規格外の異能
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目を開ける。
雨が車軸を流していた。
車の時計は深夜二時過ぎを知らせている。高秋はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。あの男のことを聞いたせいか、あの男の夢を見た。
端末を開くと三十分前に千遥からの連絡が何件か来ていた。
入口前で待機していた夏菜子が捕獲されたこと、千遥のことも監視カメラで把握されていて追手が来ていること。敵の数が想定以上に多いこと。故に至急応援を求む、との内容だった。
彼らが危険だとはあまり感じていない。夏菜子も千遥も仄香も、最終的には敵を追い詰めるだろう。ただ、今揃っているものだけではそれに時間がかかるというだけだ。高秋は連勤明けで疲れているし、放っておいても事態は解決する。
ただ。
「……もう飽きた」
ぽつりと高秋の口から独り言が漏れた。
高秋は片手で髪を掻き上げ、イルカのキーホルダーが付いている車のエンジンキーを引き抜いた。
「――待つのは」
ドアを開け、外に踏み出す。
いつか現れる彼女のことを十六年間待っていた。
彼の生きてきた人生の半分以上をかけて。
――『どうせ会えなくなるのなら、今少しでも足掻きたいんです。あなたのことが好きだから』
朝焼けで頬を照らしながらそう笑っていた彼女を失うリスクは避けたい。
真偽定かな予言ではなく、今そこに実在し姿を現した一人の少女が、今では志波高秋を人間に引き止める抑止力になっているからだ。
◆
「――――と、いうわけで。志波高秋をこちらに引き渡してくれないかな」
長々と志波がいかに素晴らしい異能力者で、彼の言う化け物に相応しいかを語られた仄香は、その間座り続けていたせいで既にかなり尻が痛くなっていた。
この老人の名前はセルゲイというらしい。セルゲイは志波のいたロシアの研究機関に所属していた職員の一人で、今は志波を捜して転々としてきたとのことだ。
仄香はおそるおそる問いかける。
「……あの、貴方は研究施設を追い出されたんですよね?」
「ああ。高秋くんがいなくなったストレスで素行が悪くなってしまってね。私の」
「なら、ここでやっていることは研究の枠を超えた犯罪です。貴方は自分の興味を満たすために異能力者を集めて巻き込んで犠牲にしているだけ。犯罪者に加担はできません」
きっぱりと言い切ると、セルゲイの眉がぴくりと動いた。
「状況を分かっていないようだね。外にいる君のお仲間は捕まえた。一階にいる彼も今追っている。一人ぼっちのただの高校生である君に勝ち目はない」
声が一段と低い。少し機嫌を損ねたのだろう。
「お言葉ですが、こちらもただの変態に志波先輩を引き渡せません」
しかし仄香も譲れない。
「……変態だと?」
「変態じゃないですか。志波先輩に付き纏って、研究施設を追い出されてもまだ日本まで来てこんなことして。志波先輩のストーカーは私一人で十分です。増えると志波先輩に迷惑がかかるので身を引いてください」
セルゲイが青筋を立てる。
今にも襲いかかってきそうなその目が恐ろしく、仄香の背筋に寒気が走った。
「すまないね。私は意図的に老化させられてしまった身だから、前頭葉が他人より萎縮していて怒りのブレーキが利かないんだ。今も、君に何をするか分からない。――最後の警告だ。志波高秋を私に渡しなさい」
「……嫌です」
――仄香が拒否する言葉を返した途端、セルゲイがガタリと大きな音を立てて立ち上がった。テーブルの上にカードが散らばる。
まるでそれが合図かのように、フロア内にいるディーラー達が一斉に仄香の方を向いた。多対一。先制攻撃しなければ勝ち目はない。
仄香は屈んでドレスの裾を上げ、太腿に巻いていたホルスターから銃を取り出して四度発砲した。
銃弾は正面のセルゲイの腕と両足を撃ち抜いた。
今回渡されている拳銃は本物だ。生かして捕らえるなら急所を外す必要がある。
セルゲイの体は高齢者と同程度の身体能力しか持っていない。痛みで気を逸らせばすぐに捕まえられるはずだ。
後はセルゲイを人質にこのフロアから脱出を――と思考を巡らせていた時、打ったはずのセルゲイの足から白い煙のようなものが発生した。
「え……」
セルゲイは笑っている。
彼の手足は、一瞬にして回復していた。
(今確かに打ったはず……自己治癒能力で治した? この男は治癒能力者ってこと? でも異能での人間の治癒には限度がある。いくらなんでも打たれた傷がこんな速さで治るはずない。――こんな異能、授業で習ってない)
呆気に取られているうちに隣にいたディーラーが仄香を捕まえようと迫ってくる。仄香は椅子を蹴ってぶつけその手から逃れ、低姿勢で走りながらセルゲイに向かってもう一度発砲した。今度は急所を狙ったのだが、それでもセルゲイは涼しい顔をして立っている。
ぼこぼこと皮膚が妙な動きをした後銃弾が体外に出てきて床に落ちた。打てば即死レベルの場所を狙ったのに、セルゲイには傷跡一つ残っていない。
(嘘でしょ……!? 不死身ってこと!?)
仄香は走りながら絶句した。
曲がりなりにも、あの志波高秋と同じ施設で育った異能力者だ。
規格外の異能を持っていてもおかしくはない。
「いい射撃の腕だね。身も軽い。さすが武塔峰の生徒だ。将来有望だよ」
セルゲイは笑いながら大きく拍手する。
同時に、フロア内の男達が一斉に仄香を追ってくる。その男達を躱すために発砲している内に、銃弾の残りが少なくなってきた。
セルゲイは銃が効かないから後回しにした方がいい。
瞬時にそう判断し、他の男達に容赦なく弾を打ち込む。
未来視を使えばどこの男がどう仕掛けてくるかはすぐに分かった。
何とか全員倒した仄香は、空になった拳銃を手に肩で息をしながら、最後に残ったセルゲイを見返す。
フロア内はしんと静まり返り、ゲームをしていた客達もゲームを中断していた。
その時、セルゲイはふと驚いたような顔をして片眼鏡を上げ、仄香の顔を見つめた。
「……紫の目……君、よく見たら紫色の目をしているじゃないか」
ぼそりとそう呟いたかと思えば、急に嬉しそうに大声を上げる。
「そうか! 君が高秋くんの言っていた、例の〝抑止力〟か! 夢を叶えるためのピースが揃ったよ! やはり君をここに招いて正解だった! コロヴニコフの予言など私が覆してやる!」
興奮したように荒い息で近付いてくるセルゲイ。
仄香はその勢いに少し怯んだが、何としてでも倒して宵宮達と合流しなければと構える。
「つまり、君さえ彼から引き離せれば。|君さえいなくなれば志波高秋の倫理は壊れる《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。君の存在の有無こそが予言を信じて人間に溶け込んだ高秋くんを化け物に戻すトリガーとなり得るというわけだ。なァんだ、話が早いじゃないか」
仄香の間合いに入り込んだセルゲイが老人とは思えぬ速さで杖を振る。咄嗟に動いたが完全には避けきれず、腹に深手を負った。杖に刃物が仕込まれていることに遅れて気付く。
「気が変わった。高秋くんではなくまずは君を回収する」
セルゲイの目がぎらりと光る。仄香は腹から溢れ出る血を止める術がなく、必死に手で傷口を押さえながら蹲った。




