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お前に刺されて死ぬなら悔いはない  作者: 淡雪みさ
高校一年生編

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懇願



 ベッドから出て、服に着替えている志波の背中をしばらく見つめていた仄香は、ベッド横に散乱していた自分の服を拾い上げた。

 全く落ち着けない気持ちで上の服を被り、スカートを履き、ハイソックスを身に着ける。窓の外はもう明るくなっていて、街が動き出していた。

 着替える仄香の後ろから、志波が面白そうに聞いてくる。


「千遥を殺すのか?」

「い、いや。殺しません。さっきのは例えばの話です」


 咄嗟に否定した。

 もしも人を殺せば、仄香が異能力犯罪対策警察になる道は消える。

 それなのに未来の自分は躊躇いなく宵宮を殺すといった。何よりも大切な夢をかなぐり捨ててでも、宵宮を殺すと。あの目からは強い憎しみを感じた。今の仄香は持っていない感情だ。

 仄香の性格的に、殺すという選択肢が真っ先に出てくるとは思えない。考えて、考えて、考え抜いた後――残った最善策がそれだったなら。


 宵宮千遥という人間が、それほどまでに仄香にとって深い罪を犯すということだ。


「…………」

「君が千遥を殺すなら」

「え? は、はい。何ですか?」


 物思いに耽っていた仄香は志波の声に振り返る。


「それだけの覚悟があるなら、俺は君の味方についてもいい」


 呆然とした。

 志波は仄香の葛藤を愉しむように笑っている。


 宵宮が死んだ後、確実に志波が味方に付く保証があるならあのテロ自体を止めることもできるかもしれない――仄香は、そんなことを一瞬でも考えた自分が嫌になった。


「……残酷なこと言わないでくださいよ。それ言われたら、私が悩んで苦しむって分かってて言ってますよね?」


 そう言った後、自分に言い聞かせるような気持ちで、別の角度から反論を試みる。


「宵宮先輩殺していいんですか。志波先輩の高校の頃の同級生で、分かっていて命を預けたほど好感を抱いていた人なんでしょう?」

「彼自身が好きというよりは、彼の提案が当時の自分には面白みのあるものだった」


 宵宮千遥を殺すという選択について話しているにも拘らず、志波の感情は全く動いていないように見受けられた。

 長い付き合いである人間に対して、情というものがおよそ一切感じられない。分かっていたことだが、久しぶりに志波に対してゾッとしてしまった。


 未来の仄香は様子がおかしく、明らかに精神的に衰弱している状態だった。いくら自分自身の判断とはいえ、その状態の人間の言葉を行動の判断材料に加えるのにはリスクがある。心を病んでいる時に大きな決断はするなというのはどこでもよく言われていることだ。


 それに、もし実際に殺したとして、裁判所で殺害対象がテロを起こす未来を視たからと説明してもおそらく正当な殺人理由として通らない。罪を犯したことに酌むべき事情とは解釈されないだろうし、実際にはまだ起こっていないことを理由に取り返しの付かないことを実行に移すのは、頭のおかしい殺人鬼の所業だろう。


(法律詳しくないから分からないけど、一人殺人って無期懲役なのかな。二人だと死刑……? いや駄目だ、あんな夢見たせいで私も冷静さを欠いてる)


 殺した後のことを考えそうになって、ブンブンと頭を横に振った。



 幸い、大人になってから十年以内ということなので、志波の命のタイムリミットはまだある。それまでに他の解決策を探せばいい。

 宵宮の殺害は最悪の事態に陥った場合の最終手段だ。今やるべきではないし、そもそも宵宮を自分一人の力で殺せると思えない。

 どちらにせよ、仄香一人でこの事態に対処するのは不可能である。


 ――『伊緒坂尚弥と伊緒坂夏菜子のことを信じて。もう貴女にできることはそれしか残ってない』


 未来の自分に従うならば、今実行できることはこれだろう。


(まずはあの二人に相談しよう)


