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お前に刺されて死ぬなら悔いはない  作者: 淡雪みさ
高校一年生編

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志波高秋の過去 ④



 俺の心は時間経過と共にゆっくりと軋んでいった。

 同時にあの日封じたはずの殺害欲求がまた顔を出し始めた。



 高校一年生の冬、ついに俺はまた動物を殺すようになった。

 その年は積雪量が多く、武塔峰の校舎近くも積もっていた。その雪が俺にロシアでの日々を思い起こさせ、同時に、モルモットを殺した時の記憶も蘇らせた。

 あの瞬間の高揚。思えばあれが感情の起伏と呼べるものだったのかもしれない。

 俺はそれを確かめるように、寮の裏に群がっていた猫の腹を切り裂いた。



 しばらく経ち、冷たい風で手が悴む頃、背後から人の視線を感じた。

 そちらをゆっくりと振り返る。

 俺は余程夢中になっていたらしい。人の気配に気付かなかった。


「一応聞くけど、たまたま現場に居合わせた目撃者、ってわけじゃないよね?」


 中性的な顔立ちの、ライトベージュの髪をした男子生徒。

 武塔峰の制服を着た彼は、感情の読めない虚ろな瞳で俺を見ていた。



 手の中には喉と腹部を切り裂いた子猫の死体がある。

 何が行われていたかは一目瞭然だろう。


 見られた。同じ学校の生徒に。

 これから起こる様々な不都合は予測できたが、不思議と俺は冷静だった。


 適当に言い逃れすることもできる。

 しかし、それももう面倒だ。

 もういいか、と投げやりなことを思った。


「俺が殺した」


 男子生徒が少し意外そうな顔をして俺を見た。

 あっさり肯定するとは予想していなかったのだろう。

 彼はゆっくりと視線を下降させ、俺の足元にいる子猫の死体を見て、心にも思ってもいなそうな事を口にする。


「可哀想じゃん。やめとけよ」


 死体を視界に入れておきながら抑揚のないその声音を聞いた時、この男は他の人間とは何か違うと思った。

 全くと言っていい程動揺していない。――おそらく、これ以上ショッキングな死体を過去に見たことがあるのだろう。


「生かしておいてもどうせ死ぬか殺されるだろう?」


 俺の返答に、男子生徒は何故か笑った。

 そして、煙草に火を付けながら突然自己紹介をしてくる。


「僕は宵宮千遥。知らないと思うけど」

「俺は志波――」

「高秋でしょ。知ってるよ。お前、有名人だし。こういうの、ここではやらない方がいいよ? この向こうにゴミ捨て場あるから、寮のゴミを捨てに来た清掃員とかが通るだろうし」


