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お前に刺されて死ぬなら悔いはない  作者: 淡雪みさ
高校一年生編

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逃亡



「あいつ、呼吸妨害しても周囲の酸素濃度を急激に変化させても効いてないんだけどぉ? ほんとに人間?」

「おそらく彼の異能でできることは自分の体の形と状態や性質の自在な変化だと思います。自分の体なら治癒だろうが武器化だろうが何でもできる。さっき私は心臓を貫かれましたが、彼が私を生かそうとしたので今は何ともありません。考えたくないですが、今私の心臓として動いているものや肉の一部は彼の片腕が変化したものなんだと思います」

「……体の一部を使えば内臓すらも模倣できて、しかもそれが他人の体の中でちゃんと機能するってことぉ? 化け物ね」

「でも私を治した後片腕は戻ってません。他人のために体の一部を利用すればそれは戻らないってことだと思います。……あの、一つ作戦があるんですが」


 夏菜子と宵宮が同時に仄香を見る。


「彼はコロヴニコフへの異常な執着から私を生かそうとしています。私が死にそうになったら自分の体を犠牲にしてまで治癒しようとしていました。だから、このまま物理攻撃が無理そうなら試しにわざと私の腕とかを彼の目の前で切断して治してもらって、彼の体そのものを徐々に減らしていけば――」

「バカじゃないのぉ!?」


 凶悪な異能力犯罪者を捕まえるためなら賛成してくれると思ったが、夏菜子は呆気に取られたような顔で仄香の頭をバシッとはたいてきた。


「だ、だめですか? でも今の私にはこれくらいしか彼を弱体化させる方法が思い付かないです」

「あなたやっぱクレイジーだわぁ! 勝てそうにないなら撤退一択に決まってんでしょ! そもそもあいつがどこまであなたを生かそうとするかも分かんないし、そんな危ない賭け事にわたし達を巻き込もうとしないでくれるぅ!?」


 何故か物凄く怒っている夏菜子に身を縮める。

 すぐ隣からも冷ややかな視線を感じて恐る恐るそちらを向いた。

 「ひっ」と短い悲鳴が漏れた。宵宮が笑っている。しかしその笑顔が怖い。

 無言の圧力を感じて「そ、そうですね。クレイジーでした。やめときます」と仄香は早口で言った。




 ――――……その時、後ろから靴音が聞こえてきた。


 コツリ、コツリと廊下を進む音がする。

 ここにはいない第三者、何者かがゆっくりとこちらに歩いてくる。



 仄香の胸に期待が芽生えた。その靴音を、仄香は聞いたことがあるからだ。


「さすがにこの状況下であれを相手にするのは分が悪いな」


 セルゲイは丸眼鏡の奥の瞳でちらりと夏菜子を一瞥して言った。

 仄香と宵宮だけであれば制圧できたかもしれない。しかし、戦闘慣れしていて応用力も高い酸素操作能力者がこの場にいる。更に、人質にしようと計画していた仄香も今、セルゲイの手の中にはいない。


 そして――


「久しいな。セルゲイ」


 ――異能力犯罪対策警察内で最も強い駒が、今ここに来た。


 ピンチの時に駆け付けてくれた宵宮のことも夏菜子のこともヒーローに見えた。しかしやはり仄香の目には、志波高秋が一番のヒーローに映る。


「志波先輩……好きです!」

「この状況で言うことか? それは」


 真っ二つに割れた入り口から入ってきた想い人を見上げ、思わず愛の告白をしてしまった。

 遅すぎる程遅い時間にやってきた志波は、「随分暴れたな」と広いフロアを見回す。倒れている男や破壊されたゲームテーブル、壁、血……地獄絵図と言ってもいいくらいには荒れている。