 夏菜子を味方につけるというのは以前も一度考えた発想だ。その時は、常に心を読める宵宮の近くで活動している彼女にお願いするのは危険だと判断してやめた。

 しかし未来の自分は明確に夏菜子の名前を挙げていた。それも、夏菜子は未来を変えるためのかなりの重要人物であるような言い方だった。


 どう伝えるべきか、そもそも伝えて信じてもらえるのか。

 夏菜子と付き合いの長い宵宮が裏切り者だと付き合いの浅い仄香が言ったところで疑われて嫌われるだけかもしれない。

 それも、最悪のテロ事件に荷担するなんて内容だ。壮大な妄想話っぽさが凄い。彼女なら何だかんだ優しい言葉で精神科への受診を勧めてくるだろう。

 悶々としていると、志波がくっと笑った。


「考えすぎだ」

「す、すみません。えっと、朝ご飯でしたっけ?」


 今目の前にいる志波を放置して思考の海に溺れてしまっていたことに気付き、慌ててその傍に寄った。



 その後は志波と一緒にカフェへ行き、軽い朝食を取ったが、折角デート感のあるイベントだというのに全然味がせず楽しめなかった。

 それどころかトーストを口に運べば運ぶほど吐き気がしてきて、滅多に食事を残さない仄香もさすがに途中でギブアップした。店員に頼んで残りを持ち帰りながら、志波に送ってもらう道中の会話も上の空状態で受け答えすることになった。



 志波と別れた後は、焦る気持ちで茜の研究室へ向かった。

 研究室のドアをノックしても中から反応がなく、「入るよ」と言ってドアを開ける。――しかしそこに、茜の姿はなかった。

 授業以外の時間はほぼ四六時中ここにいるはずの茜がいない。


「茜ちゃん?……茜ちゃん、どこにいるの」


 無意識に早口になった。

 部屋の奥の物置き、トイレ、別室にも茜がいない。


(……嫌だ。茜ちゃんが死ぬのは嫌だ)


 最悪を想像してしまい、端末を使って電話をかけようとしていたその時――ガチャリと後ろのドアが開いた。

 勢いよく振り返れば、いつもと何ら変わりない茜がいる。その手には借りてきたであろう資料が重なっていた。


「……あれ? おねえちゃん。土曜に来るなんて珍しいね……何か用事……っわあ!」


 仄香がその小さな体に抱き着いたせいで、茜はよろけ、資料が床に散乱した。

 けれどそんなことはどうでもいい。


「生きててくれてありがとう」


 まだ生きてる。まだ遅くない。全部まだ、現実には起こっていないことだ。


「……う、うん」


 茜は戸惑いながら、躊躇いがちに仄香の背中に手を回してくれた。



 ◆



 何度か夏菜子に直接話す時間を取ってもらえないか連絡したが、夏菜子からの反応は一切ないまま一週間が過ぎた。

 毎日授業の後に端末の新着メッセージを確認しては、嫌われているのだろうか……と項垂れる日々だ。

 よく考えれば、仄香は折角付き合っていた志波と夏菜子の仲を切り裂いた張本人である。以前は任務があったから関わってくれたものの、プライベートで仄香のために時間を作りたいとは思わないだろう。


(ちょっとは仲良くなれた気してたんだけどな……)


 溜め息を吐く。

 そもそも仄香が今所持しているものは夏菜子の本来の連絡先ではないかもしれない。カジノでの任務中の連絡用として教えてもらったものなので、都度変更している捨てアドレスの可能性もある。

 となると、誰かを経由して夏菜子を呼び出すしかない。


 ちらりと教室の後ろにいる尚弥と尚弥の取り巻き達を横目に見た。


「尚弥、チョコもらいすぎだろ」

「まだバレンタイン当日じゃねーのにな。顔いいやつって得だわ~」


 尚弥の荷物の中には女子生徒達から押し付けられたであろうチョコの箱が大量にある。周囲の友達はそんな尚弥を羨ましげに見ていた。

 そういえば、すっかり忘れていたがもうすぐバレンタインデーだ。




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