幻
「……見たよ」
視線を下降させながら正直なことを言う。
尚弥の顔を見ることができない。宵宮が把握していないだけで、もし本当に裏切り者だったらどうすればいいか分からない。
でも、未来の仄香は信じてと言った。
不安な気持ちをぐっと堪えて顔を上げる。
「尚弥って、M.Oと繋がってる?」
遅かれ早かれこれは確認しなければならないことだ。
怖いけれど真実から目を背ける時間的余裕はもうない。
「――……ああ」
静かな廊下に響いた肯定の言葉に、ぐらりと視界が揺れるような心地がした。
「お前に言うつもりなかったんだけどな」
尚弥はポケットに手を突っ込んだまま、長椅子に座る仄香の隣に腰をかける。
言葉に詰まっている仄香に向かって、尚弥は意味の分からない話題を出してきた。
「チョコは」
「……え?」
「バレンタインだろーが。今日」
急に何の話? と疑いの目を向ける。
話を逸らすにしても下手すぎる。一体何のつもりだとじろじろ見つめ返してしまった。
「ねえのかよ」
「な、ないよ。チョコのことなんて考える余裕なかったし。そもそも尚弥に渡したって全部捨てるじゃん」
幼い頃、必死に手作りしたチョコを尚弥に目の前で捨てられたことを、仄香は今でもよく覚えている。
受け取ってもらえないものを何度も作るほど愚かじゃない。
「茜ちゃんを好きになってから、私からのチョコ、受け取ってくれたこと一度もなかったでしょ」
焦る気持ちが責めるような言葉に変わって口から出ていく。
いじめられるようになってからも、受験の年だった去年以外は、毎年尚弥にチョコを贈っていた。茜が一緒に作ろうと誘ってくるから。
尚弥に渡してもホワイトデーに返ってくることはなかったし、毎年受け取ってすらもらえなかった。尚弥はいくらチョコをもらっても茜のもの以外全部捨てていたのだ。
それに比べて志波は、どんなに気持ちの悪い内容の手紙でも受け取って読んでくれていた。尚弥の冷たい態度に打ちのめされてた仄香は、それにどれだけ救われたか分からない。
「っていうか、そんなこと今は関係ない。何でM.Oと繋がってるの? いつから? 私が宵宮先輩と志波先輩のことで悩んでた時も内心嘲笑ってたの? あの写真は何? 私をM.Oに売る気?」
黙り込む尚弥に矢継ぎ早に質問を投げつける。
尚弥は一旦仄香の言葉を遮らずに聞いた後、ゆっくりと口を開いた。
「M.Oのトップに最初に接触を図られたのは小学生の時だ。あいつは基本的に下の人間を使って行動するから、滅多に人前に姿を現さない。そんな奴が俺を誘拐した上で直接顔を出したくらいなんだから、余程俺のことを気に入ってるんだろうな」
宵宮の説明と矛盾する点はない。おそらく事実だろう。
仄香は落ち着かない気持ちで続きを待った。
「あいつは俺が逃げ出した後も、かなりしつこく俺に接触しようとしてた。ただ誘拐されてから数年は異犯が俺を保護対象として監視してたせいで手を出せなかったらしい。監視の目が一旦落ち着いた中三の時、俺の家にこの端末が届いてた」
尚弥がポケットから一つの端末を取り出してテーブルに置いた。
それは、尚弥の部屋の引き出しに隠されていた謎の端末だった。画面にはあの日仄香が見たやり取りが映っている。
「一定の期間が過ぎて自動的に消えただけで、これ以前にも俺への連絡は何度も来てた。M.Oの仲間になれっつー内容と、その代わりとして金をこれだけやるとか、従わなければお前の家族を狙うとか、脅しみてぇな文言もあった。連絡には気付いてたが、俺はそれを全部無視してた」
脅しに屈しない尚弥は肝が据わっている。自分なら家族を脅しの材料にされた時点でプレッシャーに負けるかもしれないと仄香は思った。