 呑気にそう忠告した宵宮千遥という人物は、ようやく火のついた煙草の煙を吐き出し、俺にとって予想外の提案をする。


「ねえ。僕が誰も来ない場所教えてやるから、代わりにこういうの、全部僕の前でしてよ」


 俺の予測通り、彼は過去に親を目の前で殺されていた。

 その記憶を上書きするために俺が必要らしい。

 否定され続けてきた俺の異常性を初めて受け入れたのが千遥だった。




 ある日の放課後、千遥はまるで食事に誘うような声音で殺人を提案してきた。


「高秋、人間のこと殺してみたくない?」


 俺が顔を上げて見返すと、千遥がずぃっと愉しげに顔を近付けてくる。


「僕のこと殺してみる? 遺書書いてやってもいいよ。自殺に見せかける手伝いくらいならしてあげる。興味あるだろ? 動物より知的な生命体が死ぬところ」


 人を殺す。

 それを想像した時、子供の頃のような抗えない好奇心が襲ってきた。

 本人が協力すると言うのなら社会的なデメリットはない。殺害したという事実を完璧に隠すことができればまた収容されることもないのだから。

 その提案に、激しく心が傾きそうになった。

 おそらくこんなチャンスは二度と来ない。千遥の気が変わる可能性だってある。やるなら今だ。


 その提案に乗りかけたその時、皺だらけの老婆の顔が脳裏を過ぎった。



 ――『だからそれまで――本物の悪魔になっちゃダメ』



 俺ははっとして口を閉ざす。

 どうやらあの時の予言は、抑止力として今も俺の異常性を抑え込んでいるらしかった。


 俺は数秒間を置いてから、もう一度ゆっくりと口を開いた。


「まだいい」

「……まだいい?」


 千遥は不可解そうに俺を見る。

 言ったって理解されないだろうと思いながら、千遥に向かって過去に言われたことを告げる。


「俺には運命の人がいるらしい」

「……はあ?」

「昔言われたんだ。そいつは俺を変えるらしい。だから――その運命が現れるまで、悪魔になるなと」


 一拍間を置いて、千遥は少し可笑しそうに、半笑いで返してきた。


「それ、信じてんの? 高秋がそんなロマンチスト野郎だとは思わなかったな。……馬鹿らし」


 馬鹿らしい。

 そんなことは知っている。


 けれど子供の頃の俺にとっては、あの予言だけが生きる意味で未来への希望で、俺を唯一〝人たらしめるもの〟だったのだ。

 実体のない曖昧なものを待ち続けるなど馬鹿らしいと頭で理解していてもそう簡単には手放せない。しかし――


 俺は部屋の隅にあるカレンダーに目をやった。


 一月だ。

 彼女の言った十年が過ぎ、しばらくが経つ。

 日付が進むごとに、ありもしない心が冷たく凍っていくのを感じる。



 窓の外には、冬の暗い夜の外気が貼り付いていた。




 その週の金曜日、死を望んでいた千遥が宗教の狂信者に殺されかける事件が起きた。

 都立図書館の出口付近で、滅多刺しにされ血塗れで倒れている千遥と、おそらく千遥の異能で殺されたであろう信者複数名を見つけた。

 驚いたのは、思ったよりも自分の感情が昂らなかったことだった。


 それどころか失望した。

 人の死体もこの程度かと。

 動物と何ら変わらない、ただ動かないだけの代物だ。

 初めてきちんと見たという意味での面白みはあるが、そこに他の生物の死体を見た時とは違う特別な高揚は感じなかった。


 俺は少しつまらなく思いながら、唯一まだわずかに息がある千遥を見下ろす。


 放っておけばすぐに死ぬ。

 その瞬間を眺めているのも悪くない。


「生きたいか?」


 しかし、それだけではつまらない気がした。

 彼は俺に殺してもいいと許可を与えてきた最初の人間だ。いつか俺が人を殺したくなった時、まだ使えた方がいいという思いもあった。


 俺の問いかけに、千遥は震える唇で訴える。


「生きたく、ねえよ……でも、まだやり残したことが……ある」


 彼の声は酷く掠れていた。

 しかしその目は強い光を宿している。

 常に虚ろな瞳をしていた彼のそんな表情を見たのが初めてで、少し、ほんの少し――彼に対する興味が湧いた。


 同級生の命が惜しいという感覚はなかったが、彼のやり残したことが知りたくて、俺は彼を助けた。





「僕ねぇ、無能力者嫌いなんだよ。僕の母親は無能力者の嫌がらせで自殺に追い込まれたし、父親を殺したのは異能力を反対してる過激派連中で、勿論そいつらも無能力者の集団だった。今も異能力者と無能力者の対立は社会問題になってて、一部地域では異能力者が隔離されてるって話もある」


 俺の家で目覚めた千遥は、無能力者に抱いている憎悪を吐露した。



 宵宮千遥という人間は、緩やかに心を病んでいる。

 病識がないか、気付いているが認めたくないか。おそらく後者だ。無能力者に自身の心を滅茶苦茶にされ、人生に著しい影響を受けたという事実を認めることは彼のプライドが許さないのだろう。

 そんなことをすれば彼は今以上にやり場のない憎悪で苦しんでしまう。


「異能力なんか持って生まれた僕が悪い」


 だから彼は自ら他者に助けを求めることはしてこなかった。

 誰にも頼らず、平気なふりをしてきた。


 そんな不安定な状態で生きている彼に、俺は彼の望む言葉をわざと与えた。


「千遥は悪くないだろ」


 そう言った途端、千遥はタガが外れたように涙を流し始めた。


 それを見て、一体涙とはどのような感覚がするのだろうとぼんやり思った。





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