訪れる式典の日
◆◇◆
義兄さんが街に帰って来て数日が経ち、いよいよ式典の日が訪れた。
昨日の夜の内に、商会に依頼されていたポーションは既に鞄の中に収納し終え、ボクは先週受け取った依頼書をいつものように確認して、家を出る前の最後の準備を済ませる。
ボクが個人用に買った愛用の鞄よりも容量は大きく、依頼のポーションの数は増えているのに、手で持ってみるとまだまだ余裕がありそうだと感じられる。
外出する際に手間取らない場所に鞄を両方置いてから、台所に向かいエプロンを着けて朝ご飯の支度をする。今日は普段とは違う日の為、簡単に作れる物を用意しようと考えていた。
少ししてご飯も出来たので、台所のテーブルに食器を置いていると、奥の部屋から起きて来た義兄さんが欠伸をしながらやって来る。
「おはよう義兄さん。今日はいよいよ式典の日だよ! 楽しみだね」
「おう……おはようリーフ。随分と張り切ってるな、まだ朝早いってのに」
眉間にしわを寄せた義兄さんは後頭部を掻きながら、また一つ大きな欠伸をする。こんなにだらけた姿を見るのは珍しくて、ボクが早起きした為なのかと考える。
「そ、そんなに早いかな? 昨日の夜からワクワクしてたから、ボクが早起きしちゃった感じ?」
「そうだなぁ……職業柄、俺は決めた時間まで寝る事を心掛けているが、今日はなんか少し早い気がするな」
身体の健康が第一な冒険者の義兄さんが、時間より少し早く起きて来たという事に、ボクは自分のせいなのかと申し訳無くなってしまう。
「も、もしかしてボクのせいかな……? 一人だけではしゃぎ過ぎちゃったね、ごめんね義兄さん」
「いや、普段は家でエプロン姿のリーフが朝の支度をしてるなら、俺は安心して心地良く起きられるんだ」
「そうなの……? ボクがいたら安心するのはちょっと照れるけど、じゃあ、一体どうしたんだろうね?」
少し不思議な事を言い出す義兄さんに対して、ボクはどこか身体の調子がおかしいのだろうかと心配になる。
折角の記念すべき式典の日に、素材集めに貢献してくれていた義兄さんの調子が悪いのは放っては置けない。原因を探るべく話を聞いてみる。
「今日は街もお祭りだから、向こうで好きな物を沢山食べられるように朝は軽めに作ってあるけど、食欲はある?」
「それは大丈夫だ、食欲が無いとか身体が怠いとかじゃない……ただちょっと気分がな……」
「気分が良く無いの? もしかして数日前に飲みに行った時のお酒がまだ残ってるのかな……? 酔い覚ましはあったかな……」
義兄さんがお酒を飲み始めてから、ポーションを作る材料とは別に酔い覚ましの薬草を常備してある。
ボクは使う機会は訪れる事は無いのだけど、偶に飲み過ぎたと義兄さんがしんどそうに訴えて来る事があるので、それならば対処も可能かも。
薬草が置いてあるポーション作成部屋に向かおうとすると、義兄さんに止められる。
「違う! さ、酒で気分が悪いんじゃないんだ。無茶な依頼続きで、精神的に疲れが来てるだけなんだ……悪い」
「精神的にって、大丈夫なの? そんなに大変だったんだ……」
「あっ、い、いや……依頼自体は遠出で険しい場所もあったんだけどな、何というかそこじゃないんだ」
身体の調子では無く精神的な部分なのだと言われ、不安になってしまうボクに対して、義兄さんはどこか慌てた様子で椅子に座って話を続ける。
「心配させて悪い、リーフ。体調不良とかじゃなくてだなぁ……なんというか、これは冒険者特有の職業病みたいなもんなんだ」
「職業病……? 依頼と式典が関係してるって事は、手に入れて来た素材の話になるの?」
式典の日に気分が落ち込む程に依頼が影響しているという事で、そうなのかなと思い尋ねると、義兄さんは一言返事をして力強く頷いて答えた。
「ああ……依頼を終えてここに帰って来た時は、俺は自分が採って来た素材の価値をイマイチ知らなかったんだ」
義兄さんはテーブルに片肘をついてため息を吐き、うな垂れる自分の頭をその腕で押さえた。
その話を聞きながらボクは、水差しに入れたお水をコップに注いでから、そっと義兄さんの側に置いて寄せる。
「すまないな、ありがとうリーフ。素材についてもお前が教えてくれたよなぁ……」
コップを受け取ってボクにお礼を言うと、義兄さんはお水の入ったコップをぐいっと飲み、また一つ大きなため息を吐く。
「あんなに高価な素材達が、今日だけで一瞬で消費されるって考えちまうとなぁ……どうしても複雑な気分になっちまうんだよ……」
