志波高秋の過去 ②
「感情をインプットし、正常を模倣した。この施設は強力な異能力者のことを自分たちで扱い得ると判断すれば利用の段階に入る。私は閉じ込められ矯正される段階を終えて利用される段階に入ったんだ」
「利用……」
「ついでに私は知能が高いから、この施設の子供たちのデータの統計も任せてもらっている。君に出会った時は興奮したよ。君は私が求めていた完成品そのものだ。それだけの異能の数値を叩き出しながら理性を保っているのだから」
セルゲイはケースの中にいるモルモットに注射針を打ち込みながら、愉しげに低く喉を鳴らす。
「私はね、知能のある化け物がこの世で最も恐ろしいと思っている。だからそれを作りたい。私は子供の可能性を信じる良い大人なんだ。この施設にいる子どもたちは全員、その才能があると見込んでいる」
何かを入れられたモルモットは暴れ出し、数分後ケースの壁に勢いよくぶつかって動かなくなった。セルゲイはその様に、嬉しそうに好奇の目を向けている。
――その瞬間、その目が、白い部屋でテストを受ける俺を見つめる研究者達の双眸と重なって見えた。
俺はその時ようやく感覚として理解した。この施設にいる彼らにとって、俺は価値のあるモルモットなのだと。
途端、大量に用意されたケースの中のモルモットが不快に思えてきた。
うじゃうじゃうじゃうじゃと虫のようだ。虫よりも体が大きいから余計に気持ちが悪い。
(――これが俺?)
彼らの目には、俺が、他の子供達が、等しくこう映っている。
そう感じた時、耐えられない吐き気のようなものがこみ上げてきた。
その日俺は、初めて自らの意思でモルモットを殺した。
「どうしてあんなことをしたの?」
その後、多岐に渡る分野の学習サポートを担う女性に呼び出された。普段学習に使用される部屋の中心で、彼女は険しい顔をしている。
俺の情緒が急に安定を失った。おそらく責任を取らされるのは教育係のこの女なのだろう。表情から焦りが見て取れる。
「不快だったから」
「不快って……一度目はそうだったかもしれない。でも、間を置いてまた殺してるわよね? わざわざ実験室に赴いて。不快なものにどうして再度近付いたの」
「興味があった」
最初はただの衝動だった。でも二度目はそうではない。
「あれがどんな風に死ぬのか。あれの中身、俺が切らなかった部位はどうなってるのか。息絶える瞬間の動作に、同種でも個体差はあるのか知りたかった」
「…………」
教育係が顔を歪め、汚いものでも見るかのような目で俺を見てきた。
自分達も日々の実験でモルモットを殺しているのに、俺がやると不愉快らしい。
その後、監視は明らかに強化された。
しかし俺の関心は収まらなかった。徐々にモルモット以外の生き物にも興味が生まれ、虫を殺すようになった。虫なら手軽に手に入ることが大きかった。監視の目を潜り抜けてやっているつもりだったが、施設の職員は何故かそれを把握していた。
精神面談の回数は増え、徐々に行動制限も課されていった。
セルゲイと俺の会合は当然ながら正式な手続きを踏んだものではなかったようで、セルゲイも謹慎処分を食らったらしい。
『安定してきた子供の状態が再び悪化するなんて話は聞いたことがないわ』
『セルゲイよ、あいつが何かしたのよ』
『やっぱり施設上がりの異能力者を職員に採用するなんて間違いだったんだ』
『プログラムに組み込まれていない面談を行うなんて有り得ない……あいつ何考えてるの? 特にあの子は異能が優秀で、矯正が終了すればうちの実績にも繋がったのに』
職員達は皆、責任をセルゲイに擦り付けようとしていた。
まだ処分という話は出ていないことを確認してから、布団の中で盗聴器の電源を落とす。これはまだ気付かれていない。しかしあいつらはこの所、俺に感知されないレベルの監視の目を張り巡らせるようになった。仕込んだ盗聴器が発見されるのも時間の問題かもしれない。
