モリブデン
高校の制服を着た仄香の次は、中学にいた頃の仄香の写真が出てきた。時間をかけて全て閲覧する。一番古そうなのは小学生の時の写真で、それ以前のものはない。もう一度机の裏をよく見たが、それらしきものは見当たらなかった。
尚弥の異能なら学校中の監視カメラをハッキングできる。不可能ではない。しかし何が目的なのかだけが分からず、呆然と立ち尽くしてしまった。
(ずっと前から私の動きを監視してる? 何で? 何のために?)
嫌な予感が頭を掠める。
そもそも、何故尚弥のことを味方だと思い込んでいたのだろう。
宵宮は尚弥とは繋がっていないといった口ぶりだった。しかしそれも嘘かもしれない。あるいは、宵宮が繋がっていなくとも、M.Oの誰かが仄香に目を付けていて、尚弥がその駒として動いている可能性もある。
思い当たる節があった。
――尚弥は、小学生の頃、一度M.Oの幹部に誘拐されている。
そこでどんな会話がなされたのか、何故彼らが尚弥を誘拐したのか、詳細は未だ不明のまま。誘拐された尚弥の心の傷を抉るような真似をしたくなくて、今まで一度もあの時のことは聞いてこなかった。
(盗撮の始まりも、あの誘拐事件の後くらいから……)
尚弥が仄香との奴隷ごっこをやめると言い出したのは、誘拐事件の後。
尚弥が茜を好きになり、幼なじみ三人の関係性が崩れたのも誘拐事件の後。
思えばあの時から全ての歯車が狂い始めた。
あの誘拐事件で尚弥を変える何かがあった――と考えるのが妥当だ。
「……ん、」
後ろから尚弥の声がした。
思考していた仄香はハッとして振り返る。しかし尚弥はまだ目覚めてはいないようで、苦しそうな表情のまま寝返りを打つだけだった。
仄香はその様子を見届けてから深呼吸して自分を落ち着かせ、広げている写真を重ねていった。
日付が印字されているので、きっちり順番に重ねて机の裏に貼り直す。
これを見たことが尚弥にバレたらまずい気がしたのだ。
もしかしたらまだ何かあるかもしれないと思い、できるだけ音を立てないように机の引き出しを開く。
写真はないものの、連絡用の端末が二台あった。どちらも武塔峰から支給されているものではない。学校支給のものはおそらく今尚弥が持っている。
この引き出しにあるもののうち、一台は元々尚弥が持っていた私用端末だろう。この機種は中学の時の尚弥が持っていた気がする。
しかし、もう一台の機種は使っているところを全く見たことがない。
ちらりと尚弥を確認してから、見たことのない方の端末を起動させた。
寝ている尚弥の顔に端末を翳して顔認証を突破する。
画面を見ても、普通の端末と比べて特に変わったところはない。初期設定で入っているようなアプリが入れられているだけで、あまり利用している痕跡はなかった。
少しほっとしながらスワイプを繰り返すうちに、ただ一つ、見慣れない海外のチャットアプリを見つける。
当然ながらロックがかかっている。試しに尚弥の誕生日を打った。開かない。さっき見た学籍番号を打ち込んでみる。やはり無理だった。
パスワードの桁数も定まっていない中、当てずっぽうで開くのは不可能だ。意味のない数字の羅列にされていたら諦めなければいけない。
(……茜ちゃんの誕生日、とか?)
まさかねと思いながら、他に思い当たる番号もないので打ち込む。
――すると、ロックが解除された。
(嘘でしょ!?)
駄目元での試行だったので、ぎょっとしながら画面をスワイプする。
一つだけ、連絡先登録されているアカウントがあった。
トーク画面を開けば、去年一度だけ連絡を取り合っているようだった。やり取りをした日付は見えるが、メッセージの内容が全て意味の分からない言語になっている。どこかの国の言語というわけではなさそうだ。
体の芯が冷えていく気がした。
暗号学なら授業で選択したことがある。有名な暗号であればそのコードブックが一部機関に向けて公開されており、授業でも特別に見せてもらった。勿論コピーなどはできなかったし、たった一度閲覧許可を得ただけだ。
仄香はそのわずかな記憶を手繰り寄せ、尚弥から相手に送られている最初の一文をいくつかの言語に変換してみた。
(D……M……L……)
Dear Mr. Molybdenum, ――必死に解析し、得られたのはそのたった三語。
未来を変えるためにと年末からずっとM.Oのことを調べていた仄香には、それが何を意味するのか理解できてしまった。
モリブデン。M.Oの組織名の由来であるらしいレアメタルの一つ。
その言葉はM.Oの人々の間で使われる、組織の長を表すコードネームであると言われている。M.O内部では伝統的にM.Oのトップをモリブデンと呼んでいる。
普通の相手とやり取りするのであれば、暗号なんて使う必要がない。既に二個も連絡用端末を持っているのに、わざわざ他の端末を持っていること自体怪しい。
後ろで尚弥がまた寝返りを打つ音がした。
いつ起きるか分からないのに、こんなところでずっと勝手に端末の中身を覗いているわけにもいかない。
仄香は夏菜子に預かったメモリーを尚弥のベッド脇のローテーブルに置き、尚弥のルームキーを持って一度部屋を後にした。
二十四時間営業の寮の売店でゼリーなど食べやすそうなものを買い、尚弥の部屋の冷蔵庫に入れる。おそらく大抵の生徒は冬休みが終わるまで寮には帰ってこない。その間に高熱の尚弥が死んでも困る。――まだ、聞きたいことがあるから。
(……聞けるの? 私に)
聞けばいい。幼なじみなんだから。怯える必要なんてない。
――きっと昔なら、茜と尚弥と仄香の三人で過ごしていた頃なら、そう思えただろう。
心のどこかで尚弥を信じていた。いや、尚弥を信じていたんじゃない。いつか尚弥との関係性が昔のようなものに戻るんじゃないかと信じていた。
だいきらいな人。思いを踏み躙ってきた人。沢山傷付けてきた人。何度も死ねばいいと思った人。
けれどいくら恨んでも、仄香の根底には尚弥と仲良くしていた頃の感覚が残っている。
だから助けた。東京MIRAIタワーで、尚弥が死ぬ未来を阻止しようとした。
たった数年で、幼なじみ三人の関係性がここまで壊れてしまうなんて――
そこまで考えて仄香は立ち止まり、ハッと自嘲した。
――『尚弥は、茜ちゃんのことが好きなの?』
後戻りできないように全部壊したのは私なのに。何を被害者面しているのだろう、と。
尚弥への疑念が晴れないまま、冬休みが明けた。
二月が期限の論文を早々に提出できた私たちのグループは、研究室授業の時間は自習ということになった。
「どうせ誰も来ないし、尚弥もおねえちゃんもこの部屋で自習していいんだよ……?」
教員側からの課題受理の知らせを受けた後茜はそう提案してくれたが、私はあまり尚弥と顔を合わせたくなくて断った。