「俺が初めてあいつからの交渉に応じたのは、お前が志波高秋と宵宮千遥に接触し始めた時だ」
確かに、尚弥からの返信の下に表示されているのは、尚弥に未来のことを打ち明けた秋頃の日付である。時系列的に辻褄は合う。
「お前と茜が危険だと思った。特にお前は、未来を変えるためとか言って突っ走ってバカ正直にわざわざ正面から敵に接触して、命を危険に晒してるようにしか見えなかった」
「…………」
「何を自惚れてんだか知らねぇけど、無鉄砲なお前一人じゃどう考えても無謀だろ。だから俺がM.O内部の情報と、お前が言った未来に繋がる計画について探ろうと思った」
最初はこの話はどこに帰結するのだろうと冷や汗をかいていた。
しかし尚弥の話が進むにつれて、仄香の中の感情は不安から期待に変わっていく。
「――……スパイとしてM.Oに入り込んでるってこと?」
恐る恐るそう聞けば、尚弥は肯定した。
「言うなればそうなるな」
「……何でそんな大事なこと先に言ってくれなかったの」
「敵を騙すならまず味方からって言うだろ」
尚弥は立ち上がり、「そんだけだ」と言って去ろうとする。
仄香は思わずその袖を掴んで止めた。
「……ンだよ」
「待って。ここ一週間以上、夏菜子さんと連絡が取れないの。何か知らない?」
「俺も取れてねぇ。姉貴が俺からの連絡に返信する方が珍しいしな」
「姉弟なのに?」
「お前と茜みたいにベタベタ仲良い方がキモいだろ」
袖から一向に手を離さない仄香に尚弥は短く溜め息を吐いた後、
「お前はもう何もすんな」
平坦な声でそう告げる。
「あとは全部俺が何とかする」
それは、仄香がこの半年間、あまりにも欲しかった言葉だった。
誰かにそう言ってもらいたかった。逃げたかった。どうにかしてほしかった。だけどどうにもできないから、ずっと自分の中に不安を抱え込んでいた。
それを尚弥は簡単に、何とかするなんて言ってみせる。
「……無理だよ」
「あ?」
「私も、尚弥も、茜ちゃんも、咲もっ皆死ぬって、」
尚弥が味方だと分かって緊張が緩和したせいで、泣きそうな声が漏れてしまった。
尚弥の袖を強く握り直す。今ちゃんと話さなければ、また避け続けられる日々に逆戻りだ。
もう会えなくなってしまった宵宮の背中、声、仕草が脳裏を過ぎる。人と人との関係も縁も、いつどんなタイミングで切れるか分からないものだ。
これが尚弥とゆっくり話せるラストチャンスになるかもしれない。最悪を想定して話を進める。
――今度は間違えないように。ちゃんと引き止められるように。
「皆死ぬんだって、夢で見て」
「あっそ」
「何でそんな落ち着いてるの? 尚弥も死ぬんだよ?」
「どうにかするっつってんだろ」
「どうにかできるって何で思えるの。どうにもならないかもしれないのに。未来の私はもう取り返しつかないって言ってた」
「未来なんか信用してんの、お前。実際にはまだ存在してねえ幻みたいなもんだろうが。お前、自分の異能で視た未来が百パー現実になると思ってんのかよ。おこがましいわ」
尚弥の口が悪いのはいつものことなのに、涙脆くなっている今言われると、ぽろりと涙が溢れた。
尚弥はチッと鬱陶しそうに舌打ちする。
「泣き虫でメンタルクソザコで異能も大して役に立たねえ無能のくせに張り切るからそうなる」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん……私は私なりに――」
言葉は途中で紡ぐことができなくなった。
尚弥の唇が仄香の唇に重なったからだ。ほんの一瞬触れ合ったそれのせいで、仄香の涙は引っ込んでしまった。
「泣くなよ。欲情する」