窓の外、雪の積もった施設の公園で走り回っている幼い子供達を眺めて、俺の心にまた新しい関心事が生まれた。
――人の子を殺してみたい。
今の監視体制でそれを行えば、すぐに俺がやったと発覚してしまうだろう。しかしそれさえ気にしなければいつでも人は殺せる。
今の俺ならできる。否、〝今の俺〟ではなく、昔からできた。
施設の職員を皆殺しにしてここから抜け出すことなど異能を扱えば容易だ。
それをしなかったのは、その先の未来を予想できないからという、ただそれだけの理由だった。
どこまでも雪と氷が覆う極寒の地。この雪国の、まだ見たことのない外の世界。逃げ出したとして、その先は? 外を知らないが故に何も想像がつかない。
俺にはそれを行った場合の未来をイメージすることができない。
けれど――
(俺の異能で飛び散る人の臓物は、きっと綺麗なんだろうな)
この所、そんな好奇心が幾度となく襲ってくる。
この欲求は他の人間から見れば異常なんだろう。異常と正常の狭間をゆらゆらと揺れ動きながら、俺は理性を手放してしまいそうになっていた。
「貴方、面白い未来を背負っているのね」
紫色の瞳を持つイサーエヴナ・コロヴニコフと出会ったのは、そんなある日の春だった。
おそらくそれが、俺の人生のターニングポイントだった。
車椅子に座る彼女は一人で虫を殺していた俺に躊躇いもなく話しかけてきた。
白にも近い薄紫の瞳。不吉とされる異質な目の色をじっと見つめ返す。
「虫さん殺してるの?」
「……はい」
「あらまあ。そう」
てっきり注意されると思ったが、コロヴニコフはそれだけ言って何故か柔らかく微笑んだ。そして、じっと俺を見てきた。
――何故かその双眸だけは、この施設の職員の目を彷彿とさせない。視線を向けられているのに不快ではなかった。彼女がこれまでいた職員の誰の目にも似つかない色をしているからだろうか。
……いや、おそらく、見られている対象が俺自身ではないからだ。
「……わたくしと同じ異能を持つ女の子が視える……」
未来視。最初に施設でそのような異能が世界に存在すると言われた時は占い師のような眉唾物だと感じたが、このコロヴニコフという人間が現在世界で唯一はっきりと未来を視ることができる異能力者であるということは、ニュース等を見てよく知っていた。
とっくの昔に彼女の異能は衰えたと噂されていたが、その気になればまだ使えるらしい。
コロヴニコフはしばらく俺を舐め回すように見てきた後、ふふっと可笑しそうに目を細めた。
「あらあら、面白いわね。貴方の異能は人を傷付ける力にも救う力にもなる。今のままでは悪魔まっしぐらだけれど、その前に、運命の人が現れる。必ずね。その子は今のわたくしよりもずっと濃い色の目をした、真っ直ぐでとても愚かな女の子。貴方を愛して救ってくれる。その子にも別の運命の人がいるから、愛し続けてくれるかどうかは微妙だけれど。でも一度正面から彼女と向き合った経験は貴方を変える出来事となるはずよ」
――彼女は予言をした。未来が何も視えなかった俺に。
運命の人が俺を変えると。
そして、続けて忠告をした。
「だからそれまで――本物の悪魔にならないことね。失ってから気付くなんて馬鹿らしいでしょう。もっとも、その異能を持つ貴方にとって失うというのは想像のつかない事象かもしれないけど」
俺は眉を寄せた。
俺が研究者に生涯隠し通せと言われた三つ目の異能のことを、この女はあっさりと見透かしたのだ。
疑っていたわけではないが、まともなルートでは知り得るはずもないその情報を俺から抜き取れたという事実が、彼女が本物であることを証明していた。




