狼
「アンナちゃん、ちょっと止まって。僕の出番がもう少しでくるから」
ようやく山の麓に着いた頃、ワルトが急に背中にある大剣を手にもって呼びかけた。
「どうしたんですか?」
「魔獣が来るよ。この足音だと……シルバーウルフが4匹ぐらいかな?ちょっと下がてって」
「ッ!」
アンナは慌ててワルトの後ろに隠れた。すると草むらの中から4匹のシルバーウルフが飛び出してきて、二人を取り囲んだ。
ウルフたちはよだれを垂らして、アンナの方を見つめていた。今まで感じたことが無い殺気にアンナは恐怖で尻もちをついて叫んだ。
「わ、ワルトさん!」
「大丈夫、この程度だとアンナちゃんを無傷で守り切れるから」
そう言ってワルトは手に持った大剣を振り回した。しかしウルフたちとの距離は少し離れていて、大剣は空を切った。
「な、何をしてるんですか⁉︎」
アンナが驚いて声を上げた時、信じられない事がおきた。それは剣に触れていないはずのウルフたちが一斉に鮮やかな血を噴き出して切られたのだった。
「え?」
信じられない出来事にアンナは困惑して、佇むことしかできなかった。
「よし。アンナちゃん、終わったよ」
信じられない出来事を起こしたワルトは明るい声を出してアンナに呼びかけた。
アンナはその呼びかけられた声によってやっと正気を取り戻して、ワルトに尋ねた。
「い、今、何をしたんですか?剣に触れてないはずなのにウルフたちが急に切られて」
「ああ、それはね。剣から魔力を刃のようにして飛ばしたんだよ。僕は魔力の扱いだけは得意でね、若い時に必死に練習して出来る様になったんだ」
ワルトは自慢げに言って胸を張った。アンナは言われたことが信じられず、でも目の前で起きたことはそうとしか考えられなくて、狼狽していた。
「でも冒険者の中でこれができる人は少ないと思うよ。こんな技を使うなら魔法の方がずっと簡単だからね」
そう言われてアンナは疑問に思ったことを言った。
「それなら何で魔法を使わないんですか?」
それは当然の疑問だった。魔法をつかう方が簡単で、ワルトの戦い方は無駄が多いからだ。
「それはね、僕は魔法が苦手なんだ。それどころか魔法を使えないんだ、才能がなくてね。ほら、僕はそんなに体格もよくないでしょ、魔法もない力もない、こんな僕が強くなるにはこの方法しかなかったんだ」
アンナはそのことを聞いて驚くとともに、尊敬の念を抱いた。才能が無いのにも関わらず、決して諦めないで努力を続けて金級冒険者になったワルトの生き方と才能が無くて家から逃げ出したアンナの生き方を比べて、努力を続けたワルトの強さに心から敬意を表したからだった。
「……何でそこまで頑張れたんですか?」
アンナの質問を聞いたワルトはその質問が今までの生きてきた環境から来たものだと気づいて、元気づけるように優しくアンナの頭を撫でながら言った。
「それはね、僕には夢があったからなんだ。アンナちゃんも夢ができたらきっと諦めないで努力出来る様になるよ」
「……本当に?」
「うん。僕と同じように努力出来るよ」
一瞬の躊躇いもなくそう答えたワルトを見て頭の中の何かがはじけた。
屋敷での暮らしによって自己肯定感が低なったアンナに尊敬できる人と自分が一緒にされることは最も嫌なことだったからだ。
「――なんで!――何でそう言い切れるんですか!私は利用価値もない、家の恥晒しのゴミなんですよ!出会って少ししかたってないのに私の何を知っているんですか!」
気付いた時には泣き叫んでいた。何も話していないのに、八つ当たりのようにして。アンナはそのことに気づいていても止められなかった。
「私のことなんて何も知らないのに勝手なことを言わないでください!」
(ごめんなさい……何も話していないのに。ごめんなさい…………ワルトさんは悪くないのに)
「ふざけないでください!私は!私はそんな人間じゃないんですよ!」