 志波はセルゲイの位置を確認するように視線を上げた後、再び仄香の方に顔を向け――――突然、その頭を鷲掴みにしてきた。


「!?」

「近い。遅い。駄犬」

「あ、痛っいたたっ」


 鷲掴みにしたまま頭を押され、傍にいた宵宮から距離を取らされる。


「あれくらいさっさと制圧しろ。何時間待ったと思ってる」

「す、すみません! ほんっとうに申し訳ないです! このお詫びは必ずどこかで――あっ」


 必死に謝罪する仄香の視界の片隅で、セルゲイの体がどろりと溶けた。

 液化した彼は液状のまま壁を伝い、普通の人間なら入れないであろう細い隙間の中に入っていく。


「――待って!」


 仄香は慌てて足を踏み出した。

 自身の液化――あんな使い方もあるとは思っていなかった。ここまで頑張ってきて、ようやく志波も来たというのに、逃げられては意味がない。


『また会おう。未来視の少女』


 仄香が手を伸ばすよりも早く、セルゲイの体は壁の隙間を伝って出ていってしまった。


「嘘おおお!」


 セルゲイを捕まえきれなかった仄香は絶叫した。

 折角ここまで、一ヶ月以上カジノに通い詰めてやっと直接会えたのに、追い詰めたのに、宵宮と夏菜子にも沢山協力してもらったのに。――捕獲できなかった。


 がくりと項垂れ、へなへなとその場に蹲る仄香の頭を、後ろからやってきた志波がぽんと叩く。


「あいつなら後でどうとでもなる。帰るぞ」

「ど、どうとでもなりますかね……? どうとでもなる相手でしたかねあれ? 今からでも追いかけて、志波先輩の無力化の異能でどうにか……」


 セルゲイはあの変幻自在の異能が恐ろしいだけだ。志波の第二の異能である打消能力を利用すればそれほどの脅威ではない。

 志波さえいればもう一度戦えると思ったが、志波はその提案を却下してきた。


「あいつは逃げ足が速い。研究所もクビになったわけじゃなく、殺処分されそうになったところを逃げてきたと聞いている」

「ええ!?」

「既に今から追いかけて追いつける距離にはいないだろう。それに、千遥がいるなら接触できただけで勝ちだ」


 志波がそう言って後ろを振り返るので、仄香も釣られて宵宮の方を見上げる。

 宵宮はにこりと笑って端末を見せてきた。


「さっき殴り合ってた時に付けといたんだよね~異能で作った追跡用の発信機。接着強めにしといたからそう簡単には外れないよ」


 画面には、セルゲイが移動している場所がリアルタイムで表示されている。

 追跡用の仄香の鞄や私物にも最初に付けられていた物だろう。


「今回はこれだけできれば上等ってところだったから、ほのぴはよくやった方」

「……足引っ張っちゃったかと思いました」


 心底ほっとした。

 捕まったのが仄香でなく夏菜子だったらもっとうまくやったんじゃないかという劣等感に苛まれていた心が、宵宮の言葉でわずかに楽になる。


 宵宮は屈んで仄香と視線を合わせ、にこりと笑った。


「まぁ、説教すべき点は大いにあるけど。それは帰りに話そうか」


 ――宵宮の笑顔が怖い。何だか寒気すら走り始めて、うまく返事ができなかった。



 ◆


 外は土砂降りで、雨粒がアスファルトの上で荒々しく弾けていた。

 仄香と夏菜子は建物横で待機していた治癒班に搬送用の車両内で検査してもらった。違法カジノのフロアで賭け事を行っていた客達は宵宮からの薬物簡易試験を受けた上で、遅れてやってきた近場の警察に署まで連行されていた。


 治癒班に診てもらった結果、仄香の体は通常時と何ら変わりなく、健康体そのものだった。あれだけ刺されたというのにどこも異常がないというのが不思議で、不気味でもあった。


 夏菜子よりも先に車両の外に出された仄香は胸に手を当てて考える。


 ――もし、今ここにある心臓がセルゲイの異能の操作範囲内のものだったら。彼はいつでも仄香を殺せるということになる。


 自分の身体から切り離されたものはさすがに操れないと思いたいが、最悪を想定するならば、仄香の命は今この瞬間も彼が握っている。





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