尚弥との接触
昔は尚弥に毎年バレンタインチョコを渡していたのを思い出す。尚弥が茜を好きになってからは、受け取ってもらえないどころか捨てられるようになってしまったが。
「尚弥のカノジョ、最近尚弥への告白が前より多くなって怒ってるって聞いたけど?」
「やっぱ尚弥が特定の誰かと付き合ったから、なら自分もいけるんじゃ……って思った子が多いんじゃねーの」
尚弥は周囲に彼女のことを言われても興味なさそうにしている。
他の女子生徒からもらったチョコは友達にあげているようで、友達も友達で「これで女子からもらった気になれる」と嬉しそうにもぐもぐしていた。
あの夢を見てからというもの何度も尚弥との接触を図ったが、連絡は無視されている。学校でも彼は常に仄香をいじめる男女と一緒にいる上に、放課後は他クラスの彼女とすぐに帰っていってしまう。話しかける余地がない。
尚弥は何だかんだで律儀な男だと仄香は知っている。
彼女がいながら他の女子と二人で会うということはしたくないのだろう。いくら幼なじみ相手でも、そういう線引きはちゃんとする人だ。茜を好きになった頃も明確に仄香を避け始めたのでよく分かっている。
しかし事態は一刻を争う。
二人きりが駄目なら皆がいる場所で話しかけてしまえばいい。尚弥やその周りが怖いなどと考えている場合ではないと思い、席から立ち上がって教室の後ろへ向かった。
仄香が近付いてきていることに気付いた尚弥の取り巻き達は、それまで楽しそうに話していたくせに急にしんと黙り込んだ。
刺すような鋭い視線を向けられ怯みそうになりながらもその名を呼ぶ。
「――尚弥」
ポケットに手を突っ込んだまま端末をいじっていた尚弥が顔を上げる。
その綺麗な目が仄香に向けられたのは久しぶりな気がした。
「あの、私、夏菜子先輩と連絡を取りたくて……」
「こっち来んなよ、ドブス」
尚弥に用件を伝え終える前に、尚弥の隣にいたギャル男が仄香の体を勢いよく突き飛ばした。仄香の背中は後ろにあった机にぶつかり、机が大きな音を立てて倒れる。
「あー。それアタシの机なんだけど。さっさと直してくんない?」
尚弥の他の取り巻きが、髪の毛をくるくる指先で弄りながら仄香を冷たい目で見下ろしてくる。
仄香は机を直そうと手を伸ばすが、その手はその女子によって踏み付けられた。
「やっぱ無理。汚い手で触んないで」
「つか、尚弥くんに気安く話しかけないでくんね? キメーから」
――最近、尚弥のグループと関わることがなかったために恐怖心が薄まっていた。
グループの中心人物である尚弥が積極的に仄香に関わろうとしなくなったことで、いじめもしばらくは沈下していたのだ。
向けられる複数の悪意ある視線に足が竦んだ。
「……どうしても尚弥に用事があるの」
震える声で訴える。
しかし、尚弥のグループとつるんでいる派手な女生徒はぷっと噴き出した。
「ねぇコイツ、もしかして尚弥くんのこと好きなんじゃない? 最近多いじゃん、尚弥くんへの告白」
「キモーイ。ドM? 可愛くないから需要ないって」
「彼女持ちに手ぇ出そうとするとかサイテー」
「お前如きが尚弥くんと釣り合うと思ってんのかよ」
口々に罵倒され、視界がぐらりと揺らぐ。
(……あ、駄目だ)
このように悪口を言われることもしばらくなかったせいで耐性がなくなっている。
苛められっ子歴は随分長いというのに、ただこれだけの言葉でちくちくと心臓を刺されているかのように痛い。
――同時に、小学生の時、尚弥からのいじめが一番酷かった時期の記憶がフラッシュバックのように蘇ってくる。
罵倒されるだけならまだいい方で、髪を切られるわ、殴られるわ、嫌いだと言っている給食の人参を体を押さえて無理やり食わせられるわ、皆の前で失禁させられるわ、体操服を盗まれるわ、恥ずかしい写真を撮られて拡散されるわ、私物がボロボロにされて返ってくるわ――地獄の日々を思い出し、またそれが起こるような気がして、目の前の生徒達に逆らう気がなくなっていく。
「……ごめんなさい」
蚊の鳴くような声で謝罪した仄香は、走って教室を抜け出した。
幸い昼休みに入っている。しばらくは彼らと距離を置けるだろう。
「何アイツ」
「急に何だったの? ビビるんだけど」
後ろでクラスメイト達がくすくすと仄香の言動を嘲笑っているのが聞こえた。
(――『信じて』って言うけど)
廊下を走りながら、頭の中で未来の自分が言ったことに反論する。
(尚弥を信じて頼るって、そう簡単にできることじゃない)
幼い頃からのいじめの主犯。頼ったところで仄香のことを助けてくれると思えない。
身に染み付いたいじめの記憶が、尚弥に頼るという選択肢を妨害している。尚弥自身を信じられないわけではなく、尚弥が自分に協力的になってくれると期待できない。
◆
その週末、仄香は武塔峰の研究棟を歩いていた。
何度か頑張ったが、結局尚弥には接触できなかった。
彼女と一緒に仲睦まじく帰っている尚弥の姿を校舎の二階から見下ろしながら、そうだ、茜に頼ろうと思い付いたのは昨日のことだ。
尚弥は茜に弱い。
茜からの連絡やお願いを無視することは絶対にないだろう。
悩むのは、茜にこの前視た夢のことを伝えるかどうかだ。
茜が死ぬだけでなく、仄香も自殺したという内容の未来。これをそのまま茜に伝えると動揺して暴走しかねない。あのシスコンっぷりから考えると、斧でも持ってすぐにでも宵宮と志波を殺しに行くかもしれない。そうなったら危険すぎる。
〈おねえちゃんごめん。今知り合いと一緒に出かけてて、帰るの夕方になるかもしれない〉
茜からの返信内容に驚いた。
(茜ちゃん、休日に遊ぶ友達なんていたんだ……)
やや失礼なことを考えながら茜の研究室のドアに手をかけたが動かなかった。確かに鍵がかかっている。
続けて茜からメッセージが来た。
〈廊下の冷蔵庫に賞味期限今日までのサンドイッチ入ってるから、よかったら食べて〉
研究棟共用の冷蔵庫と長椅子、横長のテーブルがある廊下の端っこまで向かい、小さな冷蔵庫を開けた。〝紫雨華茜〟と書かれたメモを貼ったサンドイッチがある。
最近何も食べていない。無理やりにでも何か胃に入れた方がいいだろうと思い、テーブルの上でサンドイッチの包みを解いた。
その時、誰かの足音がこちらに近付いてきていることに気付く。
休日の研究棟、それも茜のいる階に来る人はほとんどいないはずだ。
一体誰だろうと思いながらその足音の主を待っていると、角を曲がって仄香の前に姿を現したのは――尚弥だった。
サンドイッチを食べようとしていた手が止まる。
見つめ合うこと数秒、先に沈黙を破ったのは尚弥の方だった。
「お前、俺の部屋の写真見ただろ」
挨拶なども一切なく、突然そう指摘される。
尚弥が熱を出していた日、部屋で見た怪しい写真と端末。まだ少し尚弥への疑念を抱いている仄香は、正直に答えることができず惚けてみせた。
「……写真? 何のこと?」
「写真を貼る配置は変わってなかったけど並ぶ順番が変わってた。俺が隠し持ってた端末のスクリーンタイムも増えてた。お前、あの机の周辺、見たよな?」
確信している声音だ。これは誤魔化せないと思った。