頭では理解していても心の奥深くから湧き出してる感情を抑えることができなかった。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
「ワルトさんは人を見る目が無いんですよ!さっき言ったことを取り消してください!」
「取り消さないよ」
「え?」
アンナは一瞬何を言ったのか理解できなかった。
「もう一度いうよ、取り消さない。」
アンナは何も考えることができなかった。どんなに泣き叫んでもワルトに伝わらなかったことで、そしてアンナの意見を否定してくれて何処かうれしくて。
「……なんで?」
「それはね、僕たちが出会った時アンナちゃんはどんなに言われても決して依頼を出すことをあきらめなかったからだよ」
ワルトは優しい声で言ったけれど、それでもアンナは初めて出会った時のたった少しの出来事だけで判断されていたことを知って再び怒りが沸き上がってきた。
「そんな一瞬のことで!しかも子供のようにただ駄々こねていただけじゃないですか!そんなことで判断しないでください!」
「もちろんあの行動は良くないことだよ。それでも諦めないで行動し続けたことには変わりないでしょ。今を変えたかったから諦めたなかった、それは僕と同じだよ」
どんなにワルトに言われてもアンナはそのことを受け入れられなかった。自分のことを認めることができなかったから、呪いの様に頭にへばり付いている声がアンナを縛っていたから。
「ワルトさんは努力を続けていましたけど私はただ逃げてきただけですよ!ワルトさんと私は同じじゃないです!」
「逃げることだって大事だよ、僕だって何回も逃げたことがあるし。大事なのは今を変えようとすることなんだよ、何もしないよりずっといい。アンナちゃんも自分に自信をもって、今すぐにはできなくてもいいから」
アンナはどんなに言っても意見を変えないワルトのことが心の底から理解できなかった。
「もういいです、ワルトさんは勝手にそう言っててください。私は絶対に認めませんけど」
「わかったよ。それじゃこれから努力出来る人間になろうよ」
アンナは少し黙り込んだ。自分がワルトさんのような立派な人間になれるなんて少しも思えなかったからだ。
「そんなの無理に決まっているじゃないですか。私のことは私が1番わかっています」
「そんなことはないよ。それに人間は生きているなら変われるんだ、ここであきらめるのはまだ早いよ」
ワルトは勇気づけるように言った。それはただアンナを励まそうとしただけでなく他に何か意味があるように聞こえたが、その時のアンナはそれが何かわからなかった。
(こんな私でもワルトさんのような人になれるのかな?でも生きているならば変われるって言ってたし、挑戦してみよう)
ワルトの言葉に元気づけられて、ワルトのような人になりたくてアンナは決心した。
「わかりましたよ。これからワルトさんのような努力出来るような人になれるように頑張ります」
それはアンナにとって初めて前向きに取り込んだことだった。それは失敗するかもしれなくて怖ったけれど、何か自分がわれるような気がした。
その時アンナのぐぅーとなった。
「あれ、アンナちゃんお腹が減ったの?確かにもうお昼の時間だし、さっきまで泣き叫んでいたからお腹が減るのは仕方がないか。ちょうどウルフを狩ったところだしお昼にしよっか」
アンナは顔を真っ赤にした。お腹が鳴るタイミングも悪かったが、冷静になってからさっきまでの自分の様子を思い浮かべると、とても恥ずかしかったからだ。
「泣き叫ぶって、いや確かに泣き叫んでいましたけれどそれ言わなくていいですよね!?というか忘れてください!本当に!」
ああ~なんであんなことをしたんだろうと言いながらアンナは蹲った。そんなアンナの様子を見たワルトは何とか励まそうとして声を上げた。
「あ、安心して、あの時のアンナちゃんも可愛かったから」
ちょっとずれていた。
「そういうことじゃないんですよ――!!」
アンナの叫び声が山全体に鳴り響いた。