志波高秋の過去 ③
「……俺が悪魔にならなければ、その運命の女児とやらに出会えると?」
「あら、興味ある?」
「俺が聞いたことにだけ答えろ。その女児はいくつだ? どこで出会う? 今のじゃ曖昧すぎる。何の参考にもならない」
「こういうのは、あまり詳しく答えすぎるといけないのよ。異能力者の手がかかると未来が変わってしまうかもしれないから。それに、わたくしが視ているのは元よりあくまでも未来なの。少しの条件の違いで揺れ動く不確定なものでしかない。貴方がその子と出会うのは今から十年以上先よ。先であればある程未来は変わりやすいから、これ以上は教えてあげられないわ」
そう言った数秒後、ゆっくりとコロヴニコフの白にも似た薄い紫だった瞳が濁り、黒くなっていった。
「……あら。わたくしももう年ねえ。今ので最後の【未来視】を使い切っちゃったみたい。まぁ、出し惜しみするのも嫌だしねぇ。今のが最後で良かったわ」
くすくすと皺くちゃの顔をもっと皺だらけにして笑ったコロヴニコフは、唾液を誤嚥したのかごほごほと咳き込んだ後、車椅子のタイヤを回して公園を出ていった。
「ニプーハ、ニペラー! 幸運を祈るわ。天使と悪魔の卵の少年」
彼女はその翌週寿命で息を引き取り、世界中から追悼されたと聞いている。
俺はその後、微塵も興味がなかったコロヴニコフの実績を調べるようになった。コロヴニコフほどの異能力者となれば既に何十冊も彼女を語る専門家の本が出ていて、比較的調べやすかった。生まれや年齢、異能が目覚めた時から一躍有名となったきっかけである大戦危機の防止に至るまで、何度も彼女の記録を読み込んだ。
コロヴニコフの予言が百発百中の異常とも言える未来予測能力に支えられたものであると理解した時。
不本意ながら、彼女の予言した〝運命の人〟とやらが、真っ暗だった俺の先の未来を照らす光になった。
他者への殺害欲求に傾きかけていた俺は、ここでようやく軌道修正をする気になった。
それまでの言動を改め、人が何に触れてどういった感情を覚えるのか、その際にどのような反応を示すのか、どういった思考に陥るのかを観察した。
俺には感情の起伏がないが、何故か他人の感情の変化や機微は敏感に感じ取れた。そのため、それは想定していた以上に簡単なことだった。
俺は感情を学習した。
他の人間がどのような感情が生じた時にどのような行動を取り表情を作るのかをトレースした。
俺を研究し利用しようとしている彼らの懸念点が俺の性格特性であることは分かりきっていたから。
一年、二年、三年と時が経過する頃には、俺の監視は完全になくなっていた。
「君に帰国命令が出ている」
三年のうちに何度か変わった教育係の、一番新しい人物が、俺に向かってそう言った。
「帰国命令……不法滞在していたつもりはないんだが」
「そういう意味じゃない。日本からの要請だ。優秀な異能力者である君を直ちに母国に返せと」
日本でようやく異能力者関連の法整備が進み、異能力研究施設がいくつも建ち並び始めていた時期だった。
異能力研究開発の国際競争が始まりつつある年でもあった。いつまでも貴重な三つの異能を持つ俺を他国に置いておくわけにもいかなくなったのだろう。
俺としては今更帰国と言われてもという感じだったが、この矯正施設から出ることができるのならと了承した。
日本は政治のトップ層までもが法規制を受けるような、法秩序の維持された国だ。この国に居続けるよりは俺の人権が守られるだろうと思った。
「予言してあげよう。君は一生化け物だ。どこかで道を踏み外す」
施設を出る際、もう何年も会っていなかったセルゲイが、あの時と何ら変わらない気味の悪い笑顔を浮かべて俺に向かってそう吐いた。
「どんなに正常を装っても、所詮は人の皮を被っているだけ。君が倫理や道徳を捨て、自分に正直に生きるようになる未来のことを私は楽しみにしているよ」
おそらく、俺が施設から出る選択をしたことが気に食わないのだろう。笑顔だがその奥底に潜む酷い不機嫌が感じ取れた。
彼は随分、――年を取っていた。
声も、以前会った時と比較して嗄れていた。
(……意図的に老化させられたか)
あれだけ若かった男がたった三年でこれ程老けるとは思えない。彼も実験に巻き込まれたのだろう。
この施設にいる研究者達は近年、高齢者に異能力者が生まれない要因を探り、加齢と異能力の喪失の関連性及びその予防薬を開発しようとしている。そのための実験の一貫として、真っ先に犠牲となるのはきっと施設上がりで用済みのセルゲイだ。
俺もこうなる可能性があったことを思うと、いつまでもこんなところに居続けた彼のことが少し滑稽に思えた。
「悪いが俺は確定した未来というものを信じていない。死んだ女の予言以外は、信憑性のないただの占いだと思っている」
「……コロヴニコフか? あの老婆め。君に何を吹き込んだんだか。君はここで、より価値を高めた方が有意義であるというのに」
「俺は自分の意思でここを離れる。洗脳され、捕らわれ続けることを選んだ君と一緒にしてくれるな」
ふ、と嘲笑うように毒を吐けば、一瞬――ほんの一瞬、セルゲイの瞳に憤怒の色が漲った。
「なんだ。あるじゃないか、感情」
そう指摘すると、セルゲイがわずかに瞠目した。自覚がなかったのだろう。
その言葉を最後に、俺は深く敷き積もった雪の上を歩いて迎えの車へと向かった。
未来に足を踏み入れることにもう躊躇いはなかった。
ロシアから飛行機で九時間。
冬の東京には広く青い空が広がっていた。
高く立ち並ぶビル群を見て、日本というのはこんな場所だっただろうかと最後に見た景色との変化を感じた。
実の母親は俺が戻ってくることを快く思っていないようだった。
母親といっても成長してから実際に会ったことはない。顔も覚えていなかったので、最初に見た時彼女に対して抱いた感想は「これが俺の母親か」だった。
父親も俺を見て何だか複雑そうな顔をしていた。最初の夜だけ同じ食卓を囲んだが、両親共に何も喋らなかった。
後で得た情報によれば、新生児だった頃の俺は母の出産直後にその場にいた医療関係者を皆殺しにしているらしい。満身創痍な体で凄惨な光景を見せられた母親はその衝撃が忘れられず長年苦しみ、俺が帰ってくると聞いた時も酷く怯えていた。
本当は子供を三人作るつもりだったが、俺の出産当時のことをトラウマとして引きずり続け、とても次の出産は考えられないまま年を取ったそうだ。
だから彼女達は俺を、本当はあるはずだった幸せな日々を壊した不幸の元凶だと思っている。
それでも親らしく、俺を受け入れるという選択をしたようだが――その顔には、俺のことなどとても愛せないと書いてあった。
感情を模倣するために散々学習したおかげでそんな彼女達の感情をすぐに察知した俺は、家でもできる限り自室を使い、彼女達の前に姿を見せないよう工夫し続けた。
家族と言えどただの他人だ。
金銭的な支援は受けるが、大人になればすぐに決別する存在。
こちらとしても不要な関わり合いはする気はなかったので楽だった。
俺は専門機関に通いつつ普通の学校にも編入し、日本での〝普通の生活〟を手に入れた。
普通の人間は進路において親の職業の影響を受けるようだったので、俺もそれに倣って進路希望では警察を養成する学校を書き出し、武塔峰に入学した。
コロヴニコフがあの日言った運命の人とやらを待ちながら。
しかし――――十年経っても、〝運命の人〟は現れなかった。




