものだった。
溜息を付きそうになったところでセンパイの口から思いもよらない言葉が出てきた。
「だから小娘の好きなようにしていいぞ」
「…………………?」
「間抜けな顔」と控えめな笑顔で薄く光るセンパイは私の頭を撫でた。私は座り込んでいたからセンパイがちょうど立ち上がった高さが丁度頭を撫でるのに最適だったみたいだった。
「拠り所がなくて困ってるならば吾が拠り所となろう。
完全な代わりにはなれないだろうが、一つ絶対的に保証するのは一人にはせぬことだ。吾も小娘も否が応でも長く生きる。理屈では吾は先に死んでしまうが、夢は永遠だ。死は平等にあるわけだが、それは眷属ーーーーーーバケモノにも必ずある。ならばバケモノも超えられぬ死という概念さえなくしてしまえば、吾はようやくちゃんとしたバケモノになるわけだからな。そうして小娘のような半端者やニンゲンの弱さと優しさを防寒し続けたい、ささやかな吾の夢だ!言ったもん勝ちだ!強いだろ?頼もしいだろう?それがわかれば良し!
吾は小娘ごときを見棄てるほど矮小で愚かなことはしないさ。
吾は知り続け見守り続ける。だから死なない、死ねないのだ!」
私よりもその小さな体には広大で無茶苦茶な夢が詰まっていて、眩しかった。キラキラ光ってて、憎たらしく恐ろしかった緋色の瞳は太陽のような苦手だけど必要なもののようで、私は細めてしまう。それは単に眩しいからでなく、憧憬を抱きたいけれども抱けない私の情けなさが現れてしまったものだった。
その眩しさを目に入れるには、まだまだで。
バケモノは醜いものと言われているけど、センパイは見にくいものだった。
その眩しさは、センパイ風に言うならばーーーーーーセンパイの優しさなのだろう。
そんなことを思った。
そして頭に載せられた温もりを両手で掴み、下へと移動させる。冷たいけど温かいそれを頬に当てて、私は精一杯の感情を言葉にした。
「重い、と思い……ま、すよ…?」
「思いは重いもんだぜ。小娘の母親の小娘へと偏屈な愛も、小娘の母親への依存も結局は思いで感情で、すんげー重苦しい。馬鹿らしいとすら思ってるからな。だが吾はその重さが丁度いい。吾はバケモノで強いからな!任せろよーーーーーーツキ」
応えてくれる、受け止めてくれるそのセンパイに私は暫らくは甘えようと思ってひと時を過ごした。甘えを重みを背負ってくれるバケモノは、母親とは違う、唯一の拠り所になった。
同じ時を過ごし、
半端であり続けながらも適応した。
半分は人間だから。
あと半分のバケモノも受け入れられた。
それでも私はどちらも捨てられなかった。ニンゲンも、バケモノも。
センパイはそれでもいいと言ってくれたけど、私は踏ん切りが欲しかった。
甘えてばかりいるのは駄目だと、センパイと一緒に過ごしてニンゲンを傍観して、普通じゃないことを特別を普通を知れた。
私は普通じゃなかった。
私の母親は多分、間違っていた。
間違いでも、別にいいと思えた。
間違えて今がある。
そう思えば、気は楽で前に進もうという心構えはできた。
それでも甘えを捨てきれない。
そういう生き方をしてきたばっかりに、女々しく執着深い私自身が捨てきれなかった。
だからそんな私を見かねて、センパイは約束を、言葉を破った。
私を一人にした。
というよりは仕方がなかったのかもしれない。
センパイは親に言われて相棒解消された。
私と強制的に離れされられた。
私は初めこそ戸惑ったけどどうにか受け止めた。
センパイとずっと一緒で楽だったけれども、
一生が叶わないことは知っていたから。
私ごときの望みは長続きはしないのだから。
私は再度スタートを切った。
センパイのおかげである程度の立場と価値は見出すことができたから、
センパイが押してくれた背中から、一歩を踏み出すことをすればいいだけ。
それだけが難しかった。
普通の人だってそれは難しいのに、特殊で変な私には難しいどころの話ではなかった。
そんな時限りなくネガティブに、自己嫌悪をしてしまう。
それでも使命のような、義務のようなものに苛まれ続けて。
私はまた迷宮入りをしていた。
『余計なことを考えない』
今になっても、戒めに呪いのように。
脳裏によぎるその言葉は、今の私にとっては単なる逃げであって。
ずっと溺れかけでの状態。
だからその言葉を守れば、楽になれる。
だけど。
……………だけど、
楽をしたところで得られるのは何なのだらう?
