酸素操作
「――――仄香!!」
宵宮が珍しく大きな声を上げた。
「……困ったな」
仄香から腕を抜かずに、目の前のセルゲイがぼそりと呟く。
「君、今、私が動く前に動いたね?」
目眩が激しくうまく返事ができない。
「未来視という異能力種自体は珍しくない。しかし、それ程はっきり未来が視える異能力者は現代では存在しない。しかも高校生か……異能力の発達は一般的には脳が完成する二十代前半まで続くわけだから、まだ伸び代があるね。このまま成長し続ければ、君が第二のコロヴニコフになる可能性もある」
去年咲に言われたようなことを言いながら、セルゲイはぎょろぎょろと目を動かして笑っていた。
「困ったなあ。困った、困った。君が志波高秋を化け物にするトリガーというだけなら今ここで死なれても遅いか早いかの違いなのだが、私は君にコロヴニコフの片鱗を見つけてしまった」
その時、仄香は違和感を覚えた。
今この瞬間も急速に血液が失われ続けているはずであるのに、目眩が収まっている。
はっとして自身の胸を見下ろすと、セルゲイが再生する際の白い煙が出ていた。
(他人の治癒……)
可能なのは自己再生だけではなかったことに驚いて顔を上げる。
――見上げた先、セルゲイの片腕が失われていた。セルゲイの腕は、まるで仄香の体内に吸収されるようにして消え失せたのだ。
「私の再生能力は私の変幻自在な体の作りに由来するようでね。他人を治すなら体の一部を犠牲にする必要がある。実際にやったのは初めてだよ」
「な……なん、なんで」
「君は私の片腕と引き換えにしても生かす価値があると判断した。君が〝完成〟した時に、改めて殺すことにするよ」
仄香は自分の心臓に手を当てた。鼓動を感じる。変なものと入れ替わったというわけではなさそうだ。
床にへたり込み、信じられない気持ちでセルゲイを見上げる。
片腕のないセルゲイは、恍惚とした表情で笑っていた。
「コロヴニコフは私から志波高秋を奪った女だ。そう簡単に殺してたまるものか。君がコロヴニコフとなった時、志波高秋を化け物にするための最も有効なタイミングで、君を殺す」
ふつふつと漲る狂気を感じる。
呆然としていた次の瞬間、真横からセルゲイが打たれた。
立て続けに発砲音がし、セルゲイが倒れ込んだ瞬間、横から力強い手で二の腕を掴んで引っ張られる。
手の主は宵宮だった。
宵宮は何発もセルゲイに撃ち込みながら、一歩一歩と後ろに下がる。仄香を抱き寄せるその手の力がいつもより強く、痛いくらいだった。
「二度とやるな」
「……え?」
銃声のせいで声が聞き取りづらく、宵宮に顔を少し寄せる。
「二度とやるなって言ってんだよ。死にたいなら他所でやれ」
――本気で怒っている。そう感じさせる程の低い怒声だった。
さっきのセルゲイの恍惚とした顔よりも怖い。やってしまったと思った。
宵宮は、任務における勝手な行動は最悪の手だと言っていた。
見学授業後の打ち上げでも説教されたことを、また仄香はやってしまったのだ。
「いっそのことほのぴのこと、適当な冤罪着せて逮捕してやろうかな。檻の中なら妙な真似できないでしょ」
「……軽率でした。反省してます。でも、あのままだと宵宮先輩が――」
「僕を殺していいから僕の目の前で死ぬな」
(……あ、違う)
宵宮が怒っているのは仄香が勝手な行動をしたからではない。
それに気付いた時、仄香達の後方、内側からも外側からも開けられなかったはずの扉が真っ二つに割かれた。
ドアを切断して外から入ってきたのは夏菜子だ。
後ろには屈強な男達が倒れている。
彼女は中に入ってきて仄香達の姿を目に入れた途端、不愉快そうに眉を寄せた。
「……何くっついてんのよお。イチャイチャしてるカップル見るためにここに来たわけじゃないんだけどぉ?」
宵宮の腕は仄香の腰に回っていて、必要以上に距離が近い。
今来た夏菜子からすれば状況が理解できず、イチャイチャしているようにも見えるだろう。仄香が慌てて否定する前に隣の宵宮が返した。
「遅かったじゃん。こいつ自殺しようとするから捕獲してんの」
「はあ? 何あなた、死のうとしたの?」
「ち、違います! 死のうとしたんじゃなくて不可抗力で……っていうか、夏菜子さん、どうやってここに入ってきたんですか?」
重たい扉は綺麗に切断されていて、床にアセチレンボンベが転がっている。
切断用の器具がこの場にあるわけじゃないのに、どうやってドアを壊したのだろう。
夏菜子は長い髪を手で払いながら何でもないような顔で答えた。
「ガス切断とか聞いたことあるでしょ。酸素アセチレン切断って結局は酸化と燃焼なのよ。鋼鉄くらいなら一定の条件が揃えばわたしの酸素操作の異能で切断できるわ」
「ええ! 凄すぎないですか!? 凄いです、めっちゃ凄いです! これからは夏菜子先輩と呼ばせてください!」
「……う、うっさいわねえ、大袈裟な。これくらい何よぉ」
これまで夏菜子への嫉妬で素直に憧れられなかった仄香だが、夏菜子の異能の応用力を目前にすると尊敬せざるを得なかった。
夏菜子は突然褒められて居心地が悪いのか、仄香からすっと視線を逸らした。
「で、例のオーナーはあのお爺さん? ジジイ一人に何手こずってんのよ、千遥」
そしてセルゲイの方に視線を向けたかと思えば、再生を続ける彼に向かって勢いよく踏み出す。
仄香の口からはあっという声が漏れた。
セルゲイは見た目では一般的な老人だが、その異能は人を簡単に殺せるものだ。
途中で通信が途絶えた夏菜子はこれまでの戦いを見ていない。セルゲイの異常さを把握していないということになる。
「夏菜子先輩! 待ってください!」
後ろから引き留めようとするがもう遅い。
夏菜子は手を振り上げてセルゲイに攻撃した。――途端、セルゲイが人一人の打撃では有り得ないくらい、一気に後ろに吹き飛ばされる。飛ばされたセルゲイの背中が奥の壁に物凄い音を立ててぶつかった。
(圧縮酸素の利用……!)
思わずメモを取りたくなる使い方だ。
高濃度の酸素を一か所に圧縮し、それを爆発的に解放することで衝撃波を発生させているのだろう。この使い方なら敵を吹き飛ばしたり、ダメージを与えたりすることができる。普通の相手なら一発で戦闘不能になるはずだ。
しかし、骨が折れていてもおかしくない衝撃を与えられても、セルゲイはすぐに立ち上がってニヤニヤと笑っている。変な方向に折れ曲がったその腕がぐにょんと歪んだ後元に戻った。
「はぁ!? 何あいつ、キモ!」
その様を見た夏菜子はおえっという顔をした後、それでもすぐに動き出し、セルゲイに掴みかかってその顔を鷲掴みした。
セルゲイが何やら苦しそうに口を動かしている。
仄香は必死に未来視を発動させて夏菜子に危害が及ばないかを予知した。夏菜子は死なない。しかし数秒後深手を負う。
「――夏菜子先輩! 後ろにさがってください! そいつは形を変えます!」
夏菜子は仄香の言葉を聞いて素早くセルゲイから手を離し後ろに飛んだ。
次の瞬間、セルゲイの足が細長く伸びて夏菜子に襲いかかる。夏菜子はギリギリのところでその足を避けて仄香達の方まで勢いよく後退した。