「そうだったんだ……でも、大丈夫だよ義兄さん。だって、それを扱うのは聖女様に選ばれる人達なんだから」
聖女様の候補者の人達ならば、ボクと同様に義兄さんが用意してくれた素材が凄い物だってわかっている筈。元気になって欲しくて大丈夫だと励ます。
「ボクでも知ってる素材だよ? 聖女様になるのなら当然知ってて当たり前だよ! だから、感謝して大事に使ってくれるよ!」
そう言って義兄さんに声を掛けるのだけど、それでも尚、ため息を吐いてボクを見つめて来る。
「そうは言うけどなぁ……俺はな、リーフ。あの素材はお前にも使って欲しかったって思うんだよ」
「うん……そう言ってくれてありがとう。それはとっても光栄な事だとボクも思うよ」
ボクにも扱える機会があればなと、義兄さんが言ってくれる。ようやくため息を吐く理由がわかったので、ボクはその優しさに感謝する。
「ボクだって義兄さんが手に入れた最高級の素材で、ポーションを作るなんて羨ましいと思うよ? でも、ボクは男だし、今回は仕方ないよ。あはは」
「ほ、ホントか!? あの依頼は正直キツかったし、しばらくはのんびりさせて貰おうかと思ってたが、お前がそう言うならまた採りに行くか?」
「ええっ!? い、いやぁ、でも、まだボクには扱いきれない物だし、今はその気持ちだけで十分だよ」
ボクの言葉に反応して、突然義兄さんが椅子を動かして立ち上がる。
急に張り切り出した義兄さんなのだけど、ボクにはまだ扱える物では無いので断る。それを聞いて、義兄さんもふと何かを思い出したかのように苦い顔になる。
「すまん、リーフ……今のは俺もどうかしてた。この前の酒の席で色々あって、つい」
「義兄さんも大変だね。素材の件はいつか腕前が上がったら、正式に冒険者ギルドに依頼してみたいね」
「おう、リーフの依頼なら、皆格安で引き受けてくれる筈だ。いつもお前のポーションには助けられてるからな」
「本当? それは良い事を聞いちゃった。でも、危険な場所ならそこまでしてくれなくても良いんだよ」
義兄さんの言う威勢の良い事は、冒険者ならではのお世辞だと話半分に聞く事にしておいて、依頼料はどれ位の相場なのか後日調べておこうかと考える。
椅子に座り直した義兄さんを見ながら、ボクはこの話もきりが良い所だと思い話題を変える。
「話はこれ位にしておいて、そろそろ朝ご飯食べよう? 義兄さん。商会にも行かないとだから」
「そういやそうか、今日みたいな日に愚痴を聞かせて悪かった。楽しい気分を台無しにしちまうとこだった」
「あはは、数十年ぶりの式典だもん。二人で一緒に見られるのも、最初で最後かもしれないし、楽しい思い出もいっぱいある方が良いね」
大人しく椅子に座って、どこか申し訳無さそうな顔をする義兄さんを見ていると、何だか途端におかしく見えてしまう。
朝ご飯を並べ終えてエプロンを外し、ボクも椅子に座って一緒にご飯を食べる。食事中も相変わらず義兄さんは複雑な表情をしているけど、まだ何か悩み事があるのだろうか。
◆◇◆
朝ご飯を食べ終わり、忘れ物は無いかと互いに確認をした後、家の戸締りを行ってから外に出る。
家の扉は義兄さんが閉めてくれると言うので任せて、ボクはふと空を見上げた。今日も澄み切った青空が一面に広がっていて、雨が上がったばかりの先週よりも良い天気だと感じられた。
空を見上げていると、義兄さんが側にやって来たので、一緒に街へと歩き出す。澄んだ空を見れば気持ちも晴れてくれるかもと思ったけど、ボクとは違ってその顔はまだ何かを考えている物だった。
ゆっくりと歩いていき、家から少し離れた所で義兄さんが話し始める。
「戸締りをしてみて、改めて家を確認してみたが、やはりあちこちガタが来てる気がするんだよなぁ」
「義兄さんは身体が大きくて力強いから、やっぱりそう言うのって気になっちゃうの?」
今住んでいる家は、ボク達が生まれる前から建っているのだと、衛兵さんや森の猟師さん達から聞いた事がある。
森の近くの空気感や静かで落ち着いた場所にあるので、ボクはとても愛着のある家だと思っている。だけど、義兄さんからしてみれば相当ボロボロの家らしく、住むのも慎重に過ごしているのだとか。
「ああ、どこか壊しちまったらその都度自分で直してはいるが、リーフが気に入ってるなら大事にするべきなんだが……」
「ごめんね、ボクのわがままで窮屈な思いをさせちゃって。でも、あの家にはお婆ちゃんとの大事な思い出もあるから」
「そうだなぁ……お前のその思い自体は、俺にも大事な物だけどなぁ。だがポーションの素材を保存する設備は流石に置けないよな」
