嫉妬
「何で、な、何ですか急に」
「直接そう言われた」
「…………」
「――その反応。知ってたな?」
「は、はい。さっきホテルのロビーでそのような内容を伝えられて、しかももう関わらないとか何とか一方的に言われました」
酷くないですか? と愚痴のようなことを漏らしながら志波の方に顔を向けると、いつの間にか志波の端正な顔立ちが間近に来ていた。
「つまり、君は俺に会うために身嗜みを整えていて遅れたわけではない、と?」
「や、それもあるんです。宵宮先輩と話したのはその前で……」
「へえ。俺が待っていると知りながら、他の男と長話か」
何だか言い方に棘がある。
そういうわけではないと否定したかったが、何を言っても言い訳になるような気がして口籠った。よく考えれば、セルゲイとの戦闘でただでさえ待たせてしまった志波を、もたもたと話し込んで更に待たせてしまった形だ。怒らせて当然である。
「ごめんなさ……んぐ」
謝罪の言葉は志波が仄香の唇を奪ったことで中断させられた。
そのキスはだんだんと深くなっていき、時折仄香の舌を仕置きのように甘噛みする。それを受け入れているうちに、志波の手が体に触れてきた。
志波の冷たい手が下着の中に入ってくる。キスをしただけで既に反応してしまっていることが恥ずかしかった。
舌を絡ませ合っているうちに志波の指がゆっくりと中に入ってきて、体内に侵入されているようで興奮した。キスをしている口の端から小さな喘ぎ声が漏れる。
指の腹で中の壁面を優しく圧迫されているうちに、腰がつい動いてしまう。
「ちゃんと俺を見ろ」
「は、はぃ……」
遠慮して逃げようとする仄香の腰を、顔を掴んでいた手が押さえ付けた。
同時に、仄香の下から液体が吹き出す。案の定シートを汚してしまい、サァッと血の気が引いた。
「ひぃ……わ、わたし、志波先輩のお車になんてことを――っひゃ、ぁん」
中に入っている志波の指は、抜かれるどころかより奥まで侵入してくる。
仄香は志波の体にしがみついた。
志波は至って冷静で、淡々と感想のようなことを伝えてくる。
「君がこうして俺の腕の中で喘いでいるうちは特に何も思わないんだが、いない時はまた待たされているようで落ち着かない」
「ぁ……ぇ……?」
ぼうっとする頭では、何度か脳内再生しなければ志波の言葉を飲み込めなかった。
「今日も。俺の知らないところで千遥とどんな距離にいたのか、どんな表情を見せていたのか、それを考えると君を抱き潰したくなる。千遥が好きになったということは無自覚に千遥を誘惑するような素振りを見せていたんだろう。放っておいてこうなるのなら、いっそ両手両足をもいでしまいたい」
「え…………」
突然恐ろしいことを言われ、ぼうっとしていた頭が冴えた。
寝起きにバケツで水を被せられたような気分だ。
――志波ならやりかねない。仄香がごくりと唾を呑み込むと、志波がふと何か合点がいったかのように顔を上げる。
「……ああ、そうか、これが嫉妬か。なるほど確かに厄介だ」
「……嫉妬?」
「千遥が君を好きだと言った時から嫌な気分がした。つまり俺は、千遥が君を好きになるほど君が千遥と近しい関係性だったことに苛立っているんだろう」
嘘だと思った。喜ばせて踊らせるためにわざと仄香が嬉しがるような言葉を言っているんだと思った。でも、一ミリだけ、その言葉を真に受けて脳内で激しい喜びの舞を踊ってしまった。
「私は志波先輩が好きですし、宵宮先輩にもそう言いましたし、宵宮先輩もそれは分かってると思います」
「そうだろうな」
「宵宮先輩が私を好きでも、私は志波先輩が好きです」
「知っている」
「……その……今日はもう終わりですか?」
「何がだ?」
「こういうの……」
さっきまで仄香の体に触れていた志波の手を控えめに握る。
仄香なりに精一杯誘ったつもりだった。
志波はゆっくりと視線を下降させ、自身の手に触れている仄香の手を見た。その目がやけに色っぽくて心臓が爆発しそうなくらいにどきどきした。
「俺に抱かれたいのか?」
「超抱かれたいです」
雰囲気に流されて即答してしまった後、がっつきすぎてはしたないのではないかとハッとする。
「ま、間違えました。もう遅い時間ですし、帰って寝ましょう」
「いや、いい。君と泊まる」
志波が空中に浮かび上がった画面を押して最寄りのホテルを検索する。
「……ホテル……」
「前に行きたがってただろ」
優しい。そんな些細なことを覚えていてくれたのかときゅんっとまた胸が締め付けられる一方、志波に負担をかけていないだろうかと心配になった。
「でもお金かかりますよね。私、贅沢言わないんで全然いつもの職員寮でも……」
「君を千遥に会わせたくない。少なくとも今日から三年は千遥の視界に入るな」
「三年?」
「恋愛感情は通常三年で消える。あいつもその頃には君のことを忘れているだろう」
「でも」
「何か不都合でも?」
本当にこのまま、宵宮を放置していいんだろうか。
向こうが仄香を拒絶しているのだからどうしようもない。もう会うことはできないだろう。が、それで未来が悪化したら――。
仄香の思考を遮るように、志波が口を挟んでくる。
「俺の意見以上に優先したいことがあるのか?」
「……ないです」
色々と胸に引っかかることはあるが、大好きな志波高秋という男にそう言われてしまっては従うしかない。
どのみちあの未来へ繋がるキーパーソンである宵宮と志波の両方を注意して見張っておくのは不可能だ。どちらかが手薄になる。最も殺傷能力の高い志波だけに集中するというのも作戦の一つとしては悪くない。
志波の車に揺られながら、まだ雨の降る街を見てそう自分に言い聞かせる。
けれど――胸騒ぎが収まらない。嫌な予感がする。
何だかもう、取り返しのつかないことをしてしまったような――。
車がホテルの駐車場に停車し、志波に手を引かれるままに中へ入っていく。
仄香の不安な気持ちは、志波に触れられるだけで消え失せていってしまった。
◆
灰色の空が視界に広がった。見慣れない景色とこれまでの感覚で、それが夢であることはすぐに分かった。
その空の下、仄香の実家が映っている。物が散乱したその家の一室は、お世辞にも片付いているとは言えないほどに荒れていた。散らばったティッシュ、動物が暴れた後かのように割れた皿、倒れた棚、ひっくり返った生ゴミの袋――その隅に、小さな体が蹲って座っている。
一瞬、誰か分からなかった。
仄香自身だ。これまで、夢の中に自分が出てくる時は全て自分の視点だった。未来の映像に仄香の姿が第三者目線で映るのは初めてである。
見た目は今よりも大人だった。二十代くらいのように見えるが、その髪の毛はストレスのためか老人のように白髪だらけになっている。もう何日も風呂に入っていないようでギトギトだった。それだけではない。虚ろな目、痩せこけた頬、乾いた唇、ぴくりとも動かない口角。
その深い紫色の瞳が、まるで画面を見つめるように、こちらに向けられた。
「――――視てるね」
久しぶりに発声したかのような、絞り出すような声だった。