………なんて、カッコつけてみたくらいじゃ、何も変わらないけれど。
これじゃあ、ただ虚勢を張って、ある意味逃げて、彷徨ってるだけではないか。
だったら、私は何をすればいい?
誰も答えてくれない。
そのはずだったのに、どこからか声が聞こえた。
「じゃじゃーん、英雄様のお通りだー」
背後から聞こえた愉快そうなセリフは棒読みで抑揚なく読まれた。そして私の目の前にその本人は現れた。ビルの屋上、余裕のスペースを開けたいるとはいえど、高所と落下の間の僅かな糸をくぐるように軽やかなステップでそれは来た。
「…………なーんて、知り合いのマネを指して登場してみたけど反応薄いね」
反射でニ、三歩引いた私はその正体を注意深く探った(私より少し背が高いのできっと上目遣いのようになったかのしれない)。
男?女?
中性的な顔立ちと体つきからは性別は判断がつかないが、相手が人間であることだけは確かだった。白衣のような服には腰や手足の関節部位にベルトで固定しており、右目にモノクルをつけていて、博士や研究者を連想させるような不思議な容姿をしていた。
「……………誰、なんの用、です?」
神出鬼没に現れたその人間は、気配を消されて近づかれた割には敵意もなく、敵と言うにはあっけなくおとなしい部類であった。大抵は集団かつ奇襲のパターンか、自尊心まみれが一人名乗りを上げて考えなしに来るパターンかだがどちらにも断片的に当てはまってはいて、よくわからない。それがはじめの見解であった。
「それに反応無しとは悲しいね」
「………………」
飄々として油断できなかった。無言と瞳の圧で答えるように必死に促した。
「僕はヨル、見ての通りの人間だよ」
「………ツキ。私、は…あなたを、知らない」
「僕は知ってるよ。吸血鬼眷属第拾怪級【黒喰の鬼】シンの相棒にして、絶対に傷つけずして人間を退ける【白虜の鬼人】ツキ。噂はかねがね、君に会ってみたかったんだ」
私につけられた渾名【白虜の鬼人】は、センパイの渾名の【黒喰の鬼】からなぞられたものらしい。黒と対になる白、残虐に無慈悲に制裁を加えるセンパイと比較した結果の殺傷なしに無力化し罰を与える私を言語化したものらしい。
鬼でありながらも、人へ慈悲や同情がある。
鬼のような人間。
人間のような鬼。
元人間であることを自覚し、その優しさを向けている内はきっと、そう呼ばれるのだろう。それは、いつまでなんだろう。
「会って、みたかった、だけ…なら、もう…用はない、はず」
人間と訳もなく接触だなんて、敵以外には珍しかった。それでもこの光景を見られるのは多分、あまり良くない。私か彼?(彼女?)ここを去るべきなのだと思った。
立ち去ろうと背を向け仕事の別拠点へと足を進めようとした。だが、呼び止められることとなった。
「あるよ、用は。むしろここからが本番って感じだよ」
その飄々とした第一印象の声とは一変して、本音のように思えて思わず振り向いてしまった。首を傾げ疑わしく見る私に、ヨルと名乗る人間は優しくほほえんだ。
「友達になりたいだ。よろしくできないかな?」
予想外のものに私は驚いて、思わず問いただした。右往左往に目線をやり、他に誰かいないかも見ながらです。
「誰と、誰がです?」
「僕と君がに決まってるじゃないか。他に誰がいるんだい?」
馬鹿馬鹿しい理由と目的。それにはきっと裏があると思った。
何の意図があるのだろう、もしかして新世界派のスパイ………いや、新世界派とも限らないのかも、もしくは忌々しい吸血鬼が向けた刺客、我慢できるのかのテスト、未だに血をセンパイ以外のものから貰わない私へのあてつけか。
いろんな可能性を考えていた。
「理由が気になるって顔してるね。疑い深い君だからこそ、ちゃんと言わないと駄目だって僕も分かっているつもりだよ。それでも君にとっては、下らないし更に疑問をもたせるようになるかもだけどね」
それでもヨルという人間は一貫した態度と独り言にしては大きな声で話し始めたのだ。
「僕は僕の恩師に報いる為に大事な本当の仲間を見つけて、もう一度あって自慢する為に君と友達になりたいんだ」
「その理屈、だと、私は利用、される……だけ?」
「言い方が悪いんだよ。利用するわけじゃない。何しろ第一の目的は単に友達になること、そのついでに恩返しができればと思ってるだけだ。結果的にそうなるだけで、僕にとっては今君と友達になれるのかが問題なんだ」
口説かれてるような、気がした。
要にこのヨルは私と友達になりたいがだけで接触してきた。それだけの為に、渾名から傷つけられないことを知ってるからこそというのもあるんだろうけど、ヨルの素の無神経さがその豪胆で大胆な態度と行動を表しているーーーーーーそう思うとなんだかおかしくて口元が緩んでしまった。
馬鹿らしいけど愚直で単純な理由。
興味は、少しだけ湧いた。
それでも疑問は浮かんだ。
「………なん、で私、なんですか………?」
私でなくてもいい。
私ごときの存在に、何故?