義兄さんからの指摘に、ボクもウッとなる所がある。数年前に亡くなったお婆ちゃんと、義兄さんと、三人で一緒に暮らして来た大事な家であるのは変わりは無い。
しかし、これからもっと本格的にポーションの勉強をしていく為には、色々と設備が必要になって来るのも事実。それを考えるとボクは足が止まってしまう。
商会から貰っているお金をコツコツと貯めていて、それらを取り寄せたいとは思ってはいるけど、家で出来る事にも限界がある。立ち止まったボクを見て、義兄さんも足を止めた。話をするなら今だろうかと口が開いていく。
「実はね、商会からも大きな工房の近くに家を借りて、引っ越した方が良いって薦められてて」
前々からメアリーさんを筆頭に、商会の会長さんからもそう言われている事を義兄さんに話してみる。
「婆さんが生きてたら、リーフの腕が認められたって喜んで賛成しそうな話じゃないか」
「うん、今もお婆ちゃんがいてくれたら、そう言うのかもって、ボクも思うよ? ただ、まだあの家にいたい気持ちが強いから」
本当は式典が済んで、選ばれた聖女様の姿を見てから話そうと思っていた。
でも先に義兄さんの方から、今後のボク達の暮らしについて話題を出された為に、わざわざ隠す理由も無いと考え、今の気持ちも正直に話す。
お婆ちゃんがもし今も生きていてくれたら、どんな事を言うのかについても、大体思っている事は一緒だった。
今日は楽しい事だけを考えて、明るく過ごそうとしていたのに、朝から色んな事をお互い話してしまう。
これはいけないと、気持ちを切り替えようと首を左右に振る。一息つくと、義兄さんが寄って来て、そっと僕の肩に手で触れる。
「悪い……またお前に変な事を言っちまったみたいだ……今日の俺はダメダメだ」
「ううん、ボクももしかしたら、選ばれる聖女様の姿を見たら何か答えが見つかるかもって、勝手に期待しちゃってたから」
どういう事なのかと、疑問を浮かべた顔になる義兄さん。この感覚はきちんと言った所で伝わってくれるかな?
「へ、変な話だよね、聖女様はお婆ちゃんみたいな素敵な人だって、どうしてかボクはそう思っちゃうんだ」
聖女様に選ばれる人は、大好きだったお婆ちゃんみたいな人であって欲しいのだと、願望を打ち明ける。まるでお婆ちゃんは聖女様であると言っているみたいで、ボクの顔は熱くなっていく。
「そんな聖女様の姿を見れば、ボクも今後を決めていけるかもって……期待し過ぎてるよね……」
「婆さんみたいな聖女か……盲点だったな。確かに、俺達の身近にいた女性の中で婆さん程立派だった人はそうはいなかったなぁ」
恥ずかしくなるボクに対して、義兄さんは笑う事も無く、静かに頷いて肯定してくれる。
「変な事を言うんだなって、わ、笑わないの……? 先代の聖女様はお婆ちゃんじゃない人だったんだよ?」
「いや、俺も思い返してみれば、何で婆さんが聖女じゃ無かったんだって思うぞ? それ位、俺達の婆さんは凄かったって自信持てって」
そう言われて、義兄さんからポンと軽く背中を叩かれる。またしても思っている事が一緒だったので、不意に嬉しくなってしまう。
「うん、ありがとう義兄さん。思ってる事が同じで何だか嬉しいよ」
「それは良かった。ただ、こういう誰が聖女に相応しいかって話は、大体好みの女を挙げていくんだよなぁ」
「えっ? そんな事無いんじゃない……? だって、この前衛兵さんや商会の皆はボクは参加しないのかって、からかってきたから」
義兄さんが言う好みの女性を挙げるという話を元にすると、ボクの好みはお婆ちゃんになる。確かに家族として今でも大好きではあるけど、どういう訳か先週は皆ボクを挙げてたし、少し食い違いがある。
口元に手を当てて、頭の中で考えてみても意味がわからなくなって来たので、義兄さんに詳しく話を聞こうとすると、何故か義兄さんは固まっていた。
「義兄さん? どうしたの、義兄さん? ボク何か変な事を……」
「い、いやっ! なんでもないっ! リーフが変じゃなくて、周りの連中が変だな! うんっ!」
「う、うん……そうだね……? とりあえず、励ましてくれてありがとう。今後の事は式典が済んでからまた考えるね」
「ああっ! 歩くついでに、聖女の事について知ってる事があったら教えてくれ! こ、今後の参考にしたいから」
再び森の中を歩き始めると、義兄さんが聖女様について教えて欲しいと尋ねて来る。街に着く前の会話には相応しいのかなと思い、知っている事を話していく。