ヨルの発言からして友達が欲しいだけなら私以外でもいいはずなのに、私が吸血鬼の眷属だから……だったら別に他のでも、私が無害だから?無害だから凄く馬鹿にされて下に見られて安全度合いで選ばれたってこと?でも私のような存在だから卑下されても仕方ない、の、かも……、、、。
完全にナイーブに悲観し始める私の思考を止めたのは、再度といえどヨルしかいなかった。
「君が僕調べの全人類調査で一番の優しさを持っている人だからだよ」
「…………私が、優しい?でもっ……めちゃくちゃに、私、弱くて、根暗で口下手で、元元、人間の底辺で愚図で鈍間で、人の下でしか生きられない癖に、ろくに要求や言葉や期待にも応えられない、ましては唯一のセンパイの足を引っ張って甘えすぎて、迷惑、をかけたし、こんな私な」
上手く言葉はうまく出てこなくて流暢になんて無理で、その癖に私自身の悪いところは嫌ってくらいスラリと出てくる。でも今のは私は、私自身を攻めていた。
センパイが居なくなって、
拠り所をなくして次を探そうとしている。
センパイの喪失感もあるけどこうしてなんともなく、当然のように次を求める私がいた。自分が酷く冷酷で残虐なんだと、所詮拠り所に名しか思っていなかったことに嫌気が差す。母親が言っていた私の愛嬌のなさはきっと、この情の軽薄さなのだ。■■きや■が分からない私には到底、拠り所を求めても一方的に負担を掛けてしまうだけなのだ。
それならいっそ、一人で生きればいいと思えた。
それでも、一人は怖い。
なんて、なんて。私は、我儘でどうしょうもないのだろう。
嫌悪し痛めつけたい。
それでも傷つくのは怖い。
痛いのは嫌だ。
矛盾を孕み続けた心の堤防はとうとう限界を迎えて、気がついたら泣き出していた。熱くてたまらない。ごちゃごちゃしてて気持ち悪い。
「………私なんて、存在しなければ良か」
「そこから先入っては駄目だ。言霊には力が宿るって言うでしょ。言ってしまえば君はもう駄目になっちゃうよ」
いつの間にか私の目の前に立つヨルが大粒の涙を私よりも少しだけ大きな手で拭った。人間で、今の私よりも断然弱いはずなのに昔の私より強いように思えた。大胆で羨ましくて、嬉しくて、悲しくて、妬ましくて……。
「君は、ツキは自分のこと凄く否定してるけど僕は凄いと思うよ。僕だったら吸血鬼の眷属になんてなったら自分の力に溺れてしまうし、君の半生の途中で自殺を測ってる。そんな環境に適応しつつあって、ツキなりの生き方を見つけられている。たとえそれが生に縋っているだけでも、醜くなんかないよ。必死に生きている証拠だ。一杯一杯で縋っている上に他人を気づかえる、思えるのは十分すぎる優しさだよ」
「でも、それは私が傷つきたくないからで……」
「結果的には他の人にも影響している。紛れもない事実だ。ツキに自覚がなくても、結果は結果だからね」
間髪入れないヨルの言葉は全て、私の奥深くに響く。
極めつけは、最後の一言。
「ともあれ、そういう生き方、嫌いじゃないし、何よりーーーーーー僕も好きだ」
好きと嫌い。
似た言葉であっても後者がよく響いた。それでも今は前者も劣らなかった。胸の前で拳を強く握る。爪が肉に食い込もうと気にせずに。
痛くない。ずっと前から痛くなかった。
その理由が、わからなかった。
今ならわかった気がした。
「………え、と………それで返事はどう?」
おかしな人間だった。
ここまでグイグイと来てた癖に今更何を不安になるというのだろう。
人と滲んだ目頭をこらえていたが歯止め効かなくなってしまった。溢した笑みと涙にますます戸惑うヨルに、私は答えた。
「友達、なりたいです。よろしくお願いします」
私はようやくここから始まった、そう思ったのです。